●学歴中毒者を救済する会 Part12●

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422エリート街道さん
東大法>東大医の部分
1)上位・平均層の出世度合いでは圧勝。東大医卒で最高位は東大医学部教授
=厚労省課長、だが、厚労キャリアは東大法の中の上レベル。
2)卒業後の進路が幅広い。官界、政界、学界、財界、法曹界、すべてを
制覇している東大法に対して、東大医は医学界の一部のみ。さらに医学界も
厚労省などに頭を抑えられている。
3)卒業生の著名人(社会的影響力のある人物)割合は、定員差を考えても
東大法の圧勝。

東大医>東大法の部分
1)下位層の出世度合いでは東大医の圧勝。東大法の下位層は司法試験ベテラン受験生。
東大医は最下位でもいちおう医者になれる。
2)最先端の研究に従事できる満足感がある。東大法は政治的能力に長けていても、
学問的には面白いことができない。
3)入試偏差値が高い。東大理Vは天才である。
423エリート街道さん:03/09/04 06:21 ID:nWrKApV8
>>420
「あの時代」を経験した者でなければ分からん。
参考までに俺の状況を(92年受験:高校偏差値65)
慶応義塾大現役合格を目指して高2の夏休みから受験勉強開始。
(河合模試で英語・国語偏差値48からのスタート。)

高3の5月の代ゼミ全国模試で英国社偏差値56
(当時では偏差値56は大東文化・亜細亜がC判定、マーチはD判定)

高3の夏休みは毎日8時間勉強

9月の私大模試で英国社偏差値66
(日東駒専B判定、法政B判定、青学、立教、慶応C判定)

11月の慶応義塾模試で偏差値59(慶応D判定!青学、立教に志望校変更)

本番
慶応経済× 慶応法× 青学国政× 立教社会× 青学経済○
青学経営○ 明治商○ 法政社会○

私大模試以降は偏差値60中盤をキープしたが、それでも
マーチがせいぜい。当時の慶応経済B方式は代ゼミで70。
俺はまだ運がいいほうで、偏差値60中盤あった奴が
マーチバタバタ落ちて、日東駒専すら落ちた奴も多数。
当時は地底合格者もマーチ落ちは当たり前。
私大洗顔じゃなければマーチ現役合格は至難の業だった
424あぼーん:あぼーん
あぼーん