631 :
エリート街道さん:
70年代中期の早稲田さ、おいらの時代ってのは。
昭和で言えば40年代後半から50年代初頭な。
おっちゃんは偏差値表取っとかなかったから
精密な数値は言えないが、たいたいの序列と数値帯は覚えてるわな。
中央なら法学部で55,6,7ぐらいってとこだったと思うね。
明治の商科と法科がだいたい55,56あたり。
青山の英文が56,7,8程度。
上智の外国語は62,3はもうあったと思うね。
ついでに言えば、早稲田政経で65,6ぐらい。
慶應経済はもうちょい上だったよ、おいらの時代は。
慶應経済は体制ベタベタの財界に尻尾フリフリ媚びまくりの犬、
早稲田政経は反体制ジャーナリストって大雑把な構図が
あって、まるで相容れない水と油よ(笑)。
早稲田にはそんな馬鹿(東大を受けなおす)はいなかったが、慶應にはそんな馬鹿がいるって
話はおっちゃんの時代も耳にしたな。 まあ、英国社じゃ東大受けられんがな(笑)。
だいたいあそこは東大にコンプレックス持った人間が多数いやがったからな(笑)。
エリート願望が強い学校ではあったわな。