【創立】早稲田の栄光の軌跡を語れ【125周年】☆21
早稲田大学執行部へ
1993年あたりから2005年までの十年ほどのバブル崩壊後の
経済状況は「就職氷河期」という戦後最悪の異常事態を生み、
それが早稲田バッシングと慶応礼賛につながっていることが
分かった。この百年間もっぱら早稲田>>慶応だった評価が
逆転してしまったのは、この大不況のせいであり、リベラルな
早稲田の学風が理解されず、就職予備校である慶応が高く評価される
ことになってしまった。
しかし2005年以降、就職氷河期は終わり、大不況は終わった。現在では
バブル期の最盛期以上の求人倍率だ。
早稲田は逆風に対応して、大学の構成を変えてしまった。しかしもはや
その必要はない。もちろん従来の常識を反省するのは構わないが、昔の
早稲田のよいところまで消してしまうのはよくない。これから順次早稲田>慶応
という常識的な評価に戻っていく。それに合わせて、早稲田もむかしの早稲田らしさを
回復して欲しい。
第一に「小数精鋭」の下で定員調整をした政経法商の定員を回復してもらいたい。
さらに社学や理工三学部の増員して欲しい。既存学部の増員で、国際教養などの
新設学部に比して、存在感の薄れたそれらの学部をもう一度再生させる。
1学年13000名にして、社会科学系、理工系、人文教養系のバランスをとるべきだ。