「部落民=被害者」という妄想は何処からくるのか?

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>>513
現場を見る事も大切だな。しかし、「見える」という事は、「見えない」事以上に、
時に人を盲目にする。(「見る」ことと「解釈する」ことは一であるからだ)
確かに、1920年代のシカゴにおける貧民街を視察したなら、君らが言うような光景だったと思うよ。
不衛生で、一目でわかるが、中で明らかに不正で儲けた連中が、不相応な財を蓄えている。
かといって、彼らの多くが「貧しくなかった」と誰が言えるだろうか。

「見てきた」と安易にいう人は、彼らの言う「無法地帯」に、どこまで深く、また共感的に取材をしたのだろうか。
もちろん、様々な歪みが存在する事は、部落に対して好意的な人達からも、指摘されているくらいだから、
事実だと思うし、それは否定しない。しかし、見えることにより、感情的になっている所がありやしないか?