早稲田大学では学問はできない

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544名無しなのに合格
寮生活については石原都知事も都立大改革などで述べていたが、学生の時分に寮で共同生活を営むことには重大な意義があり

中国・韓国だけでなく、広く世界から集まる留学生と寝食を共にするのであれば、中野の国有地を取得してでも多人数収容の寮を

大学が自前で持つ理由は十二分にあると言える。どちらか一方を選べと言われたら、私は断然、大規模学生寮だと思うが

文学に関わる研究教育経験を積んだと言う割に、これが分からないというのは何とも不可思議な話である。やはり理科系

人間特有の「理系世界しか見えない狭量さ」に起因してのことではないのか。ノーベル賞や新品の校舎のような

“即物的なもの”のみがよく見えて、人づくりや「東西文明の調和(理科ちゃんだと、誰の言葉かも知らないんじゃね?)」

のような“目に見えないものの価値”が、あまり見えてないからではないのか。


以上は、あくまでも冒頭のリンク先に紹介されていた総長選候補者の経歴・抱負文のみから読み取る私見であり、直に

接する機会があれば、また私見と異なる要素を見出す可能性は十二分にある。しかし、彼らが行う単位認定同様、その時に

提出される内容のみをもって判断せざるを得ないケースは、世に多々あるものだ。誤解されるような文章しか書けなかった

のなら、それは当人たちの責とせざるを得ないだろう。鎌田氏は奥島 前総長と同様、革マル自治会と衝突した経緯がある

点も承知しておく必要があり、学生投票で不適切とする票が多かったのは、この点が絡んでのことと思われる。投票権を

持つ早稲田人が、果たしてこの二人のどちらを選ぶのか。在学生の無関心に比べ、私の関心は天空をも突き抜けるほど

高まっている。運命の投票日は6月15日(火)か・・・  どうなるんかいの〜・・・