キハ10系とキハ20系を語る

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810回想774列車
国鉄キハ10系は、DMH17形エンジンと液体変速機を組み合わせた、本格的なディーゼルカーとして1953(昭和28)年に登場し、グループ全体としては総数728両が製造されました。
その走行線区は全国に及び、その一部は1980年代前半まで活躍していました。
このキハ10系は軽量化のため狭幅車体とされたのが大きな特徴で、同系で確立された新技術は後のキハ20系、急行形キハ58系、特急形キハ80系へと引き継がれていきました。
キハ10形は両運転台・トイレなしの形式で、1956(昭和31)年までに70両が製造されました。
実車編成例 特に決まった編成はなく、単行から長大編成まであった。
キハ10系の他、キハ58などの一般気動車との混結もありました。












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811回想774列車:2013/12/05(木) 12:30:05.96 ID:PSeY81Wx
国鉄キハ10系は、DMH17形エンジンと液体変速機を組み合わせた、本格的なディーゼルカーとして1953(昭和28)年に登場し、グループ全体としては総数728両が製造されました。
その走行線区は全国に及び、その一部は1980年代前半まで活躍していました。
このキハ10系は軽量化のため狭幅車体とされたのが大きな特徴で、同系で確立された新技術は後のキハ20系、急行形キハ58系、特急形キハ80系へと引き継がれていきました。
キハ11形は両運転台・トイレ付の形式で、1956(昭和31)年までに74両が製造されました。
実車編成例 特に決まった編成はなく、単行から長大編成まであった。
キハ10系の他、キハ58などの一般気動車との混結もありました。















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812回想774列車:2013/12/05(木) 12:31:20.78 ID:PSeY81Wx
国鉄キハ10系は、DMH17形エンジンと液体変速機を組み合わせた、本格的なディーゼルカーとして1953(昭和28)年に登場し、グループ全体としては総数728両が製造されました。
その走行線区は全国に及び、その一部は1980年代前半まで活躍していました。
このキハ10系は軽量化のため狭幅車体とされたのが大きな特徴で、同系で確立された新技術は後のキハ20系、急行形キハ58系、特急形キハ80系へと引き継がれていきました。
キハ16形は片運転台・トイレなしの形式で1955(昭和30)年までに99両が製造されました。
実車編成例 特に決まった編成はなく、単行から長大編成まであった。
キハ10系の他、キハ58などの一般気動車との混結もありました。













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813回想774列車:2013/12/05(木) 12:32:00.43 ID:PSeY81Wx
国鉄キハ10系は、DMH17形エンジンと液体変速機を組み合わせた、本格的なディーゼルカーとして1953(昭和28)年に登場し、グループ全体としては総数728両が製造されました。
その走行線区は全国に及び、その一部は1980年代前半まで活躍していました。
このキハ10系は軽量化のため狭幅車体とされたのが大きな特徴で、同系で確立された新技術は後のキハ20系、急行形キハ58系、特急形キハ80系へと引き継がれていきました。
キハ17形は片運転台・トイレ付の本系列の中心的な形式で、1957(昭和32)年までに402両が製造されました。
実車編成例 特に決まった編成はなく、単行から長大編成まであった。
キハ10系の他、キハ58などの一般気動車との混結もありました。
















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814回想774列車:2013/12/05(木) 12:32:49.33 ID:PSeY81Wx
国鉄キハ10系は、DMH17形エンジンと液体変速機を組み合わせた、本格的なディーゼルカーとして1953(昭和28)年に登場し、グループ全体としては総数728両が製造されました。
その走行線区は全国に及び、その一部は1980年代前半まで活躍していました。
このキハ10系は軽量化のため狭幅車体とされたのが大きな特徴で、同系で確立された新技術は後のキハ20系、急行形キハ58系、特急形キハ80系へと引き継がれていきました。
キユニ17形は郵便室と荷物室を持つ合造車で、1966(昭和41)年から11両がキハ17からの改造で製作されました。














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815回想774列車:2013/12/05(木) 12:36:24.52 ID:PSeY81Wx
キハ20はそれまでのキハ10の狭い車体を、重量増加を必要最小限に押えながら電車並みの車体幅に大きくし、
簡素だった内装を客車や80系電車に近づけた車両で、ローカル線区のサービス改善に大きな役割を果たした。

最初こそ、キハ10譲りのDT19台車は、乗り心地が悪く、レールジョイントが尻に響く感じだったけれど、
2次型以降は台車も良くなり、窓も1次型の上段Hゴムから、全開閉できる2段窓になり、
座席ピッチと座席幅はスハ43なみだったから、同じ地方線区でも、当時はローカル線区に行くと走っていた
旧型国電よりずっと上等だったし、113系や115系と比べてもアコモは優れていた。
また、客用ドアが10系と異なり、若干車体内側に寄せられていたので、ラッシュ時にも結構強かったように思う。

2次型以後の乗り心地は非常に良く、いくら乗っても飽きない・・良いクルマだと思ったものだ。

このシリーズには片運転台のキハ25や寒冷地向けのキハ21、キハ22、合造車のキハユニ26、
2エンジン搭載のキハ52などもあり、特に、優れたアコモにデッキをつけた北海道用のキハ22は急行用の28系と
比べてもそん色がなく、乗車したときには感動したのを覚えている。

伯備線や予讃線などでも良く乗車したが、何故か、福知山線ではキハ47登場まではキハ10系が多く、
キハ20はその特徴的な姿を大阪駅で見ることがほとんどなかった。

どこの線区でだったか・・
夜にキハ20に乗車した。
まだ、白熱灯のままの車両で、柔らかい室内のイメージと、ゆったりとした座席、軟
らかな乗り心地に軽いレールジョイント・・
もしも、自分の全てがここに凝縮されていたとしても惜しくないほど、人生で最良の時間であると・・
そこまで感じ入ったこともある。

あるいは、豪雪の高山線での夜明け前の幻想的な景色に、キハ20は非常に良く似合っていたと
今でも思い出すことがある。

キハ20は、製造を止めた後、キハ23やキハ45が製造されたけれども、
これらは外見こそ高運転台に曲面ガラス、両開きの客用ドアなど、見栄えが良くなったけれども、
座席に至っては113系電車並みとされ、キハ20シリーズに比べれば物足りない部分が多かった。
これらが改善されたのはキハ47以降だけれども、キハ20の質素でいて充分なローカル線区に適したイメージとは程遠い、
バブル的大型車体を持って登場してしまい、しかも折角の新型エンジンも車体を大きくした分、
返ってキハ20よりも加速性能や登坂性能が落ちてしまう結果となってしまったことは残念でならない。

キハ20は現場ではその使いやすさから愛され、最後まで乗客の評判も良く、地道にローカル線の主力車両としてその使命を果たした。

後にエンジンなどの大改造が必要になったキハ47とは違い、キハ20の設計がローカル線区に適したものであった証拠だろう。

ただ、キハ20シリーズだけの長編成の編成美を見ることが出来たのは予讃線くらいだろうか・・
5連のキハ20をみて、訳もなく感極まったことがある。
キハ20シリーズは、キハ35やキハ28と併結で用いられることが多かったのも事実だ。

それだけ、何処でも使いやすかったと言うわけか・・