2 0 1 2 年 , 早 稲 田 社 学 は 生 ま れ 変 わ る
なお人文科学などとの区分が
曖昧な学際的学問分野も多い。
以下、そうした社会科学の分野を列挙する。
哲学・倫理学・社会学(社会思想・情報倫理など)
心理学(社会心理学)
社会福祉学
文化人類学
教育学
歴史学
地理学・地政学
地域研究
言語学(社会言語学)
自然科学との隣接分野としては以下が代表例である。
統計学
都市工学
数理経済学・経済物理学
自然地理学
日本の大学では、これらの学問分野の教育・研究を
主に文学部・法学部・経済学部・経営学部・商学部・
政経学部・教育学部などがおこなう。
批評・異議 [編集]
客観性を重視しているとはいえ実証性や
再現性に乏しい分野が多く、その普遍性や
実用性は議論の対象となることが多い。
たとえばノーベル物理学賞を授与された
リチャード・ファインマンは、
社会科学は科学に値しないと批判している。[3]
しかし、突き詰めれば、自然科学で厳密に
実在の自然界とまったく同じ状況を再現できるわけでもない。
カオス的な現象などは、あくまでも単純化したモデルとして
不確定要素を排除し、実験室や数式上で、理論値として再現性を
検証するのである。
社会科学が自然科学ほど因果関係が
立証されにくいと言われるのは、
自然科学のような単純系のモデル化が
困難なほど、様々な要因が複雑に絡まった
複雑系である分野を含んでいるからである。
これは自然科学と社会科学の違いと言うよりも、
単純系か複雑系かの違いが大きい。
社会科学でも検証実験は不可能ではなく、
追試も可能であり、反証可能性も有している。
たとえば、もっとも単純に実験で確認できる
社会科学的法則とは、法律学や統治論の分野
における「殺人罪に対する懲罰」である。
法治国家で、多数の人間が見ている場所で、
一民間人が明確な証拠を残して殺人を犯せば、
その犯人はほぼ確実に逮捕され、懲罰を受ける。
この社会科学的法則に疑問があるのなら、
試しに実験してみればよいのであり、
「殺人罪に対する懲罰」は、物理法則
並みの強固さで社会や個人を拘束する。
また、国家体制論では、さまざまな国家が
闘争や内乱を繰り返した結果、リベラル民主
主義体制が現代ではもっとも安定した政治
体制として残存することが示された。
ケインズ的な有効需要論や財政出動論が、
ある経済段階では景気対策として有効で
あることはさまざまな国で確認、実証
されている[要出典]。
マルクス主義経済学の衰退については、
ソビエトや東欧諸国の共産主義体制という
社会科学的実験がなされ、計画経済が
長期的に見て不合理であると証明された
と考えられたからである。
その他、分業制、三権分立、裁判制度、
罪刑法定主義、各種マーケティング理論なども、
社会科学的な実験や研究の結果から導き出そう
という試みの産物である[要出典]。
追試可能で反証可能性を有した
研究が準備されれば、社会科学は
社会貢献性を有する学問となり得る
のである。
ただ、その実証に際して整えるべき条件項目が
非常に多岐にわたるとともに、実社会で長期間の
適用をせねばならない、という困難さが社会科学
研究の難しさであり信頼性の分かれるところである。
特に、株式市場や先物相場のように、
利害の対立する人間の集団心理が
かかわってくる分野では、法則化したり、
確定的な予測をすることは事実上不可能である。
何かが確定性を増したら、
必ずその裏をかこうとする
心理が生まれるからである。
「日本の土地の値段は有史以来下がったことがない」という
日本の土地神話は高度な信頼性を持っていたが、
それがゆえに、土地を高値で売り抜けようとする
土地転売者にセールストークとして利用され、
地価狂乱を招き、
その後の地価の暴落を引き起こした。
信頼が高まれば高まるほど、結果として
法則崩壊を招きやすくなるという例である。
逆に互いの利害が一致する状況では、
確定性の高い法則が成立しやすい。