☆★大東文化vs東海vs亜細亜vs帝京vs國學院★☆1
週刊新潮(2006年3月16日特大号)の記事だけど、議員の息子とかで
日東駒専(日本・東洋・駒沢・専修)以上への大学への裏口入学は不可能、
でも大東亜帝国(大東文化・東海・亜細亜・帝京・国士舘)ならありえる
みたいに書いてありました。更に、『プレジデント』 2006.5.15号の特集
「学歴と給料」において「中堅大学」として一ページ掲載がありました。
同ページには日本大学・専修大学・東洋大学・大東文化大学・東海大学・
亜細亜大学・帝京大学・国士舘大学の掲載があり、日大・東洋大・専大で
一つの段落が構成され、「大東亜帝国」として残りの大学をまとめて紹介
していました。大東亜帝国(大東文化・東海・亜細亜・帝京・国士舘)です。
90年代、大東亜の偏差値が日東駒専に肉薄した時代につけられた頃は
国士館でした。当時の資料でもそうなってるようです。ちなみに、
「現代用語の基礎知識」【1990年版】でも大東亜帝国は国士舘でした。
他にも週刊ダイアモンド全国大学大特集号やサンデー毎日でもそのようです
。 なおこの頃、アタック国立大(亜細亜、拓殖、国士舘、立正、大正)
という 言葉もありました。実際にこれらの大学は、地方駅弁国立大学に近い
偏差値を有していました。
<< 1990年の偏差値データを見ると >>
58 東海政治経済(政治) 57 東海法、国士舘 ←ココ
56 亜細亜国際関係、大東文化法、東海政治経済(地方)
55 亜細亜法、大東文化国際関係、大東文化法−政治
いずれにせよ国士舘だったのは確かなようです。
これは偏差値の括りという人や スポーツ校の括りであると言う人など
いろいろいます。経済誌のプレジデント のように就職の観点から
国士舘を大東亜帝国に入れる場合もあります。
当時の国士舘のバブル的な偏差値の高騰、現在に至るスポーツの伝統、
就職の観点等から、国士舘がはいるのは間違いないようです。