>>95 中央○版時代の上司とういうか師匠的存在。
中央○版には社員約6、7000人が毎年11、12月に売り上げポイントを稼ぐKTC杯ってイベントがあるわけだ。
チャンピオン争うレベルになると20人とか30人規模の支社の1か月の売り上げを一人で1か月で売るようなレベル。
んでこの藤○完は19歳だかでチャンプなったわけですな。
18歳とかで入社して19歳で主任、チャンプになる。
この当時は岡山支社に勤務、当時AP12か13人、CL6、7人、教務2人、計20人前後で2000万から2500万の売り上げが普通の時代。
その当時にこの岡山支社はCLがたった4人で5000万以上の売り上げを上げていた、鬼の4人とも言われてたな。
その後21歳か22歳で営業所所長となり、所長となった後も藤○完の支社は鬼みてぇな売り上げ。
課長代理、課長、となんなく昇進していき25歳の時点で次長、26歳では副部長。
大阪支社など関西地区の所長を何箇所かやっていたがその時期、東京都の支社、中でも新宿支社などの
超都心部の支社の売り上げが激減、学区内の対象宅のほぼ全てがオートロックの高層マンション、
転入、転出が鬼みたいに激しい地区、支社閉鎖、この地区からは撤退か?という話が所長会議中決まりかけた時、藤○完が手をあげた。
『俺がやります、行きます、俺を新宿の所長にしてください』
会長、社長は悩んだ、藤○完はホープ、まだ20代半ば、潰れたりしたら・・・
廻りの所長連中はほくそえんだ、特に藤○完を脅威と見る年配の古株連中は。
『俺がやります!だって俺しかいないでしょ?できるのも、やろうとするのも!』
廻りの所長連中は全員何もいえなかった。
配属後、藤○完は社員を引き連れ自らAPとして現地に向かい売る姿を見せた。
たった半年後、新宿支社は驚異的な売り上げを記録、と同時に藤○完は最年少部長として20代で中央○版グループの幹部となる。
とかなんとかしてるうちにここの社長や第二事業部の他のトップセールスとともにごっそり退社、起業。
この藤○完の営業のビデオは見ると鳥肌たつぞ、前はようつべにも何本か上がってたけど。