長距離・夜行各駅停車

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371池原あゆみ44歳
で、ちょっと深刻な話題を振るけど、
「上流社会の人間と下流社会の人間の境界はどこか?」
という質問に、
「夜行普通列車に乗車体験があるかどうか」
という答えがある。

僕が、91年夏の大垣夜行を最後に、夜行列車と縁が切れたのは、
もう、その当時、すべての夜行列車に「プロレタリアイズム」を感じていたから。
自分は、それなりのレベルの大学を卒業しており、
「これ以上、レベルの低い世界には巻き込まれたくない」という思いがあった。

現在、身近に、
「ムーンライト九州がなくなったから九州へは行けなくなった」
「18きっぷ愛好。行きは521M限定。帰りは338M限定。普通列車グリーン車など論外」
という人がいる。
前者の関西人(郵便局外務職員)など、
「特急利用は郵便局の組合の大会に合わせての旅行のみ」と、言い切る。
つまり、「郵便局の社費利用で、撮り鉄、乗り鉄を実行する」
(10日間の有給休暇で、組合の大会には、1日の数分、顔を出せばいいだけらしい)

こういう人ばかりなのね。現在の夜行普通列車の愛好者って。
50歳近い年齢で、このようなセリフを言ってしまう人って、
どういう経済状況なのだろう? と思う。
大学時代の友達や、鉄道趣味と無関係の友達は、ほぼ全員、
「大阪から東京へはのぞみに限る」
中には、「もう、のぞみはグリーン車にしか乗れない」という人もいる。
そんなレベルなのに。

「夜行普通列車」と、「社会の底辺層」について、
このスレの住民はどう考えますか?
「中央東線長野行きや、上越線長岡行きの時代は、そう密接な関係ではなかった。
むしろ、登山などのアウトドアの世界で、健全な世界であった」
のでしょうか?
372回想774列車:2011/09/16(金) 05:23:18.12 ID:SsShNhao
>>371
時代にもよるけど,昭和40年代後半〜50年代は,急な所用で旅立つとき
夜行列車の自由席は当たり前だった。
たとえば東海道スジならば昭和50年3月改正以降,東京〜名古屋を通して運転して
かつ自由席があるものは新幹線と大垣夜行しかなかった。新幹線が終了したあと大阪に
いく用事がある場合名古屋まで大垣夜行を利用すれば翌朝1番のひかりよりも
1時間は稼げた。この1時間が貴重で当時朝1番のひかりは新大阪到着が9時10分だった。
そもそも青春18などは存在しない時代でごく普通に一般の旅行者も利用した。

夜行普通列車=青春18愛用者=社会の底辺層などという図式は当時はそのカケラもなかった。
373回想774列車:2011/09/16(金) 10:12:01.81 ID:SvhCbVO3
>>372
キチガイを相手にすんな
374回想774列車:2011/09/17(土) 04:51:12.75 ID:vUu1k9Jb
じゃあ夜行バスの利用者はどうなるんだろうな?

はい次〜