■■■同志社今出川回帰はやばい■■■

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114エリート街道さん
京都室町、衣棚の旦那衆でも頭のいい子供は京都一中(洛北)へ行く。
稼業を次ぐことを運命付けられているものは京都一商等へ行く。
洛北からは当然第一高等学校、第三高等学校へ行く、商業からは秀才は
横浜高商へ行く、戦時中はさらに徴兵逃れで東京商大へ行く。次は彦根高商へ行く
名古屋高商へ行くものもある。花の都の京都から、新開地の神戸なんかには行くものは
ない。職人の子弟で学問ができるものは銅駝工業やその他の工業学校から京都高等
工芸学校行く、絵描きを目指すものは京都市立美術学校へ行く。いずれにしろ神戸
何ぞの出る幕はない。はずれは同志社高商部、または慶応へ行くものもいた。
いわゆる”馬鹿ボン”である。
大阪では、北野、天王寺、三国ヶ丘、などからは京都と同じでトップクラスは1高、
3高、東京大、京大へ行く、もちろん軍学校も高校に劣らない秀才で志操堅固、身体
強固なものは当然行く。特に天王寺は軍学校が多く、陸軍大将が出ている。
次は四高、五高、などナンバースクールと大阪高工、名古屋高工、医専に行く。
その後は、やっと神戸高商、和歌山高商、大阪市立高商となる。
特に神戸高商は首都圏への嫉妬とコンプレクスが強いのが特長で派閥行動で有名だが、
然し、学者、研究者、高級官僚からは蔑視されていることは本人たちは強く意識している。
つまり、有名な六甲コンプレクスである。もちろん東京など首都圏では商業でありローカル
であるから全く相手にされない。