1 :
◆flFcJfeJIo :
これまで、10社以上就職した。
すべて2週間前後、酷い時には一日で退職してた。
その期間、約10年。
つまりの10年就職活動し続けていることになる。そして今も。
2 :
名無しさん@引く手あまた:2008/10/07(火) 13:13:34 ID:n+v3LLth0
まぁー、なんだ。
アフリカではよくあることなんで気にするな。
3 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/07(火) 13:20:39 ID:0e+LvrI60
俺は東京の中学を卒業し、頭が悪いので埼玉の僻地にあるバカ高校にしかいけなかった。
片道快速電車で2時間。すぐに嫌になり3ヶ月で中退し、18歳の頃までまともなバイトもしないプー太郎だった。
逆に妹は、頭が良く、中学時代も3年間ずっとトップの成績で
高校から慶應に入り、俺と真逆という笑える兄妹だった。
似たもの同士は集まるもので、同じく高校を中退した仲間でつるみ、
金がなくなれば、日払いの引越し会社のバイトやら、親の財布から金を抜き取ったり、
たまには、かつ上げしたり・・・。
昼夜逆転の生活で荒んでいたし、今で言えば究極のDQNであり、ニートだった。
そんな生活をしていた17歳の終わり、仲の良くなかった家族となんでもないアメリカ旅行に行った。
アメリカかぶれで憧れを持っていたこともあり、また初めての海外だったということもあり、
異常に感動し、「海外に住みたい」「留学したい」「視野を広めたい」「英語を話せるようになりたい」
などと思ったと同時に、それまでの下町でくだらない生き方をしている自分の小ささを感じ、
その旅行後からは、どうしてよいものか悩んだ。
4 :
名無しさん@引く手あまた:2008/10/07(火) 13:25:18 ID:H8wH99mb0
>>3 妹の下着で夜な夜なオナニーして・・・まで読んだ。
5 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/07(火) 13:31:40 ID:0e+LvrI60
中卒で、無職。
その状態の俺が、どうすりゃ、視野の広い人間になれるのか。
海外(特にアメリカ)と関係する仕事に就いたり、できるのか?
(それまでは行ったこともなかったが)図書館へ行き、色々な情報を集め、
すし大学(すしの専門学校で卒業後に米国やらの海外のすし屋に斡旋してくれる)というものが
あることを知り、そのパンフレットを送ってもらったり・・・
色々考えた結果、まずは語学が必要だとアフォなりに判断し、
そして米国に留学すること、そのためにもまず高校を出なければならない
と考えた。
しかし、定時制高校だと基本4年かかる。すでに18歳であり一年でも短縮させたかった。
そこで知ったのが大学入学資格検定。11科目もあるが合格すればよいわけで
努力すれば2年、いや1年でも不可能ではない。
そう考えた俺は大検、そしてその先の留学を目指して遅ればせながら勉強をし始め、。
6 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/07(火) 13:41:08 ID:0e+LvrI60
急に留学するだの、勉強を始めた姿を見た、高校中退の仲間どもは
冷たい感じだった。
人が努力を始めると、おいてけぼりな感を受け、不安を感じるのだろう。
俺自身がそうだったし。
大検を受けるといっても、中学時代もまともな勉強をしてこなかったため、
中学一年の勉強から改めてやり始めなければならず、お茶の水の三省堂書店で
中学から高校の教科書と参考書を大量に買い込み、
それからは1日14時間は勉強という、それまでの俺には有り得ない状態となった。
ただ妹が頭が良かったので、わからないところは聞けるということが救いだった。
7 :
名無しさん@引く手あまた:2008/10/07(火) 13:46:11 ID:M9WjPxOK0
neta
8 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/07(火) 13:48:12 ID:0e+LvrI60
1日14時間は勉強の生活をしたこともあり、
一年目に6科目、2年目に5科目と2年で大学に入学できる資格を得た。
ずっと頭の中には、留学したいという思いでこのパワーがあったワケだが、
大検に受かりそうな2年目の頃にいわゆるバブル経済が崩壊し、
自営業をしていたオヤジの会社も調子が悪くなり、留学は資金的に無理な
状態となってしまった。
ただ母親はやる気ならば金は出すと言ってくれたが、そこまで負担させて
俺に賭けられるような金の使い方はプレッシャーになりすぎると感じ、諦めた。
さすがに奨学金をもらって留学できるほどの脳味噌はなかったし。
大検に受かっても目標を失い、しばらく放心状態だったが、
せっかく大検をとったので、日本の大学に行こうと決意し方針転換させた。
9 :
名無しさん@引く手あまた:2008/10/07(火) 13:49:25 ID:n+v3LLth0
:: .|ミ|
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:: ,. -'"´ `¨ー 、 ::
:: / ,,.-'" ヽ ヽ、 ::
:: ,,.-'"_ r‐'" ,,.-'"` ヽ、 ::
:: / ヾ ( _,,.-='==-、ヽ ヽ、
:: i へ___ ヽゝ=-'"/ _,,> ヽ
:: ./ / > ='''"  ̄ ̄ ̄ ヽ
:: / .<_ ノ''" ヽ i
:: / i 人_ ノ .l
:: ,' ' ,_,,ノエエエェェ了 /
i じエ='='='" ', / ::
', (___,,..----U / ::
ヽ、 __,,.. --------------i-'" ::
ヽ、_ __ -_'"--''"ニニニニニニニニヽ ::
`¨i三彡--''"´ ヽ ::
/ ヽ ::
/ ヽ::
めでたしめでたし
11 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/07(火) 14:01:53 ID:0e+LvrI60
結果的に日当駒船と大東亜帝国の大学と、マーチと言われる大学の二部に受かった。
かなり迷ったが、マーチの二部は卒業証書等にイチイチ二部と記載させないということであり、
教授陣も同じということで、これならば一部の顔してマーチと言えるし、
イメージがよりよい名前のマーチの方に入学を決めた。
ネタにマジレスも何だが、結局
>>1の転職スパイラルに陥ってる時点で
ダメダメ人間だし、聞くに値しないエピソードだなw
13 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/07(火) 21:59:09 ID:82tFkt470
俺の人生はネタと思われるわけかw
ま、徐々に独り言の半生を述べていきます。
14 :
名無しさん@引く手あまた:2008/10/07(火) 22:01:49 ID:4MgWDnO90
応援している
15 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/08(水) 10:50:11 ID:wP1dpqHn0
目標は逸れたが、
そもそも中卒の俺が、大学生になるなんてという嬉しさもあったし、
大学とはレベルの高い奴が多いはずであり、政治やら経済ってもんを勉強し、
そして友人とは社会や将来のことなど中身の濃い話もして、、と力んで入学。
しかし二部だったためなのか、自分の仲間(と言っても少数だが)が低レベルなのか、
話といえばパチンコや女、スポーツの話だらけ。
そんなことならプー太郎時代の友人の方が、よっぽど面白味があると感じた。
大学生も中卒も中身は大差ないなと感じたものだった。
大学に入ったからには大学生らしいことを、とクラスの奴を1人誘ってサークルに入ることにした。
といっても入ろうと思ったときには、すでに積極的な募集も終わっており、「おいでよ」と言われたのが
「法律研究会」なるサークルw
その名のとおり法律について共に勉強するサークルなのだが、俺は経済系の学部。
なぜこんなところに入ったのか、今でもよくわからない。
イメージどおり、いわゆる「気弱そうなやつ」が集まっており、モトDQNの俺があうわけがなかった。
1年間顔は出したが、疎遠となっていった。
しかしこのサークルに入ったことで、司法書士やら公認会計士やら国家資格なるものが色々あることを知ることができた。
就職前の3年生になったら、すぐに国家資格の勉強を始め、それまで何の資格にするか選んでおこう、
と計画を立てたのが1年の終わりだった。2年生の時にはほとんど大学に行かなくなり、
バイトに明け暮れてた。
バイトで知り合った奴が偶然に2人とも金持ち(港区の一等地の地主や茶道の家元)がおり、
色々と楽しめたし、この楽しさがあったから何とか大学も続いた感じだった。
大学の友人だけだったらつまらなさすぎて、また中退してしまっていたかもしれない。
>>15 さっきラーメン2つと餃子頼んだんですけど、まだ届かないんだが?
>>16 ボンバーピザLサイズ1枚とサラダがまだ届きませんが?
18 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/08(水) 11:53:23 ID:wP1dpqHn0
話は逸れるが、1人、中卒時代の友人(今でも親交あり)を話しておく。
そいつ(仮名;太郎)も高校中退なのだが、太郎が学歴の必要性は感じてた奴で
なんと一年ダブって都立へ入学してまた中退、その後通信制の高校に行っていたのだが、
その中途にバイトのファミレスで知り合った年上の女に惚れてしまった。
その女は東北の一人っ子の女で、
「墓を守らなければならないから、私と結婚するならば東北の家に婿としてくることが条件」
と言われ、通信制の高校をまた中退して(3度目w)、結婚するために女と一緒に東北へ行ってしまった。
結婚式前に一度会いに行ったのだが、「墓を守らなければならない」なんて言うから、さぞやすごい家なのかと思いきや、
山奥にある小さな家で影で失笑してしまったことを覚えている。
太郎は結局、20歳で結婚し(俺が大検受かった頃)、子供も1人でき、建設業を東北でしながら
がんばっていた。しかし頻繁に電話が来るようになり、喧嘩しただの、マスオさんで家で孤立してるだの
泣き言が増えていた。
そもそも問題のある家で、結婚してみたら借金まであった家で(借金理由は太郎もはっきりとしたことは不明らしい)、
その返済を太郎が引き継がねばならず、まるで借金を返すために、
そして跡継ぎ(跡継ぎと言ってもウンコみたいな家なのだが)の種を植えるために東北まで行った状態であり、
終いには借金までしてた家でありながら、20で月に30万以上も稼いでいる男に対し「アンタ稼ぎが少ないのよ!」
と怒鳴られるなど、とても理不尽な状態だったらしい。
もっとも太郎も短期で、すぐに暴力をふるう最悪なところがあったが。
結局、離婚し、23歳の頃に東京に帰ってきた(俺が大学二年の時)。
それから太郎はまた高校の通信制に入り(4度目)卒業した。
東京に帰ってから太郎は居酒屋の店長やリフォーム会社の営業として働き、
このリフォーム会社で才能を発揮した。ずっとトップの成績。
今では独立し、マンションまで買い、ポルシェまで乗っていやがる。
そのくせ、子供には月2万しか送ってないそうな。
>>17 さっき店を出て宅配に向かいましたんで、もうしばらくお待ち下さい〜
(ホントは注文忘れてて、今から作るとこだけどwww
20 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/10(金) 00:27:51 ID:9tH8fTeA0
大学3年になり、資格試験を目指すことにした。
選んだのが宅建。
難易度が無難、不動産に興味があったこと、チマチマ10円の利益を求めるセコイ世界よりも
でかい商売に思えたことなど、単純な動機だった。
約6ヶ月、通信教育で大学と併行させて勉強。
何とか一発合格。しかしこの宅建のおかげで俺の就職は失敗することになる。
合格したと同時に就職活動シーズンに突入。
宅建を取っただけに、不動産業界を中心に廻った。
現役よりも3年も遅れてるため、難しいかなと思ったが、宅建の効果もあり
不動産関係は連勝だった(しかしさすがに財閥系のデべは全滅した)。
結局財閥系の販売会社に内定した。
本も中卒DQNの俺が「○○財閥グループの社員か」などと能天気に喜んでいたものだ。
21 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/10(金) 01:21:32 ID:9tH8fTeA0
太郎がまだ結婚中で東北にいる時にも、たまに遊びに東京に戻ってきていた。
太郎は建設業だったためか「風俗」遊びを学んでいた。
東京に来ると「ピンサロ」いこうだの、やたらと誘ってきた。
俺は情けないことに、まだ童貞で、しかも風俗なんて不潔でダサいと感じていて
断り続けてたが(童貞だからビビッてたのかも)、ついに折れて巣鴨のピンサロへ行った。
それからというもの、太郎と会えば風俗へ行くようになり、俺の童貞喪失は
情けないことに西川口の本サロだった。
太郎が離婚して東京に戻ってきてからは何度一緒に行ったかはわからない。
22 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/10(金) 01:31:31 ID:9tH8fTeA0
何とか大学を卒業し、不動産会社へ入社した。
都心の営業所に配属され、地獄の始まりだった。
朝の6時に起き、帰りは終電。良く言われる激務の不動産業だった。
勤務時間だけでなく、休日も、ただでさえ年間休日80日もない規定なくせして、契約なけりゃ、
休んでもいられず、休日出勤(もちろん無給で)。
ハングリーさや何が何でも稼ぎたいと言う気持ちがあれば良いが、俺にはなかった。
ちょうど、俺をかわいがってくれていた祖母が亡くなり、相続で俺に1500万以上の金が入った。
つまり金もあり、モチベーションが完全になくなった。よって退職。
読んでるよ。大学のレベルはともかく、経緯が俺と被る。
また見に来るよ。
24 :
◆flFcJfeJIo :2008/10/10(金) 03:33:58 ID:9tH8fTeA0
金はあっても、働かねばという思いはあった。
そのため、転職活動をし、大手不動産管理会社へ入社。
ずっと年いった嘱託社員に任せてた会社で、これから管理が重要になるとのことで
プロパー社員を3年ほど前から取り始めた会社だった。
そのため、たった3年前に入ったもと明○地所なる糞みたいな会社にいた
先輩が、偉そうにしていた。
俺と同時に中途入社した経験者の年上の2人(どちらも超大手不動産会社出身)とで、
新人のクセに多少でかい態度だったためか、新人だけで孤立し始め、これがずっと続いた。
結局そんな人間関係に疲れ退職。
その後、また管理会社へ、そして退職。
もうこうなると少しでも嫌なことがあると辞める癖が付いており、どこ行っても同じことの繰り返しだった。
当然、会社数が増え、まともにそれを履歴書に書いてたら受からない。
そこで徐々に経歴詐称をし始めた。
具体的には運よく知り合いの会社(小さな食品問屋)があったため、大学卒業からずっとそこで
勤めていたことにして、転職という形だ。不動産の経歴は捨てたわけだ。
しかしその会社の雇用保険証は当然ないので入社時に渡せない。
そこで、その会社は入ってくれていなかったという、かなり強引な手法であるが、
「酷い会社だねぇー」などと言われ意外と通用していた。
また、その詐称の会社を退職したとする年を超えて、転職先へ入社しないと
源泉徴収票が必要になるため、かならず前年まで働いていたことにしていた。
こんなことで、詐称していることもあり、受ければ受かる状態で、面接も受けまくってるので
達人級となった(もっとも受かりやすい会社ばかりだったが)
何社も入社しては退職を繰り返した。ひどいものだった。
外食、大手電機メーカーの子会社、都心百貨店の設備管理子会社、老人ホーム運営職、、、
もう、一貫性も何もないめちゃくちゃであった。
25 :
名無しさん@引く手あまた:
んー、おれも転職回数多いから知り合いの会社があってうらやましい。