>>420 「あの時代」を経験した者でなければ分からん。
参考までに俺の状況を(92年受験:高校偏差値65)
慶応義塾大現役合格を目指して高2の夏休みから受験勉強開始。
(河合模試で英語・国語偏差値48からのスタート。)
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高3の5月の代ゼミ全国模試で英国社偏差値56
(当時では偏差値56は大東文化・亜細亜がC判定、マーチはD判定)
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高3の夏休みは毎日8時間勉強
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9月の私大模試で英国社偏差値66
(日東駒専B判定、法政B判定、青学、立教、慶応C判定)
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11月の慶応義塾模試で偏差値59(慶応D判定!青学、立教に志望校変更)
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本番
慶応経済× 慶応法× 青学国政× 立教社会× 青学経済○
青学経営○ 明治商○ 法政社会○
私大模試以降は偏差値60中盤をキープしたが、それでも
マーチがせいぜい。当時の慶応経済B方式は代ゼミで70。
俺はまだ運がいいほうで、偏差値60中盤あった奴が
マーチバタバタ落ちて、日東駒専すら落ちた奴も多数。
当時は地底合格者もマーチ落ちは当たり前。
私大洗顔じゃなければマーチ現役合格は至難の業だった