【総理】早稲田の栄光の軌跡を語れ【衆院議長】☆23

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69エリート街道さん
早稲田大学の1990年代後半以降の「不調」と呼ばれるものには
二つの根本原因があった。

@大学学部のみで1学年1万人いるのに、それを支えるべき附属校の学生数が
少なすぎた。そのせいで受験生数が減ると偏差値が落ちてしまった。
A地方に分校や拠点がなく、不況になり、受験生が地元の大学を選ぶようになると
事実上首都圏からのみしか学生を集められなくなった。

これらの問題を解決するためには
@→桐蔭学園や渋谷幕張学園など他の附属校を統合し、佐賀学院など早稲田大学の附属校を
増やして、1学年5000名程度を高校までの段階で確保する。上位学部定員を増員して、
東京本校を1学年13000名として、附属校出身者には政経法商社学理工学部進学へのフリーパス
を与えて優遇する。
A→摂南大・大阪工大グループなど地方の私大や公立大を統合して「大阪早稲田大学」1学年4000名など
地方に分校や附属校を東京本校とは別法人として整備する。それによって地方の優秀な人材を獲得できる。
東京本校は1学年13000名に増員してそのまま維持し、首都圏を制覇する。