tsolは赤いキツネにHNを変えて再登場です

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1エリート街道さん
HN変更のお知らせ

赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
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赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
赤いキツネ=tsol
2エリート街道さん:2001/05/07(月) 00:24
ロンメル?
3赤いキツネ:2001/05/07(月) 00:25
だから違うのにイ〜 
4赤いキツネ:2001/05/07(月) 00:25
>2
ロンメル知ってる?赤いケツネだよ
天敵は緑のたぬき=モンゴメリー
5エリート街道さん:2001/05/07(月) 01:12
tsolではないな
6エリート街道さん:2001/05/07(月) 07:31
普通ロンメルって「砂漠の狐」じゃないか?
7エリート街道さん:2001/05/07(月) 08:35
「ドンベー」じゃないの。
カップ麺だろ。
8エリート街道さん:2001/05/07(月) 09:01
tsolって、博士課程の1年なの?
9エリート街道さん:2001/05/07(月) 09:08
236 名前:赤いキツネ投稿日:2001/05/06(日) 23:40
我、博士後期課程1年引きこもり。何か質問ある?

これが、tsol?


10事情通:2001/05/07(月) 18:10
tsolは秋葉原でコスプレしながら歩いてるよ
11エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:13
キツネの帽子を被っているのか?
12赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:14
呼んだ?ロンメル・・・赤いケツネ
ロンメルは第1次大戦で連合国側のイタリア軍に
カポレット付近で大勝し、ドイツ帝国軍人最高の栄誉
「プール・ラ・メリット」勲章を25歳で授与された経験があるんだよ

緑のたぬきっ!
おれは博士後期課程1年だよ
13エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:15
ゲーリング空軍元帥萌え〜
14赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:16
モンゴメリー氏ね
15エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:21
パットンが北アフリカ上陸。
シャーマン戦車登場。

ドイツ軍、シチリアに撤退
ロンメル「全ての責任はヒトラー伍長にある。」
16エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:23
ロンメル、カイロを目指し、トブルク到着。
17エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:24
1944年、ロンメル、車の中でピストル自殺
18赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:24
ヒトラー萌え♪
19赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:24
ピストルじゃないよ。服毒自殺だよ
20エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:25
1914年8月4日、ドイツ軍はベルギーのリエージュへ進軍しベルギー軍の頑強な抵抗に会う。その結果ベルギーの村々でドイツ軍による虐殺がはじまった。西(フランス側)で素早く決着をつけて東(ロシア側)に軍を切り返し叩きのめすという、いささか時間的余裕のないシュリーフェンプランのためか、あせって見せしめ虐殺をはじめたのだろうか?または、弱いと思われたベルギーに頑強に抵抗されたため、弱いものは弱いんだと認識させるために徹底的に弱いものいじめをするいじめっ子の気持ちのサガから虐殺行為に走ったのだろうか?・・・・・
 1914年8月4日か5日頃、ドイツ軍は、狙撃兵のゲリラ戦を推奨したといういいがかりをつけてベルギーの司祭を見せしめに射殺した。
 同じ頃、別のドイツ軍が、ヴァルサージュで人質にした六人の住民を射殺し、見せしめにバッティス村を焼きはらった。
「村は跡形のないまでに焼きつくされていた」
と、数日後にこの村を行軍したあるドイツ将校が書いている。
「枠が取れてしまった窓跡の穴からは、家具や寝台の鉄の土台など室内がまる見えだった。なべや食器のかけらが道に散らばっていた。廃墟の中をうろついて餌をあさる犬や猫のほかは、焼け跡に生きものの姿は見えなかった。市の立つ広場には、屋根も尖塔も焼け落ちた教会がぽつんと残っていた」。
 ある村では三人の軽騎兵が撃ち殺された結果、村全体が炎の海と化し、牛は小屋の中で必死に鳴き叫び、半分焼けただれた鶏が気が狂ったように駆けまわり、ニ人の農夫が仕事着を着たまま、壁にもたれかかって死んでいた。

 このようなことを書くと、
「そら、ドイツ人は野蛮だ!」
と、ナチス顔負けの民族差別的な考えを持つ人もいるようである。
 このような虐殺は、別にめずらしい出来事ではなく、戦場ではごくありふれた光景であろう。
 トルコ軍はこの大戦中に、ロシアを支持しているという理由でアルメニア人を大量虐殺(死者150万人?)を行った。イギリス人が、オーストラリアの原住民を狐狩りの代わりに殺したという話をどっかで聞いたことがある。ロシアのスターリンがたしか、300万人〜1200万人の粛正を行ったらしい。第二次世界大戦中にクロアチア人が70万人?(セルビア側評)のセルビア人などを虐殺したらしい。カンボジアのポルポト派が250万人(ベトナム側評)の虐殺を行ったようだ。日本人だって、南京で大量虐殺を行っているではないか。
 ドイツ人に限らず人間なんてもんは、野蛮な動物である。
21赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:26
シュテルプナーゲルも自殺を図りうわ言の中でロンメルの名を口にした。ヒトラーはロンメルを殺す決意を固めた。シュパイデルも9月7日逮捕されロンメルもいよいよ自身の運命を悟った。10月14日ヒトラーから派遣されたエルンスト・マイゼル、ヴィルヘルム・ブルクドルフ両将軍がヘルリンゲンの自宅で療養中のロンメルを訪問した。7月に受けたロンメルの負傷はかなり回復していた。2人はヒトラーからのロンメルに裁判か自決を選べという伝言を伝えた。自決を選べば家族の安全とロンメルの名誉は保証するというものだった、裁判を受けても死刑の判決しかないと知っていたロンメルは自決を選択した。
22赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:27
2人は毒薬を持参していた。ロンメルは高射砲連隊から休暇で自宅に帰っていた16歳の息子マンフレートと副官のアルディンガーを呼び、ヒトラーの要求と自殺を選んだことを伝え、外套を着ると2人の将軍と共に迎えの車に乗り込んだ。車がウルムの病院に来たときロンメルは既に死んでおり、医長は検視を拒否された。車の中で起きたことは分からないが、おそらくロンメルは毒薬をあおりたちまち死亡したのだろう。マイゼルはすこしの間彼と運転手はブルクドルフに車から出され、戻った時にはロンメルが死んでいたと戦後供述したが、ブルクドルフはベルリンの総統官邸でヒトラーと死んでいる。ロンメルの自宅周辺には彼らが抵抗した場合に備えてSSの部隊が配置されていた。ロンメルの死は7月の負傷によるものと発表され、18日ウルムで国葬が行われた。暗殺未遂事件との関連は一切公表されなかった。ロンメルの国葬でヒトラーの弔辞を代読したルントシュテット元帥が差し出した腕を、ロンメル夫人ルシーは拒んだ。
23エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:29
1944年6月6日 Dデイ 連合軍、北フランス上陸
ロンメル休暇中、ヒトラー睡眠中
24赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:30
どふー
アツアツの赤いケツネ。。。。ウマー
25エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:31
ロンメルの曾孫です。よろしく
26エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:31
そうだ、服毒だ

ピストルはヒトラーだ。1945@`4.30 PM.3:30
27赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:31
よろしく
緑のたぬきさんですか?
28赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:32
アゲがウマー
赤いケツネ。。。。
29エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:32
クルーゲは東部戦線送り。
30赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:34
ゲーリングは、ヒトラーが正気を失い参謀長コラーに「交渉になったら、ゲーリングの方が自分よりうまくやる」と発言したことを聞き、ヒトラーに全ドイツの権限委譲を電報で求めた(ゲーリングは41年にヒトラーの後継者に定められていた)。
31エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:35
デー二ッツがいる
32赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:35
結果?

25日ベルリン放送はゲーリングの一切の職務からの解任を発表、ゲーリングはSSに逮捕されてしまう。ヒトラーはゲーリングの行動を裏切りと判断したのである

ワラッタ。ゲーリング哀れ
33エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:37
ソ連軍はベルリンから60キロに迫っているぞ
34エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:38
1945年4月22日ソ連軍、ベルリン郊外に到達
35赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:40
とにかくモンゴメリーには負けたくない
36エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:41
ヒムラー、ソ連軍対応のため、西部戦線を米英軍に解放。
ヒトラー、激怒
37赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:42
8月1日ソ連軍が迫ったのを知ったワルシャワの市民抵抗組織「郷土軍」は亡命ロンドン政府の指令で、自力でワルシャワを解放しようと武装蜂起する。モスクワ放送は市民に蜂起を呼びかけていた。
38赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:43
結果?

ところがソ連軍はワルシャワ前面のヴィスツラ川で進撃を止めてしまった。「郷土軍」の市民はドイツ軍に勇敢に抵抗したが、ドイツ軍は600ミリ臼砲、装甲師団を投入してワルシャワを破壊する。スターリンは西側諸国寄りの「郷土軍」がワルシャワを解放し、西側寄り政権が発言力を得ることを拒否したのである。すでに親ソ連の「ルブリン政権」が戦後のポーランドをソ連の衛星国化するため用意されていた。

あぁ、ポーランド哀れ
39エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:44
ヒトラー側近、アルプス、日本への脱出を進言
ヒトラー、拒否
40赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:44
。「郷土軍」は追いつめられ地下水道に逃れて戦った、ワルシャワに投入されたSS第36武装擲弾兵師団は、問題のある兵士を集めた懲罰部隊で暴虐の限りをつくした。10月2日8週間の抵抗の後「郷土軍」は降伏する。この戦闘でワルシャワ市民は25万の死者を出した。
41赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:45
どふー
名スレの予感
42エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:46
ヒトラー、ベルリンとともにのこる、と言明。独協ユーゲントと対面。
43エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:50
1944年4月下旬。
総統府から、ベルリン市民への家へ電話。
総統府「ソ連兵はきているか」
市民「家に入って来て、酒を飲んでいます。水洗便所を珍しがっています。」
44エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:50
1945年下旬だ
45赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:51
ワラタ
46エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:53
モントゴメリー:英の参謀総長、北アフリカ戦線でロンメルからカイロを守る
47赤いキツネ:2001/05/07(月) 18:54
緑のたぬきっ!
48エリート街道さん:2001/05/07(月) 18:59
ロンメル、エルアラメインを占領。
チャーチル「カイロ」を死守しろ。
49エリート街道さん:2001/05/07(月) 19:01
独協スレにもどる。

50赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:03
つーことで、おれはtsolじゃないし
ロンメルは赤いケツネってことで
51赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:16
「そら、ドイツ人は野蛮だ!」
と、ナチス顔負けの民族差別的な考えを持つ人もいるようである。
 このような虐殺は、別にめずらしい出来事ではなく、戦場ではごくありふれた光景であろう。
 トルコ軍はこの大戦中に、ロシアを支持しているという理由でアルメニア人を大量虐殺(死者150万人?)を行った。イギリス人が、オーストラリアの原住民を狐狩りの代わりに殺したという話をどっかで聞いたことがある。ロシアのスターリンがたしか、300万人〜1200万人の粛正を行ったらしい。第二次世界大戦中にクロアチア人が70万人?(セルビア側評)のセルビア人などを虐殺したらしい。カンボジアのポルポト派が250万人(ベトナム側評)の虐殺を行ったようだ。日本人だって、南京で大量虐殺を行っているではないか。
 ドイツ人に限らず人間なんてもんは、野蛮な動物である。激しく同意だな
52エリート街道さん:2001/05/07(月) 19:18
ユダヤ人をソ連は迫害した。
カチンの森ではソ連がポーランド将校を
      独協ユーゲント
53エリート街道さん:2001/05/07(月) 19:19
独協ユーゲント
はバルト3国の解放者
54赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:21
>52
それ知ってる。ドイツのせいにしたんだよな
ゴルバチョフの時代になって事実が判明
55赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:22
ドイツ、マジ凄え
一時期とはいえ、ヨーロッパを征服したんだから。。。。
56エリート街道さん:2001/05/07(月) 19:25
ソ連もアメリカの戦車や武器援助でレニングラードで立ち直った

アメリカが実際、ヨーロッパでも太平洋でも1人でやったようなもんです
57エリート街道さん:2001/05/07(月) 19:26
スターリングラード

すないぱー 独協
58赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:28
アメリカ、物量作戦だもんな
センスがない
ドイツ日本の方が、かっこいい
男の死に様よ
59赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:29
空母を繰り出してアメリカと勝負したのは日本だけ!
もしイギリスがアメリカと戦争したら???興味深々
60エリート街道さん:2001/05/07(月) 19:31
赤いキツネは中濱か?
61赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:31
ちがう
62赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:32
V2ロケットまじ凄えー
63赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:32
しかしイギリスのスピリットファイアも捨てがたい
64赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:34
どふー
ドイツの技術力!!あぁカネさえあれば・・・
頭空っぽのヤンキーには負けなかったろうに

ノルマンディ戦の最中の44年6月ジェット戦闘機Me262が実戦投入された、しかしこの時はヒトラーの命令によって爆撃機として使われたため、実力を発揮できなかった。44年の夏ごろには戦闘機隊が編成され、あらゆる連合軍レシプロ戦闘機を速度差で圧倒し終戦まで戦い続けた。しかし燃料不足と生産工場の爆撃などで数が少なく、熟練の搭乗員も既に多くが戦死し戦局を変えることは出来なかった。
65赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:36
あぁ、V2ロケット・・・
モンゴメリーの自宅を爆撃したかった

ほぼ同じ6月にはパルス・ジェットのV1ロケット(Fi103、無人飛行爆弾)が投入されたがV1は戦闘機や対空砲火で撃墜でき、発射には固定式ランチャーを必要としたが、目立つランチャーは連合軍の空爆で破壊され、あまり脅威にはならなかった。9月6日にパリに向けて、次いで8日にはイギリスへ発射されたV2(A4)ロケットは1トンの弾頭を積み成層圏を飛翔するため発射されると迎撃することができず、発射台は移動式で発見は困難だった。V2は45年3月までに3300発が発射され、イギリスのロンドンなどには最盛期で1日30発が発射され、ロンドンには総計約500発が命中した。V兵器のVはドイツ語の報復(Vergeltung)で、連合軍の無差別爆撃に対する報復を意味する。V2の開発責任者は陸軍兵器局のワルター・ドルンベルガーで、彼の部下には戦後アメリカのアポロ計画を主導するフォン・ブラウンがいた。アメリカ軍のアイゼンハワー元帥は後に「V2があと半年早く完成されていたら、大陸反攻はできなかったかもしれない」と回顧録に記したという。
66エリート街道さん:2001/05/07(月) 19:39
タイガ-戦車 vs T34
67エリート街道さん:2001/05/07(月) 19:40
防長回天史の
回天
人間魚雷
68エリート街道さん:2001/05/07(月) 19:41
この軍事ヲタぶりは中濱かと思ったが。。
69赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:41
日本はやっぱ駄目だねwww
最初だけだったみたい
70赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:42
>68
当ててみてよw
71赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:43
もしゲームボーイウォーズで
人間魚雷があったら絶対使ってみたいなw
72エリート街道さん:2001/05/07(月) 19:46
情報その1;赤いキツネはゲームボーイをやるヲタク
73赤いキツネ:2001/05/07(月) 19:48
砲台で歩兵を嬲りゴロスのが好き
装甲車で歩兵を一斉射撃も捨てがたい
74エリート街道さん
あげ