14年ほど前に親父が突然亡くなり、やってたカメラ屋を引き継ぐことになった。
それまで3年ほどメーカー商社のサラリーマンだった訳で
最初右も左も分からず客に教えてもらうような毎日だった。
カメラの方はサッパリだがLFブームでDPEと感材の売りは70万ほど。
感材は儲けは少ないが現像料なんか600円のうち500円くらいは粗だ。
いろいろ差し引いても30万くらいは手元に残った。
いつのまにかアナログの白黒モニターのプリンターは
KG混在でも全オート並の速度で出せるようになっていた。
お客さんの撮り方のクセや好みの明るさなども完璧。
ネガを見ただけでキーを叩いていた。
やりがいもあり、お客さんも喜んでくれて
地域に密着した写真屋として、定着した・・・ハズだった。
このままずっと続くなら、これもまた良いかな・・・なんてのんきに考えてたのだ。
しかし幸福は長くは続かない。
数年の間にDPE店が近所に3軒も出来、徐々に競争が出てきた。
ウチの店も値下げを余儀なくされ、売り上げは月ごとに落ちていく。
このころは既に20万の利益も出せなくなっていた。
店を改装すれば・・・いいのかもしれないがその資金は無し。
そしてその状態の中、決定的な出来事が起こった。
殆どの客層が流れるスーパーの中に猫の店出現。
翌月の利益は5万。生活すらままならなくなった。
3軒のDPE店は更に客の取り合いになり同プリ10円、5円、と毎月のように下がっていき2店が1円に。
そのころ値下げをしなかった一店は30円のまま遂に閉店した。
そして片方が遂に0円に。もうこうなてしまうとおいしさなんてカケラもない。
ウチの店はフジ純正を使っていたため20円くらいは取らないとそもそも無理だった。
そんな2店もそれから5年ほどで両方なくなり、クリーニング屋と貸し事務所になった。
猫の店も5〜6年くらいは随分景気が良かったみたいだが
今年の初めに遂に退店。なぜかそこもクリーニング屋になった。
一体なんだったんだろうか。時代の流れとはいえ、人の客をさんざんっぱら荒らして
大きな爪あとを残して去っていったDPEチェーン店。
銀塩離れでまぁ続けていくのは困難だっとしても、
ハイエナのようなこの悪行を俺は一生忘れない・・・。
相次ぐ退店でいくらかの売り上げは戻したが
そんなものその場限りで浮上無し。
今はデジカメで撮って銀塩並の耐久性のある写真を家で好きなだけ出す時代。
そもそもスーパーも客離れだ。大きなモールができて、時代が変った。
結局ウチの店も今月末で閉めることになった。
ほとんど生活費としての借金が丁度1000万。
すっかりおっさんになり、しかもなんのスキルもない俺。
このビハインドを背負った上で転職だ。
ハッピーエンドを期待した人も居ただろう。
だが時代の流れが読めずに斜陽産業に足を踏み入れた男の現実はこんなもんだ。