少子化で低偏差値時代に生まれてよかったね

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59エリート街道さん
2002年上場役員管理職情報
(3社データに基づく日経テレコン21による複合検索)(例えば、銀行では支店長以上が対象になっている) 
(学生数は、1972年当時の1〜4年の学部生数)

1、早稲田   28,887人  (1972年学生数40,193)   (14.4%)  
2、慶應義塾  27.098人   (1972年学生数 24、534) (22.0%)
3、明治    19,024人   (1972年学生数 31,273) (12.1%)
4、中央    18,835人   (1972年学生数 36,078) (10.4%)
5、法政    12、828人   (1972年学生数 27,691) ( 9.3%)
6、同志社   11,059人  (1972年学生数 21,359)  (10.3%)
7、関大     8,285人   (1972年学生数 24,269) ( 6.8%)
8、関西学院  7,433人   (1972年学生数 13,283) (11.2%)
9、立教     7、237人   (1972年学生数 11,897) (12.2%)
10、立命館   7,134人  (1972年学生数  22,192) ( 6.4%)
11、上智     2,365人  (1972年学生数  ?   )
  
1、慶應義塾(22.0%) 2、早稲田(14.4%) 3、立教(12.2%) 4、明治(12.1%) 5、 関西学院(11.2%)
6、中央(10.4%)    7、同志社(10.3%) 8、法政( 9.3%) 9、関大( 6.8%) 10、立命館(6.4%)

(%は、この4学年数に5を掛けて、45〜65歳の卒業数を計算して割合を出した)

 早稲田・明治・中央の、数の優位性に対して、率では慶應・立教が逆の立場となっている。
 学生数は団塊の世代ということもあって、意外なほどに多い。(得に早稲田と中央〜人気の裏返しでもあるのか〜)
 関西では、同志社より関西学院の評価が高かったことがわかる。
 法政は、ある程度。関大は経済界は弱いか。立命館も当時はこの程度か。
 団塊の世代では青山学院は総合大学というよりは女子の名門とされていたようだ。