【横須賀】国鉄70・80系電車2【湘南】

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1モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q
前スレが980を超えてからDAT落ちしたので、新たに立てます。
横須賀色3ドア70系、湘南色2ドア80系を懐かしむスレッドです。
旧型国電の最終タイプで、その後の電車全盛時代到来の足掛かりとなった名車を、まったり語り合いましょう。
前スレ
【横須賀】 70系・80系電車 【湘南】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1224929188/
※バイブル的存在のサイトは、>>2に記載。
鉄道雑誌の特集で取り扱われたぶんの一部を、>>3に記載。

【注意】
●何か質問をする場合は、>>2に掲載のサイト等を活用したり、Google等で検索したり、過去レスをよく見るなど、独力で調べる努力をしてからにしましょう。
[例]80系電車の東京乗り入れ:1977(昭和52)-3-28の327M(東京11:33→13:53沼津)が最終
●荒らしは放置でお願いします。
また、荒らしにみだりに反応するのも、無駄なレス消費につながり、荒らしになります。
●sage推奨ですが、重大事項とはいえず、あえて規定しませんので、sage進行の強要はおやめください。
●モハ80001とクハ86001が保存をされていることを除けば、完全に過去形の車両で、スレ進行が遅めでも当たり前です。
活性化などと称して、レス数稼ぎにスレ違いの話題を延々と続けるのはご遠慮ください。
2モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2012/11/01(木) 02:18:11.33 ID:c+usYwaG
【参考】
●我が心の飯田線
http://kokuden.net/mc53/
の中の
旧型国電編
http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub20.html/sub20.html/sub20.htm
→70系・80系の項において、晩年の形態を知るのに貴重な資料となる写真が、カラーを主体に多数あり

●旧形国電の記録
http://www.geocities.jp/h6feet/top.html
の中の
70系・80系(その1)
http://www.geocities.jp/h6feet/album6-1.html
70系・80系(その2)
http://www.geocities.jp/h6feet/album6-2.html
70系・80系(その3)
http://www.geocities.jp/h6feet/album6-3.html
70系/80系(その4)
http://www.geocities.jp/h6feet/album6-4.html
※(その1)(その2)は70系
※(その3)(その4)は80系
→活躍末期のモノクロ写真が集められた、やはり資料性の高い貴重なHPで、解説も丁寧

●国鉄70系電車 - Wikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8470%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A

●国鉄80系電車 - Wikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8480%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
3モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2012/11/01(木) 02:19:11.34 ID:c+usYwaG
おもな鉄道各誌での特集(一部をご案内しておきます)
◎鉄道ピクトルアル
1965-3湘南電車15周年記念特集 1977-8特集:80系のあゆみ
2002-2特集:モハ70系電車
2004-8特集:80系湘南形電車

◎鉄道ファン
1966-10国鉄鋼製電車:70系
1966-11国鉄鋼製電車:80系-1
1966-12国鉄鋼製電車:80系-2
(※「国鉄鋼製電車」は、当時の連載記事。そのうち旧型国電のぶんをまとめ、単行本「30系から80系まで」としても同内容で発刊されたが、こちらも数年で絶版)
1977-7特集:湘南電車
1995-8特集:思い出の80系湘南電車(一部記事は1977-7より訂補再掲)

◎鉄道ジャーナル
1979-11特集:湘南電車

◎Railguy(廃刊)
1978-10特集:80系湘南電車

◎(季刊)レイル
1983夏の号特集:国鉄湘南電車80系
4回想774列車:2012/11/06(火) 17:32:39.22 ID:29iPFNhk
あげ
5回想774列車:2012/11/06(火) 22:33:34.14 ID:nuyPF2SS
【1950(昭和25)-10-1改正】
下り湘南電車:東京始発静岡行き829T(2・3等車)
東京______発1636
新橋______〃1639
品川______〃1646
横浜______着1706
__________発1708
大船______〃1726
藤沢______〃1732
辻堂______〃1736
茅ヶ崎____〃1741
平塚______〃1748
大磯______〃1753
二宮______〃1759
国府津____〃1805
鴨宮______〃1809
小田原____着1814
__________発1817
早川______〃1820
根府川____〃1826
真鶴______〃1833
湯河原____〃1838
熱海______着1845
__________発1846
函南______〃1857
三島______〃1904
沼津______着1912
__________発1915
原________〃1922
東田子の浦〃1927
鈴川______〃1933
富士______着1938
__________発1939
岩淵______〃1944
蒲原______〃1950
由比______〃1955
興津______〃2001
清水______〃2008
草薙______〃2014
静岡______着2020

※初設定は1950年7月から
6回想774列車:2012/11/06(火) 22:35:13.80 ID:nuyPF2SS
【1950(昭和25)-10-1改正】
上り湘南電車:静岡始発東京行き820T(2・3等車)
静岡______発_600
草薙______〃_606
清水______〃_613
興津______〃_619
由比______〃_625
蒲原______〃_630
岩淵______〃_636
富士______着_640
__________発_641
鈴川______〃_646
東田子の浦〃_651
原________〃_657
沼津______着_703
__________発_705
三島______〃_712
函南______〃_720
熱海______着_731
__________発_732
湯河原____〃_739
真鶴______〃_744
根府川____〃_751
早川______〃_757
小田原____着_800
__________発_802
鴨宮______〃_806
国府津____〃_811
二宮______〃_816
大磯______〃_822
平塚______〃_829
茅ヶ崎____〃_835
辻堂______〃_840
藤沢______〃_845
大船______〃_852
横浜______着_909
__________発_911
品川______着_931
新橋______〃_937
東京______〃_941

※初設定は1950年7月から
7回想774列車:2012/11/09(金) 20:51:07.29 ID:3yDBkbdO
今夜 『 鶴見事故 』 から49年目を迎える
現場近くの総持寺では50回忌の法要が営まれた
謹んで事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します
8回想774列車:2012/12/09(日) 20:51:39.66 ID:6GmeNbMP
保守上げ
9dfsa4afaf:2012/12/09(日) 22:41:15.69 ID:4BjTeY6H
フェミニスト政党の候補者を落選させ女性専用車両を根絶しよう
「未来の党と公明党は男性を差別した政策主」

石原慎太郎さんが都知事時代に的確な問題提起をされていますので、皆さんも視聴しましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=U04E6G2Cy8o&list=PLC6839F661C03104D
10回想774列車:2012/12/18(火) 23:57:13.59 ID:9e3UNLjX
●画期的と不運の63系・72系・73系●2両目
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1355836684/
11回想774列車:2012/12/19(水) 21:35:10.10 ID:Wh8Dk7I7
最近は人気無いのかねぇ?
12回想774列車:2012/12/19(水) 23:20:02.23 ID:ty4+oG4l
>>11 今の鉄オタとっちゃ湘南、スカも同じ通勤型で4D20mが標準だから
これら電車は客車みたいな前時代乗り物なんだろうな。

・・・旧型国電好きでも戦前の姿や木造院電に興味示さないのと同主旨では?
・・・残念ながら それだけ時間が流れ記憶が風化(関心を持つヒトが減った)したということだな。
13回想774列車:2012/12/20(木) 09:27:03.85 ID:a30tCHwz
そもそも、交通科学博物館の80系2両以外は、フェイク(藤沢など)は別にして、影も形もない
現役時代、1977(昭和52)年3月まで1両の廃車もなかった80系(全652両)は、それから1978(昭和53)年10月改正までに一気に約100両まで稼動両数を減らし、当時のファンの間でさえ、アッと言う間に消えてしまったという印象が強い
前スレでは形態的な興味深さを指摘されているし、突き詰めれば話題はまだたくさん出てくるとは思われるが、取りあえず>>2には主だったサイトも載り、それと前スレ過去ログで、ある程度の情報は得られる
それに、無駄に中身のない書き込みが増えるのも考えもの
>>1にも少し触れられているようだが、スレごと落ちない程度に保守されさえすれば、慌てることもない
14回想774列車:2013/01/01(火) 19:39:41.14 ID:qkWE9NYc
あけおめ
今年は平成25年。80系の営業開始は昭和25年、既に平成と昭和の差63年前の電車ということだな
15回想774列車:2013/01/02(水) 04:26:41.98 ID:Qpiii410
>>13
70系も残って無いの?
16回想774列車:2013/01/02(水) 13:47:08.54 ID:GnOCOLtN
新年早々さっそくこれだよ。
>>1に書いてあるだろ?

>>●何か質問をする場合は、>>2に掲載のサイト等を活用したり、Google等で検索したり、過去レスをよく見るなど、独力で調べる努力をしてからにしましょう。

ひょっとしてお前この板を質問で荒らす質問魔か?
17♪に揚げた本人:2013/01/14(月) 00:30:00.29 ID:dFzmlBZJ
1817:2013/01/14(月) 00:30:43.27 ID:dFzmlBZJ
あかん、揚げてなかった。
19回想774列車:2013/01/18(金) 22:08:49.85 ID:jPojV1hn
クモニ83100番台くらい保存できなかったものだろうか。
20回想774列車:2013/01/18(金) 22:56:02.39 ID:mYlJXIpX
というか東海道で113系に置き換えられたときに、クモユニ81に新旧読替装置つけてクモユニ74と
共通運用できなかったのかな。少なくても63改造車よりも長持ちしたはず
21回想774列車:2013/01/19(土) 14:12:06.03 ID:R6JQHm8A
ってかクハ86全金車1両でも残っていればと思うよ

都市伝説ではないが日車豊川に現存してるのではないか?と言われた事があり某掲示板が炎上した事もあった。

懐かし板が設定される前の2ちゃんだったかな?
22回想774列車:2013/01/19(土) 18:07:59.63 ID:jKHgHw2k
そうやって、あちこちで隠し持っていた車両が発掘されたら楽しいのにね。
23回想774列車:2013/01/19(土) 19:41:17.77 ID:e9/K0tAW
スレチで申し訳ないが、豊後森機関庫?で隠居していたキハ0741って何故 廃車後温存できたの?
・・・・降って湧いたように温存が発見されたような感じで以前趣味誌に取り上げr
24回想774列車:2013/01/19(土) 19:44:33.77 ID:e9/K0tAW
スレチで申し訳ないが、豊後森機関庫?で隠居していたキハ0741って何故 廃車後温存できたの?
・・・・廃車後20年近く経て降って湧いたように温存が発見されたような感じで以前、鉄ピクのニュース欄に取り上げられたけど・・・
別に隠蔽で保管していた代物が発掘された訳ではないんでしょ?
25回想774列車:2013/01/19(土) 20:29:52.73 ID:Hv1F+pEq
ふざけるな!
スレチどころか、国鉄車両である点以外はなんの関係もない
知ってても絶対答えない
断固排斥!!!
二度と書き込みするな!!!
しかも2レスも無駄遣いしやがって、死刑にしても飽きたらない
26回想774列車:2013/01/19(土) 20:42:17.98 ID:Hv1F+pEq
>>20
長持ちしねーよ!
足回りは磨耗部品は取り替えるが、それ以外は割合と堅牢
むしろ車体の方が腐蝕しやすいし、取り替えにしても部品単価は高い
まして(ク)モユニ81みたいな6両しかないスケールコストメチャ高の車両
ローカル使用の晩年のあり方は、むしろ経済的合理的
客乗せ営業は運輸(国土交通)省令がらみで無理だし、静態では一般人には馴染みなさすぎなので、保存したって糞の役にも立たない
ヲタ目線でしか見ないと、単なるワガママになり、ますますそっぽ向かれる悪弊
27回想774列車:2013/01/19(土) 22:13:22.59 ID:nDoBM9wi
>>26の文章が悪文なのは分かった
28回想774列車:2013/01/19(土) 23:28:53.01 ID:xtZ3yPmw
70系、80系で、戦前の半流線型(40系など)のように貫通路付バージョンを造らなかったのは何故なんだろうか?
分割併合のある場合に編成間の通り抜けができない短所はあえて目を瞑って、流電の戦後版としてのイメージにこだわったからだろうか?
80系でも、東海道における長編成運用を目的に造られたわけだから、地方線区における短編成同士による分割併合運用は、あまり考慮していなかったからかな?
2924:2013/01/20(日) 00:43:41.32 ID:IvaXBMpp
>>25 何?そんなに怒り狂っているんだよ。基地外。

極秘できる可能性とかそういう言う意味で書きこみしただけだ。
お前みたいな小さい奴にハナから訊く気ないよ。
30回想774列車:2013/01/20(日) 01:24:08.42 ID:swlo9dji
>>28
80系一次車の時点で貫通路付けてないわけだから
端から付ける気なかったんだろうね

>>29
スレチと分かっててスレチなこと書くってやっちゃいけないことだよ
31回想774列車:2013/01/20(日) 03:03:44.69 ID:kA/t9WiW
ロシアの近郊電車を見てたら1M1Tの吊り掛け
やたら幅が広いのをのぞけば70 80系風
日本も経済が桃源郷のように発展しなかったら今でも
ロシアと同じように70系3000番台とか80系6000番台が
吊り掛け音を高らかにロングレールを爆走してたのかな?
32回想774列車:2013/01/20(日) 10:49:54.62 ID:D21H6WqU
>>30
当時は電車に貫通路を用いるのは関西で、関東には貫通路はあってもそれを積極的に使うことはなかった
80系は中間電動車方式なので、そもそも運転室に貫通路を取り付ける発想も必要性もなかったんだろう

>>31
ER1/2系はまさに客車にモーターと運転室をつけた形で、ロシアの80系という感じだな
寒冷な大地で長大な路線で保守もままならないロシアでは、ソユーズのように枯れた技術の方が信頼性がおけるのだろう
33回想774列車:2013/01/20(日) 14:32:22.81 ID:9x2cDA3P
ロシアの話も、妄想と結び付けて、スレ違いひどすぎ
−−−【以下本題】−−−
ところで、80系は独自の広幅貫通路を採用している。
これは京王や営団などの一部車両でも一時運転台のない側には積極的に採用されたが、前面貫通車に採用するのは難しく、貫通路(扉)を使うには編成の自由度が制限される。

つまり、80系当時の意識は東海道はじめ幹線系列の輸送改善に向いていて、貫通扉の使用という発想はほとんどなかったのであろうと思われる。

他の戦前型併用を前提とした70系では、標準的な幌を採用したものの、やはりクハ76には貫通扉を設置していない。
同時期のクハ79もしかり。

そもそも、昭和20年代ぐらいまでの旧国の写真を見る限り、貫通型であっても前面に幌受けのない車が多く、必ずしも活用されている例ばかりではない。

飯田線の旧国末期、2両単位の運用を組んでいた戦前型の前面貫通扉は、通常まったく使用されておらず、利用者側から見ればいつも僅か2両で通せんぼ。もっとも、これは非貫通のクハ47(009・069)などが中間に入ってしまう場合もあったからかも知れないが…。
このような例は、田町153→113系の基本・付属編成などでもみられ、こちらは常に貫通車同志だった。だから、185系投入時の153系と185系の混結にも混乱は生じなかった。
34回想774列車:2013/01/20(日) 14:58:07.88 ID:zwZzmWzQ
関東は基本的に全車貫通の意識が薄かったのと、組合の力関係もあったのではなかろうか。
35回想774列車:2013/01/20(日) 16:00:46.31 ID:9x2cDA3P
いやそれはないでしょ>>34
半年も立たない同じ昭和25年夏に、急電用80系2M2T7本がデビューして、流電や合の子などの編成を置き換えている
時期的に一足投入が遅れただけで、ほぼ一緒に投入する腹づもりだったことは明らか
戦前型よりもパワフルで軽量な車両ということで、スピードアップもなしとげている。
本社が関東でも関西でも使え、元来は客車列車に代わるものとして鳴り物入りで開発されたのに、いちいち組合なんかに構っていなかっただろう
36回想774列車:2013/01/20(日) 16:58:04.90 ID:QP3jNGsR
そも、融通性を損なってまで貫通路だけ広幅にした目的は何だろう。
あと飯田線になぜかあったサハ87001は、改造かアダプターが付けられたんですかね。
37回想774列車:2013/01/20(日) 18:39:45.00 ID:zwZzmWzQ
>>35
例えば東海道の東京口の113系は基本編成と増結編成は貫通路があったのに通り抜け不可だったわけよ。
あくまでも前面に貫通路があった場合の話だよ。
38回想774列車:2013/01/20(日) 18:40:22.86 ID:kA/t9WiW
>貫通路だけ広幅にした目的は何だろう
なんかの幅を利かせるためじゃない?
39回想774列車:2013/01/20(日) 20:49:51.05 ID:BjS2zVhs
そもそも70系の当初計画図面自体ロクサンの3ドア仕様という代物だったからな。
貫通型どころか前面や三段窓までロクサンそのまま。
どういう経緯であの図が引かれたか、そして最終形がああなったか今となっては知る術もないのかも知れないが。
40回想774列車:2013/01/20(日) 21:56:41.30 ID:kA/t9WiW
あの2枚窓の元ネタがありそう
41回想774列車:2013/01/20(日) 22:45:49.99 ID:WQ+jwp3K
80系一次車顔の70系があったら面白かったのだが
42回想774列車:2013/01/21(月) 10:35:20.52 ID:agVR/eMi
戦前の関西では先頭車が中間に入った場合、通り抜け出来るように幌が付けられた。
その編成が一日の運用途中で分割や併結しない前提・固定編成だったから、幌が付けられていただけで、
関東では京浜線、中央線では一日の運用途中で分割や併結が有る、京浜線なら固定3両編成に1両プラス、
中央線なら4両固定編成に1両プラス→1937年以降は4両固定編成に2両プラスなど、
朝夕ラッシュ、急行運行に増結する場合が在ったから幌が付けられて無い。

広幅貫通路の採用は、デッキ式だったことからデッキ部の狭さを感じさせ無いようにしたこと、
ラッシュ時には隣の車輌デッキ部も含めて一つの乗降エリアとして使えるようにしたことなど。

80系電車は東海道線投入が目的で、路線の性格上、普通列車から急行列車まで運用する目的で開発、
後の153系電車が急行列車用で開発されているのとは違う。
43回想774列車:2013/01/21(月) 10:40:12.15 ID:Pf3nmXvE
>>42
急行列車運用は考慮されてなかったろ
大体東海道の本線筋の急行で80系って無かっただろ?
44回想774列車:2013/01/21(月) 13:09:09.56 ID:h6QgFGvM
>>43
最初は長距離急行列車運用は考えてなかったかもしれないが、300番台設計の段階でそんな野望があったのかもしれない。
あくまでもテストであったのかもしれないが、長距離列車に使用する前提で300番台は計画されている。
45回想774列車:2013/01/21(月) 13:14:49.14 ID:XPxp7uIQ
横須賀線の113系は、基本編成と付属編成の行き来ができたよ。
46回想774列車:2013/01/21(月) 16:44:23.96 ID:KpLIrr5v
>>37
1970〜1980年代には静岡運転所の111・113系の運用同志なら前面貫通路を使用していた。
大垣の153(155・159・165)系も…。
まあ、前面貫通扉の話は、スレタイ車両に該当車がゼロなんだから、この辺でやめるべき
47回想774列車:2013/01/21(月) 16:52:38.80 ID:lEbCuDf1
お面の元ネタこれかな? ET25
48回想774列車:2013/01/21(月) 19:06:59.42 ID:KpLIrr5v
湘南電車の二枚窓のお面の採用は、星晃氏によれば、島秀雄氏の指示によるものらしい
古い鉄道ピクトリアルの星氏の記事に何回か書かれている
氏の頭の中でどのように発想されたかは、故人ゆえ不明
というわけで、これでこの話も終わり!
49回想774列車:2013/01/21(月) 19:45:49.21 ID:Pf3nmXvE
>>44
話が違ってきてるじゃん
で、本線筋の急行運用って結局なかったじゃん
50回想774列車:2013/01/21(月) 20:52:16.35 ID:tHk/5ImK
いいとこ、準急用の想定だろうね。幹線の急行に使うなら食堂車かビュッフェ車があった筈だ。
51回想774列車:2013/01/21(月) 22:33:11.13 ID:0N+F65qF
この当時の長距離列車に急行用・各停用なんて区別はないでしょ
客車を見てもわかるとおり、各停から急行まで何でも使われた。鋼体化客車ですら急行に使うことを考えオールクロスシートとした
80系も当初は東京−沼津程度の距離なので通勤用にも配慮したが、東名、名阪間を遠征する300代ではアコモも客車に近づいたものになったということだな
52回想774列車:2013/01/21(月) 22:53:17.59 ID:G2HNjJAK
DCも房総方面を主体にキハ10・20系列の準急がうようよ…
53回想774列車:2013/01/22(火) 02:09:02.79 ID:F3cVrl28
>>52
準急の話はしてないだろ
54回想774列車:2013/01/22(火) 11:34:22.14 ID:LHPiaBrs
>>49
定期仕業ではなく、期間も短いが、「はりま」(1960年/東京〜姫路)がある
55回想774列車:2013/01/24(木) 22:24:20.40 ID:6JKRLyYu
>>51
80系は急行運用前提で作られた記録はない。
鋼体化客車(オハ60・61)は急行運用を前提としていない。
56回想774列車:2013/01/25(金) 09:58:41.73 ID:3pHVhPSK
鉄コレの延長でサハ75の湘南色が話題になってるな。
57モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/01/30(水) 01:46:29.84 ID:mxEnP/zF
1950(昭和25)年1月30日に、日車支店製の新製車、田町電車区A5編成
(←東京)クハ86009−モハ80017−サハ87013−モハ80018−サハ87014−サハ87015−モハ80019−サロ85005−モハ80020−クハ86010(沼津・伊東→)
が納入され、公社として新生した日本国有鉄道に最初に車籍を得て、新しい電車の時代の幕開けとなった。
ある意味、本日は記念日といえる。
58回想774列車:2013/01/30(水) 14:09:46.42 ID:6TxyBWIh
どれが燃えたの?
59回想774列車:2013/01/31(木) 13:43:15.99 ID:Wo1RPu6Q
湘南電車の登場の頃の急行は、客車(三等)のほとんどが原則オールクロスシートということもあり、有料として一部の設備が貧弱な鋼体化客車(オハ61等)を除いては、半ば共用化に近い状況だったと思われる。
特急「燕」も戦前はのちのスハ32などが主体の編成だったし、戦後に入って湘南電車誕生の頃は、スハ42・43を含む編成を青大将誕生(1956-11)の少し前まで組んでいた。
つまり、急行運用のある区所に配置されたオールクロスシートの車両は、急行に使うこともある程度は考えられていたと思われる。
80系電車は、準急に使う腹づもりはあったといえるが、長距離急行への進出は、振動や騒音に不安があったためか、まだ考慮に入れていなかったのだろう。
また、当時は荷物輸送は国鉄が一手に引き受け、急行には荷物車両が併結される列車も多かったが、多方面(非電化多数)への分断を考えた場合、客車の方が使いやすいという視点も、あったかも知れない
60回想774列車:2013/01/31(木) 16:18:48.73 ID:H0CoS3Tg
とはいいつつも上越線向けで長時間走行があったんだよねえ。
各車に便洗面所付きの、モデルチェンジ版構想はあったのだろうか?
61回想774列車:2013/01/31(木) 18:06:56.16 ID:Wo1RPu6Q
>>60は意味不明
上越線を走る80系は、上野〜新潟の準急〜急行「弥彦」「佐渡」が最長距離で、準急「東海」等の東京〜大垣より短い
また、サロ85には当初から洗面所が設置されている
格下げ改造車についても存置されたもの多数
後継車153・165系は、ビュフェ(売店)車以外は原則すべて便洗面所が設置された
62回想774列車:2013/02/01(金) 00:55:05.54 ID:pWQMIhU1
1M方式の旧国ではモハにWCを設置するには、気動車のように車内か屋根上に水タンクを
載せるしかなかっただろうな
300代の頃では既に153系の構想も立てられていただろうから、無理してモハに便所を設置するより、
次期本格長距離電車でという腹積もりだったのだろう
63回想774列車:2013/02/01(金) 07:32:47.73 ID:4oBod8CR
そりゃ一両に電装品を全て載せてキツキツよりは、二両に電装品を分散、床下スペースに余裕があるなら、
トイレを設置しようとする構想も考えられるわな。
64回想774列車:2013/02/01(金) 12:26:55.23 ID:8+xisDK5
>>44
300番台を優等列車にも運用する前提で設計するのなら、
サロはオロ35のような転換クロスにしても良かったのではと思う。
65回想774列車:2013/02/01(金) 13:28:23.54 ID:3R7hE0WT
このスレ(2)になってから、現実に反する仮定の話ばかりで、現役時代の情報とかほとんどなくなっている
現役当時の思い出話ならともかく、そんな中身のない能書きなんか、糞の役にも立たない
もっと有意義な情報が書き込まれないとスレの価値が下がる

前スレで完全に掌握できていない情報
○クハ76032は関西緩行ではスカ色のままで大垣に転出したのか、それとも茶坊主になった時期があるのか?
○80系アコモ改造車(特に岡山ぶんが怪しい)
○70系半鋼車でニス塗り内張りの淡緑塗装車(名シン)
ちゃんと語れる人が出てきて欲しいものだ
66回想774列車:2013/02/01(金) 14:00:55.78 ID:vp//2V/4
>>65
じゃあ有意義な情報を頼む
67回想774列車:2013/02/01(金) 15:27:31.00 ID:g4LwcP+x
>>65
一見もっともらしい事を言ってるが、

お前は単なる
クレクレじゃん。
68回想774列車:2013/02/01(金) 18:07:48.82 ID:3R7hE0WT
>>65では無駄な書き込みはいらないと述べ、三つの方向性を一例として示しただけで、それすら示せない>>66>>67に、文句を言われる筋合いはない
偉ぶる割に66にも67にも身のある情報がない以上、荒らしと取られても仕方ないだろう
調べ尽くした人が少ない分野で、しかもかなり過去の話だから、なかなかアテにはできず、クレクレとか言ってないし…
このままの流れでレス数を空費するのは無駄だから、それをストップしようとしただけ
無駄話をしたいなら他スレに消え去れっつぅこと!!!
69回想774列車:2013/02/01(金) 18:13:06.03 ID:vp//2V/4
>>68
で、お前はどうなのよ?
自分は有意義な情報を書き込めないのに他人に文句言っちゃいかんでしょ
70回想774列車:2013/02/01(金) 19:18:09.91 ID:3R7hE0WT
>>69
少なくともスレのおかしい流れを修正しようとしてるだろ?
それだけ意味はある発言してるってこと
情報ないのはお前もだ
お前の発言はスレのおかしい流れを修正する意味も見当たらないから、黙れ!!!
71回想774列車:2013/02/01(金) 20:32:45.60 ID:g4LwcP+x
>>70
話の流れで仮定のレスが続く事もある。
そういう時は大人なら静観し、落ち着いたら元ネタを振ればよろしい。
お前のように端から喧嘩越しでケチつけて、己は解答を持ち合わせていないとは笑止。
仕切りたいなら自分のブログで仕切れ。
72回想774列車:2013/02/01(金) 20:54:00.21 ID:3R7hE0WT
>>71
それが延々と何十レスも続いとるから問題なの!
自分も何一つ情報出せんのやから、つべこべ言わんと黙れ!
文句言っとるんは貴様らの方やろが!
73回想774列車:2013/02/01(金) 22:06:51.13 ID:f6o/iLRh
内容への審査を厳正にするとの学術的視点も重要かも知れんが、あまりレスを限定するとネタ切れで容易に落ちるだろ
もう既にこの世に2両しか残っていない車両なのだから、新たな発見や知見などタカが知れている
そもそもスレの方向性を学術雑誌とするのか、それとも大衆雑誌とするのかという方針が明確でないところに問題があるな
74回想774列車:2013/02/02(土) 07:39:58.39 ID:/tyHT5ZL
>>70
別に他に話題がないなら今の流れで問題ないよ
お前の仕切りは意味無いもの
2ch向いてないんじゃない?
75回想774列車:2013/02/04(月) 01:24:48.32 ID:9XJKFJQV
電動車の床下は水タンクを載せる場所が無かったのと重量の問題では?
76回想774列車:2013/02/05(火) 13:04:50.77 ID:cDNnMX6g
>>73
一応スレ文>>1を見るとその最後の方に
「●モハ80001とクハ86001が保存をされていることを除けば、完全に過去形の車両で、スレ進行が遅めでも当たり前です。
活性化などと称して、レス数稼ぎにスレ違いの話題を延々と続けるのはご遠慮ください。」とある。
>>65指摘の「現実に反する仮定の話」をスレ違いとまでは言い切れないにしても、少しは節度を持つべきと思う。
あと、この板は半年くらい書き込みがなくてもめったに落ちない(無意味なスレや、削除依頼受理で削除される場合を除く)
いずれにせよ誰が荒らしなのかは別問題だが荒らしに反応するのも荒らしになるので、取りあえずこれより深入りするのはご遠慮願いたい。
77モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/02/07(木) 01:08:05.64 ID:eUu1o516
【広幅貫通路80系サロ・サハの80系以外の編成への転用について】
1959(昭和34)年4月より、横須賀線の優等車が不足気味ということで、補充に153(当時91)系投入などで両数に余裕が出たサロ85(昭和27年までに製造された半鋼製車)を充てることになりました。
70系や戦前型などの編成に組み込むにあたって、スカ色化を含めた小改造が施工され、この際に幌のサイズが違うため、「テーパー幌」と呼ばれる特殊な幌が付けられました。
サロ85001テーパー幌
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-T85.Ts85/63m-2-27b1.Ts85001funa.hennsokuhoro.63.10.5Funaden.jpg

なお、横須賀線に転用されたこれらのサロは、格下げ後も80系の編成に戻ることなく、実質は70系の一員となり、
・新前橋に転出してクハ77になったもの(3扉化併施)
・神領に転出したあと、しばらくしてから3扉化されてサハ85101〜103になったもの
・長岡に転出して新潟色サハ85になったもの(3扉化なし)
のいずれかになりました。

このほか、長岡には後に静岡などからサハ87が転入して、同様のテーパー幌に改造されましたが、これらサハ87とサハ85004は、横須賀線で使われた履歴はありません。

また、飯田線サハ87001も、80系編成用だったものを1971年に1両だけ流電編成に組み込む目的で小改造されました。
改造後の1972年実施の全検(浜松工場)における塗装更新で、誤って湘南色に塗ってしまうミスがあり、直後に豊橋機関区にて浜松工場職員の出張のもと、スカ色に塗り直しが行なわれるという事態になりました。
78回想774列車:2013/02/08(金) 08:10:22.18 ID:cnlHMLhb
>>77
横須賀線編成に組み込まれたサロ85の番号
85001・85003・85004・85006・85010・85011・85012・85020・85024・85029・85030
以上11両
上記、複数の資料にて確認。
よってサロ85004は横須賀線用になった経歴はあるはず。
なお、サロ85020は湘南電車として使用の昭和32年に冷房試作改造(151系の2連ユニットクーラーとはキセが違う単独式ながら同じAU11)。
横須賀線転用の昭和34年の夏までそのまま利用され、はずされた。

サロ85004が横須賀線に使われている件以外は、ほぼ>>77のとおりでいいと思う。
79回想774列車:2013/02/08(金) 14:29:10.66 ID:j4fOjqx6
AU12でクロ157に移されたと思ってた。
80回想774列車:2013/02/08(金) 15:39:39.12 ID:bxxbk9O/
>79
クロ157に移植されたのが定説だったよね。
81回想774列車:2013/02/08(金) 21:28:14.16 ID:W+W74L42
うん。
どっちがほんと?
82回想774列車:2013/02/08(金) 22:42:13.75 ID:Lfq591Ku
形式は調べてながいクロ157に載せ替えた事は間違えないよ。
8378:2013/02/08(金) 23:53:00.37 ID:cnlHMLhb
>>79-82
昭和32年の時点ではまだAU12はおろかAU11も正式に採用になっていなかったものを、初めて同夏に湘南電車サロ85020に試用。結果が良好だったので、同設計のAU11クーラーを2連ユニットにして、車体内外ともにキセも新たに開発して、昭和33年製のこだま型に採用。
ただし、昭和35年夏のこだま型増備(クロ・モロ・サシ新登場)において、新たに改良型のAU12になり、これが約10年ほど国鉄車両の分散式クーラーの標準型となった。
車内のキセの出っ張りの厚みが薄く改良され、デザインも一新されている。

クロ157のクーラーは、確かにサロ85020からの流用のAU11とされているが、のちの入場時に他車のものと入れ換わった可能性は、高くはないにしても否定はできないかも知れない。
84回想774列車:2013/02/09(土) 01:02:43.46 ID:QhlcpipN
クロ157

電動発電機はサロ85020の冷房試験で用いたLLG-315B(18kVA)を整備のうえ再用した。
冷房装置はAU12形を4台(2台を一つのセキにまとめたもの)屋根上に搭載した。

鉄道ファン549号2007年1月号30ページより。
鉄道ピクトリアルでもAU12と書かれておりAU11については記載されてない。
151系登場前の試験としてサロ85に載せた事は記載されてるが形式は記載されてない。
85モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/02/09(土) 17:42:35.03 ID:f39rmJXq
>>78
サロ85004の件、改めて丁寧に見直したら、確かに横須賀線転用の11両に含まれていました。ご指摘ありがとうございます。

サロ85020の冷房装置ですが、万世橋付近(神田〜御茶ノ水の中間あたり)にあった時代の(旧)交通博物館の4階食堂の冷房装置に転用との説もありますが、真偽は不明です。
いっぽう、クロ157ですが、電源装置は流用であったとしても、クーラー本体がセコハンということは、この車両に関する限り、まずないと思われ、当時の最新型AU12採用でまず間違いないでしょう。
残念ながら、80系側からの資料の記述の多くは、冷房装置がクロ157に転用されたように書かれているものが多いのですが、これはどちらも自車給電のみで済むところで、電源装置関連を活用したのみにとどまっていると思います。

151系では、20系電車として1958(昭和33)年に最初に製造されたグループでは、空調に前年夏のサロ85020での試験の結果をフィードバックしたAU11を採用しました。
サロ181-6車内(AU11)/1975年撮影
http://homepage1.nifty.com/BONNET-EXP/Ts181-6in750619.jpg
しかし、「つばめ」「はと」電車化を含めた1960年にはAU12が開発されていたため、以降の増備にはこれを採用しました。
また、AU11採用車の一部に、後にAU12に載せ替えられたものがあるようです。

写真のように、AU11には天地の厚みがあって車内のキセの出っ張りが目立ち、これは確かにサロ85020のキセによく似ています(ただし、85020の当時の車内照明は白熱灯)。
86名無し野電車区:2013/02/17(日) 01:18:28.46 ID:uoa041um
BSフジの鉄道伝説見ましたか?
87回想774列車:2013/02/17(日) 20:24:30.74 ID:+QqiKeef
>>84の指摘の通り、実際はクロ157へはMGのみの流用なのだが、多くの文献などでは冷房装置自体も流用と誤記されてるね。
88回想774列車:2013/02/23(土) 00:39:11.51 ID:GfyRC4O6
age
89モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/02/23(土) 17:24:11.79 ID:0XOuHyFZ
他スレに紹介した内容ですが、最もふさわしい場となるここにも載せておきます。

大阪急電色の 80系 びわこ号
http://ganref.jp/m/yoimono/portfolios/photo_detail/d8ec65f8744936d3dcccea72b44bb01a
より
【引用】
東海道本線が全線電化された翌夏(1957年)神戸米原間に 臨時快速電車「びわこ号」が1往復運転されました。
全線電化後急電お馴染みのヘッドマークが定期列車では廃止され、寂しい感じがしていた矢先湘南形80系快速電車が特製ヘッドマーク付きで運転され 三ノ宮駅に停車中をカメラに収めました。
この日の編成は、冬季積雪の米原駅乗り入れを念頭に新製された モハ200番台・クハ100番台で目立ったところではアルミサッシュ窓、防振台車、警笛は屋根上に設け(後に2個を乗務員室下部に移設)、床下機器の多くが耐雪凍結防止の対策がされていました。
(在来の 80系も耐雪凍結防止の改造がされました。)
1957年8月 ビテッサ35 カラースコパー f3.5/50mm
フジカラーリバーサル ASA10 で撮影
【画像のみのURL】
http://photo1.ganref.jp/photo/0/d8ec65f8744936d3dcccea72b44bb01a/thumb5.jpg

この紹介だけだと、いささかマルチポストっぽいので(苦笑)、専門スレとしてやや補足しておきます。

写真の車両は関西急電色でのかなり後期の新製車(1956年製と推察されます)です。
これよりあと、1957年春頃に新製された、80200・86100・87100番台のラストグループ(全金300番台と同じ「小湘」ベンチレーターのほか、初めからタイフォンをクハ86車体前面中央付近に2基装備)は、急電色最後の新製車となります。
また、全金車に先駆けて、すでに86065+80097+87047+80098+86066の急電編成で試用していた実績を踏まえた車内放送設備が装備されました。
これは、直後の全金車に採用されたものや、改造で後付けされたこれ以前製造の車両とは異なり、白い天井鋼板ではなく木製ニス塗り幕板の上部に付けられた、形状も独自のタイプです。
この直後の1957(昭和32)年9月25日から、関西地区東海道(山陽)本線急行電車は快速に改められることになります。
そんな中で、この列車はさしづめ、快速への改称の先行例といえるのかも知れません。
※前スレ716・718・720・729などにも関連(うち、716・729は自分のレスです)
90モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/02/23(土) 17:57:56.57 ID:0XOuHyFZ
すみません…>>89思い切り誤記しました(汗)
80200・86100・87100番台のラストグループでは、関西急電向けにはまだタイフォンは前面屋根装備でカバー付きでした。
ただし、小湘ベンチレーターや車内放送設備を正式に初装備(86065ほか5連への試用を除く)したのは、こちらのグループからで間違いありません。
●クハ86133(末期広ヒロ時代)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-4/Tc86133hiro1.75.3.1Hiro.75c-23-18.jpg

>>89の写真の車両は、これよりほんの半年ほど早くに製造されたグループになりますので、誤解なきよう…。
91回想774列車:2013/03/01(金) 22:51:49.15 ID:ShR3p4DP
福塩線さよなら70運転記念日
92回想774列車:2013/03/20(水) 20:40:04.59 ID:HuenLMF6
>>89
今となっては貴重な写真ですね。
ところで、この「びわこ号」、鉄道ファン誌1977年7月号の特集のヘッドマーク集に載っていたか、覚えていませんでしたが。
93回想774列車:2013/03/20(水) 23:49:43.89 ID:Bm8UkTcj
自分もファン1977年7月号は持っているけど、「びわこ」のHM写真あった
80系は優等にけっこう使われたし、昭和30〜40年代はHM全盛時代だから、結構いろんなHMがついたことがあるはず
9492:2013/03/21(木) 20:19:32.43 ID:WhXyQbo6
なるほど、あったんだね。

そのファン誌、買って4年ほどで処分してしまったけど、
週末準急「たちばな」や、急行「富士川」が載っていたのは覚えている。
95回想774列車:2013/04/04(木) 17:09:32.79 ID:O+f24e93
【他スレより】
吊り掛けの特性による継ぎ目ショックの大きさと、ビビリ振動がちな欠点はあったが、80系電車の台車は総じて大きな揺れは少なめで、しかも低速ではもちろんのこと、高速でも安定感があって、乗り心地はよい感じだった。
初期車のDT16では、飛ばすとたまにゴツゴツと突き上げるような揺れはあったものの、後期のDT17やDT20ではそれがマイルドになり、滑るような乗り心地はなかなかだった。
高速台車として、それまでの主流のDT13の構造を徹底的に見直して、新性能電車のDT21に至る道筋を築いた。

【補足】
ちなみに、70系もクハ76351など一部に例外はあるが、原則的に使用する台車は同じ(72系にはDT16の採用はない)
また、付随台車のTR43・TR45・TR48については、サロ85(46→75)にのみ、バネ硬さをやや柔らかくしてたわみ量も変更したTR43A・TR45A・TR48Aが開発されている。
96回想774列車:2013/04/20(土) 22:48:35.48 ID:ro+YBFxw
昔、茅ヶ崎に海水浴に行った時 乗った覚えある
97回想774列車:2013/04/25(木) 16:53:03.51 ID:qQBNYrtg
【YouTube】モハ80342
1981.3.27 638M
唐笠→門島
(pictures & sound by Bunny , all rights reserved.)
http://www.youtube.com/watch?v=7SW1mhpQ6SY&sns=em

※飯田線時代の音源は割合とネット上にあるが、さすがに東海道・山陽線でのモハ80の爆走音源がほとんどない(クハに関しては前スレに既出)のが残念
ちなみに両毛線モハ70052爆走音源も前スレに既出だったかな?
98←クハ:2013/04/30(火) 13:23:58.80 ID:s/uJPMpJ
昭和38年ぐらいまでの横須賀線時代に70系編成が、湘南電車代用として熱海まで使われることがあった。
当時は東京〜大船間は湘南電車・横須賀線とも同じ線路を走るとはいえ、編成順序は全く異なっていた。
80系純正の編成に対して、70系は戦前型との混用を前提に投入されていたこともある。
いちいち編成の組み替えをしていないとすれば、混乱はなかったのだろうか?
もちろん、投入される列車は、ダイヤが乱れたりしない限り限定されていただろうが…。

東海道本線用の70系といえば、関西緩行の茶坊主を思い浮かべる向きもあろうが、こちらも戦前型との混結が多かったのは、当初は編成増強用のモハ70(100番台)のみの投入だったこともあるだろう。

そののち、昭和40年代に入り、神領に配置された中央西線用70系は、昭和50年くらいまで東海道本線大垣〜豊橋間でごく一部の列車に細々と使われた。
ほかに、昭和30年7月に、豊橋〜大垣間用に初めて電車を投入する時に、70系にすることも検討されたようである。
ここで結果的に80系(クハ86069〜86080・86082・86084、モハ80102〜80117)が選択されたことで、この大幹線の黄金期における80系の絶対的優位が決定的なものになったと思われる。

80系は間通路が独自の広幅のため、他車種との混結には難があるものの、それゆえに統一編成を組む前提が出来上がった。
この車種統一で、わずか5Km/hとはいえ許容速度に余裕があり、長大編成も組める。
事実、東京口の15〜16両編成が見られなくなったのちも、静岡地区には荷電なしで14両という、旧型国電では80系にしかない長大編成が、1977(昭和52)年まで常時見られた。

80系の車内構造は、押しボタン式半自動扉のなかった当時は、寒冷地でも自動扉を採用できる点でもすぐれ、寒冷地となる幹線系線区に投入しやすい構造のモデルとなった。

80系の最大運転許容速度は70系ともども他の旧型国電より5Km/h高い100Km/hだが、現実には規定で東海道・山陽本線でも95Km/h運転に抑えられていた。
もっとも、速度査証ATSなどなかった時代、特に遅れ回復運転などの場面においては、100Km/hをも上回る運転はあったかも知れない。
また、登場当初は運転台に速度計などなかった時代、時計と線路横の距離標と運転者の感覚(または経験)をもとに速度を割り出していたことも考えると、95Km/hが厳守されていたかどうかは疑問もある。

70系も中央東線向け71形を除けば艤装や足回りなどは80系と同等なのだが、他車種との混結が80系に比べると多く、その分、速度性能的な余裕や、編成両数の制限(80系との混結を除けば、最大でも12両)という制約を受けやすかった。

【おまけ】
1976(昭和51)年8月29日
豊橋15:14発関ヶ原行き551M
↑関ヶ原行き
クハ86046…昭和25年製
モハ80102…昭和30年製
モハ80303…昭和32年製
サハ87020…昭和25年製
モハ80325…昭和32年製
クハ86300…昭和32年製
99回想774列車:2013/04/30(火) 17:23:02.60 ID:AzbzutTu
>>98みたいな長文バカってなんで湧いてくるんだろうね?
100回想774列車:2013/04/30(火) 19:03:40.26 ID:s/uJPMpJ
>>99
スレタイに合う内容が何もない書き込みよりマシだと思う。
長文が嫌なら、読まなければ済むこと。
このスレや前スレの常連には、長文も多い。

長距離仕業も多かったし、仕業検査の距離制限も他の旧型国電が600Km毎だったのに対して、70・80系は800Km毎と、やや長かった(だから600Kmを超える走行距離になる急行「はりま」にも80系を使えた)。

全検周期も他の旧型は2年毎に対して70・80系は3年毎。

…他人の批判だけで1レス潰すよりは、有益な情報を書き込んでもらいたいと思う。
101回想774列車:2013/05/01(水) 01:35:55.69 ID:S9wy2yBH
自分の書き込みが有益な情報だと思ってるのかこの馬鹿は
102回想774列車:2013/05/01(水) 23:37:20.47 ID:w112EwcN
>>98
手元に47.10改正の、名鉄局の電車運用に関する資料があるが、この時点で70は東海道線には入っていない。
103回想774列車:2013/05/02(木) 03:16:08.14 ID:S7d2diSB
>>102
昭和48(1973)年秋改正から1年半(50-3白紙改正)までの運用では、大垣〜豊橋間1往復(下りは名古屋13時台545M)が70系であり、これは50-3改正で同じ神領の113系に置き換わっている。
48年秋以前は確認できていないので、運用の持ち換え等の機会はあったのかも知れない。

名古屋〜大垣間にも同じ運用による担当列車があったかも知れないが、詳細は不明。
当時の大垣にまだ113系の配置がなく、80系の天下でたまに快速向けの153系などの急行型が混じる程度の名古屋地区ローカルにあって、70系はもちろん、113系も異彩を放つ存在だった。

鉄道ピクトリアル2000年2月号(No.681【特集】湘南電車50年)のP35に、西小坂井〜豊橋の飯田線がカーブして東海道本線に近づくあたり、小坂井駅の西方付近を走る横須賀専用70系臨電の写真が掲載されている(1962年末撮影)。
こちらは東京〜大垣間に運転されたもので、写真は上り。
横須賀線用車を湘南電車に充当する際に付けられたのとはやや異なる、小型長方形の特製(?)ヘッドマークがある。
先頭クハ76021とのことで、よく見てみると、2両目は明らかにクモハ43(or53)で、3両目がモハ70、4両目はサロ85、5両目はモハ70(以下判別困難)のようである。
104回想774列車:2013/05/03(金) 13:34:58.77 ID:VhIhvWEh
1977年RFの80系特集のに、臨時「いそかぜ」の写真があったけど、
バックに見える「ニッポンビール」、現在のサッポロビールだったんだね。

チラシの裏でスマン。
105回想774列車:2013/05/05(日) 06:16:22.11 ID:9mRKs2hG
106回想774列車:2013/05/05(日) 06:16:53.08 ID:Ry0VHUcp
0
107モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/05/08(水) 02:42:45.28 ID:JCeZvJct
【神領電車区さよなら70系ヘッドマーク付きクハ76303(中央西線・岡多線:1978/昭和53年12月17日)】
※神領電車区にて(運転終了後)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3a/0a/accord_2000si/folder/937492/img_937492_16256132_0
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3a/0a/accord_2000si/folder/937492/img_937492_16256132_1

【府中電車区さよなら70系(福塩線:1981/昭和56年3月1日)】
※福山にて(出発式)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/82/8c/sagamiexpress/folder/1029620/img_1029620_26956085_0?1294552740
※福山にて(発車直前)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/82/8c/sagamiexpress/folder/1029620/img_1029620_26956085_1?1294552740
http://railway123.web.fc2.com/railphoto/1980/img013.jpg…(PC専用高画質)
※2本のさよなら運転用編成同士の交換
http://picmaru.hiho.jp/scan/jimoto_local_s/elo_80_s5303_11.jpg
※走行写真(直線)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/82/8c/sagamiexpress/folder/1029620/img_1029620_26956085_5?1294552740
※走行写真(カーブ)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/82/8c/sagamiexpress/folder/1029620/img_1029620_26956085_6?1294552740
108モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/05/08(水) 02:44:53.93 ID:JCeZvJct
【大垣電車区さよなら80系(東海道本線:1978/昭和53年3月25日)】
※581M尾張一宮
http://ctv-dmd.sakura.ne.jp/tekken/files/d9a5778ea0fadc43280cf3296f76b7f7.jpg
※581M大垣終着後
http://picmaru.hiho.jp/scan/jimoto_local_s/elo_80_s5303_11.jpg

【岡山運転区さようなら80系(山陽本線:1978/昭和53年12月17日)】
※8451M(岡山10:48→12:19糸崎)笠岡〜大門にて走行後追い
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/d7/d94b2bcee7e7650d909ef4301f735fb4.jpg
※8452M(糸崎14:06→15:37岡山)大門停車中
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/f3/d15160f95288b75158051aac1ed1fd14.jpg

【神領電車区さようなら80系(中央西線:1980/昭和55年3月23日)】
※名古屋にて(運転終了後の神領への回送前:クハ86069ほか)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/89/6f/takikoki64/folder/709270/img_709270_17712751_0

【豊橋機関区さよなら80系(飯田線:1983/昭和58年2月20日)】
※走行写真(本長篠付近)
http://www.geocities.jp/kokutetsu1980/840219281.jpg
※走行写真(下地→船町)
http://www.agui.net/imglog/jnr/img-box/img20080703011936.jpg
※「さよなら運転」の日(2月20日)から豊橋機関区で80系留置車両に掲示され、そののち80系最終旅客列車となった2月24日634M豊橋行きの先頭車クハ86305(写真の車両ではない)に、一部駅停車中にのみ特別掲出されたヘッドマーク
http://www.agui.net/imglog/jnr/img-box/img20080707083223.jpg
109モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/05/08(水) 03:42:13.99 ID:JCeZvJct
失礼…(汗)
>>107福塩線の70系さよなら運転用編成同士の交換のURLは
http://www.page.sannet.ne.jp/ef58157/fukuen70-sayonara/s-fukuen70K_810301_007.jpg
が正当でした。
あと、>>107-108に関して、細かいことになりますが、写真を見ればわかるとおり、神領70系と豊橋80系のみ「さようなら」の標記で、ほかは「さよなら」と標記されており、脚注と若干食い違ってしまいました(汗)

飯田線80系の1983年2月20日ぶん「さようなら」ヘッドマーク掲出列車(先頭クハ86305のみ)634Mの編成は、
クハ86305−モハ80310−モハ80373−クハ85108
で、この編成がまさに最終日の最終列車となった2月24日の同じ634Mに使用され、>>108際下段の写真にあるヘッドマークを先頭のクハ86305に積んで、一部の駅の停車中にのみ掲出しています。
110モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/05/08(水) 23:09:49.12 ID:JCeZvJct
続いて、70・80系の現役末期の頃の車内客室の画像です。

クハ86(023〜084)車内(浜松工場による座席灰色塗装車)
※86063・86069等が該当
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/70/0c/jwfbf618/folder/489890/img_489890_13349369_3?1338383609

姫路停車中に撮ったとされる80系電車(恐らく岡山運転所配置車)半鋼車車内客室
※80037〜80117・86023〜86084・87020〜87047のグループ
http://img.yaplog.jp/img/17/pc/k/i/r/kirakako/0/435.jpg

クハ75(新ナカ)車内客室(モノクロ)
※サロ75後期タイプ特有のサラン座席をそのまま継承
http://red.ap.teacup.com/ef510/timg/middle_1248820077.jpg

1981年福塩線クハ76(半鋼後期タイプ)車内
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/48/7478d0b358a2662887725821e316198a.jpg

1981年福塩線モハ70300代車内
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/82/aedb1754e76b10d9166e5d3806caeb74.jpg

クハ85300番台(名シンまたは長ナノ・長モト)車内
http://saiquet.sakura.ne.jp/images/rail/a03.jpg
111モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/05/08(水) 23:41:11.46 ID:JCeZvJct
>>110訂正
×岡山運転所→○岡山運転区
※失礼しました。
112回想774列車:2013/05/10(金) 15:19:42.92 ID:8KrIT8BY
貴重な写真アップ乙です。福塩線は遠すぎて行けなかったので有り難いです。
113撮影者に怨みはないが糞写真に思うこと:2013/05/10(金) 17:09:59.18 ID:nbcJ/Jvv
腹が立って仕方ない!
この頃は糞な鉄道友の会が売名ヘッドマーク乱発で、80系さよなら飯田線とかを台無しにしやがった。
くだらない売名の糞文字をヘッドマークに入れやがって、80系さよならやそのあとの80系最後の廃車回送が見るも無残なチープさに変貌した。
高い会費をぼったくり、どうせ当時ハゲ始めた宮澤K一とかに横流ししてたんだろうけど、最高に馬鹿馬鹿しい。
80系飯田線さよならとか、鉄道友の会の名前の入ったくだらない出しゃばり最低ヘッドマーク見るたびに腹立たしく思い出されるのは、俺を含めて決して少なくはないはずだ。

ブルーリボン賞もローレル賞も単に会の売名のための人気投票に過ぎない。
そもそも大半が未体験の新顔車両なんか、生で見てもいないのに客観的評価なんかできるはずもない。
ふざけるな、消え失せろ、無駄金ぼったくりの鉄道友の会。
80系飯田線さよならで思い出して書かずにはいられない。
長年の怨みが爆発だ!

鉄道友の会潰れろ!
114回想774列車:2013/05/11(土) 19:01:34.75 ID:0gJfpzBq
>>110
乙でございます。
こうしてみると半鋼製車は戦前型やボロ客然としてるのに、全金車はもう新型車だったんですね。
和室とオフィスとの違いというか…。
115回想774列車:2013/05/11(土) 19:55:32.31 ID:/DLHW238
>>114
横からすまんが、半鋼製車は基本白熱照明だったのに対し、全金車は蛍光灯照明だったという違いは大きい。
蛍光灯の明るさは段違い、戦後から高度経済成長にかけての、日本が発展していくシンボルのひとつだった。
116モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/05/24(金) 13:10:20.25 ID:CbmhnqxU
>>115
全金車でも、1957/昭和32年のモハ72・クハ79の920番台まで基本的には白熱灯照明です。
それ以前の72・73系の900番台試作全金改造車は、ジュラ電改造のもの(73901等数両)など一部の例外を除いて白熱灯で登場しています。
さらにさかのぼり、初の全金モハ70800(モハ71001)も当然ながら白熱灯照明でした。
全金車ではありませんが、内張りに木からクリーム色アルミデコラを採用して、全金に近い雰囲気になった昭和31/1956年製のサロ85031〜035も白熱灯照明です。
一方、半鋼車ですが、昭和27/1952年製関西急電用の
クハ86065-モハ80095-サハ87047-モハ80096-クハ86066
は一足早く昭和30/1955年に改造で試作で直管の蛍光灯(カバーつき)を採用しており、こちらには併せて車内放送設備も新たに取り付けられています(前スレ既出)。
国電における蛍光灯の正規採用は、やはり昭和32/1957年の70・80系300番台全金車(20W直管)やモハ90以降の新性能電車(40W直管)からということになるでしょう。
117回想774列車:2013/05/28(火) 17:24:49.35 ID:CDgd6RWd
なんかの本で72920番台の白熱灯車内の白黒写真は見た。扇風機も、取り付け台座はあるが本体は付いていなかった。
ただ、72920番台は試作車数両以外は80300番台にならって後期新製車には最終的に蛍光灯は採用になった。
でも、通勤型に蛍光灯つけたことで、サロとか特急とかにまだゴロゴロしてた白熱灯車は急速に時代遅れの存在になったんだろうな。

ローカル線使用が多いDCではキハ20、22、52は昭和30年代なかばぐらいまで白熱灯新製だった。
蛍光灯されずに残って廃車に至ったものも多数。客車もオハ61とかオハ35、スハ32などの一族に白熱灯のままが多かった。
電車で白熱灯のままは、JR継承のクモハ12052、12053、12041(復元改造後)とか、17m級には割とあったが、20m級には皆無に近いのかな?
あまりスレ違いになるのも考えものなので、この辺で・・
118初心者もどき ◆HzstTfamcmQT :2013/05/29(水) 03:55:24.22 ID:No5SzcmV
久しぶりに来たんでいちおう70/80ネタでも。

・とりあえず、S40年代に東海道緩行に転属してきた70系の詳細のブログをご紹介。
http://drfc-ob.com/wp/archives/14014
このとき、76032はぶどう色になったそうです。

・モハ80373 ◆WKtiTNsW9Qさん、
いろいろありがとうっす。
福塩線70系、そういえば2編成さよなら運転してたのか?と思いだしました。
ちなみに、福塩線の転属元の阪和線のさよなら運転の編成等記入すると、
・福塩線 81/3/01さよなら編成
 76311+70319+70318+76312
 76313+70317+70075+70314
・阪和線 77/4/14最終運転の区間快速天王寺発鳳行
 76315+70317+30316+72663+72953+76312
で、76312と70317は2回さよなら運転を体験してることになりますねえ。
あとこれも参考までに
http://ameblo.jp/b1hanabusa/entry-11096878163.html

http://ameblo.jp/b1hanabusa/entry-11096878163.html
119モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/05/29(水) 17:21:32.96 ID:3DzL33MR
>>117
ご指摘ありがとうございます。
72920系量産車は蛍光灯装備で新製に間違いありません。
116の文を書いている時に、表現を正しく直そうと思っていながら、忘れてしまいました(汗)

>>118
こちらこそありがとうございます。
残念ながら「証拠写真」こそありませんが、クハ76032はどうやら短期間ながら茶坊主になったらしいと把握しました。あまりにも短期間ゆえ、写真がほとんどないのも得心できます。
このブログはなかなかの内容ですが、自分がブログからの写真を多数引用しながら、ブログそのものをあまりリンクさせないのは、誤記や誤解などによる、事実とあまりにも異なる記事が多すぎるからです。
ただ、鮮明な写真は、へたに言葉を重ねるより、はっきりと当時の様子を伝えてくれるので、有り難いものだと認識しております。

あと、福塩線ラストの70312は76312、阪和線の30316は70316の誤記でしょうか?(自分は正確な車番は資料を思い切り引っくり返さないとわからない・汗)

過去の車両だけに、おもだった鉄道誌にさえ明記されていない部分になると、なかなか確認もままなりませんが、長い間研究してきた80系電車に関しても、時に新たなる事実も次々に把握できたりもしており、バカにならないということを再認識しております。
120初心者もどき ◆HzstTfamcmQT :2013/06/01(土) 12:02:58.58 ID:7ogSzQy2
>>120
すんません、ご指摘の通り誤記です。
121回想774列車:2013/06/01(土) 12:14:19.11 ID:JBd/s/j/
>>120
もう一回訂正しないとな
122初心者もどき ◆HzstTfamcmQT :2013/06/01(土) 12:26:44.90 ID:7ogSzQy2
>>120
すんません、ご指摘の通り誤記です。
123初心者もどき ◆HzstTfamcmQT :2013/06/01(土) 12:28:43.69 ID:7ogSzQy2
また送信してしまいました
では訂正しておきましょう。
・福塩線 81/3/01さよなら編成
 76311+70319+70318+76312
 76313+70317+70075+76314
・阪和線 77/4/14最終運転の区間快速天王寺発鳳行
 76315+70317+70316+72663+72953+76312
124回想774列車:2013/07/23(火) NY:AN:NY.AN ID:DlE+PDfp
80系が各地に勢力を伸ばしていった過程では、区所によっては蒸気機関車基地を転用したため
予備車の少なさも相俟って、夜を徹して点検整備したところもあったそうな。
むかしは深夜労働力が不当に安く評価されていたとも考えられるし、
私鉄の電車の夜の入庫が早いのもこんな部分に差として表れているのかもしれない。
125回想774列車:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:iT8Xnc7e
>>124
私鉄との比較の仕方が乱暴すぎる
幹線系主体で、運転時間の長い夜行や長距離列車にも多用された80系
一方、私鉄に夜行がどれだけあったというのか?
100キロ以上の長距離運転がどれだけあるのか?
まず、その違いを無視して同列に語れるわけがない

また、コンビニもなく、「夜は静か」だった時代、増収に結び付かない定期券使用の酔っ払いの便宜のために、逆方向運転が回送のごとくガラガラになるのに、深夜遅くまで列車を運転するという自体、営利追求がよりシビアな民鉄で、乗り気な会社がない時代だった
それでも、国鉄には終戦直後の引き揚げ兵を多く採用していたため、全国ネットの特殊事情も加味すれば、まだ深夜労働等には抵抗が少ない環境だった

ラッシュアワーなどピーク時をみれば、予備車が多い例など、国私鉄ともにそうそうあるものではない
ただ、80系電車でシビアだったのは、他車種で代用ができない運用が意外に多かったこと
純正な80系ばかりの編成は、旧型では唯一13連以上が可能であり、また高速性能も安定していた(理論上は70系純正も同一性能だが、現実は70系は他の旧型との混用がほとんど)
クロスシートには席番表示があり、旧型では唯一、座席指定列車に多用されることにもなった
126回想774列車:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:twaTH6XG
そりゃ夜行で使っていれば夜を徹して検査修繕なんてできませんわな
127回想774列車:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:JFTJu7P+
>>126
けったいなこと言うねー
全体の中で、夜通し走る編成がどんだけあるのよ?
1割にも満たないっしょww
128回想774列車:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:9/NvfZNc
君ら運用表見た事ないの?
夜行昼行を組み合わせて検修も考慮してるやん。
夜行なら夜行だけで専属で走っていると思っていたの?
129回想774列車:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:gJR4CeaM
逝けデソの103とか岡ウソの0とかが午前2〜3時台に車止めを抜いたというニュースを聞いて
あれっ?と思ったまでです。
民徹で24h体制で車両整備してるとこなんか無いんじゃないかと。
130回想774列車:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:+ZWv3vSB
【慰安婦問題】河野太郎氏「河野談話を出したのは俺じゃない、親父だ!河野談話は政府公式見解で官房長官は無関係」[08/14]

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1376486355/
http://www.j-cast.com/2013/08/14181488.html?p=all
131回想774列車:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:X/iw18fL
…陸行十日水行十日の矛盾を(中略)岩代国の耶麻郡を邪馬台国と比定する(中略)
806年の山体崩壊でその遺構が失われたと…
132回想774列車:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:xdp3uXMZ
>>103
神領の70系は、昭和51(1976)年の岡多線開業で、約2年間は回送のみ名古屋〜岡崎間を走ることがあったが、それ以前は昭和45年頃を最後に、東海道線運用はなかったと思う(浜松工場などへの入場や、転配にともなう臨時回送などを除く)。
ちなみに、豊橋12時台→名古屋13時台発の545Mは、48-7改正(1973年中央西線電化)の時点で、おもに首都圏から神領にこの時転入した113系(新製冷房車投入で捻出された非冷房車)に、80系(恐らく大垣持ち)から置き換わったはず。
同時に中津川〜松本ローカル電車化用として神領の80系を増強するため、静岡や大垣からの転入を受けた。
神領では113系も70系も72系も、低断面トンネル対応車はなく、当時新たに電化された中津川以北は、南木曽までしか入れなかったため、新電化区間のローカルの主力は80系となった。

47-3改正(1972年新幹線岡山開業)以降、もしも神領の70系に東海道線の旅客仕業があったのならば、信頼できるソース(鉄道誌なども可)とともにご紹介いただければ幸いです。
133回想774列車:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:xdp3uXMZ
昭和50年に名古屋で昼過ぎの東海道線下り545Mに、ないと思い込んでいた113系が現れたのを見て、ついに80系引退かと焦った覚えが確かにある
東海道線中京地区の113系はその神領の一運用だけと知って、80系はしばらく安泰ということで安堵したが…
113系は50-3改正の頃の名古屋では、まだ珍しい存在だった
153系も155・159系を交えて非冷房車が多かったし、関西線にはキハ81「くろしお」なども顔を見せていた
神領には、70系はもちろん、スカ色72系も健在だったが、しばらくしてまず72系がおもに京浜東北からの103系に置き換えが始まることになる
70系の東海道線運用は、やはりのちの岡多線回送を除くと、記憶にないし、写真も見た記憶がない
いつ写したか知らないが、豊橋駅での東海道線ローカル70系の停車写真なら、見た記憶があるが、それは昭和40年代半ばぐらいまで浜松〜米原間を受け持っていた頃の写真だと思う

ところで、大垣→神領の70系にクハ68が混じっていたことがあったが、東海道で先頭に立ったことはあるのだろうか?
その写真は見たことがない
スレチになるから深入りしないが、まだ美濃赤坂などに専用のスカイブルーの戦前型(大垣)が入っていた頃の話でもある

この頃の大垣の153系の中京快速や80系のローカルの飛ばしっぷりはまさに爽快に感じたのも懐かしい
134回想774列車:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:jAyMBrjP
昭和52年まで80系は東京駅に来てたらしいですが、もうその頃は横浜界隈では滅多に見かけなくなってた。
135回想774列車:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:E8s3TTrw
>>133
少々スレチになるが、当時の神領113系は4×19編成配置、16編成(8本)使用だったと思う。
朝晩ラッシュ時はほとんどが東海道線で使用、日中は4(5?)本が中央線快速運用。
なお、2本くらいが静岡局管内で使用されていた。

神領の80は、中央線全線電化前は東海道線で使用されており、電化時に113で代替したした事になる。
よって、
113-1000大船投入→113-0初期車神領転用、東海道へ→神領80、一部電動車を静岡車と交換のうえ中央西へ
という流れか。
この時、神領80のモハは200・800台でまとめられ、PS23付きのモハ=200台という意味だったが、
これは多分名古屋局限定のお約束だったと思う。(大垣の200台もPS23付き)
136回想774列車:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:dP00rz1M
>>135
ただし、長野局(長野〜松本)ぶんを除く昭和30年以前の製造になるPS23換装車としてモハ80109(最終配置名シン)があり、昭和53年5月の中央東線(&信越)からの撤退時まで使われている。
もっとも、名シンのクハ86には昭和27年製や30年製タイプがあり、逆に86100番台は1両もなかった中で、あまり目立つ存在ではなかったといえる。

あと、大垣から80系が引退して半年後の53-10ダイヤ改正で、神領始発を延長した名古屋始発中津川(平日は野尻)ゆき中央西線の初電723Mが80系8連だった。
減る一方に思われた80系がほんの束の間ながら、活躍舞台を広げたことに嬉々とした覚えがあり、飯田線にはない半綱製や日除けヨロイ戸、さらにサロ格下げクハ85300番台の深々としたシートなどを楽しめた

名シン70系は、前面木枠スカ色のクハ76031〜76033がスターだったが、岡多線開業対応の増強でさらに昭和51年には三鷹よりクハ76043も転属してきた

このように神領の70・80系とも、末期にさりげなく輝いていたのが懐かしく思い出される
137回想774列車:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:o2zqeLGO
>>136
スレ範囲外だが、72も付け加えておいてくれ。
取り上げられることが少ないが、7279としては、いい編成だったと思う。
138回想774列車:2013/09/05(木) 13:40:02.54 ID:F7OzKil2
「スレ範囲外だが…」

正規の63系や73系のスレや旧国スレが別にあるにもかかわらず、わかっていて書き込む奴って最低だな
テメェ以外のみんなが同じことやったらとりとめがなくなる
テメェだけ特別扱いってわけには行かねぇんだよ
失せろ!

137だけに悲惨なアタマしてるなww
139回想774列車:2013/09/05(木) 14:52:44.10 ID:oXyiLK/o
何故スレ違いを加える必要があるんだろうな?
おかしな話だ
140回想774列車:2013/09/21(土) 18:16:56.24 ID:1ET/iOFg
よく見ると、1次形のクハ86の前窓って、大きさが違うのがある
クハ86015は153系みたく改造したやつだがそれ以外でも、正方形みたいな窓と縦長の窓とかある
141回想774列車:2013/09/21(土) 18:30:31.79 ID:+9K2Tvxs
たしかにやたら小振りで、視界が悪そうなのを写真で見たな。
施工した工場によるんだろうね。
142回想774列車:2013/09/22(日) 02:28:03.69 ID:uZM2xX5o
Hゴム改造するときに小さくなるヤツがあるみたいだね。あれって工場によるのかなあ?
143モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/09/23(月) 01:33:10.42 ID:6PhmRK7y
>>140-142
掲載には欠番がありますが、
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-1/sub86-1.htm
でだいたいの雰囲気はつかめるはずです。
縦長窓は86003、86004、86007、86009、86013、86014が採用していますが、ほかに掲載の欠番の中では86010があります。
これらは、Hゴム化を実施した更新修繕を、クハ86004(豊川工場で実施)を除いてすべて東急車輛で実施しており、他と異なる仕様であったようです。
いっぽう、正方形に近い窓になった他車の中で、クハ86017はさらにわずかに天地寸法が短いようで、より小さい感じになっています。

なお、木枠2枚窓のクハ86のHゴム化は、更新修繕に先だって、関西地区急電用のものに1955(昭和30)年頃から施工が開始され、その当初はやや大きめの窓を採用していました。
しかし、昭和32年以降の更新修繕においては、こちらもやや小ぶりの窓に変更となり、先だってHゴム化改造された関西急電用のものも含めて、こちらに標準化されました。
当初からHゴム支持だった昭和27〜33年度車とそれ以外の更新修繕によるHゴム化車とでは、微妙に窓の寸法が異なっていたわけです。

山陽地区の80系全金車の中に、どういうわけか、前面の片方の窓だけを、昭和25〜26年度車更新車と同じ、微妙に天地寸法の短いものと交換した車両がありました。
よく目を凝らさないと見逃してしまいそうですが、四隅のRが若干ゆるい(大きい)という特徴からも判別できます。
●運行灯側の窓を取り替えたクハ86352
http://1.bp.blogspot.com/-RQgEYP4Z8hQ/UUWYhBXKWXI/AAAAAAAAT4Y/6T4BDg2saxs/s640/PICT4056_6.JPG
●運転台側の窓を取り替えたクハ86344
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-5/Tc86344hiro1.75.3.3Ogo.75c-28-36b.jpg
144回想774列車:2013/09/28(土) 16:55:15.82 ID:CikYzmUo
クハ86017は、正面の取っ手の数が多いが、これはクハ86018にも共通した特長で、製造時からみたい。
正面窓も小さいから、番号を見なくても判別ができた。

営業開始前の火災の復旧車で、だから1次車で唯一TR45をはいていた。
同じ火災のモハ80027は全焼で、台枠も組み替えで再生したらしいが、クハは後部までの半焼で済み、前面だけはそのまま再生させたらしい。
最後、新幹線博多開業の頃にアコモ改装されたが、それからわずか3年で廃車。

復旧については、鉄道ジャーナル1977年8月号(特集:旧型国電は生きている)の「車両(くるま)とともに30年(連載記事)」にくわしく載っている。
145回想774列車:2013/09/28(土) 19:51:46.70 ID:q1nbjD3h
クハ86015の前面、復旧時のパノラミックウインド→独立3枚窓になってからも
前面窓左右の幅が他の初期車より微妙に広かった
146モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2013/09/29(日) 00:48:51.18 ID:QWMKTS/m
前スレ456にて紹介しましたが、クハ86015の写真を再度ご案内しておきましょう。
--------------
※ほぼ原形時代(昭和32年頃)
http://sakikawa.michikusa.jp/ kuha86015-2.jpg
→正面の塗り分けとプレスドア2段窓化以外は原形に近いといえる

※事故復旧(更新修繕併施)後
http://www42.tok2.com/home/kani24/kuha86015-35.7-ueno.jpg
→昭和34年の踏切事故後、翌年に大井工場でパノラミックウインドウ化。写真は上野駅で昭和35(1960)年7月に撮影されたもの。

※復元後
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/82/8c/sagamiexpress/folder/752993/img_752993_17901506_0?1244900160
→昭和46年復元後の貴重なカラー写真。復元されたとはいえ、左右の窓の横幅はやや長かったり、ノーシルノーヘッダーなど、異色の存在ではあった
--------------
パノラミックウィンドウ時代の写真は、前スレで紹介したものが、今はないようなので、差し替えました。
また、復元後の写真は、接続環境によると思われますが、ごくまれに正常に表示されない場合があるようです。
取りあえず、筆者がウィンドウズビスタやMac、さらに携帯(ソフトバンク105SH=ガラケー)で試したら、大丈夫でした。
ただし、携帯の場合は、機種によってPCサイトブラウザや適切なproxiを介さないと、見られないこともあるようです。
147回想774列車:2013/10/29(火) 07:27:50.88 ID:aOjtyeZ3
某スレで70系や80系の台枠は強度不足で、車輌寿命が短い駄作だったと書かれている。
148回想774列車:2013/10/30(水) 10:49:28.62 ID:ktVwKhCF
70系80系電車の台枠(車でいえばシャシー骨組)は、確かに梁を減らした、強度的には戦前型などと比べてやや劣る設計。
特に、外側の枠以外の、通し梁は省略された。
戦後の資材難で大量生産する必要性のあった63形電車に準じたものといえるが、長編成でのブレーキ性能安定や高速運転のため、耐久性や強度よりも軽量化を優先したといえる。
しかしながら、特に80系は1950年のデビュー以来1977年までの27年間は、のちに70系への編入された車両やクモニ83100となったものも含めて、全652両が製造された中でただの1両の廃車も出なかったわけだし、欠陥車ではないと思う。
戦後の資材難でやむなく強度を犠牲にした63形などの車両が登場したなかで、ある程度その構造を受け継いだものといえるのではないか?
堅牢性には欠けるものの、高速運転や長距離運転にメリットが多い軽量化を、少ない資材で成し遂げることができ、15〜16両という当時世界最長の編成で、100キロ近い高速運転をも安全に実現させた(80系)。
残念ながら、その代償として全体として、やや短命にならざるを得なかったことは確かだが…

まあ、こういう議論をすると、相手を叩くような変な荒らしが出やすいようなので、この設計方針の是非は、各自で判断してもらいたいと思う。
149回想774列車:2013/10/30(水) 10:55:29.04 ID:HLuXGWcS
戦前の時点では設計時の強度計算が確立されていなかったから、とにかく頑丈に作るしかなかったはずだ。
150回想774列車:2013/10/30(水) 16:25:58.70 ID:HmtUDyTm
戦前から現代までの車輌自体の強度は、さほど変らないと日本車輌や近畿車輌のPDFに載っている。
大きく変ったのは台枠から車体全体で強度を保つ設計思想に変ったこと、戦後に輸入された鉄鉱石や工作機器、
製鉄の技術革新などで昔より質の良い鉄・純度の高い鉄を使う事が出来るようになった為、
戦前より車輌各所に使う鉄を薄くすることが出来るようになったとも。
151回想774列車:2013/10/30(水) 22:44:12.22 ID:+ggGruhV
じゃキハ40000以降のガソリンカーは、?
特に単車運転は考慮していないキハ43000は、?
152回想774列車:2013/10/30(水) 22:53:51.78 ID:+i/IDTAj
椅子の背もたれや屋根を低くしたりして軽量化したのかと思ってた >キハ40000〜42000
153回想774列車:2013/10/31(木) 08:34:36.88 ID:Y0f5naSU
>>151-152
スレ違い

>>150
書いてあることが嘘ではないにせよ、まんま鵜呑みにして持ち込めるものではない。
まず、多くの鉄道車両を生産する大会社だから、逆に「強度が弱い」とは書けない。
たとえ戦時設計であったとしても、欠陥車が製造されたというイメージにつながるからだ。
強度≠耐久性ということも認識しておかなければならない。
いっぽう、こと最近は、普通鋼の車体で製造される車両はほとんどなくなり、アルミやステンレスの多用で車体外板の耐触性などは格段に向上していることは確か。
戦後の、いわば初期の軽量化車両は、耐触性が不十分なままであったのは大きい。
80系はMM'ユニットではなく、床下重量が大きいままだった点も負担になった。

軽量化が進んでも、安全性には何ら差がないことを強調したかったのだと思われる。
軽量化すれば機械ブレーキの効き目は向上するメリットもあるのだし、その辺は冷静に読み取るべきと思う。
154回想774列車:2013/10/31(木) 21:27:11.57 ID:OpZdHsCR
戦時設計は(・・・というより昔は今より精錬技術が良くないから、鋼材の質が悪いよな 錆びやすい 再生鉄を多く含有)
材料は勿論 製造の際消費する電力とかコストを節約したため較差基準(品質管理基準)もアマイ筈。
155回想774列車:2013/10/31(木) 21:49:46.11 ID:8N4rKZDs
ロクサン型で極端な「軽量化」をした結果、「ここまでやったらもたない」ってのがわかって、
じゃあここには余裕を持たせよう、ここは削っても大丈夫、みたいなことになっていったん
じゃまいかと。
156回想774列車:2013/10/31(木) 22:18:18.84 ID:6oWaliou
電車じゃないけどD52の舟底炭水車にも、具合が芳しくなく戦後、補修したものがあった
と他のスレに書いてあったな。
157回想774列車:2013/11/01(金) 11:18:35.63 ID:kf562IiF
>>154
戦前の精錬技術は欧米各国でも資源と同じく国家の存亡に関ることだからね。
しかも日本は室蘭、釜石、兵庫、九州しか高炉が無く、
屑鉄などから製鋼する電炉の方が多かった。

戦前の鉄鉱石輸入はオーストラリア、マレーシア、フィリピン、満州、中国だが、
オーストラリア、マレーシア、フィリピン産は主に兵器優先で、
電車や民生品は主に満州、中国から採掘される鉄鋼石が使われたが、
この満州、中国産はオーストラリア、マレーシア、フィリピン産と比べ、
質が悪いと言う欠点があった為、兵器などの生産には使えなかった。

電炉にはアメリカから屑鉄を輸入していたが、輸入する屑鉄は不純物が少ないので、
日本の高炉で製鋼される品質より良かったことから、最優先で兵器生産に回されていた。

1938年にオーストラリア、1941年にフィリピンが鉄鉱石の対日輸出を禁止、
1940年に米国が屑鉄輸出禁止、1941年にはインドが銑鉄の対日輸出を禁止した以後、
質の悪い満州、中国産の鉄鉱石が製鉄の主流となり、敗戦後は1947年までGHQにより、
外国からの輸入は一切禁止されていた。1948年に原油を始めとする資源の輸入が解禁された。
158回想774列車:2013/11/01(金) 13:02:00.77 ID:hjq8yOYb
福塩線の交換シーンは戸手駅ですね。
いまでは行き違い設備も撤去され寂しい駅になってしまいました。
159回想774列車:2013/11/01(金) 14:57:39.19 ID:kf562IiF
63形の悲運は戦局の悪化で緊急に開発、資材を極限まで切り詰めて製造されたこと。
さらに終戦後からは全ての輸入がGHQの命令で止り、戦時より深刻な資材不足に陥り、
国内に残るのは空襲で火を被った戦災鋼板、兵器や屑鉄から再生した鋼板しか無い状態で、
それらの鋼板を使い、出来る限り量産したことは誉めることだろう。

なんせ1947年までの日本は政府間貿易による資源輸入が一切、GHQによって禁止されていて、
1948年に入ってから政府間貿易による輸入をGHQが許可したが、輸入量の制約を付けられていた。
この制約が解除、企業独自に輸入、いわゆる民間貿易に切り替えられたのは1950年。

1948年までの車輌製造は全て戦災鋼板か屑鉄からの再生鋼板で製造されている。
車輌に新しい鋼板を使用出来るようになるのは1948年末の事で、
63形も省略してた部分を徐々に復活させ、1949年製造からは戦前車輌と同等まで回復した。
少なくても1949年から改善を行なっていたら、悪名など付けられなかったが、
不幸にも行なわれず、事件を迎える結果となってしまった。
160回想774列車:2013/11/01(金) 23:57:37.65 ID:cjNHuFou
>>159
誤爆か?
63形スレでやってくれ
資材や強度・耐久性の問題はもはや残るは解釈の相違だから、きりがないから打ち止めにした方がよい
70・80系の思い出なり話題なり、まともな方向に戻すべき(>>158は当然OK)
161回想774列車:2013/11/10(日) 18:59:34.84 ID:BITJdGmI
越後路70系最後の4M2T臨時運用は、当時の雑誌に記事はあるが映像で記録された方はいるかな。
関山の勾配を再び力走する光景とか、想像するだけでムネアツ。
162回想774列車:2013/11/11(月) 00:07:28.06 ID:fkpmaOdM
阪和線の全運用6連化した時の4M2T編成は、鉄道ファンに写真が載っていた。
163回想774列車:2013/11/11(月) 01:17:19.73 ID:N7fBrl38
1963年昭和38年11月9日発生鶴見事故は
70系電車の悲劇であるのは言う迄もない
50年前の事件事故出来事なの間違いなく
1975年昭和50年リアルタイムで阪和線の
70系区間快速電車に乗った自分としても
70系電車の黒歴史忘れてならないと思う
>>159は桜木町事故のことだとは思うが
70系の鶴見事故も忘れてならないと思う
>>160がじいさんなのか何かは知らんが黒歴史を封印するのは許されない事だorz
164回想774列車:2013/11/11(月) 13:51:26.24 ID:yJIwXoP2
>>163が痴呆なのか何かは知らんが、>>160はスレ違いや話がそれてゆく問題を指摘しているだけで、黒歴史封印の趣旨はどこにも書いていないのでは…?
そんなに言うなら、自分で鶴見事故の話題を、語る価値のある切り口で提示すればよく、それをしないくせに、偉そうな態度はどうなのか?
ちなみに自分は鶴見事故の資料は持っていないので、話を振るつもりはない。
ただ、こちらも本質的原因は、(70系の)製造資材の問題などとは別のもの。
これでは>>160は、タチの悪い酔っ払いにしか見えない。

あとよく読むと>>159の鋼板の件だが、粗製乱造で原料の質も悪かったと言いたいのだろうが、それが桜木町事故の背景にあったものだとしても、直接の原因とはならない。

とにかく、知ったかぶってスレにそぐわない講釈は、糞の価値すらない。
糞なら肥やし程度の役には立つから…ww

スレ汚しスマソ
165回想774列車:2013/11/14(木) 01:35:39.42 ID:hvCb4xl3
クハ86015や20系客車登場時のパノラマウインドウは、
日本では曲面ガラスの技術が無かったので平面ガラスなので、
車体の曲面と一致して無いのが面白い。
166回想774列車:2013/11/14(木) 03:37:10.92 ID:2vchFj+7
>>165
技術が無かった訳じゃなくて価格の問題だよ
167回想774列車:2013/11/14(木) 22:09:22.92 ID:C1eIKRbk
飛行機の風防なんて、ずっと前から曲面だもんなあ。(あれはアクリルだけど)
168回想774列車:2013/11/15(金) 01:34:39.00 ID:yZrJXQ2N
日本では当時製造技術が無いと聞いたけど違ったのかな?
169回想774列車:2013/11/15(金) 02:17:54.28 ID:xbFFFt41
昭和33年登場のクハ151はパノラミックウィンドウを採用して落成。
ナハフ20の登場も同じく昭和33年、クハ86015がパノラミックウィンドウで復旧されたのは翌34年。
技術がなかった訳でないことはこの辺からも判るかと。
170回想774列車:2013/11/15(金) 02:20:54.99 ID:xbFFFt41
あ、微妙に意味の通りにくい文になってた。
「クハ151は曲面ガラスを採用して落成」ね。
171回想774列車:2013/11/28(木) 01:26:22.06 ID:AOCRD2J9
車体強度の問題が上で書かれていたが、床下機器の多いモハは車体垂下とか起こらなかったのだろうか?
今までそのような記述は見たことは無いが、実際はどうだったのだろう。

クモユニ81あたりは、モハ80より丈夫に製作されたのかもしれないが、これも謎になってしまった。
172回想774列車:2013/11/28(木) 06:55:04.70 ID:fgw64Wdb
(ク)モユニ81は基本設計上は湘南形他車と大差ない車両。
ただ、同形式全6両が他車と異なり大井工場で製造されている。

強度がやや劣るといっても、実用上支障のない範囲内。
ただ、骨組みの太さや外板の厚みなどが減少した軽量化車体への負担はあったようで、それが老朽化を早めた点は否めないところ。
また、広幅幌の80系は、他の車両との併結に難があるため、専用運用を組む必要があり、しかも4両編成以上。
よって輸送単位の低い列車には不向きにも関わらず、2扉クロスシートゆえ、特に乗降時間の延伸の問題で、幹線系通勤輸送にも決して向いてはいなかった。
こうしたもろもろの事情が80系の廃車が急速に進んだ要因だといえる。
173回想774列車:2013/11/28(木) 08:20:23.97 ID:KY1lr4tn
>>171
それ、終戦-輸入解禁されるまでの一定期間に製造された車輌の印象が強く残ってる都市伝説と一緒。
戦前と戦後では車体強度の定義が違い、戦前は台枠のみ、台枠のみ頑丈であれば良いと言う設計思想と製造。
輸入解禁された以後の戦後は米国からの技術輸入と鉄鉱石輸入、鉄鋼業の技術進歩で戦前より良い鉄が使えるので、
台枠は戦前と同じ強度を保ちつつ戦前の厚みより薄く出来た、いわゆる技術革新。

その薄く出来た技術革新を戦前より車体強度が落ちていると勘違いしてるバカが未だに居る。
簡単に言うと、同じ強度の鉄で戦前は1cmの厚さ、戦後は0.7mmの厚さになってるのを、
単純に鉄の厚みが薄くなってるから強度が落ちていると思ってんだろう。

車体垂下が発生したのは終戦後から資源輸入が解禁されるまでの一定期間、復興期に製造した車輌で、
それらの車輌は戦中に空襲で焼けた鉄板を使ってることがほとんどだったから、
鉄板それぞれが焼け具合が違い、攻撃目標の工場から提供された鉄板ならコンガリ焼けていて、
その鉄板を車輌に使えば、当然のように車輌の錆びも早く露出する。
終戦後−輸入解禁になるまでは、日本国内の在庫鉄は、そんな焼けた鉄板しか無かったのよ。
焼けた鉄板と屑鉄しか無い状況で、屑鉄から再生した鉄は価格が高騰してる状況だったし。
全国で慢性的な車輌不足を解消するには、焼けた鉄板を使うことを余儀なくされた状況で、
それらの焼けた鉄板を使ったのが戦災復旧車や63系に多かった。

戦後、陸海軍に勤務していた人が総、民間に勤務するようになると各交通機関に溢れる状況になり、
一日の車輌乗車数も爆発的に増え、慢性的な車輌運行数不足が発生する。
それらを解消する為にダイヤも過密になり、編成数も長くなり、新造数と需要数が拮抗しないから、
一両でも多く車輌を使うことを余儀なくされる状況が続き、さらに悪化させたのがベビーブームで、
人口増加に輸送量が拮抗しない状況が昭和40年代まで続くことになる。
日本の工業力が上がり、新造数も増え、さらに自動車が普及した昭和40年代以降は、
戦前の車輌を無理して使わなくても良い状況になっている。
174回想774列車:2013/11/30(土) 23:53:57.45 ID:DK7Rr9XP
>>173
言いたいことはわからないではないにしても、「バカは自分なんじゃないのかね?」と返されても仕方ないほど検証不足。
気をつけた方がいいよ!

まず、ケアレスミスとは思うが、1cmもの分厚い鉄板なら、さすがに0.7mmでは太刀打ちできないっしょ?

それと、戦前は台枠のみ強度を確保すればよいとされていただなんて、誤解と偏見に満ちたなんかの解説文の受け売りみたいで、まるで戦前型車両を見てもいない者の妄想かなんかに読めてしまう。
実際に戦前型旧国(特にクロスシートのクモハ42・43・53・14等がわかりやすい)と戦後型(同様にして80系ならわかりやすい)とによく乗り、夏場などに窓を開けて利用した方なら、壁全体の厚みに、戦前型の骨組みの太さや「しっかり感」を感じた方は多いと思う。
全般的には、80系の方が乗り心地が格段によかったから、利用した印象だけなら80系の方が圧倒的によくなりがちだったが、車体の剛性感では戦前型の方が明らかに上だった。

半鋼製車両の老朽化についていえば、木造部分の腐蝕による経年劣化は避けられないなか、内貼りの薄くなった戦後製(キハ10台形式なども同様)は傷みが深刻なものが多かった。

これは重要なことなのだが、車体そのものの老朽化は、全体ではなく、設計強度が元来弱くならざるを得ない部分や腐食が真っ先に始まりやすい部分から深刻化する。
特に、戸袋や便洗面所付近、さらに浸水対策が不充分だった国鉄時代までの下降式窓まわりなどがそれにあたる。
これらは、いくら多少は資材が改善されても、現実にメンテナンスにも設計にも穴が多かった当時のことだから、老朽化は進行せざるを得なかった。
秩父鉄道の1000系(旧国鉄101系)は、車体外板の歪み修正と補強を併施した体質改善車が選ばれてはいるものの、戸袋の多い構造のなかで、まさに奇跡的な長命なのである。
175回想774列車:2013/12/01(日) 09:19:24.90 ID:FO4UQGJ2
>>174
長いよ
全体も長いし、ワンセンテンスも長いし、一行も長すぎるよ
176回想774列車:2013/12/02(月) 11:40:03.47 ID:P4Xfcke4
またウンチク爺が沸きやがったw
177回想774列車:2013/12/02(月) 14:58:39.60 ID:F6HavtDA
>>175-176
嫌なら読まなければいいだけ
>>173>>174も、相手を否定しようとする態度は感心しかねる面もあるが、内容そのものは参考になる部分が多い
太平洋戦争敗戦後、わずか19年で新幹線開業にまで至る変遷の片鱗を知るうえで勉強になる
それに引き換え、なんの内容もない書き込みは、上の方で誰かが言ってたが、糞の価値すらないんだよww(>>164だな)
178回想774列車:2013/12/02(月) 17:39:35.45 ID:2/BdqwLe
>>177
2chで長文は嫌われるんだよ
そういうこと覚えてから書き込もうね
179回想774列車:2013/12/02(月) 19:25:18.51 ID:F6HavtDA
>>177
この板は情報交換板的な性格もあり、コテハンなんか長文だらけだけど、貴重な情報源としてかなり歓迎されてるコテハンも多い
特にここの70・80系なんか、情報通でないと難しいネタだし…
もちろん、情報ゼロの長文なら嫌われて当たり前だし、173や174がコテハン並みに情報の中身が濃いかっつったら、かなり疑問もありそうだけど…

嫌いなら見なければ解決だろ?
まあ、人のフリ見て我がフリ直せっつうことで今後おれもキサマらの糞以下の書き込みは見ないことにするわww
180回想774列車:2013/12/02(月) 20:03:54.38 ID:8RJIi7+x
テレビで言えばサンモニみたいな板ですから
181回想774列車:2013/12/02(月) 20:11:26.19 ID:F6HavtDA
>>175
IDだけはGJ

>>180
IDが鉄道ジャーナル
182回想774列車:2013/12/04(水) 11:41:29.05 ID:FFKyOJyu
戦前マンセーのお爺さんは、お茶を飲んで一服したら?w
183回想774列車:2013/12/04(水) 12:34:17.38 ID:+dy6r4qf
1970年代後半までは普通に走ってたからじいさんフラフラよりはハゲ散らかしたおっさんがこのスレの住民だと思うよw
>>157>>159>>173は同一人物っぽいが、大筋で正しいとしても、例外的に戦時設計のクハ79004が約40年ももったという事実もあるので付記しておく。
同車は、末期の広島時代も、昭和51年(呉線71形投入→可部線17m車置き換え)まで数年間は、短距離低速仕業の可部線より中距離高速の呉線・山陽本線仕業が主体で、かなり酷使されたことが推察でき、しかも潮風による腐食が進みやすい海沿い…。
決して老朽化が進みにくい環境だったとは言いがたい。

呉線に関しては、本来投入したかった80系を充分に確保することが出来ず、広島口を主体にラッシュ時にはより使いやすい73系を相当数投入したという背景もあるようだ。
前スレはじめ過去にも語られているが80系は、車両数に余裕が少なめなのに、限定仕業が多かったり、現役時代には車両のやりくりに苦労されたようだ。

よくクハ79004の長命について、WC付きが幸いしたみたいに言われることがあるが、少なくとも可部線転用の昭和51年以降はWCは閉鎖が基本。
その時点(昭和51年)で、ほかに余っていたもっと状態のよい偶数向きクハ79などたくさんあったはずなのに、あえて置き換えずに使ったというのは、戦時設計車体を載せていながらも、まだ深刻な老朽度とは判定されなかったということになる。
ちなみに、ほかの戦時設計クハ79は大半が、昭和40年代なかばから50年台初頭にかけての時期に廃車されている。

実は若い頃、かつてクハ79004最晩年の頃に実際に可部線で乗ったことがあるが、車内はニス塗り、窓は上下段1:2の2段アルミサッシ。
台車が17m時代の頃の戦前製旧式TR23だったせいか、多少横揺れが大きかったが、それ以外は他の半鋼クハ79(当時ほかはすべてTR48)と大差なかったと思う。
余談ながら、重量があるクモハ73は、可部線の低速では大きな揺れはポイント以外では少なかったが、大半のDT13車両はビビり振動が多く、DT17やDT15など鋳鋼製はわずかに振動吸収が優れていた感じ。

70・80系に直接は関係ないが、呉線では 71形(実質70系でクハ76多数)に置き換えられたし、80系も走っていたということで理解されたし。
また、DT15の改良で、70・80系のDT16・17さらにDT20へと発展していった点もくんでもらいたい。
実際にはクロスシートという点を割り引いても、72系より70・80系の方がはるかに安定感があって乗り心地は良かったと記憶している。
ただ、80系は本線筋で乗る機会はほとんどなく、現役当時はまだガキだったが…

余談ながら、親父のツルっぱげぶりは見事なのにも関わらず、俺自身はまだまだハゲてはいないので、期待に添えず申し訳ない!ww
185回想774列車:2013/12/05(木) 18:44:06.65 ID:tUZE3Fvr
>>184
スルーしました
186回想774列車:2013/12/06(金) 21:21:01.53 ID:lf+mceSX
>>185
IDがうぜぇ
187回想774列車:2013/12/06(金) 23:35:17.41 ID:EFdLyOz0
過去の車両になって四半世紀。新しい話題はもちろん、隠されていた秘話も出てこないだろうな。
188回想774列車:2013/12/08(日) 11:52:37.47 ID:AAiZnmgI
>>187
そんなことを言うためにわざわざ来なくていいよ
70・80系に限らないが、見落としがちな形態に関する情報や、変わった使用法など、新ネタもたまに上がる
進行は遅いけど、それは仕方ない
もう一度>>1を読んだら?

ついでに…
EFって電気機関車を連想させておきながら、dLとはこれいかにww
189回想774列車:2013/12/11(水) 15:04:58.81 ID:nEfNQL0g
80系の準急・急行はたくさんあったが、代走も含めて70系の準急・急行(有料)というのは聞いたことがない。
後輩の115系(アルプス・かいじ・かわぐち・たてしな・天竜など)や401・403・415系(ときわ)は有名。
70系には何か例がある?(一発臨電もちろん可)
確かに80系と違い、指定席番表示がなかったから、指定席に利用するのは難があったが…

あと東北・高崎線の80系には一部クハ47かサハ48が混じったらしいが、それが80系の準急・急行仕業に入ることはあったのだろうか?
もっとも、その辺の準急・急行にはヘッドマーク付きは少ないから、「証拠」になる写真などはないんだろうけど…

まあこうやって、疑問は次々に出るにしても、その正解がなかなか得にくい電車になったことは確かだ。
190回想774列車:2013/12/11(水) 20:37:13.18 ID:v1jA9gtu
>>189 国鉄線内じゃないけど 山スカ形がクハ79等72系と混結で富士急に乗り入れていたとき、
富士急線内の途中駅は?(ホーム有効長の関係で何気に通過してませんか?)
191回想774列車:2013/12/11(水) 23:26:18.05 ID:D9YEUk60
>>190
それが>>189と何の関係があるんだよ?
192回想774列車:2013/12/14(土) 03:41:09.93 ID:1sQjOigG
>>133
大垣〜神領の70系編成ではなく横須賀線用のもの(大船電車区)なら、1960年代に大垣までの臨時電車で、戦前型も組み込んで走ったことがある。
クハ68ではないが、クモハ43やクモハ53もしくはクモハ50等が先頭に立った可能性はある。
クハ76が先頭だが、クモハ43か53かが編成中に組み込まれた同臨電の写真が、鉄道ピクトリアル2000年2月号「特集:湘南電車50年」の35ページに載っている。
おそらく、これが70系による最長距離運転だと思う。
なお、>>103にもそのむね書かれているが、同レスの前半のくだりは間違いか勘違いかと思われ、該当する70系運用はない。

また、70系による優等列車は快速を別にすれば、原則としてないようだ。
ただし、番外だが有料でない京阪神急行電車の80系の代走で昭和20年代後半に、緩行用の70系が入ったことはある。

また、これも優等ではないが、個人参加可能な団体列車という性質の「ワッペン列車」(申し込み者に識別用のワッペンを配ることからその名がついた)には、山スカは割合と使われている。
席番表示がない車両を着席列車として運行するために、ワッペン列車の手法は便利だったようだ。1960年代の中央東線には、客車列車も含めて、割合と多かった。
これが富士急に入った時は、当然関係ない途中駅は交換がなければ通過が多かったと思われる。
193回想774列車:2013/12/24(火) 21:26:01.67 ID:U+2Svhp0
71系急行はさすがにないだろ
DCや客車の急行の代走には使わないだろうし、165系が中央線急行に投入された直後、115系も新製されているので、72系を組み入れる場合も多い71系をあえて急行に投入する理由がない。
115系は一時期定期仕業にも急行運用があったけれど…

70系の急行・準急(有料)はさすがになかったと思われる。
194回想774列車:2014/01/17(金) 00:56:35.51 ID:bFmyPga3
80系を知らない世代です。
恥ずかしながら釣り掛け車は路面電車や東武の5000系くらいしか乗ったことがありません。
釣り掛けというと騒音と振動が大きく、カルダン車に比べたら快適性に難ありというイメージがあったのですが
80系はデッキ付きですよね。
非冷房とはいえ、デッキ付きクロスシート車、
特に末期の全金属車だと内装は事実上153系や165系と殆ど変わらないくらいで
実は新性能の近郊型よりも快適で乗り得だったのでしょうか?
東北本線(上野口)や高崎線に115系が投入されたとき、がっかりした利用者もいたと聞きました。

僕も一度でいいから乗ってみたかったです。
195回想774列車:2014/01/17(金) 14:03:37.54 ID:2tLaOl0b
>>194
人によって感じ方、捉え方が違うけど、東海道線で80系に乗ったことの有る俺の感想では、
音は大きいけど、振動は後年の車輌とさほど変らない気がする。
80系より後年の113系などはラッシュ以外の時、閑散時のクハなどは驚くほど揺れたから。

ガッカリした人が多いのは80系から113系に代った東海道線でも同じだと聞いたことが有り、
それらガックリした人は比較的中長距離の通勤者達で、座席数が減ったことに対して、
長時間立つことを余儀なくされたことで、ガックリした人が多いと聞いている。
196回想774列車:2014/01/17(金) 20:38:34.40 ID:OOaxgNBl
レール継ぎ目での振動は、車軸にモーターの重みが掛かる釣掛式では必然的に激しくなる。
また、初期のDT16やTR43・45は枕バネが板バネで、安定性はあっても、揺れの吸収という点では、1952年以降のDT17・20やTR48で採用されたオイルダンパ併用のコイルバネと同等にはならない。
ただ、線路状態のよい東海道本線では、高速走行時の安定性にはすぐれ、新性能111・113・115系に装備のDT21でみられた、時にむやみに枕バネが跳ねるような感じになる現象は少なかったようだ(80系や155系では車両自体重量が増えることも理由のひとつかと…)。

末期の飯田線(モハ80にはオイルダンパコイルバネ、軸バネウィング式のDT20A装着)では、線路状態の悪い丙線規格ながら、新幹線の中古レールを改修してPC枕木にて改善を行なった区間があり、振動等による乗り心地変化があからさまに感じられたりした。
これは、空気バネ式よりも線路状態の悪さが明確に出てしまうコイルバネの弱点でもある。
また、戦前型は車体は丈夫だが、大きな揺れが時に快適性を損なっていたのは事実。
80系は、大きな揺れが少なめだった。これは、同じDT17あたりを装備した72系などとも異なるもので、重量バランスがよく取れた構造になっていたからのような気がする。

クロスシートの標準シートピッチ比較では…
(※部分的に異なるピッチの箇所が点在するので、あくまでも目安として理解されたい)

【1400mm】
・80系昭和25〜30年製
・新性能近郊型初期

【1460mm】
・新性能急行型

【1470mm】
・国鉄近郊型後期(昭和52/1977年キハ47以降)

【1480mm】
・80系モハ80200〜、クハ86100〜、サハ87100〜、サロ85031〜(昭和31/1956〜1957年製半鋼製)

【1485mm】
80系300番台全金車

これらの点からして、騒音とレール継ぎ目の衝撃などの問題を別にすれば、国鉄の中では80系電車の、特に300番台全金車は、それなりに良質の居住性であったことが推量出来る。

筆者は、若干東海道本線における95km/h制限前後での80系の疾走も体験しており、若輩だったうえ主観も入るのを考慮する必要はあるとしても、おおむね以上の記述に近かったと思う。
197回想774列車:2014/01/18(土) 10:57:01.29 ID:QePF1vXW
線路が脆弱の場合、台車は釣り合い梁(イコライザー式)が最強である。
198回想774列車:2014/02/24(月) 09:00:57.63 ID:w6wKHZPo
昭和50年8月岡山運転区
クハ86030
モハ80017
モハ80101
クハ86371

昭和51年8月大垣電車区
クハ86046
モハ80102
モハ80303
サハ87020
モハ80325
クハ86300
199回想774列車:2014/05/11(日) 22:55:03.43 ID:jT1jVcu8
「湘南」を引退した後の、1970年代に山陽本線でよく乗ったな。
200回想774列車:2014/05/12(月) 22:29:37.47 ID:dIqHbHGc
>>196
確かに80系300代はシートピッチこそ広いけど、座席幅は990mmとキハ20並み。
ナハ10の1035mm、キハ55の1028.5mmには及ばなかった。
201回想774列車:2014/08/24(日) 20:31:33.85 ID:8jewFSra
80系の走行音はネットにはほとんど飯田線のものばかり。
東海道・山陽の長い駅間&直線での90km/h以上出しっぱなしのような音源がほとんど公開されていない。
岐阜あたりでの80系走行音を載せたサイトがあるが、電車の走行音を添乗で録ると言うのにモハではなくクハで収録するという間抜けなもので、モーター音の迫力がない。25mレール1秒を切る90km/h以上の高速をたっぷり維持しているのに、興ざめ。

誰かがYouTubeにでも、東海道や山陽にバリバリ現役のモハ80の走行音の高音質の添乗録音を公開掲載してくれたらいいのにと思う。
202回想774列車:2014/08/25(月) 21:16:14.69 ID:+H6fChtU
非難する資格がどこにある
203言論の自由ブーメラン:2014/08/25(月) 21:55:41.16 ID:Fvh9wDA+
>>202
非難する資格がどこにある?
204回想774列車:2014/08/26(火) 10:38:40.21 ID:fdaRa2F5
>>200
それって、壁側の肘掛けのぶんでは?

80系は、ラッシュ時の都市部ローカルに使われるため、通路幅を確保する意味で、やむなく壁側の肘掛けを省略した。
153系以降の急行型電車では、車体の裾を絞るかたちで建築限界いっぱいまで車体幅を広げて肘掛けをつけた。
まだ、車体幅がそこまで大きくないキハ55やナハ10などでは、クロスシートの通路幅が犠牲になっている。

もっとも、キハ55は準急(指定席つき多数)仕業が多かったし、ナハ10・11は当初は特急仕業まであったから、80系とは別方向の割り切り設計だと思う。

あと、当時はまだ日本人は小柄の傾向があったし、現代のレベルとは単純には比較できない。
205回想774列車:2014/08/26(火) 12:38:04.68 ID:00hg68FJ
>>204
ちょっと話それるけどさ、153系とかは幅2900mmだったじゃん。
最近の車両は2950mmあるんだけど、今はあの頃より建築限界が広がったのかな?
206回想774列車:2014/08/26(火) 16:50:49.28 ID:4Z+nkInr
>>205
ホームの出っ張りさえクリアすればOK。
大体、旧規格に新規格の車輌を入線させると、ホームで裾をコスルことが多く、ホームを削る事も有るだろうし。
建築限界が問題となるのは大体、高さがクリア出来ない。トンネルとか。
207回想774列車:2014/08/26(火) 16:50:53.11 ID:GlqmtLt+
>>201 自分の40年来の鉄友が電車の録音専門に趣味をやっている。80系の音も東海道の327Mや山陽本線.急行天竜などがある。勿論モハでの録音である。
208回想774列車:2014/08/26(火) 17:49:31.57 ID:pZ/zFIAv
お爺ちゃんはこんなとこで自己顕示しなくていいからw
それも友人のw
209回想774列車:2014/08/26(火) 18:18:48.20 ID:owrTyyTq
クレクレ厨も叩いとけよ
210回想774列車:2014/08/26(火) 20:02:45.63 ID:aAkxdutx
非難電車
211回想774列車:2014/08/26(火) 21:52:25.31 ID:GlqmtLt+
>>208 自己顕示のつもりなど毛頭ない!! ネジ曲がった野郎だな。
212回想774列車:2014/08/26(火) 22:28:45.31 ID:pZ/zFIAv
20系スレの ナロネ21 551 とか言う自己顕示ジジイだな。馬脚を現すとはこのこと
213回想774列車:2014/08/27(水) 15:24:08.80 ID:acUvtIm2
俺は、>>207氏の友人が、せっかくのそれらの80系の貴重な音源を、俺を含めた皆のために、YouTubeあたりに高音質でうpしてくれたらそれでいい。
そういう方向に促しもせず、ただ叩くだけのレスこそ、真っ先に排斥されるべきだろう。

下り急行天竜1号の80系(旧国最後の有料急行。1978年5月末に115系1000番台化)や、東京発沼津行き327Mの80系(1977年3月末に111・113系化)の走行音は、まさに貴重な記録だ。
山陽本線の疾走も捨てがたい。

ぜひうpされることを祈る。
214回想774列車:2014/08/27(水) 21:22:51.09 ID:5SYAdnlX
>>213 その方向で考えています。貴重な音源を個人で埋没させてしまうには余りにも勿体なく惜しまれる。
215回想774列車:2014/08/27(水) 22:40:33.95 ID:M93h3FMt
近頃のクレクレは恥も外聞もないのか
それとも屑鉄だからか
216回想774列車:2014/08/28(木) 22:51:01.28 ID:dha3PLH1
>>213
>下り急行天竜1号の80系(旧国最後の有料急行。1978年5月末に115系1000番台化)

これ定期急行を115系1000番台に置き換えたのだから酷い遜色急行だな
当時は115系も非冷房だし、80系の方がまだマシだったのでは
217回想774列車:2014/08/29(金) 12:29:10.48 ID:B+HrKKnL
>>216 いくら新車とは言え115系には急行のムードのかけらもないですからね。但し80系も300番代で揃っていたわけでもないですが…。でも急行のムードとしては80系の方が遥かに上ですね。
218回想774列車:2014/08/29(金) 13:57:05.65 ID:tYUPZAf9
>>216>>217
担当の神領の80系には、シートピッチ1400mmで幅も狭い初期車もいた。
80109、86063、86065、86069、86072、86073、86074、86075、86078、86080、86084
(80109は1977年に大垣から800番台車や200番台車と共に転入したもので、半年少々で廃車)
一方で、サロ85改造のクハ85も多数いた。
通常は4連だが、多客期には8連になることもあった。
一方、115系1000番台は車端もロングシートで、シートピッチこそ1470mmではあるものの、そのクロスシートは1両で8ボックスしかない。
半年足らずあとの53-10改正で、時刻見直しを含め、急行「天竜」は完全165・169系化されている。
219回想774列車:2014/08/29(金) 23:24:11.70 ID:s/YWIWGC
>>218
手元にある80系の天竜1号の写真みると、ほとんどは800代か200代による編成だったようだね。
1977年現在の名シンの配置はモハは800代と200代、クハは85が86より多く、しかも半数以上が
300代なので、まあまあの布陣だったようだ。
200代も半鋼製とはいえシートピッチは1480mmあるし、当時はまだ旧客客車急行も多かったから、
それほどサービスが劣っていたようには思えないね。
220回想774列車:2014/08/30(土) 15:45:44.28 ID:Eqfc0qbk
>>219
確かに、神領電車区は比較的質のよい車両で揃っている感はあった。
1978年5月に完全に115系化された松本運転所は、モハ80020、80024などの一次型から後期車、さらにサハをモハ化した80851・80852まで揃っていた。
シールドビーム2灯のクハ86332もあり、これは飯田線に転出した。

車両設計自体は、古い以外は確かにあまり遜色なかったが、ラッシュ時に最長10連(名シン4両+長モト6両)で25パーミルを登り降りするという仕業(甲府6:30発松本行きなど)は過酷だったといえる。
登り坂は釣り懸け粘着142kwパワーで、さほどきつくはなかったとしても、抑速(発電)ブレーキがない下りは、こまめに自動ブレーキに頼ってゆっくり降りるノコギリ運転にならざるを得なかっただろう。
たとえば、塩崎から小淵沢あたり、あるいは篠ノ井から聖高原あたりまで、ほとんど25パーミルの連続だ。
当時の普通電車は、客車やDCよりは速いものの、現在の115系ダイヤよりもかなり遅く、当時はより急カーブや単線区間も多かった(小淵沢〜富士見など)とはいえ、80系などに合わせてスジを寝かせざるを得なかったことがうかがえる。
221回想774列車:2014/09/02(火) 02:08:30.68 ID:7PN1b0YG
>>150
応力外皮の設計思想。
ただし、戦後しばらくは試行錯誤があったようで、モハ71・72、クモハ73、クハ79等の様々な全金試作車は、新時代の車両にふさわしい設計をチョイスするための産物と言えると思う。

戦後型旧国の短命は、外板の鉄以上に、内張り材の薄さに一因があると言われ、腐食が相当進んでいたという。
外板のことは鉄の質の観点から>>173などにも書かれているが、車体の外からも車内からも通常は見えない部分が、戦前型より厚みがないことで、腐食率として短期で相当なレベルまで進んでいたという問題があるのだ。
222回想774列車:2014/09/26(金) 19:25:51.09 ID:d+lrymQW
晩年の広島運転所時代のクハ86123の鮮明な全面の写真ありませんかね?
確か黒Hゴムと白Hゴムのウィンクだったと思います。
223回想774列車:2014/10/03(金) 18:59:55.24 ID:AlhEtUVi
>>222
サイド寄りからだし、鮮明かどうかは別にして
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-4/Tc86123hiro1.75.3.3Ogo.75c-28-08a.jpg
でいい?
ウィンク?は確認できるけど
224回想774列車:2014/10/03(金) 20:30:18.27 ID:SqUwGC7h
>>223
ううむ。
ウインクっちゅーより、DV夫に殴られて片目の周りが黒くなった奥さんみたいと思うのは俺だけか。。。
225回想774列車:2014/10/05(日) 12:57:26.05 ID:6v2C6opg
山陽本線の80系と言えば広島からの上り列車でセノハチ越えはノッチ入りっぱなしと思いきや第二トンネルの手前で一旦ノッチが切れて一息入っていた。
226回想774列車:2014/10/06(月) 14:16:37.95 ID:JW4vUJyj
MT40系は142kwで、回転数がさほど高くないぶんトルクはそこそこあり、何気にパワフルなモーターだ。
セノハチほど連続距離は長くはないものの、やはり25パーミルが点在する上越国境(新前橋電車区)や関ヶ原越え(宮原電車区・垂井経由)の80系には、3M4T仕業まであった。
227モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2014/10/13(月) 16:42:34.11 ID:Etj5ysWL
>>223
これはよく見ると、>>143にあるクハ86344みたいな、黒Hゴムの方が原型で、灰色Hゴムの方が天地が微妙に小さくて窓四隅のRが大きめ(25〜26年型更新車と同じタイプ?)に換えられているもののようにも思えます。
となると、正面からのもっと鮮明な写真で確認したいところですが、なかなか見つかりませんね(汗)
配置も同じ広島運転所(幡生工場の管轄)。
>>143の同類に挙げた86344は両側灰色Hゴムですが、86100番台なども含めて、片方の窓を寸法の異なるものに換えたクハ86があるのかも知れず、興味深いところではあります。
残念ながら、確認できる写真なども見つけるのが難しくなってきており、何らかのお心当たりがある方には情報の提供をお願いしたいです。

話のネタは尽きない70・80系ですが、未開拓分野の事実の確認となると、どんどん難しくなっており、月日の経過を感じざるを得ません。
228モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2014/10/13(月) 16:47:05.82 ID:Etj5ysWL
>>227訂正
×>>143の同類に挙げた86344
>>143の同類に挙げた86352
229回想774列車:2014/10/13(月) 18:38:37.27 ID:3erD1GtO
既に話題が出たかもしれませんが、
東京駅では昭和50年代まで80系が見られたのに対して、
関西では昭和40年代半ばには定期運用から姿を消したのは
どうしてでしょうか?
私の記憶では昭和46年頃まであった、早朝の大阪発(新大阪?)糸崎行きが
最後の80系だった気がします。このスジは翌年には西明石発になり
大阪駅から80系が消えました。
それ以降は大垣の80系が不定期の快速「近江路」に入るくらいで
(このスジも159系の方が多かったような)
80系に会うためには西は姫路、東は米原以東まで
足を延ばさねばなりませんでした。関西人にとって80系は遠い存在でした。
230モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2014/10/14(火) 02:25:35.41 ID:KaTQsljD
>>229
480M岡山21:13→西明石23:42
435M西明石 6:25→岡山 8:51
(昭和53/1978年10月2日改正時刻)
の1往復は、1978年12月上〜中旬の岡山運転区80系の115系への最終置き換えまで80系で残存していました。
岡山地区ローカル用80系運用は1970年代初頭以降、最後の約5年間は西明石以西の受け持ち(基本は姫路以西)でした。
関西地区には、昭和43/1968年10月に明石電車区網干派出所が新設。1970年3月には網干電車区となり、113系が勢力を拡大。
新快速もこの頃まず113系で登場していますが、これにより基本的には姫路を境に、岡山持ち80系と関西113系とに分かれるかたちが確立しました(新快速113系は1972年3月に「鷲羽」縮小に伴って捻出の153系に置き換え)。

快速「近江路」(名古屋〜京都)は、昭和52/1977年夏季までは大垣電車区の80系(まれに159系)で運転。その頃からの113系化により、159系または113系にて運転されるようになりました。
まれに増強はあったようですが、4両編成が基本で使用されており、新幹線博多開業の昭和50/1975年3月10日ダイヤ改正の頃までは、シンプルなデザインのヘッドマークを付けていました。
余談ながら、同時期まで宮原電車区153系急行「比叡」にも、ヘッドマークが付いていました。

高槻から80系が撤退したヨンサントオ(昭和43/1968年10月1日)改正以降の、関西地区での80系に関する写真や資料は意外に少なく、しばらく残った大阪〜広島間ローカルとか、おおまかな情報以外は、筆者にとっても未知の領域です(汗)
※誕生時より常に関東在住
231回想774列車:2014/10/14(火) 22:34:27.75 ID:kQI7aomj
>>230

ありがとうございました。
子供の頃からの疑問が少し晴れました。
余談ですが快速「近江路」のヘッドマークは私も好きでした。
80系、159系の他113系にも付いていたような記憶があります。
他に113系の快速「びわこ」もヘッドマーク(しょぼいですが)を
つけていましたね。
232モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2014/11/29(土) 22:57:51.57 ID:JKM9NR1p
クモユニ81の車体塗色は、湘南色と、大糸線に行った81003の青22号(スカイブルー)。
ただし、飯田線用に転用になったものがクモニ83に改造(実際には郵便室の専用装備の一部や荷物室との仕切り撤去のみ)され、これらは同時にスカ色になりました。

ところが、飯田線に行ったクモユニ81004〜81006(クモニ83101〜83103)のうち少なくとも81005は、クモニ83化改造(昭和45/1970年2月)に先行してスカ色になっていたようです。
残念ながら撮影日が未記載でわかりませんが、場所は確かに豊橋機関区構内になるようです。
http://1632.amigasa.jp/1003%2080%20(14).jpg

現役当時のファンの方のブログ等で、時々思いもよらぬ発見があったりします。
233回想774列車:2014/11/29(土) 23:49:01.02 ID:xoZhaWbY
>232
なるほど。郵便マーク入りでスカ色とは。
234モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2014/12/01(月) 02:05:53.96 ID:HlcHZ/Ru
単なる憶測ですが、81005は本来の改造時期1970年2月よりも少し早く入場期限(全検or要検)が来たので、その際に先行して塗り替えておいたのではないかと考えています。
この姿(スカ色郵便室付き)で本線走行(出場後の少なくとも西浜松〜豊橋間は除く)があったのかどうかなど、写真が現にあるだけに、気になります。
基本的に81004〜81006は、83101〜83103への改造と同時に、大垣から豊橋に転属になっているようです。

既述事項ではありますが、飯田線80系300番台引退の1983年2月以降も、荷物専用車とはいえ6月下旬まで4か月ほど残り、80系の最後の営業使用となりました。
235回想774列車:2014/12/10(水) 00:08:33.34 ID:rjvCAaiT
全金製じゃない80系もあったのですか
236回想774列車:2014/12/11(木) 12:13:12.13 ID:bdM/3rMh
>>235
「全金製」という言葉を使っているあたり、しらじらしすぎだが、あまりにもどうしようもない質問なので、ひとことだけ>>1からの引用を…
要は自分で調べろってこと。

【注意】
●何か質問をする場合は、>>2に掲載のサイト等を活用したり、Google等で検索したり、過去レスをよく見るなど、独力で調べる努力をしてからにしましょう。

※以後この話題は厳禁!(スレ汚しになるため)
237回想774列車:2014/12/14(日) 00:59:40.96 ID:NYJMWZQM
>>236

まあまあ…先輩のおっしゃる通りですが、
コミュニケーションのきっかけに質問する人もいる訳で
あまり目くじら立てなくてもと思います。
238名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 15:04:25.01 ID:ygNOMVHm
>>237
コミュニケーションのきっかけなのか、逆に邪魔になるのか、区別をきちんとした方がいい
ここは幼稚園児に70・80系を手取り足取り教える場ではない
て、ぶり返すと236がうるさくなりそうだから逃げとく
239名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 16:26:25.84 ID:yh7G67VM
>>237-238
>>235は他スレでも下らない質問をしているよ、多分、総合板の保存車スレで
低レベルな質問をしている厨房と同一人物だと思う。
240モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2014/12/15(月) 02:18:50.03 ID:cpInW9G/
荒らし(らしき書き込み)には原則としては構わずに、スルーでお願いします。
--------------
内張りがクリーム色に塗られたクハ85035客室
(携帯向け)
http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/images/2011/12/22/8085.jpg
(PC閲覧向け)
http://kokutetu.blog.eonet.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/22/8085.jpg
クハ85035外観(広島75-3-2)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-Tc85top/sub80-Tc85-1/75c-24-191.Tc85035hiro.75.3.2Hiro.jpg

モハ80200〜、クハ86100〜、サハ87100〜に相当するグループのサロ85035を格下げ改造。
アルミサッシの導入とともに、下降式窓に変更になりました。
内張りは木製ながら、ニス塗りを廃してクリーム色に塗られていました。
落成当初は照明は白熱灯でしたが、これは蛍光灯化されたほか、エンジ色だったであろう座席モケットが格下げにより青に変更(必ずしも格下げと同時とは限らない)されました。
網棚の切れ目の少し上、壁面2か所にある独自の形状の車内放送装置は、導入時期ならではの特徴的なものです。
なお、既述ですが80系で最初に車内放送装置を取り付け(試験)したのは、昭和30/1955年、クハ86065-モハ80097-サハ87047-モハ80098-クハ86066の関西急電編成で、併せて20W直管蛍光灯がカバー付きで白熱灯に代わって試験的に取り付けられました。
241回想774列車:2014/12/21(日) 18:26:46.45 ID:yXKYyBq1
クモニ83100番台の末期の姿で気になったのが、後位側パンタグラフはあるのに避雷器が無い車両があった。残念ながら車番は不明。
242回想774列車:2014/12/21(日) 19:21:00.14 ID:Bp7PchFo
避雷器がないというのはあり得ない(保安基準に適合しない)
ちなみに位置がやや違ったのは83101だったかと。
EF58などでは、避雷器のカバーがないものがあったから、そういうのではないだろうか?
あと、種車のクモユニ81がメーカーの違いかと思うがベンチレーターの差とか車ごとに仕様が違ったらしいから、避雷器の位置の違いはその関連だと思うが、ないというのはありえない。
243回想774列車:2014/12/27(土) 11:44:22.90 ID:LweUvdBK
クモニ83もクモニ13も辰野向きのパンタは使わなかった。
だから辰野寄りの避雷器ははずされていた。
244回想774列車:2014/12/27(土) 14:47:12.93 ID:LweUvdBK
ごめん。
>>243だが「辰野方パンタのみ使用で、豊橋寄りの避雷器がはずされていた」というのが正解。
245回想774列車:2014/12/27(土) 15:25:57.60 ID:B9rFgAHV
そういや、そもそもなんでパンタグラフを2台載せたんだろうな?カッコいいから?
246回想774列車:2014/12/28(日) 12:44:57.69 ID:gh7GwMqZ
昔は今より架線電圧は不安定だったし、パンタの追随性能も今より悪くて一時的離線も多く、その他全般、集電トラブルは非常に多かったようだ。
2基使用すれば、片方が離線していても安定集電できる。
また、電機や荷電などは単行(単機)行程も多いなか、集電トラブルも今より多かったため、予備的な意味でも2基装備としたのだろう。

交流電化にあっては、20000ボルトあれば一時的離線のリスクは低下するほか、その採用が本格化した1960年代には地上設備や車両双方の性能が向上したため、交流区間は1基使用を原則とした。

1基使用で済めば、架線やパンタシューの磨耗が減り、保守の面では経済的である。
247回想774列車:2015/01/04(日) 13:48:32.81 ID:cizywB4c
霜取り用に2基上げてた会社もあったけどね
国鉄は違うのかな
248モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/01/05(月) 21:22:18.97 ID:15Bi0uqK
―謹賀新年―
【東海道・山陽本線クモユニ81】
●1959年の車両称号規程改正で、形式はモユニ81からクモユニ81に改称されました。
当時は80系の初期製造車(昭和26/1951年製造分の一部までを対象)は更新修繕たけなわでしたが、旅客車両優先のため、クモユニに及んだのは1961〜1962年でした。
それまでは、前窓が木枠のままで製造当時の原形をよく保っていました。
※1959年11月・田町電車区・クモユニ81005
http://members3.jcom.home.ne.jp/mohayuni/81005v.jpg

●更新修繕で前窓はHゴム支持になりましたが、前灯はしばらく原形のままでした。
この頃になると、当初は両方上げていたパンタグラフは、片方のみ使用ということが多くなったようです。
※1961年11月・田町電車区・クモユニ81001
http://sl-taki.blog.so-net.ne.jp/_pages/conv_default/_images/blog/_1f4/sl-taki/004-9d95c.jpg?maxwidth=100%25&stq=session%3A%3Asonet_blog%3A%3A7ef3cc766ed16570de7280bc9349b751
●前灯は大型化されましたが、まだ避雷器カバーが取り付けられていません。
※1964年3月・名古屋(到着)・クモユニ81002
http://mokugoho.web.fc2.com/img619.jpg

●岡山地区で三枚窓1次形クハ86ほか80系を従えたクモユニ81。避雷器にはカバーが付いています。
※1967年9月1日・岡山・クモユニ81002
http://shinsan.amigasa.jp/niden%20(3).jpg

●むしろ、80系以外の戦前型旧国(赤穂・宇野線用)に入る仕業が多くありました。
※1972年7月・岡山・クモユニ81002
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub25.htm/sub25-kyukokutop/sub25-kyukoku-Niyu/623-021.Mpgc81002oka.72.7.30Oka.jpg
249モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/01/05(月) 21:28:42.67 ID:15Bi0uqK
【大糸線クモユニ81003】
●大糸線では、クモユニ81003がスカイブルー(青22号)の「海坊主」として使われました。
1両だけなので、代用には同じ(松本運転所)北松本支所のもう1両の両運転台車クモハ40077が、郵便と荷物の簡易仕切りをして使われました(同車の晩年の仕業は、ほとんどクモユニ代用だったようです)。
松本運転所の80系は、豪雪の直江津までの運用があったとはいえ、スノープローを装備していましたが、同所北松本支所の大糸線用には装備されませんでした。
※1976年8月1日・豊科付近・クモユニ81003
http://1632.amigasa.jp/1003%2080%20(6).jpg

→一部のリンク先は、携帯電話の一部など接続環境によっては、外部リンクからのアクセスに対応せずに403エラーが出る場合があります。
この場合、URL入力モードからのアクセスに切り替えれば、たぶん解決するかと思います。
ご参考までに…。
250モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/01/05(月) 21:31:44.15 ID:15Bi0uqK
【飯田線クモニ83101〜83103】
●ヨンサントオ(昭和43/1968年10月1日改正)以降、クモユニ81004〜81006は飯田線で使われるようになりました。
当初は湘南色でしたが、ちょうど直後に開始された飯田線ローカルのスカ色への統一(ぶどう色や42・52などの湘南色から)に合わせて、順次スカ色に塗り替えられました。
郵便室撤去は3両とも1970年2月(浜松工場)で、同時に正式改番されています。
※1969年8月・田切付近・湘南色クモユニ81(後追い・カラー)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub16.htm/sub16-5/69c-01-101.IiseD-245MforTano.Mpgc81Mgc13toyo47.53000mama.69.3.18TariF.jpg
※1969年8月・田切付近・湘南色クモユニ81(モノクロ)
http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub16.htm/sub16-5/69m-01-161.IiseU-Ni2042M2ren.Mpgc81Mgc13toyo.69.3.18TariF.jpg

●しばらく2位方(豊橋向きの全検や形式の表記やジャンパ栓受け・銘板がある方)のパンタグラフを使用することとして、1位方(辰野方)の避雷器は撤去されました。
位置はパンタグラフの車両中央寄り、運転台側の後ろ見当が基本です。
※1974年8月2日・飯島〜伊那本郷・クモニ83102他(走行)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub16.htm/sub16-7/74c-23-27aIiseU831021.56002.50000.54008toyo74.8.2Ishi.jpg
※1974年8月2日・辰野・クモニ83101
http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub16.htm/sub16-7/74c-24-241.IiseU2042M.83101.13025toyo.74.8.2Tano.jpg

●1975年頃から、1位方パンタグラフ使用に切り替わり、避雷器も1位方のみ存置に切り替わりました。
※1976年8月・豊橋・クモニ83103
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub16.htm/sub16-9/76c-33-321.IiseD-1223M.83103.56001.50000.54toyo.47151.51046chiu.76.8.8Toyo.jpg
251モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/01/05(月) 21:39:23.53 ID:15Bi0uqK
【モハ80の避雷器について】
モハ80では、東海道・山陽本線の東京寄り(上り方)に装備されたパンタグラフのさらに上り寄り(車端デッキ上あたり)の山側(下り列車に対して右寄り)に装備が基本です。
ちなみに、800番台も851・852を含めて車端デッキ上あたりの定位置です)。
※トップナンバー80001・広島・1975年3月
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80001hiro1.75.3.2Hiro.75c-25-05.jpg
※ラストナンバー80425・岡山・1975年4月(避雷器カバーは非装着のままの貴重な例)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-4/M80425oka1.75.3.4Oka.75c-30-23.jpg
252モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/01/05(月) 21:45:14.15 ID:15Bi0uqK
【モハ80の避雷器位置の例外】
●中央線南木曽〜高尾や篠ノ井線も低屋根でなくても走れるPS23パンタグラフ装備車(身延線トンネルは不可)にあっては例外的に、避雷器をパンタグラフの前後反対側(車体中央側)に移設しています。
※モハ80024・甲府・1975年7月
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80024moto1.75.7.3Kofu.75c-63-26.jpg

●ただし、ごく一部に例外的にPS13のままでも車体中央寄りに避雷器があった車両もあり、これはおそらく移設かと思われます。
ほかにあるかどうかは残念ながら不明です(汗)
ここに挙げた80089と80090の2両とも昭和26/1951年後期製で、更新修繕は受けておらず、(パンタ周りと直接は関係ない話ですが)戸袋の外窓が木枠固定のままで残った車でした。
ただし、80089の方は後に浜松工場にてアコモデーション改造の際に、戸袋外窓Hゴム支持化された姿となります。
※モハ80089・名古屋・1975年3月
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80089kaki1.75.3.5Nako.75c-31-02a.jpg
※モハ80090・広島・1975年3月
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80090hiro1.75.3.2Hiro.75c-27-04a.jpg
253回想774列車:2015/01/06(火) 18:16:58.01 ID:/fSzO8fT
>>250
明けましておめでとうございます。
飯田線のクモニ83は末期だけでなく以前から片側の避雷器が無かったことになるわけですね。これは初めて知りました。
使用するパンタグラフを変えた理由までは不明でしょうけど、何かしら事情があったとしか・・・。
254回想774列車:2015/01/16(金) 20:38:10.33 ID:+z4GX4gj
>>242
「あと、種車のクモユニ81がメーカーの違いかと思うがベンチレーターの差とか車ごとに仕様が違ったらしい…」

仕様の差が初期にかなりあったことは事実のようです。
昭和25/1950年、モユニ81は電車初の郵便荷物合造車として、6両全車が車両メーカーではなく、国鉄大井工場にて新製されています。
このうち、81003・81004は角形の押込・吹出ベンチレーター直列配置。他の4両は押込式(旅客用昭和24〜25年度車と同じ、いわゆる大湘形)ベンチレーター千鳥配置です。
81001のみ、車内(郵便・荷物室)天井板省略。
81002は、当初は塗り分け線が他とやや異なるものでした。

以上、「鉄道ファン」1966年12月号記事によりますが、筆者はこれまでに、こうした各車の外観上の差を、鉄道誌等の写真である程度確認しています。
残念ながら、ネット上にはデジタル化(jpg等)が前提になり、あまり鮮明な古い写真が少ない現状で、明確に示せませんが…(汗)
255モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/01/16(金) 23:57:43.31 ID:+z4GX4gj
>>254に記載した(ク)モユニ81各車の差は、製造からしばらくのもので、のちの塗り分け変更や更新修繕で、結果的には標準化されることになります。
昭和32/1957年に湘南色で関西急電式の塗り分け線への統一がはかられた際、側面上部の斜線の角度が81005だけ急で、上の緑色の面積が大きくなっていましたが、これも一時的なもので、他と統一されました。

(ク)モユニ81では、クハ86の同時期(昭和25/1950年)製造車に比べ、運行灯の上部の出っ張りが顕著です。
クハの方ではメーカーごとに出っ張りに差がありますが、(写真ではHゴム支持に改造されていますが)写真の86047のようにクモユニに近いものもあります。

余談ながら、86001〜86066では、運行灯にHゴムは入らない仕様でしたが、更新修繕でHゴムが入ったものとして、下記を確認しています。
86005・86006・86015(事故復旧と更新を併施→153系と酷似のパノラミックウィンドウになる)・86033・86043〜86058(関西急電由来の車両)

ほかにも、乗務員室掴み棒の位置や長さの違いや、前面ステップの違い(一次形では86017・86018は数が多い)とか、メーカーごとの差によるものも多数。

更新修繕の仕様の差(ただし、前面窓および戸袋外窓のHゴム支持化を伴わないものは、更新修繕とは定義されておらず、80系では昭和26年度車途中までのみ)も含めれば複雑になり、興味は尽きないものがあります。
256モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/01/17(土) 00:00:16.39 ID:nSHpYW8M
257回想774列車:2015/01/19(月) 15:37:20.78 ID:5Nm4hxYC
それにしても、80系も細かい差異はかなりあったね?
ベンチレーターの違いや窓、サッシの違いなど様々。

一次形三枚窓にも埋め込みヘッドライト化されなかったものがあった。クハ86016。あれは更新修繕の仕方が違ったんだろうね?
258回想774列車:2015/01/21(水) 06:44:11.39 ID:Rq06LuZJ
製造年次ごとの差異はわりと把握しやすいけど
更新に伴う変更(通風機、プレスドア、サッシ等々)は
現車個々の状態や修繕のタイミング、担当工場等で
例外やらは多かったと思う

更新の前に前倒しで、1両単位でドアを交換したばあい
更新時にはその箇所の再工事は省く、とかになると
更新後もたとえばドアの種類が違う車が混ざることになる。
259回想774列車:2015/01/22(木) 22:54:54.16 ID:1HdmXlR1
ドアなんて更新修繕じゃなくて入場時に適宜交換だよ。
三扉車で片面すべてタイプが違ったりは、各ドアでバラバラの機会に交換したからそうなる。一斉に全部統一しない場合は、普通の検査入場と同じ作業だから、更新修繕とは関係ない。
更新修繕はだいたいその当時の新製車に準ずる仕様に統一するためにおこなわれるもの。
もちろん本格的アコモ改で、最近のJRなら押さえ金式ステンレスドアへ一斉交換したりとかあるけど、つまり全部取っ替えで同じものに統一だよ
同じ車両でバラバラなのは、更新項目とは関係ない通常の検修の範囲。
260モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/01/23(金) 22:54:32.90 ID:DoxUxPyj
80系の更新修繕に関しては、誤解がかなりあるようですので、長くなりますが、ここで一旦整理したいと思います。
更新というと、サービス改善が思い浮かび、実際その意味合いはありますが、むしろ仕様の標準化を目指しています。
以下に内容をまとめますが、施工期間の途中で等級制度が変わり、煩雑を避けるためロ・ハで表記してあります。
写真リンクは、説明の都合で既出のものも若干含むことをご了承願います。

【80系電車の更新修繕対象】
新製予算年度昭和24・25年度車全車、昭和26年度ハ車の一部
モハ80001〜80088、クハ86001〜86058、サハ87001〜87043、サロ85001〜85014、クモユニ81001〜81006

【期間】
昭和32/1957年度から旅客車両優先で(1962年完了)

【おもな施工内容】
●戸袋外窓のHゴム支持化(モハ80027を除いて対象全車に施工)
●24〜25年度車の三段窓客扉を交換必須として一掃(ほかは通常通り適宜の交換のみ)
●客室内白熱灯照明を蛍光灯化(ただし、サロ85は大半が先行で施工済み)
●クハ86の前面窓Hゴム支持化(2枚窓の25〜26年度車で、関西急電用などに、先行して大型窓で施工されたものがあるが、これも小型窓に統一)
●車内放送設備設置
●扇風機配線整備のうえ取付座(ハ4基、ロ7基)を設置
●室内整風金具を300番台全金属車等と同じものに取り替え
●24年度(一次形)ハ車の座席モケット上半分省略を全面張りに統一
●屋根布の下限を雨樋の位置まで延長(80200・86100・87100番台以降に合わせる)
以上を必須として実施されましたが、接客設備に関する項目はクモユニ81は当然対象外です。
施工は、必ずしも全・要検時期とは限りません。
国鉄各工場(大井・大宮・吹田・幡生)のみならず、車両メーカー(日車支店・汽車・東急・日車豊川)にも相当数が外注されましたが、仕様の差は、必ずしも施工箇所で整理できるほど単純ではないようです。
ただし地域による傾向はあり、小湘ベンチレーターへの変更は、関東ではごく一部の車両のみで、関西では全車に施工。
クハ86の運行灯のHゴム支持化も、関東では86005・86006・86033などごく一部車両のみにとどまったのに対して、関西では86043〜86058の対象全車に、いずれも更新修繕時に施工(車両により細部に差異あり)されました。
これらベンチレーター及び運行灯窓の改造は、更新修繕以後は行なわれなかったようで、生じた差異は、それぞれの廃車時までそのままで残りました。
※昭和25/1950年1月30日に国鉄初の中間電動車として最初に車籍が入った4両(80017〜80020)のうちの1両で、更新修繕前からのプレスドア(向かって左がHゴム、右が二段式)や大湘ベンチレーターが存置されたモハ80017
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80017oka1.75.2.28Oka.75c-18-20a.jpg
※こちらはベンチレーターが小湘に変更されたモハ80032
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80032hiro1.75.3.2Hiro.75c-25-36a.jpg
261モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/01/23(金) 22:57:50.13 ID:DoxUxPyj
【更新修繕におけるクハ86一次形ヘッドライト】
●クハ86一次形で、更新修繕でヘッドライトが埋め込まれなかったのは、86008・86015・86016の3両です。
特記事項として、86008は末期にアコモデーション改造により、外見的には客窓が木枠からアルミサッシ化され、また86015は有名な153系初期車流のパノラミックウインドウ化が更新と同時に行なわれました。
なお、のちに照度向上のため、前灯の大型化がはかられていますが、これらの形態自体に変更はありません。
※更新後間もないクハ86008[1960年5月:戸塚付近]
http://www42.tok2.com/home/kani24/kuha86008-823t-35522.jpg
※86015は、ご存じ大井工場で事故復旧でパノラミックウィンドウ化された車両。
同時(昭和35/1960年)に更新修繕を受け、昭和48/1973年の復元工事後も前面ノーシル・ノーヘッダーで両脇の窓が横長など、他車と異なる雰囲気でしたが、結局ヘッドライトは埋め込まれずに引退しました。
クハ86015(更新後)[1960年7月:上野]
http://www42.tok2.com/home/kani24/kuha86015-35.7-ueno.jpg
クハ86015(復元後)[197年8月:小郡]
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/c57115/20110615/20110615212758.jpg
※末期まで一番原形の雰囲気をよく残していた86016は、カラー写真で…。
クハ86016[1975年3月:広島]
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-1/Tc86016hiro1.75.3.2Hiro.75c-26-36b.jpg
262モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/01/23(金) 22:59:24.39 ID:DoxUxPyj
【80系の更新修繕に関する注意事項】
●アルミサッシは、更新修繕においては一切採用されていません。
初期製作の80系電車の木枠客窓がアルミサッシ化されたのは、後年のアコモデーション改造においてのみです。
たとえば、鉄道ファン誌1995年8月号特集において手塚一之氏が更新修繕の項目としてアルミサッシ化も取り上げているのは、完全に誤りです。

●昭和26年度以降の落成になる車両で、更新対象車ではないものも、ほぼ同時期に白熱灯照明の蛍光灯化や扇風機・車内放送設備の整備などが行なわれ、これを更新修繕と混同する誤解が多いようです。
しかしながら、(新製時からHゴムのものも含めて)戸袋窓のHゴム化をしていないものは、特殊な来歴の80027を唯一の例外として、80系では更新修繕とは定義されていません。
また、80200・86100・87100番台・85030〜・300番台全金属車両並みに、屋根布の下端を雨樋位置まで延長する工事は、更新修繕対象外の張り上げタイプ80089〜80117、86059〜86080・86082・86084、87044〜87047・85015〜85029には施工されていません。
※更新修繕対象外の27年度車モハ80093。戸袋外窓が木枠のままであり、屋根布が雨樋位置まで張られていないことに注意
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80093moto1.74.7.12Moto.74c-18-09a.jpg

【更新対象外の車両について】
昭和27年度車モハ80098・80099は、改造時期は不明ですが、屋根布が更新施工車並みに雨樋部まで延長されていました。
最終配置が同じ岡山運転区の80101では延長されていません。
同様の屋根布延長は、Hゴム支持化すべき戸袋窓も前面窓もなく、更新修繕の対象外となった予算年度昭和26年度のサロ85のなれの果てとなったサハ85やクハ85にもみられ、やはり延長されていないものと混在していました。
※モハ80098
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80098oka1.75.2.28Oka.75c-20-28.jpg
※クハ85017(旧サロ85017)。非更新そのままで、屋根布が雨樋高さまで張られていない
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-Tc85top/sub80-Tc85-1/75c-24-101.Tc85017hiro.75.3.2Hiro.jpg
※サハ85025(旧サロ85025)。非更新だが、こちらはのちに屋根布が雨樋の位置まで延長された
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-T85.Ts85/75c-17-351.T85025oka.75.2.28Oka.jpg
※サハ85102(旧サロ85029〜サハ85029)。屋根布が雨樋高さまでは張られていない。横須賀線で70系編成に組み込まれ、サハ化されて神領に転じ、3扉化で85102となったが、屋根は非更新で80系時代の原形を保った
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-T85.Ts85/75c-31-25a1.T85102shin.75.3.5Nako.jpg
263モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/01/23(金) 23:27:08.38 ID:DoxUxPyj
昭和24〜30年度車までの一部車両を対象に、昭和47/1972年以降に行なわれた「アコモデーション改造」は、更新修繕とはまったく別のものです。
こちらは、
●木枠客窓のアルミサッシ化(ただし一部は木枠のままのものがあり)
●日除けヨロイ戸の巻き取りカーテン化
●蛍光灯(20W直管)を実質約1.5倍に増設
●座席のニス塗り部分の灰色塗装化(アコモデーション改造車以外にも浜松工場での施工車が多数あり)
●室内木製内張りを淡緑アルミデコラに張り替え
●戸袋外窓が木枠のものはHゴム化(ただし80027のみ未施工)
●便洗面所改良工事
●客室とデッキの仕切りニス塗りを淡緑塗り潰し
●床板張り替え(一次形の木製床のみならず、二次形以降のリノリウムも、新材質のロンテックスに変更)
などが施工されました。
外見的には、元来は木枠だった客窓がアルミサッシ化されている点が特色ですが、80066・80068・80076・80107など、モハ80を主体に、客窓アルミサッシ化を省略したものがあるので要注意です。この場合でも、日除けヨロイ戸の巻き取りカーテン化は行なわれました。
※アコモ改造車で唯一、戸袋外窓が木枠のままのモハ80027
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80027oka1.75.2.28Oka.75c-17-36.jpg
※更新修繕対象外でアコモ改造を受けたモハ80096。屋根布の張り方が非更新を示すが、原形なら木枠であるはずの戸袋外窓がアコモデーション改造でHゴム支持化され、客窓もアルミサッシ化
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80096shisu1.75.7.8Numa.75c-65-35a.jpg
>>252のモハ80089等も同様

このアコモデーション改造は、昭和47/1972年から行なわれましたが、内張り木製部分の外から見えない箇所の腐食が相当進み、さらにネジを外した部分がバカになって再ネジ立てを要したりなど、様々な苦労があったようで、施工は一部にとどまりました。
東海道地区担当の浜松工場では16両を施工して、1973年に早々に中止しましたが、山陽地区では1976年まで実施されており、改造が終了して約1年後には80系の廃車も始まっているので、施工後わずか2年前後で引退した車両もあります。
施工車は、完全には把握できていませんが、確認しているもののみ記載しておきます。
【モハ80】007・027・035・050・066・068・076・084・089・096・098・099・105・106・107
【クハ86】001・004・005・006・007・008・010・011・014・017・018・022・023・024・025・026・028・030・031・032・033・036・041・043・045・051・055・057・073・075
【サハ87】019・030・033・039・042
※80066・80068・80076・80107の客窓はアルミサッシ化されずに木枠のまま。

上記以外の施工車をご存じの方は、ご教示頂ければ幸いです。
未施工でほぼ間違いないものを除外すると、下記の最終配置岡山運転区の車両に関して、筆者にとってもいまだ不明です。
80047・80070・80074・80075・80081・80086・80087・80088・86053・86062・86067
264回想774列車:2015/02/06(金) 19:51:03.38 ID:alAs5lJV
70系初期車にはアルミデコラやアルミサッシでなくニス塗りの木の壁を薄緑で塗り潰したものが神領に多かった。
首都圏の72系は複雑で、アルミデコラ化したり薄緑塗り潰しだったり、後者にはアルミサッシ二段化と木枠三段のものが混在したり…。
265回想774列車:2015/02/06(金) 20:46:19.35 ID:6YWV+JF8
事故で顔面整形のクハ86015と 保々スッピン顔の86016・・・好対照のような・・・この2両一生涯相棒だったの?
・・・ひょっとして016の更新が、軽度の内容になったのは、
事故修復015が、不評(曲面ガラス採用や再改造後も固有の寸法のガラスだった事、若しくは事故復旧車固有のクセというか後遺症で優先的に廃車を考慮していたから?)
266回想774列車:2015/02/06(金) 21:51:49.92 ID:alAs5lJV
>>265
関係あるわけがない。
くだらん想像だけで質問するなよアホ!
確かクハ86015だけ大井工場で更新しているから、クハ86016とは別扱い。
クハ86015の復旧改造は、噂だけどガラスが規格外(153系とは違う独自のもの)で、割れた時に交換する部品がほとんどなかったから、確保しやすいものに変えるためらしい。
267回想774列車:2015/02/06(金) 21:57:37.44 ID:alAs5lJV
>>201
山陽線80系の音のCDが昔あった気が…?
ググってもわからないので、勘違いかも知れない。
ネット上ならモハ70052両毛線が同じMT40の歯車比2.56で、これは結構飛ばしてておすすめ。
268回想774列車:2015/02/07(土) 02:39:21.50 ID:mYJpexro
>>266 ソレくらい仕事も一生懸命やってくれれば・・・残念だww
269モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/02/08(日) 13:50:55.32 ID:v6wTSaWt
>>201>>267ほか
公開された本線系の80系電車の走行音としては、九州レイルウェイショップ「汽車倶楽部」取り扱いの「モハ80055」のCD(1978年6月録音・山陽本線/税別2000円)が有名です。
http://www.kisyaclub.gr.jp/action_kisya/hanbaisyouhin/sound/krs_cd008/krs_cd008top.html
現在は既に生産しておらず、在庫切れ次第販売終了なので、希望者は早めに問い合わせた方がよいでしょう。
ほかにも、客車列車(SLやDL等)などのCDラインナップがあり、在庫のあるものなら、案内に従って申し込むことで、全国配送もしてくれます。
汽車倶楽部HP
http://www.h3.dion.ne.jp/~jnr59647/index.html#syouhin
270モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/02/08(日) 13:59:06.37 ID:v6wTSaWt
手元に>>269でご紹介している「モハ80055」のCDがあります。
広島以西から80系が引退する1978年6月に録音されたおよそ1時間の車内走行音です。
おもに、下関運転所80系6連の450M下関始発広島行きの下関〜長府、埴生〜嘉川(厚狭と本由良で一時中断。マスターテープ交換のため?)の走行音で構成されています。
窓を開けているため、すれ違いやトンネルなどが強調されています。
ロングレール区間もありますが、25mレール区間や25m溶接区間も多く、混在が多い当時の雰囲気は伝わる感じです。
走りは、発進からトップスピード(速い時で90km/h前後)まで一気に持っていく区間が多く、駅間が非常に長い厚東〜本由良などを除いて、再力行は少ないです。
区間に点在する短いアップダウンでは、登り勾配途中でもノッチオフしたままサミット越えしているようです。

ただ、現在多く残されている飯田線80系の録音よりも加速がよく、高いノッチを常用していたことがうかがえます。
もう少し先、防府付近とかならもっと飛ばしたと思われ、車内放送が録音者のレポートにもあるように聞き取りにくいのとあわせて少し残念ですが…(汗)
音質は上々で、今となっては非常に貴重な記録です。
271回想774列車:2015/02/09(月) 20:39:20.62 ID:W96msqwe
80系って実に面白いですね。1両ごとすべて違うとまではいかないにしても、運用範囲も広かったせいかバラエティに富み、技術の急速な進歩のさなかに作られたことで、その過程の進化が車両ごとの違いに反映されている感じです。
272回想774列車:2015/02/10(火) 23:19:43.87 ID:lIAXdvGx
>>265
266の言う通り。
ヘッドライトだけで軽めの更新なら、261にあるクハ86008もそういう話だ。

>>261
よく見るとクハ86008のヘッドライトはこの時点で全金車と同様に大型化されているようですね?
86015など他の更新とは違う。
このあたり、やはりバラエティあったみたいですね?
273回想774列車:2015/02/11(水) 21:17:10.71 ID:tEX9D7vT
>>271
バラエティが広いながらも、
1両1両が違いすぎてとっつきにくい末期の戦前旧国よりは
把握のしやすさがありますね、70系80系は
274回想774列車:2015/02/12(木) 01:15:00.24 ID:0UBmQg6r
>>273
戦争中を経たのもあって改番やクロハ格下げとか、把握しにくい面があるからな。

それにしてもサロ、サハのクハ改造はあったけど、モハのクモハ改造とか計画や案すら無かったのだろうか。
70系はともかく両数が多かった80系なら案くらいはあったかも知れないけど、そんな噂は知る限りでは見ないな。
275回想774列車:2015/02/12(木) 02:37:40.47 ID:GcfERgn4
>>274
むしろ運転台を撤去されてモハ30が誕生したな。
80系のクモハ改造が行われていたら、2連になってローカル線を走っていたかもしれない。
想像するとなんか楽しい。(^^)
276モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/02/12(木) 04:35:23.42 ID:LcC+3Fjo
>>272
クハ86008の前灯はそのとおりで、いきなりそれになったのは珍しいケースのようです。
えらい長文の連続になってしまったので、あえて触れませんでした(汗)
277モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/02/12(木) 19:00:36.18 ID:LcC+3Fjo
>>274-275
モハ80は、サハからの編入改造80851・80852以外は形式間改造は皆無でしたが、昭和36/1961年頃に3扉化改造する案は検討され、形式モハ82(旧モハ82の155系への改称で空いた形式)として設計図も起こされたそうです。
この案は、取りあえず改造対象をモハ80のみとしていたようです。
しかし、翌年には111系が新製され、実際にこれが実現されることはありませんでした。
結局、80系の3扉化は、当時横須賀線用となって70系と組んでいたサロ85をタネ車とした、中央西線用サハ85100番台と両毛線用クハ77のみにとどまりました。
278モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q :2015/02/13(金) 15:56:07.46 ID:gCsiQspW
>>269関連
モハ80055(広島運転所)
昭和25/1950年製造(2次発注関東向け)1977年撮影
※1978年10月廃車
http://2.bp.blogspot.com/-glL0jccE8ZY/UUWZATExDVI/AAAAAAAAT4g/Flwx-decjis/s1600/PICT4053_9.JPG
279回想774列車:2015/02/14(土) 07:55:34.21 ID:9w5KJDtJ
McTcの2連を基本とする線区は戦前型、
4連〜6連の線区は70・80系
という風にうまくすみわけができたんでしょうな
280回想774列車:2015/02/24(火) 22:32:38.70 ID:zTNTZbY2
クモハのない70・80系でサハ(サロ)等付随車の存在はすなわち必然的に5両以上の編成になるから、それを減らしてクハを増やす方が効果が高い。

あと、80系については主な使用線区は東海道・山陽線などで、特に80系は末期までただでさえ車両不足(呉線や赤穂・宇野線に遅くまで80系でなく戦前型や72系を使ったのは80系が足りなかった)
クロスシートが要求されながらもラッシュ時に遅れを出すこともままあり、定員減になる改造の必然性ゼロ!

間通路幅が標準と同じ70系は、戦前型などとの混用もあったけどね。
横須賀線末端の横須賀〜久里浜区間運転ではクモハ43(53)+クハ76とかもあった。
281回想774列車:2015/02/24(火) 22:40:08.06 ID:zTNTZbY2
あと確か80系は約650両中M車はやっと300両に到達した程度。
サハの改造よりモハのクモハ化をしても、それで短編成化を促進してしまうと、残ったサハの動力源が足りなくなる。
そうした需給を考え、なるべく改造両数を抑える方向で車両計画を組むのは、当然のことだ。
282回想774列車:2015/02/25(水) 23:10:56.94 ID:bKnjJZS5
仮に、80系内で附属2連を作って、途中増結するみたいな
私鉄にはよくある運用方法をとるなら
一部モハの先頭車化はありえたのかもしれないが…

国鉄の電車ってそういうことをあまりしなかったよね。
電車以外では切った繋げたは日常茶飯事だったが

たとえば特急列車にしても、キハ80の時代は分割併合していた
のが電化されたとたん2本の列車に分離され
せっかく作った電気釜の貫通路すらもてあます始末。
283回想774列車:2015/02/26(木) 00:14:53.70 ID:1D7V/SYQ
>>281-282
国鉄時代は普通列車でも編成が長かったからね
ただ、80系はTcMTcの3連運用も考えていたようで走行試験も行ったと聞いた
実際1M2Tでも問題なかったようだ。
284回想774列車:2015/02/26(木) 22:23:46.22 ID:4sm8vOJp
>>282-283
飯田線に附属編成が有った様だ
(TcM+TcMMTc)
モハ80の後位には窓付きの蓋
285回想774列車:2015/02/26(木) 22:23:46.63 ID:CUkAoNqE
>>283
ソースは?
MT40はトルクが高かったそうだから、机上の提案ならあったかも知れないが、具体的な試験走行なんてあったのか?
過去レスでそのようなことを誰かが言っていたが、所詮そんなのは噂の域を出ない。
286回想774列車:2015/02/27(金) 01:12:48.45 ID:wsY69onE
80系は元からローカル転用を考えていなかったふしがある。
飯田線こそクロスシートが望まれしばらく使われたが、身延線は動力車はモハ80800〜80813、80851・80852以外が使えない(PS23化だけでは無理)から最初から想定せず。
東海道、山陽と中央線や甲信越地区と、それら本線系周辺で使われるうちに老朽化が進み、一気に全廃。
元来長編成を意図して開発され、既出だが旧型で唯一13両編成以上を組んでいる(クモニ83やクモユニ74等はあくまで改造でそれが出来るようにした車)。
静岡地区には13・14連が末期まであり、中京や岡山、広島でも10両編成位は当たり前にあった。
287回想774列車:2015/02/28(土) 01:59:37.26 ID:F9D9R1BA
飯田線での出場試運転が1M2Tだったと、大昔の鉄道ファン誌にニュース投稿が有った。
288回想774列車:2015/03/01(日) 08:15:05.39 ID:S5rgowpw
>>287
それは、実際の1M2Tでの営業運転を想定した試験ではなく、たまたまほぼ同時に検査から上がった車両で組むと1M2Tになったから、単に出場試運転をそれでやったというだけだろ?
いっしょくたにするなよ。
少なくとも、それが「TcMTcの3連運用も考えていた」ということには全然ならんよ。
また、最急勾配40パーミルのほか、連続25パーミルが点在する飯田線では、80系あたりで1M2T営業運転なんて、トラブル防止の観点から、絶対にやらない。
289回想774列車:2015/03/07(土) 17:13:08.79 ID:y4nnTsml
どうやら80系1M2Tの話は、単なる工場を出る時の試験(他系列や控車としてクモヤやクヤみたいな車両と組む場合もありうる)に過ぎなかったみたいですね。

80系に1M2T実際の運転計画なんか当然初めからなかったでしょう。
冷静に考えて、もしそれが出来るなら、鶴見線72系1M2Tなんか、ラッシュ時はともかく、昼間のガラガラの時なんか当然1両動力カットしたはずです(これは簡単にできます)。

知ったかはやめてほしいです。
290回想774列車:2015/03/07(土) 18:40:17.66 ID:gCRg1KyR
ビッ区カメラ札幌店の

副店長の佐藤伸弦が暴行事件を起こしていた。

コピ・ペで拡・散希・望
291回想774列車:2015/03/08(日) 01:05:36.87 ID:sRUAgVux
>>289
おいおい、72系1M2Tから1Mカットしたら…動かんよww
ま、2M1Tの間違いなんだろうけどさ。
MT40はMT15等の1.5倍近い高出力だし、相応のトルクと釣り掛けならではの粘着特性をもつ。
加速がやや劣ることに目をつむれば、理論上は平坦区間では1M2Tも不可能ではないだろうが、新性能電車の進出の中で、それはまずやらないだろうね。
292回想774列車:2015/03/08(日) 01:19:35.92 ID:j6n395A1
西武が501でMT30の1M2Tをやっていたからなぁ
293回想774列車
ただDMH17×1基搭載の気動車は、液体変速機を介しているとはいえ
事実上132kWモーターの1M3Tみたいなものだったわけだからね