184 :
元二乗:
>>181 キハユニ16が郵便車史上まれな珍車であると言いますのはその
特異なスタイルもさることながら、郵便室、荷物室の仕切りが
なく、1カ所だけの側扉のそばに「郵便荷物」と書かれていた
ことです。明治初期のものは知りませんが、どのような合造車
でも郵便と荷物は分けられていて、郵便乗務員は郵政省、荷物
は荷扱掛、車掌など国鉄が担当しましたから混乗して同じ部屋
を分け合うなんてことも理論的にはありません。しかして車内
をのぞくと構造は区分棚を設けた郵便室で、その使い方を観察
した限りでは和歌山のやつはあるときは京都〜王寺〜和歌山で
郵便輸送、またあるときは紀勢線などで小荷物輸送に使ってお
り、郵便室又は荷物室のどっちかに使うと解釈すればある程度
理解できますが珍しいことに変わりありません。
通学途中に京都駅で「京王下二」に乗り合わせた(と言っても
乗るのはキハ)ことがよくあって、時たまキハユニ16が登場し
ますが、仕切り壁に近い座席で壁に耳を当てて締切郵袋の読み
上げを聞いていました。
また、よく山中渓に阪和貨物の撮影に行くと、きのくに何号だ
ったか、キハ58系の先頭にこのキハユニ16が新聞輸送で連結さ
れ、京王のようなとろい速度でなく、急行運転で疾走していた
光景が思い出されますが、何かキハ58らに「早ぉ走れ」と押さ
れているみたいでかわいそうに見えました。
湘南スタイルというのか正面2枚窓の個性派で、乗務してみた
かった車両のひとつですが、おっしやるように夏の暑さは気動
車は格別で、キユ25以外は暑くて大変だったと想像されます。
なお、一部貫通改造したものや九州で郵便室拡張、郵荷分離改
造を受けたものもあるようですね。
185 :
181:2009/01/10(土) 22:53:53 ID:ZHTHOtWK
>>184 さっそく、レスいただきありがとうございました。
荷物室と郵便室には仕切りはなかったわけでしたか。いや〜、必ず仕切りが
あるものという固定観念で早とちりいたしました。
同じような車で、オハユニ63/64というのもありましたが、こちらも郵便荷物
共用の扉になっていましたが、仕切りはやはりなかったのでしょうか?
いづれにせよ、車両数が少なかった時代、郵便荷物より人間サマの乗れる部分
を多くせいということだったのでしょうね。
ところで、「きのくに」併結のキハユニ16は、まさか客扱いはなかったのです
よね?
186 :
181:2009/01/10(土) 23:07:37 ID:ZHTHOtWK
>>184 連投すみません。
ところで房総にはクモハユ74という珍車もありましたね。こちらは必要に
応じてアコーディオンカーテンで客室と区切るというものですね。
区分棚はありましたが、主に新聞輸送に使われたようで、こちらも郵便or
新聞輸送or客室のすべてに使おうという意図だったのかも知れませんね。
こちらも101系や113系と併結運用がありましたが、結局客室は一度も使わ
れなかったようですが。
横川にオハユニを保存してましたね。
あれはまだゆとりがあったのかちゃんと分けてありましたが。
路線によっては拠点間の護送便形式で郵袋搭載専用に割り切って使っていた例もあったんでしょうか。
188 :
元二乗:2009/01/11(日) 21:18:46 ID:z91t7vIX
>>185 >>186 >>187 私は見たことないのですが、オハユニ63/64も荷物郵便扉が共用
だったのですね。
>>187さんがおっしゃるように横川のオハユニ
61は別々の扉で仕切りもあります。(先日見てきました)
扉が共通なら、キハユニ16同様に車内に仕切りなしと申せまし
ょう。言うなれば、そのときどきで、郵便車か荷物車かどちら
かに使いなさいということです。同じ部屋で陣地を分け合い、
郵便、荷物の両方を運ぶということはないと考えていただいて
差し支えありません。それは59年2月で扱便廃止後、護送と締
切便だけになった後も同様です(明治初期や戦中混乱期のこと
は知りませんので原則論として) 郵便室と名のつく使い方を
するときは共用車であろうと代用車であろうと、国鉄職員と言
えども郵政部外者として立入禁止となります。
蛇足ながら、荷物車内に荷物といっしょに郵袋が積まれていた
ケースは小荷物託送のケースであり、郵袋には荷札がついてお
り、その郵袋は小荷物運賃が支払われた「小荷物」に過ぎませ
ん。国鉄や近鉄、地方私鉄で散見されました。
きのくにキハユニ16のハ室には乗客は乗せずに空きにしていた
か、あるいは新聞をばさっと積んでいたのではないでしょうか。
撮影中に車内までは関心もって見ていませんが、あの座席で急
行料金を取っていたらひんしゅくでしょう。私なら料金を倍払
ってでもあのクルマの急行運転を楽しんだでしょうが。
あと、クモハユ74も憎めない三枚目でした。古い雑誌で走行中
の写真を見たのを覚えていますが、ハ室に立つ人の姿があり、
乗客なのか荷扱掛かわかりません。仕切りはアコーデオンカー
テンでして、ハ室に乗れば郵便作業はまる見えで、房総ミニ周
遊券か何かで房総半島一周作業見学で1日明け暮れることもで
きたでしょう、と最近まで思っていましたが、ロングシートは
あったのに客を全く乗せなかったとしたら、クモユニでもよか
ったのにと思われます。もし
「郵便or新聞輸送or客室のすべてに使おうという意図」
で、場合により使い分けするのなら、日によっては仕切りせず
に全室客室(郵便室部分立ち席)として使ったのでしょうか。
もし私の地元に時間を決めてそんな電車が走っていれば、当時
の私なら中学の学生帽に〒マークをつけて詰め襟制服でニセ郵
便物とシーツを改造した布袋を持参して乗り込み、車掌の制止
も聞かず、鉄道郵便乗務員訓練をしたでしょう。事実、播但線
や加古川線等でキハユニの郵便室が回送扱いの列車に乗ると仕
切り扉を開けてそっちに乗ろうと企てたがいつも鍵がかかって
入れず残念がっていました。(中学生のときからそんなことし
ているから今になって郵便車にしがみついている…)
以上長文スマソ