70〜90年代前半は受験本や雑誌が主な情報源の時代、
慶応=お高くとまってる雰囲気だから俺には向かない
んじゃないかというのが早稲田>慶応という偏差値になってた気がする。
一番大きなのは入試科目のせいだろうけどね。早稲田は明治立教と同じ教科で対応できる。
実際は想像してるよりも慶応は地方出身多いし早稲田は関東出身が多い。
1974年 早稲田大学合格者数
1都立西84、2都立国立81、3県立千葉78、3都立青山78、5都立戸山77
6県立熊谷76、6都立日比谷76、6都立富士76、9県立浦和69、9県立湘南69
11学芸大附67、11都立小石川67、13都立立川63、14都立九段60、14私立桐朋60
16都立新宿59、17私立開成56、17横浜翠嵐56、19私立麻布56、20水戸第一53、20都立両国53、20平塚江南53
1974年 慶應義塾大学合格者数
1私立開成110、2都立戸山103、3私立麻布88、4私立東海85、5県立湘南83
6私立桐朋80、7都立富士78、8都立日比谷73、9都立西68、10県立浦和64
11横浜翠嵐56、12県立岐阜55、13学芸大附53、14都立青山50、15県立旭丘49
16県立千葉48、16東京教育大附48、16駒場東邦48、19都立国立45、20都立小石川44、20県立高松44
慶応は地方でも東大京大計10人以上の学校でないと厳しい。
早大は東大5人ぐらいの二番手校からガッツのある人なら入れる
こういう高校から早稲田に入った人はいわゆるエリート校から
一橋や慶応に入った人よりもバイタリティがある
こういう人たちが早稲田文化を作り出してたと思う。
ちなみにバード羽鳥は横浜平沼から一浪早稲田政経
当時の平沼は学区二番手で東大0〜3、一橋東工大も数人だったと思う。
一橋東工大慶応は光陵じゃないとなかなか厳しい。