私大バブル1986−1996その10

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935エリート街道さん
横浜国大は早稲田、慶応なんて全く問題にしていないらしいよ。大学は経済、経営、工学
からなる複合大学で我が国トップを標榜しており、米国MITを念頭においているようだ。
経済学部・経営学部の前身は名門横浜高等商業学校(YCC)であり東京高商が商大移行後
の後継高商で昭和初期にはすでに西の神戸高商(官立)と並ぶ存在であった。統計学、商学
会計学 保険学など著名教授陣が活躍した。戦後、横浜高商・東京商大OBが母校に戻り
経済学、経営学、会計学の分野で大活躍したのは記憶に新しいところであろう。40年前
経済学部経営学科が国立第二経営学部に昇格したが横浜会計学は日本一の名声があり、企業会計
審議会長も黒沢、若杉と続いたようだ。
工学部の前身は”名教自然”で有名な超高工級と言われた横浜高等工業学校だ。旧制帝大工学部
東工大の6年の過程を3年で修得させる独独のカリキュラムで語学を除けば東大、東工大に引けを
取らなかったといわれており、全国的な名声を得ていた。来栖駐米大使など有名人の子弟も少なく
なかった。又横浜球場で行われる高工・高商野球戦は市を二分する人気でハマッコの血を
沸かせたようでいまだに当時を懐かしむ市民はいるようだ。
大学移行時は第一期校で学生募集(ちなみに一橋大は二期校のスタートで隔年交代のシステム)して
戦前同様の人気で入学試験は激しい競争に成り当時のマスコミに盛んに取り上げられた。
あとで東京大と併願可能になり全国から秀才が集まり京大、一橋、東工大を凌ぐ学生が集まった。
その後私大バブルで色々中傷されたり嫉妬されたりしたが、学界、産業界からは絶大な信頼を受け
大学院大学に移行するなど、旧7帝大、東工大、一橋大、神戸大、筑波大、横浜国大の12重点大学の
地位を確立した。