藍野大学・専門学校について その2

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1エリート街道さん
俺専門卒なんだけど最近どう?
2エリート街道さん:2006/04/14(金) 13:34:38 ID:k3H3IKSi
2
3エリート街道さん:2006/04/14(金) 18:28:53 ID:bvdMN9D6
何これ?
4あぼーん:あぼーん
あぼーん
5エリート街道さん
“Freedom  without  Hope”〔2005〕for String Quartet
この曲の構成や内容は難しくない。
日本でもこういう種類の音楽がついに出てきたことで、
異色のレパートリーのパレットの存在感がまた一つ増えた。
問題の全くない現代音楽は存在しないのにもかかわらず、
しかしながらまず意地悪にこの曲の問題点を挙げると、
2つのヴァイオリンの音域の設定が極端に高く更に微分音で書かれている。
実際の話、演奏家は正確にはこの音程は取れない。
更にフラジオレットなので完全4度の幅が高音域では極端に狭くなりまずは不可能に近いのではと思われる。
この音が実際聞こえるかについては880Hz掛ける2の2乗(15va)掛ける2の2乗(人口完全4度フラジオレット)で人間の聴覚の限界の15000Hz. 近くに達する。
次に小節ごとにかわるテンポの設定。
問題はなんでこんなにテンポの変化が頻繁なのかであるが、
ファニホーのように連譜などで音の長さを変えたほうがでる音の長さは同じでも演奏上容易だと言う事だ。
構成法はかなりの確立でモートン・フェルドマンのそれに近い。
目を見張ったのは最後の3ページであった。
作曲者はこのすばらしい3ページをメインに据える考えはなかったか問いたい。
もう一つ弦楽器による低音を使わなかったのはなぜか?
これも興味深い。微分音の使い方はより効果的にと思う。
さもないとハーバのように相当無意味になる可能性がある。
普通はシェルシのように4分の一音間隔でぶつけて使用する。
さもなくばファニホーのようにオクターヴを避ける意味にだけ使う方法もある。
それ以外は効果としてはまず乏しい。
また第三小節の第二ヴァイオリンの7連譜などは演奏家は普通はやらないので実際には無意味でもある。
一概に問題のある作品といってもそれが即その作品の質に直結する事ではないのは、
歴史が証明しているが、要はそういう問題が発生した場合どう対応するかであろう。
作曲そのものを辞めるか、それでも音になるチャンスは極度に少ないが、
アイヴスやクセナキスの様にその問題を無視してもやっていくか、
ポピュラー音楽のように演奏しやすく、音が出やすく「改善」するかいろいろな道がある。
結局のところ現代音楽においてはどれでも正しい。