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エリート街道さん:
ラ・テ兼営、技術畑は知りませんが当時の学歴をたどってみましょう。北から小樽高商、北大、東北帝大(五高・六高)、東京帝大(二高・成蹊など)一橋、
早稲田、慶應、明治、法政、立教、日大、中央、上智、青山、成蹊、国学院、横浜高商、横浜市立、静岡、名古屋高商、神宮皇學館大、金沢、彦根高商、天理外語、京大(三高、大阪、姫路、山口、佐賀
など)同志社、立命館、関学、関大、大阪外大、官立神戸高商、県立神戸高商、神戸大、甲南、神戸商科大、姫路工大、高松高商、東亜同文書院、九大(福岡)、聖心、
神戸女学院、二松学舎、高卒も高等小学校でもいました。まさに野武士の集まり、雑軍でしてみんな貧乏でしたが明るかったなあ。
成績のいいのは繊維、金融、商社、メーカーに行ったし大学の推薦状不要、成績は問わずというのはマスコミだけだった。
ひとつの大学に偏るのを避ける傾向があった。京大、早慶、関学など大勢希望者がいる大学は成績順によらないで適当に間引いていたっけ。