>>904 リアルにその時代を知る人間として言おう。
50年代後半に商学部と政治学科の位置が入れ替わったんだよ。
それは政治学科が昭和56年の入試から数学をはずし、英語、社会の
2科目になって一挙に偏差値が上がったから。(それ以前は、数学が
ずっとあったわけでなく配点わずかの数Tの簡単なマーク式問題が
昭和48年から55年まで出されていただけだが)
一方、商学部は入試漏洩事件が発覚したり留年者が山のようにでて
内部で成績がよくないのがいくと留年の憂き目にあうからと進級が楽
な法律や政治に人気が移ったわけだ。
50年代後半までは長らく政治学科が内部の人気の点では底辺の位置
にあったのは事実。政治というと、すぐに体育会のイメージが浮かぶ
ぐらいで、江川卓も慶應を受験するときいちばん入りやすい政治が受け
入れるのではないかと噂されていた。法学部にはSP入試といって
昔から推薦枠が横行していたしね。
40年代半ばから政治学科への進級が一桁に落ちたということだけど、
商学部への推薦枠が広がったためだろう。
要するに、石原裕次郎や加山雄三のころは進級枠の関係で成績がよく
ないと相当数は政治にまわされたがその後は商学部ができてよほどの
ことがないかぎり政治に回されることはなかったということだ。