旧型国電なのに、なぜか国電のアコモ改造車は資料が少ない。
私鉄だとあの頃はどこにでも多かれ少なかれ居たのにね。
仙リハのクハ79600&モハ72970、静ヌマのクハ66&モハ62の評判は
どうだったんでしょうか。
モハ72970に初めて乗ったのは海芝浦から。
3両のうち真ん中だけオレンジで、結構この車両を選んで乗る人が多く混んでいたように思う。
車内はグリーンのパネルに紺の椅子で中央線の101系と全く変わらない内装。モータ音を除けば全く遜色なかった。
近い将来、みなこれに置き換えられるのかと思っていたらやがて茶色に塗り替えられ、やがていなくなってしまった。
603 :
回想774列車:2009/08/04(火) 21:32:28 ID:7SAOddRN
鶴見線の72970って、誕生のいきさつは何でしたっけ?
仙リハのアコモ車は本当の旧型が無くなったあともしばらく残っていた。
別に一般人は気にしていなかったのでは。
乗務員受けは知らないけど
(リハ区に入れてもらった時に、中のエラい人にそこまで聞けなかった)。
605 :
回想774列車:2009/08/04(火) 23:36:41 ID:w1kUfnxf
>>601 茶色になったときは一時期、クモハ73500代+モハ72970+クハ79920代と三世代の
全金属車が並んで連結されたときがあった。乗客はどの車両を好んだのだろうかと
思ったな。
>>603 旧形を運用している地方線区から、車輌の改善要求が強かった。
特に内装に関して乗客の苦情も多くなってきていた。
しかし新性能電車のMM'ユニット方式の車輌を入れてしまうと、
検修に問題がある電車区があったとされる。
そこで1M方式新性能電車の開発も検討されたが、
なお首都圏を始めとして、老朽車の改善に財源が必要な時代。
そこで特に改善要求は強いが、当面旧形を使用し続けなければならないと
予想された房総、身延、仙石などの各線向けに、試作車を作り、
問題抽出をした、というあたりが理由だったかと。参考RF138号他。
>>605 廃車時がその編成だった。当初は63タイプクモハとクハと組んだ。
その後クモハ500、クハ300と組んだ時代もある程度長かったかと。
607 :
回想774列車:2009/08/05(水) 09:17:18 ID:FfwTQZDo
クハ79392+モハ72970+クモハ73029
※79392は木製ニス塗り内装&金属ヨロイ戸
※73029は近代化(全金属車体の量産タイプ)
※昭和54年5月の編成
仙石のアコ改、ドアが重かったなぁ。103系は軽くて両側が同時に開いて感動した覚えがあるw
仙石線のそれは、ドアエンジンがTK105? とにかく鴨居上にあるやつだった。
610 :
回想774列車:2009/08/06(木) 08:58:36 ID:4ZsZaIrQ
鴨居は横浜線だぞ!ww
旧国(72・73)の頃は野っ原の中の田舎駅という感じだったが、今は見違える感じ
611 :
回想774列車:2009/08/06(木) 22:03:10 ID:57oM/+S3
>>606 房総に導入されるとしたら、やはり身延と同じモハ62系だろうか。実際はオリジナルの72系が
そのままでしたが。
それにしても、地方線区が必要とする性能では、特に新性能である必要はなかったということ
でしょうか。ただ改造費が思ったより高かったことと、新性能車に比べ検査周期が短いなどで
コスト面での旨みがなかったようですね。
>>606 たしか改造の種車として久里浜に集めておいた72系が
水害で水に浸かって、おじゃんになってしまった
っていう理由もあった気がする。
>>611 房総へは、62系を想定していたようです。
誌名忘れてしまいましたが、どれかの鉄道雑誌にわずかな文字列ながら
記述があったはず。
クハ66-モハ62-モハ62-サハ69-モハ62-モハ62-サロ65-サロ65-モハ62-モハ62-クハ66
こんな編成で東京地下駅に乗り入れていたら・・・
まあ、サロまで作るはずはありませんが(アコモ改造の意味無いしw)。妄想ですスマソ。
地方線区のMMユニット新性能車投入困難な事情の中には、
例えばピット線がM車1輌分しかない等の研修設備が貧弱な電車区も
あったらしい。
国鉄の車体更新車は、部品を流用しすぎだった感があり、
それも足かせになったような・・・
小田急旧4000や京王5100、東武5050あたりだと、新性能車と検査回帰は
同じだったのでは? 国鉄独自の縛りがあったのでしょうかね?
614 :
回想774列車:2009/08/07(金) 08:47:58 ID:KlQB9L0B
富士にも伊那松島にも北松本にも行った。弁天橋にも横川にも行った。富士ではおみやげにサボを頂いた。まだまだ良い時代でした。
615 :
回想774列車:2009/08/07(金) 23:44:20 ID:0cTpR9Og
>>613 知ってのことと思いますが、さすがに千葉以西の運用は考えていなかっただろうね。
しかし、なぜ国鉄では旧型の検査回帰は短かったのだろう? ふつうに考えれば
電磁直通ブレーキや、電気ブレーキ、多段制御など機器が複雑化しているのだから、
逆に新型のほうが検査回帰は延びそうに思えるけど。
616 :
回想774列車:2009/08/09(日) 09:06:15 ID:UEyBtsqQ
・つりかけ台車(モーターが重く、車軸にその重量がかかる)
・ほぼ空気制動のみに頼ったブレーキは摩耗等が激しい(電気制動は、その作動確認と配線の主要部の検査以外は、メンテナンスフリーに近い)
・電気系統の絶縁等の甘さ
・国鉄車両は運用範囲や走行距離などの点で苛酷な使用が多い
…エトセトラ!
冷静になれば明解。すでに何度も論じられている
例えば車体更新時に、
CPをC-2000に交換、ブレーキをHSC(国鉄流に言えばSEL?)に改造、
台車ブレーキシューをレジンに、ブレーキシリンダーを台車取り付け・・・
というように、私鉄並の改造を施したら検査回帰の延伸は可能だったのか。
そのあたりが気になるわけです。
一番困難だったのは、現場の説得かもしれませんが。
その考えでいって、一番近い答えが103-3000化じゃないですかね?
陳腐化した車体を載せ替えて、次に動力系の更新で新性能化、、、
>>618 なんかピントずれてない?
>>617の気になることってのは、
もし国鉄で『駆動方式が旧性能のままで』その他の機構を
新性能車並みにしたとしたら検査回帰は伸びたのか。
言い換えれば駆動方式がどの程度検査回帰に影響していたのか、でしょ。
新性能化してしまった103-3000じゃあ、
>>617の疑問の参考にはならないよ。
ここからは俺の推測。
駆動方式とブレーキ系統はメンテナンスにおいて最も重要だろうから、
その片方が新性能化されれば、ある程度検査回帰が伸びた可能性はあると思う。
ただ、釣り掛け駆動は台車への衝撃が大きいことを考えると、
たとえ電気ブレーキを導入したりブレーキシリンダーを台車側にしたとしても、
それらの寿命は純然たる新性能車に比べて短くなるはず。
となると、検査回帰の延伸効果もあまり多くは望めなかったのではないか。
特に専門知識があるわけじゃないんで間違いもあると思う。
詳しい人の補足を望みます。
連投失礼。
私鉄にくらべて更新車が少なかった理由には、スケールメリットも影響していたのでは。
なにしろ103にしろ113にしろあれだけ量産したのだから、
車輌の新製費は私鉄よりずっと安く抑えられていた可能性がある。
ゆえに更新改造と新製とのコスト面の差が私鉄よりも小さかったのではないか?
当時の国鉄と私鉄の予算を調べれば判るはずなんだが、手元にその手の資料がないので・・・
とうに外出な話題だったら申し訳ない。
>>619 前段はその通りと思います。解説乙。
推測のところ以降
確かに駆動方式のハンデは無くなりませんが、
小田急1800の場合、車体更新後もブレーキHSC(これはATSがらみ)、
制御器交換(CS-5からAPFに)、パンタPT42に交換・・・とやって、
新性能車と同じ全検回帰になっていました。
それで新製昭和21年、車体更新昭和32年、廃車昭和56年だったので、
寿命はそこそこ長いとも言えるのではないかと思っています。
まあ、実際には
>>620の理由のほうでしょうねぇ。
国鉄は良くも悪くも標準化を推し進めるところでしたから。
小田急の1800の例でも、大型車が当時少ない中で、
有効に活用しなければならないという命題があったわけで、
ぽんと103や113を新製して、そのあと転配すればすむ国鉄とは、
やっぱスケールが違いますよねぇ。
622 :
回想774列車:2009/08/12(水) 09:02:43 ID:pIcMnzKk
久里浜疎開のは近代化改造済のが大半だったから、62の種車ではなくそのまま転用予定だった。
623 :
回想774列車:2009/08/13(木) 01:25:48 ID:x055j4U3
いや、久里浜留置車には改造タネ車としても状態の良いのを集めた、って
当時のRFに書いてあったから、そのまま転属使用用と改造タネ車があった
と思うが・・・。