【2ドアから】阪急2800系スレ【3ドアへ】

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106回想774列車
と言うことは2300/2800系の3連ユニットは、登場当初は

MCパンタ付き、Mパンタなしだが台付き、Tcだがパンタ付きという格好で
走っていたのですか?


話は前後しますが、>>70-71etcの話だと、それぞれ当時の停車駅での「特急」用車が
「急行」用車に比べて格段に走っていると言うこともないのですね?

2800系は特急時代と昭和50年代の急行時代で、
6300系は2001年の前後で、日々の走行距離はさほど変わらないということでしょうか。

5300系の8連と6300系も、特に前者が急行専用であった平成元年の改正までは
ほぼ同じくらいの走行距離を毎日計上していたと言うことになりますね。


従って2800系や6300系の「主たる」廃車要因は他形式に比べて走行距離が長いことやそれからくる
痛みの多さだとするのは、正しくはないということでしょうか。2800系は3ドア改造や試作的要素を
含む冷房が主たる要因で、6300系の場合は停車駅の増加に構造が応えられなくなってきた事と、
20数年を過ぎてのドア増設に掛かる費用とその後走れる年数を考えると、京阪3000系のように
多くの先輩を残しての旅立ちとも捉えられるのですが、どうでしょう?6300系の場合、元々の
ドアも他の形式とは場所が違いますし。阪急の3ドア改造車は2800系の一部編入車を除き、
改造後20年もった車両はほぼ絶無のようですね。
107回想774列車:2009/06/23(火) 19:37:52 ID:v2R/QzRd
2800の登場時には京都方にも2丁パンタが装備されてました。
ぐぐれば写真もあると思う

なお、正雀工場に勤務していた友人は「6300はもう持たん」と嘆いていたぞ。
故障発生率が段違いらしい。
加速が遅いので、無理な運転をさせてたんじゃないかな?(想像だけど)
108回想774列車:2009/06/23(火) 22:39:28 ID:MbMqRfTJ
>>106
2800系の場合は、冷房用と走行用で別々のMGを搭載していたり、もとは同じ機器であった2300系が冷房化で制御機器
を更新した結果、2800系が保守的にやや特殊な車両になったのもあるのでは?

阪急は、電装解除された2021系や2200系、早期廃車された5200系の様に、保守上で難を抱えていたり、試作的要素の
強い車両は、思い切った処置を取る事が多い様に思います。
109回想774列車:2009/06/23(火) 23:49:18 ID:Qbod1gnp
>>107
阪急がバブルで大赤字出したのに当時の社長が株主総会で、
「安全に金をかけすぎたのかも知れない」とヌカシテて車両
整備のサイクル延ばしたからだろう。
110回想774列車:2009/06/24(水) 00:20:59 ID:5ogqGMf8
>>109

  菅井のブォケのことか?三村屋の腰巾着大番頭
111回想774列車:2009/06/24(水) 05:45:14 ID:MY5nBS4i
>>99
南茨木は花博のときと思うが急行が臨時停車じゃなかったっけ?
平成2年ころの記憶
112回想774列車:2009/06/24(水) 09:57:10 ID:ApmwCsOm
ありがとうございます。
特急2800/6300系の1日の「走行距離」は、急行で走る形式と比較して特段多い訳ではないし、
近鉄エースカー、スナックカーや名鉄パノラマカーなどは40年以上活躍し、JRでも30数年の
特急はいますので、走行距離も無関係とは言いませんが>>107さんのような他の理由の方が
より当てはまるような気もします。

2861にパンタが、その後ろの2831に台だけ載っているのが分かります。
hokuso.com/daigazo/html-daigazo-082.html
格好いいですね。自分は急行や普通しかリアルタイムで見ていないので。
特急時代に生まれているのですが。

113回想774列車:2009/06/24(水) 09:58:55 ID:ApmwCsOm
>>108
それも原因に含まれると思います。ウィキペディアにも色々理由が載っていますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E6%80%A52800%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
阪急は特に下回りが特殊だと付随車化し、箱が特殊だと若くても廃車して部品は流用
していますね。5200系の台車も4両を除き活躍していますが、5242の台車などは5242の
車体を載せて走った距離よりも、今の8000の車体を載せて走っている距離が上回って
いるかもしれません。

「昭和30年代前半頃の車両は軽量化を意識するあまり車体が脆弱で腐食も早く、
特に昭和50年代に入って冷房化の気運が高まると、一部を除き冷房にはせず
廃車になって行ったものが多い」といった見解がありますが、阪急1000系列
もその類いですよね。断面形状も複雑だそうで。車体は潰されましたが、台車は
一昨年まで使われてました。国鉄も101系などと戦前戦中車の引退期が似たようなものです。

>>111
午前中は梅田行が臨時停車、午後は河原町行きが臨時停車していました。
従ってその年の春や秋の臨時急行が南茨木に臨時停車する事はありませんでした。

長くてすみません。