>>364 強姦は皇軍名物だった(1)中国編
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■1938-04-01 早尾乕雄軍医中尉報告書「戦場生活ニ於ケル特異現象ト其対策」
今事変中に強姦事件甚だ多かりし所より、…検挙された者こそ不幸なんで蔭にはどれ程あるか解らぬと思ふ。
憲兵の活躍のなかつた頃で而も支那兵により荒されず殆んど抵抗もなく日本兵の通過にまかせた市町村あたりは
支那人も逃げずに多く居つたから相当に被害があつたといふ。
加之部隊長は兵の元気をつくるに却つて必要とし見て知らぬ振りに過したのさへあつた位である。
…然し軍当局は敢て是を不思議とせず更に此の方面に対する訓戒は耳にした事がない
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf(p55)
■北支那方面軍参謀長田部直三郎「軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件通牒」(昭13・6・27)
各地に頻発する強姦は単なる刑法上の害悪に留らず治安を害し軍全般の作戦行動を阻害し累を国家に及ぼす……
右の如く軍人個人の行為を厳重取締ると共に一面成るべく速に
性的慰安の設備を整え設備の無きため不本意乍ら禁を侵す者無からしむを緊要とす」
■『岡村寧次大将資料』
「現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。
第六師団の如きは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である」 ※第6師団=熊本
■「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」(陸軍省副官 昭15・9・19)
支那事変勃発より昭和14年末に至る間に軍法会議に於いて処刑せられし者は掠奪、同強姦致死傷四二〇、強姦、同致死傷三一二、賭博四九四に達しあり
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf(p53)
■『歌われたのは軍歌ではなく、心の歌 語り残す戦争体験』新日本出版社
負け戦で命があって無事帰還したと いうので、私達親戚は2人の従兄弟に「ご苦労さん会」を開くことにした。
…そして、中国から帰って来た今一人の従兄弟は、反抗する女達を、日本の兵士達はどんな野蛮な方法で辱めてきたかを、得々とした表情で語り始めていた。
http://194586245.web.fc2.com/25.html