>>78 僕は1962(昭和37)年生まれです。1965(昭和40)年頃、僕が3歳位の時。父の転勤で
フランスのパリ郊外に住んでいた。アパートの窓から国鉄線(SNCF)が見渡せ、長大編成の赤茶色
の貨物列車が走っていた。「貨物列車よ!」と母の声で僕は一目散に窓を眺めた。時々SLが牽引して
いた。1970年(昭和45)にもフランスの田舎でSLが走っていたのを見た。機関車は141Rで
あろう。当時フランスで活躍したSLでは最多輌数であったし。
1972(昭和47)年の夏休み、小学4年の時だった。父の実家である大分県へ行く途中、下関、
門司付近には貨物列車を牽引したD51が猛煙を吐いて走っていたを目撃した。
日豊本線にはC58の引いた客レやD51の貨物列車があったのは記憶してる。臼杵駅のホームで祖
母と一緒に鶴崎の従兄の家へ遊びに行く列車を待っていた。その列車が何とC58だった!DF50だ
と思っていただけにその感激は大きかった。トンネルに入ると白熱灯のやさしい光線が僕達を包んだ。
内装はニス塗り、オハ35系か61系だっただろう。僕は面白半分に窓を開けた。「これ、だめよ。煤
煙が入ってくるよ。」と祖母の声。お互いに微笑みあったあの時。
あれから36年。祖母もC58も客車も極楽浄土へ旅立った。
仏様とともに今頃は楽しく暮らしているだろう。
>>79 201系の試作車の落成は1979年。量産車は1981年から。あれから30年近く。1970年代
に活躍した73系旧型国電は今の201系と同じくらいの車齢を迎えてる。