1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
Rのついた窓 裾絞りの車体 軽量設計のパイオニア
ブルートレインのように華やかではないけれど
高度成長期のニッポンを駆け抜けた
10系客車を語りましょう
はじめて乗った寝台車。確かにベッド幅、狭かったケド。 \(^o^)/
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 07:48:20 ID:VVrzqnDJ
夜行急行津軽だっけ、小学生の頃乗った。
トイレに行こうとしたら出入り口のドア開いてた記憶が。。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 11:52:55 ID:6K5SOi7A
26年前に7歳の時乗りました。塗装がはがれていたのでバンドエイドを貼ってあげました
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 13:01:04 ID:roe30L83
軽量客車と言いつつ寝台車なんか、見た目は重厚ね
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 13:01:49 ID:roe30L83
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 13:11:19 ID:DNPcq98+
1976年頃、十和田の解放Bに乗りました。
出発のドカンで、目が覚めたのを、かすかにおぼえてます。
10系客車のスレなのにみんな寝台の話題だなw
「ながさき」は全然眠れなかった。「利尻」懐かしいな。やけに暗い読書灯、開く窓、自動でないドア、等々
魅力的な車両だった。間仕切りが開くことは最近まで知らなかった。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 18:33:31 ID:ayRZP9HT
福知山線に稀に入っていたけど、35系より貴重だった。
35系(かな?)に乗りなれたオバハンが、ナハ10に乗ってきて「ここ2等車よ。料金取られるから」と言って、
隣の車両に行ったのを思い出した。
>>8 > みんな寝台の話題だな
大方の座席車は昭和50年代早々に夜行急行から外されて、
43系や12系にチェンジしたからでしょう
逆に上野発着の急行などは寝台車が新幹線開業まで残ってましたから
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 20:41:22 ID:uAbh860J
なんで10系はあっという間に淘汰されて、
43・35系みたいのは長々運用されていたんすか?
元々軽量車体初期でさ、
鉄板も薄い材質の上に溶接なども点付けなどの華奢なもんで、
腐食に大変弱かった。
要約だけどそんな感じ。
装甲車のような旧型の方が結果的に長持ちしてしまったわけ。
記憶だけど旧型が2.3mm鉄板なら1.6ミリとかそんな感じ。
計算されつくされていない209系みたいなもんかもね。
上野駅13番線11:19発123レ一ノ関行
最後尾の郵便車はオユ10でしたが座席車の大半は43・35系
それでもスハフ32、ナハ11、61系が紛れ込んでいることもありました
無くなってまもなく30年・・・・
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 22:16:45 ID:wugXsBKA
>>12 ついでに言うと、10系寝台車もナハネ(フ)10→オハネ(フ)12やナハネ11→オハネ13も
車体の傷みが激しくて大多数が割と早い時期に引退しており、旧客の台枠を
流用したオハネ17→スハネ16が最後まで残っていた。
ナロ(ハ)ネ10→オロ(ハ)ネ10は代替車がなかったから、20系格上げできなかった
夜行急行では車両寿命が来た順にA寝台不連結になってしまったが。
まあ、座席車ともども、冷房を付けてオ級になった時点でほぼアウト。
重量増に車体が耐えきれなかったということ。
名古屋から関西線には4両くらいの短い編成だったけどスハ43、オハ46にまじってナハ11もよく連結されていたなあ
亀山あたりには珍しいナハ10もいたけど内装は確か蛍光灯に代えられていてナハ11と変わり映えしなかった気がする
>>11 元高砂工場の職員だった人のHPで
車体が末期にはボロボロで車体と台車を離したときに車体が崩れたとか書いてあったから
腐食はすさまじかったみたいだね
あまりにも軽量構造にしすぎたんでしょう
晩年のながさきは、盗難防止でサボに針金グルグルでした。orz
あの当時はとにかく増える一方の乗客を捌く必要があって、
10系客車に限らず突貫工事ばかりだったから
実績のないまま採用しちゃった設計も多かったんでしょう
Bネの下降窓については、よくあれだけ修繕して使ったと思う
同じ下降窓タイプでも後発の157系電車なんか、
白根やあまぎの末期には側面に穴が開いた車があったと聞くからね
それより10年も長く走らせたのは立派だよ
ん? 10系Bネでも穴が開いたまま走った車はあったのかな? 自分が知らないだけで
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 22:53:40 ID:OaxrWcGl
山手貨物線の品川から大宮への回送列車っていつも10系座席車つけてましたが
いつまで走ってました?
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 09:52:58 ID:d/i6bcxs
とにかく車体がボロボロ、錆び、塗装の剥がれ、穴だらけという印象しかない
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 09:55:37 ID:nQDhRY1d
ここが40代のたまり場ですか?
>>21 40代半ばですが何か?w
北陸線の鈍行に最後まで世話になったな。
もう一回乗ってみたいなぁ・・・。
>>21 20代の人が実車の10系を語りようが無いじゃん
いいじゃない、実車でなくても写真や模型でも。
オレは“ホハワシ”とか“オロリシ”とか“ホイヘ”て記号の
古典木造客車にも興味がある。文献も図面も乏しい想像力の世界。
仮に有っても手が届かない代物だろうし。
そんなの乗った人はもうこの世にいないでしょw
10系といえば急行紀伊のオロネ10の
上段小窓から覗く景色が好きだったな。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 21:06:05 ID:oVRs9lYC
>>24 >“ホハワシ”とか“オロリシ”とか“ホイヘ”
釣りか?????????
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 22:17:28 ID:V5WBaOGu
>>25 > 10系といえば急行紀伊のオロネ10の
負けた。紀伊は幼少時に普通車指定席しか乗ってない。たぶんナハ11...orz
>>27 釣りじゃないよ。2つは鉄ピク食堂車特集がソース、3つ目はググると出てくる。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 23:47:10 ID:YNdTNLXl
福知山線では篠山口行きによくくっついてた気がする>10系
>>31 自分は一度福知山線の客車鈍行列車に乗ったことあるが、10系は1両だけで、後はいわゆる雑型だったな。最初10系
のほうに乗ってたが、急行型電車や気動車とほぼ変わりない内装に飽きて雑型のほうに移った記憶がある。
今となると“何てもったいないことした、”て思ってる。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 00:53:22 ID:V6r8odxt
>>31-32 たいてい1両だけ入ってたな。
10系、内装が明るい分、かえって薄汚れたような印象で、
一般客にも人気はなかった気がする。
スハ43系の改装車はそうでもなかったのに…。
1982年頃に、天リウ標記のナハフが入っていたけど、
その時の感想は、「ゴミ溜めからゴミを持ってくるな〜」だったw
状態が良い車輌しか残っていなかったせいか
昭和52〜53年頃関西線や紀勢線でよく乗ったナハ11やナハフ11は乗り心地とかはさほど悪くなかった記憶があるなぁ
車内も明るくて綺麗だったし塗装もスハ43などと溶け込んで編成としては違和感無いから好きだった
10系の座席車にはついに当たらなかった。
1979年に急行越前でオハネ17に乗ったのが唯一の経験。
客室の窓は他の乗客にはばかって開けなかったが
ドアの窓がバランサー付き下降窓なのに感心した。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 14:27:02 ID:i5rg0Jk9
10系と言えば、多分昭和40年代に乗った「霧島」(但し博多〜防府間)ではナハ車だったような
記憶があるが何分にも40年前のリアル消防低学年時代。車輛形式までの認識があったか否か
は心許ない。
リアル厨房の頃乗った「つくし2号」(防府〜厚狭間)ではそんなに揺れは感じなかった。ただ、
発車時の衝撃は凄まじかった(小郡=今の新山口=で特に激しかった。他の駅では然程で無し)
大学時代乗った「ながさき」では、ナハフ1117は何故か結構揺れたが、ナハフ102003はそうでも
無かった。しかし同じ編成内のスハ43・オハ46・スハフ42・オハフ45の方が遥かに揺れは少な
かった。また、同じ区間を走る415系・423系は激しく揺れた。
あの頃はオレもまだ若かったなぁ〜…(遠い目)
>>11 一番の致命傷は北陸トンネル火災事故。
あれで10系が難燃構造でないことが叩かれて、ついでに莫迦な労組が
そのことでヒステリックにわめき散らしたりしたのが淘汰を早めた。
そうでなくとも労組のサボタージュがひどかったあの10年で、こまめ
に面倒見ないと下降窓周辺の腐食で傷みやすい10系はぼろぼろになっ
てたんだけどね。
>>32 「いわゆる雑型」って何だ?
あの時代、福知山線には鉄道省制式客車か、国鉄制式客車しか
走ってなかったと思ったがw
「雑草という名の草はない」、昭和天皇のお言葉だ...
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 21:17:46 ID:i5rg0Jk9
>>38 おそらくご存知だろうけど一応マジレス。
鉄道国有化時或いは戦時国策による国鉄併合などで国鉄(鉄道省)に編入された
民鉄から引き継いだ車輛達(社形)や、制式車登場以前の規格外の車輛達を「雑型」
と一括したもの。
なのでオハ35・スハ32・スハ43などの一族を(〜系と言う呼び方も厳密には正しくない)
雑形と呼ぶのは間違い。ガセネタの類。
とはいえ、12系以降の連中と比べると10系もそれ以前も明らかに別規格。「雑形」と呼びたく
なる気持ちも判らなくはない(私は認めないけど)。
軽量客車(10系と言う言い方も厳密には不正確?)の一党は新世代?旧世代?よく揉めるけど…
車体構造は革新的だが、ブレーキ方式や運用形態などがそれまでの客車と全く同じなので、個
人的には旧世代。丁度電車で言えば70・72・80系の全金属車のようなもの。
(旧型国電も厳密には〜系ってのは拙いかな?)(^^);
では気動車は?
こらもう単純に…DMH-17orNotでいいやw
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 21:19:12 ID:V1cfW32y
>>40 無論判ってて言ってるw
制式客車はブレーキの種類で区分でいいんじゃないかなぁ。
20系以降はAS→ARSEとかCLとかになってて、AV一辺倒のそれ
以前とは一線を画しているわけで。
気動車についてはキハ90・キハ37以前と以後で分けりゃいい
んじゃないかな。
成否はともかく技術的にはこの2ポイントで激変してるから。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 21:35:17 ID:osJa048L
昭和40年代生まれの僕らは旧型客車とか、旧客なんて呼んでいましたが、
もっと上の世代では、システム化された12系14系の客車と区別する
意味で雑客という呼び方もあったようですね。SL追っかけていた人と話し
すると、シゴナナの客車とかデゴイチの客車とかいうので、客車って
どういう客車?って聞くとえーと普通の茶色い奴でたまに青いのが混ざって
たかなあと言う程度で決してそれ以上の詳細の話は出来ないw
因みに20系は「ブルートレインで後ろが丸くなってる奴」ですww
ところで
>>36さんのナハフ102003って電暖化改造の2000番台ですか?
九州方面にも電暖車が走ってたのでしょうか?
お盆とかの夏季の多客期にはEG車も動員されてたんじゃないかな。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 22:29:22 ID:i5rg0Jk9
>>43 >>九州方面にも電暖車が走ってたのでしょうか?
ご明察の通り。旧国鉄は全国規模で車輛の転配も全国展開だったから在来型
客車などは電気暖房車も稀に四国・九州にいた。SGは残してあるから別に
困らないし、荷物車・郵便車などは運用の都合か電気暖房車も多かった。
「ながさき」編成でもナハフ102002・2003が定期的に編成に混ざっていたし、
少々スレッドから外れるけれど北海道仕様のスハユニ6210が何故か吉都線あ
たりで運用されてたり…なんて事例もあった。
お座敷車のスロ81・スロフ81も、運用の都合で何処へ行くやら?ってーこと
で、確か九州配置の編成も2000番台だったはず。
あの頃は編成中の異端車・変形車を探すのが楽しみだった…(遠い目)
と、#43さんの若さを羨ましく感じる#36でありますw
46 :
44803:2008/09/03(水) 22:42:53 ID:o88UP9qM
1両だけあったスハユニ62は、何で九州/都城に?って確かに不思議でした
そのスハユニは他のオハユニ61と共通運用
末期ですが、見た限りではスハユニは記憶に間違いが無ければ見た限り10系とセットで運用に入って、オハユニ+オハ、スハユニ+ナハ、で重量をあわせたのかなと勝手に解釈していました
間違っていたら申し訳ございません
既に何回も出ているとおり、私も10系は80系300番台と勝手に解釈しています
気がついたらあっという間に意外と早くなくなっていた…です
>>46 荷物車は積載時基準だから、あまり関係ないと思うよ。
>>43 いわゆるSLブーム(SLって言い方も正直好きじゃない)の時に
にわかにマニア化した人たちって、写真撮るのには本当に情熱
燃やしてたけど、基本的な知識無い人が多かったから、後で見
たら「何でこれ撮ってこれ撮らなかったの?」と首をかしげる
ようなことを平気でやりまくってるのね。
そんなんだから、制式客車の系譜になんか興味が全然無くて、
「雑客」なんて無神経きわまりない(ついでに言えば「俺は客
車の知識が全くない!」と大声で叫ぶような)表記を今でも平
気で使ったりするw
消防のころ、盛岡から上野まで北星か新星に乗ったんだけど、よく覚えてない…orz
発車時間待ちで駅前でわんこそば食べたのは覚えているのにorz
>>13 昭和50年頃、123レの編成は朝、尾久の一番本線寄りの出発線にいたので毎日みてた。
牽引定数の関係だろか、必ず10系座席車とオハフ61がついてた。
ともに窓の割合が多くて見た目はよかったけどね。
後年61系に乗って絶句したが。
>>49 盛岡からなら北星。10系寝台の時代が長かったね。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 00:44:08 ID:2hq3Fd3B
アメリカの軽量車両も初期のはステンレス製のゼファーなどを除いて引退が早かったが、初期型ゆえに痛みやすかったのだろう。
10系で一番最初に滅んだのはグリーン車だったと記憶。
普通座席車の台車は超満員を想定して優等車とバネが違い、揺れたとはよく聞く。
しかし自分が一度だけ乗ったナハフ10は普通列車で、スピードが遅いせいか
乗り心地の悪さはよく分からなかった。
仮に乗客の体重を平均60kg、定員88名に乗車率250%として、
計算してみると13.2t になる。荷物を加えるともっと重くなる。
空車のナハの重量は 23〜25t だから……ひっくり返ったりしないのか??
10系座席車の乗り心地、それほど悪い印象ないなあ。
特別急行時代に、東京から九州まで座り続けた人もいるだろうし。
比べれば、さすがにTR47を履いたスハ43には敵わないけど。
>>52 最近の209系のサハなんか22dくらいだから平気なんでしょう。
10系客車のカットモデルが交博にあったが鉄博には持って行っただろうか。
>>34 その時期八甲田とかに入っていたナハ11は酷かったよ
冬の時期下りに乗って朝目が覚めたらテーブルに雪が積もってたw
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 12:12:30 ID:2QMgHFIg
10系客車がその後につくられた特急・急行用車両のお手本になったという。
>>51 オロ11の早期廃車は屋根上に重い冷房積んで華奢な鋼体が
あっという間にひずんだのが原因だったとか。
>>52 試作車のTR50Xにあった枕ばねのダンパをケチって省略し
たんだよね。電車のDT21系や気動車のDT22系でさえ装着
してたのに・・・。
>>46 むしろ逆。
10系の設計を基本に80系300番台の車体は設計されてる。
何しろ、それだけのために10系試作の時には普段電車の
指定メーカーじゃない会社にも作らせて、設計ノウハウ
の学習をさせていたくらいで。
>>57 訂正。
「電車の指定メーカー」じゃなくて「客車の指定メーカー」。
電車じゃ意味が通らない...orz
オロ11は、セミモノコックの一部分をザックリ切り取り重量物を積んだから
最初の強度計算を結果的に無視することになったのかな。
そのへんの事は知らなくて、オロ11がスマートで格好良く見えた。
スロ54が台車をランクダウンしたうえに、床下クーラーとダクトを諦めて
低屋根になった姿のほうがみっともなく見えたけど、
見た目と実質は違ってたのね。
Bネの場合は、送風機があった所にどうにかクーラーを嵌め込むことが出来て
構体をあまりいじくらなかったぶん、多少長く使えたんですかねぇ?
(代わりになる車種が無かったせいもあるんだろうけど)
>>59 モノコックの応力がかかる部分を切り取って力学的に無理の
ある形で継いだせいで、だんだん屋根が下がって終いには窓
がまともに開閉できないほど変形したって聞いた。
B寝はそもそもAU14が扇風機跡に可能な限り収められるよう
に小型化したせいで1両9基搭載になってて、一カ所にかかる
荷重が実質的にAU13の半分しかなかった事が大きいと思う。
そうでなくとも、あの屋根に無理矢理収めるために床下に置
ける機器は極力床下配置にしていたようだし。
>>59 あと、スロ54、台車がランクダウン、ってよく言われるけど、
あれの履いていたTR23、ものすごい手間かけて総バラしをし
て、リンクをTR40と同じ長リンクに交換したTR23D/Eになって
るのね。
TR23系の乗り心地が今ひとつなのは基本的にばね定数を過積載
前提で設定していて硬いことと、揺れ枕つりのリンクが短すぎ
て揺動特性がわるいせいなので。
その点で少なくとも一方(もしかしたら枕ばねの定数を変えて
いた可能性があるけど確認していない)を改善したTR23D/Eを
格落ちというのはちょっとかわいそうな気がする。
まぁ、見た目がアレなんで、そう言われるのも無理ないんだけ
ど。
62 :
59:2008/09/04(木) 21:03:17 ID:3F21vwaJ
>>61 ほほー。TR23、のちに軸受が変わってるのは写真見て気づいてたんですが、
単純な振替じゃなかったんですね。詳細な解説ありがとうございます。
63 :
61:2008/09/04(木) 23:37:31 ID:wWoJxtec
>>62 ちなみにスロ54の台車交換、TR23D/Eを履いてたスハネ30などから
台車を供出させて、TR40Bは重いので普通のスハ32とかに回して、
そこから発生した普通のTR23をスハネに回すという面倒な作業を
やってたりする。ちなみにTR23Dオリジナルの平軸受、Eは既にこ
ろ軸受に交換していて、後からリンク交換をしたタイプで、特に
区別無く乗り心地優先で交換を実施してます。
あと、リンク交換はリンクだけ替えると枕梁の前後のトランサム
に干渉するので側枠とトランサム、横梁を結合するリベットを一
旦全部抜いて分解し、トランサムを新製した対策品に交換してか
ら再組み立て、という地獄の作業が待ってるので、三軸のTR73も
含めて、優等車限定で施工されてます。
10系のスレで書くことじゃないような気がするけど一応。
64 :
61:2008/09/04(木) 23:40:44 ID:wWoJxtec
>>63 事故レス。
「側枠とトランサム、横梁」じゃなくて「側枠とトランサム、端梁」だ。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 23:54:48 ID:2hq3Fd3B
10系や私鉄の初期の軽量車体車両が廃車になったのは試作要素が大きいゆえの設計の無理がたたったというのもあるのだろうね。
そこへ冷房積むことを想定していないのに冷房つんだりしたから余計に寿命が縮まったのだろう。
66 :
61:2008/09/05(金) 00:44:57 ID:mIajkbdD
>>65 軽量設計でも例えば近鉄680系になった奈良電デハボ1200とか、
適切な補強をして、適切な保守をすれば冷房積んでも寿命を全
うできてる。
オロ11のあれは、はっきり言ってしまえば改造設計をやった技
術陣の怠慢か無策以外何物でもない。
構造も鋼体の強度も全く違う、在来型のスロ54とかと同じ改造
方法をろくに検討もせずに適用するなんて何考えていたのやら。
あと、記憶違いでなければあの辺の特ロは床下に冷房装置を積
む前提で設計してて、屋根の深さも風洞設置を念頭に置いた物
だったはず。
勉強になるのう
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 01:13:29 ID:Vn7n51Vg
ある意味「もっとも軽量客車らしい客車」だったわけか、オロ11。
屋根が低い分スマートだし、たしか50.3までに全廃という短命ぶりも。
鉄道ファン'79年6月号がグリーン車特集だった。
ナロ10→オロ11にも少し触れていたんだけど、
「製作両数は33両、防災面から昭和49年度までに全廃」
程度しか記述がなかった。防災面と言うからには北陸トンネル事故の余波で、
内装材の材質が全廃の原因だと長いこと思い込んでた。
鉄道雑誌で軽量客車が詳しく取り上げられる事は、あまりなかったように思う。
71 :
61:2008/09/05(金) 03:13:59 ID:mIajkbdD
>>70 むろん防災面の問題もあったのよ。
10系が内装に結構燃えやすい材料を使ってたのは事実なので。
でも、それだけだったらオロ11だけがねらい打ちで淘汰される
理由にはならない。言っちゃアレだけど、一世代古いスロ54と
かスロ62とかの接客設備がオロ11より良かった、なんてことは
なかった訳だし、不燃化という観点で言えば在来型客車の方が
10系より燃えにくい、なんてことはないんだから。
それに牽引定数考えたら、例えば横軽通過する急行のロザをわ
ざわざ重い従来型客車にする必然性はなかった訳で。
実際、アブト式の時代は無理をして10系を信越線に集中配置し
ていたって事実もあるくらいで、重連が必要な勾配線だったら
10系にするだけで単機にできるケースは結構あった。
そんな状況で、他より5tは軽くて年式が5年は新しいオロ11を
わざわざ淘汰する理由があるとしたら、それはもう車体の垂下
以外無いのね。
>>69 SBBのLeichtstahlwagenを見てきたのは島さんじゃなくて星さ
ん。
SBBの場合、そもそも量産した数の桁が違うというのはあるよ。
確か少なく見積もっても1500は造ってた筈だから。
まぁ、気候の問題もあったとは思うけど、下降窓の保守をちゃ
んとできなかったというのは、阪急みたいにきちんとできてる
会社もあるからあんまり言い訳にならない。
一番の敗因は、やはり華奢な10系を32系みたいなのと混ぜて同
じように使っちゃったことじゃないかなぁ。
で、2つめの要因は労組。連中のサボタージュで70年代にひどい
扱いをされたことで、寿命が大きく縮まったと思うよ。
実際、側板の塗装剥落とか、ひどい状態のまま放置状態で営業に
使われてるの見た覚えがあるし。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 07:21:24 ID:oatXt+BC
>>71 オロ11の場合、2000番台(電気暖房車)がいなかったのも寿命を縮めた遠因かもね。
50-3改正で首都圏・京阪神〜山陽・九州方面の客車急行が壊滅し、それ用の優等
客車が多く余剰になったけれど、上野発着列車に転用するとなると電気暖房は必
須だった。
然るに、オロ11にはそれが無かったから転用するのが難しかった。
同じ理由でハネ車も一番新しいオハネ12が早く消えた。何でもオハネ12の場合、
電気暖房載せたらス級になるとかで改造が見送られた由。
(オハネフ13には電気暖房2000番台がいるのだけど…何故だろう?)w
10系客車スレが、こんなに盛り上がるということは、
やはり懐かし鉄道ジャンルの中でも、
特段にマニア心をくすぐるナニかがあるのだろうなw
さっぱり疎い身分でも、ついつい覗いてしまう。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 08:13:24 ID:xBZIYF3J
>66
床下冷房を想定していたのか。
いったん屋根に冷房積んだ近鉄の6421・6431系は長生きしたが、あれはちゃんと強度計算していたからなのだろうか?
>69
スイスはいまだに非冷房が多かったと思う。
緊急時には軍事輸送に使うことも考えているから、メンテは抜かりないというのもあるだろう。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 11:34:19 ID:53BvxlrQ
なんとなくですが、当時の国鉄はソ連共産党組織に似た官僚の無謬性
という考えがあった気がします。すなわち国鉄は誤らないという。
よく言えば国有鉄道としての責任感の煮詰まったもの、悪く言えば保身
的。万が一大事故を起こすと現場の責任者あたりが「切腹」「自殺」
するところなど。
したがって軽量客車の欠陥を認めることになるオロ11は別の理由で廃車
されることに。もちろん鉄道当局に気を使う鉄道雑誌では真相が語られる
ことなく葬り去られていく。
82年の改正前の日曜、尾久に留置してある「妙高」?の客車を丹念に撮影しましたが、
オロネ10やオハネフ12などの中で、スロ63が連結されていていました。
その時のことを思い出し、はて10系には座ロがなかったのかなと思っていたら
その話題が丁度出てきました。上野口で10系寝台が全廃される節目の
改正でした。
>>74 近鉄の2250・6421は集中冷房機を柱の多い車端部分に積んでるので
オロ11みたいな中央部搭載→車体垂下ってことにはなりにくい。
ちなみにサ3020に電動車の分も積んでて、冷房化前→冷房化後→格
下げ・3扉化→冷房撤去で自重の変遷見ると31t→36t→31tで、3扉
化で増えた分は座席のセミクロス化で相殺されるから、どうも冷房
化の時に補強を特に入れていなかったっぽいのね。
あの形式が積んだ川崎KM7って床下に圧縮機とか凝縮機とか重い部品
積んで、上のエバポレータ部分は送風ファンくらいしか重い部品が
無かったはずなので、特に補強がいらない程度の荷重増だったんじ
ゃなかろうか。
同じKM7を新製時から積んでいた10000・6431もエバポレータ直下の
部分、凄い華奢な造りになってたし。
>>53 俺がナハ11で一番長距離乗ったのが
急行「阿蘇」で名古屋から小倉まで
中学生だったけど拷問に近い旅だったよ
>>72 電暖の有無が廃車の理由って良く聞くけど
普通に考えたら車齢の浅いオロ11を電暖化して使うんだろうけど
それが耐えれないほど痛んでいたと思うな
>>66 冷房準備は当初一等車用に設計されたスロ60・スロ61(→スロ50)で、その他は考慮されていない。
マロ55の改造内容を調べてみるといいよ。
>>71 オロ11とスロ62の接客設備の差なら、シートピッチの違いがあるね。
>>70 ピクの1999年4月号と6月号が軽量客車の特集
80 :
61:2008/09/06(土) 01:43:49 ID:KwAGD45e
>>78 ああそうか、スロ62だけは元が窓幅1mのオハ61ベースで座席が
1列少ない分、シートピッチが広くて、座席幅も5mmずつ広げて
るか。
代償に窓ピッチとシートピッチが変な風にずれてて、通路幅も
狭いけど。
そういう意味ではスロ62が最後まで残ったのは納得が行くんだ
けど、そうなると逆に定員52人で定員48人のオロ11よりシート
ピッチが狭くてしかも車体幅も狭いスロ54の立場がないw
後、マロ55=スロ54 26・29や冷改後のスロ54・オロ11の図面
も見てるんだけど、AU13積んだグループ、本当にAU13を建築限
界内に収めることだけを考えて屋根断面形状決定してるのね。
で、形式図改めて見直してて気づいたんだけど、冷房化前の
オロ61とナロ10の段階で、台車がほぼ同等のTR50とTR52なの
に、自重に6tも差があるのね。
>>79 ああ、99年4月号だけ持ってるんです。
家に昭和40年代後半の時刻表があって、九州急行がAネBネグリーンと連ねてるのに
その実体が分からず、謎の存在。子供なので夜中に実物を見に行けるわけがない。
幼児向けの絵本に描かれるような代物じゃないし(のちに出版された急行能登がモチーフの
絵本は大人向けの印象)、ごく稀に買い与えられたRF・RJ誌も、当時はSLブーム末期で
クローズアップされるのは蒸機と新車ばかり。
ようやく軽量客車の全容を掴んだ頃には、東北新幹線開業のカウントダウンが始まってた。
焦ったよ。受験のことを考えると、乗れそうな機会はほんの僅か。
それでも有り金はたいて急行3本と、57-11以後も残った「はやたま」Bネにどうにか乗った。
結局、寝台特急すら乗る機会なく今に至りますが、後悔してません。
あ、失礼、ID:RUukWbn2=
>>70 です。
>>82 昔の時刻表のベッドで眠る人を摸した寝台マークや食堂ビュッフェのマークにワクワクしたな
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 12:57:11 ID:tmSy5RWY
松本清張は列車内と、あと職歴から印刷所の描写に長けていますね。
「点と線」連載時、20系は登場していなかった。
「百円玉」はおそらく急行出雲のBネ、崎陽軒のシュウマイを小銭で買ったのが運の尽き。
「鬼畜」で主人公の印刷屋が子供を連れて乗るのは東京行き客車急行。
「遭難」ではハネ利用に心理的トリックが。ナハネだろうかナロハネだろうか。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 14:02:14 ID:s8jRTbqE
>>85 下降窓の話、影響かどうかわからないけど1O系寝台車デビュー時の
国鉄のPR写真に通路側窓越しの「見送りシーン」がある。
(鉄道ジャーナル1974年7月号より)
>>82 コレ? →「やこうれっしゃ」(こどものとも傑作集)福音館書店
なかなか素敵な感じの”中見 ”だった希ガス。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 21:39:53 ID:LlDGH//X
>>80 客車ロザの冷房化は1975(昭和50)年の時点で在籍させる予定の所要数を割り出し、
形式も整理していった結果、ナロ10・スロ54・オロ61・オロフ61が選定され改造
されたもの。
(スロフ53やスロ51も候補に検討されたが結局落選した)
ス級のロザをそのまま冷房化するとマ級になってしまうので当時幹線でも非電化
区間がたくさん残っていたので牽引定数でも不利になる。スロ54みたいに台車振
り替えさせると工事も大掛かり。改造年度が新しく車体の状態もよく、冷房化し
てもス級に収まるところがオロ61・オロフ61に白羽の矢が立った理由かもね。
もしナロ10が天井にクーラー載せるのではなく20系客車みたいに床下にAU-21
系クーラーを載せていたら?或いは10系ハネのようにAU-14クラスの小型クー
ラーを載せていたら?
歴史にifは禁物だろうが…或いはナロ10(オロ11)の運命も変わっていたかも知れ
ない…
>>72 > オハネフ13には電気暖房2000番台がいるのだけど…何故だろう?
団体用に作られたので、たぶん日本各地を走ることを考慮したんでしょう。
ところが古い時刻表を見ると、九州観光団体列車には2等寝台の記載があるけど、
東北・北海道観光団体列車には記載がない。
もっとも、記載がなくても寝台車を連結する例があったのかも知れない。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 23:21:07 ID:zNK6juVX
関東で比較的晩年まで10系座席車が見れれた線区の一つが水郡線。
早い時期にオールDC化されてたイメージがあるけど、朝晩に客車列車が走ってた。
日中は水戸の丸井脇に留置されていて、常磐線の列車からもよく見えた。
>>91 北海道観光のための団体列車は本州内ではほとんど走らせていない。
ネックは青函連絡船で、定期列車の乗客を捌くだけで精一杯で、盆暮れの
最繁忙期に無理をしてようやく臨時便を出せたくらい。
あと、当時(昭和30〜40年代)は観光地のランクとしては九州>>>>>東北。
宮崎は当時の新婚旅行のメッカで、そのためにオールロネの臨時列車(ことぶき)が
仕立てられたくらい。
どちらかと言うと、湯治客が主体となった東北向けの団体列車に寝台車は不要と思われ
たんでしょうね。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 00:14:38 ID:y5kd5kIF
>>91 いあ、オハネフ13に2000番台がいるのが運用の都合なのは判るのよ。
ただ、ナハネ11→オハネ12が電気暖房にするとス級になるのでそれが見送られたのに、
ナハネフ11→オハネフ13がすんなり電気暖房化され2000番台になってるのが不思議な
気がするのよ。それともどこか軽量化対策を採ってオ級に収めたのかな?
>>94 確かに、ちょっと不可解だよね。
他の理由でオハネ12が外されたとすれば、
「元々重いオハネ17に電気暖房・冷房を搭載しても、1段アップのス級で収まるから」
このあたりだろうか。
「ナ級の20系客車を実測したら実はオ級だった」
こんな話もありますし、はたして真相は・・・?
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 00:45:02 ID:2kBPVD3v
ナハネ11
オハネ12
ナハネフ11(600番台)
ナハネフ11(2600番台)
オハネフ13
それぞれ何t?
97 :
61:2008/09/07(日) 02:08:04 ID:QEL3+5uz
>96
ナハネ10:27.7〜28.2t・ナハネフ10:27.7〜28.8t・オハネフ12:30.6〜36.6t
ナハネ11:28.2t・オハネ12:31.7〜33.7t・オハネフ13:33.0〜34.0t
ナハネフ11 600:28.7t
オハネ17(電暖・TR23):32.2t・オハネ17(電暖無・TR47):33.7t・スハネ16:32.5〜37.9t
ナハネフ112600は手元にデータがないので不明。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 04:17:17 ID:7qavicmV
>>91 尾久に配置
交流区間にはSG装備のカマが無いので、当然EG対応装備が必要になった。
オハネフ13は主に奥羽筋 津軽 上越筋 鳥海に使用していたため、直流区間はEG装備のEF58 EF57に限定していた。
みんな凄い知識だな、鉄ピクを読んでいる様だよw
今を去ること数十年前、名前欄の近所で生まれた俺が登場。
リア幼の頃、向野橋の上で親父に肩車をしてもらって名古屋機関区に居た客車やディーゼルカーを見てました・・・。
10系のナハ、ナハフは、ノーシルノーヘッダー、しかも非冷房で車体裾を絞った構造のせいか、
他の客車よりやや大きく見えたので、妙に印象に残ってます。
しかし、ナロ11が意外に早く廃車された理由の真相etc、このスレ見てると勉強になるなぁ・・・。
>>100 あら、同郷。
デビュー間もない30000系ビスタを目当てに近鉄特急を撮りに行って、
(チャチなカメラに姉が使ったフィルムの残りでw)
帰りに紀勢鈍行の末尾につながれたナハフ10に乗りました。
名古屋機関区の横を通り過ぎる時に、10系B寝台車が見えたんですが
あれは夜行「きそ」編成が昼寝してたんですな。
もう30年も前かぁ…。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 11:09:31 ID:2kBPVD3v
>>97 arigaton.
オハネ12に電暖つけてもオハネフ12より軽いような…
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 12:25:24 ID:VRFTHTQn
>>19書いた者ですが品川客車区から山貨経由大宮工場入場車を回送する回1541〜
4540列車ってまだ走ってるんですね。85年ごろいつもEF65PFが牽引、
しんがりにナハフ11がついていました。すでに職用車扱いであまり興味なく
余ったフイルムで撮る、という感じでした。営業用で無いだけ結構長く
使われたのではないかと思いますがいつごろまで使われたのでしょうか?
おそらく本線上を走る10系としては一番最後まで使われたものと思いますが。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 13:08:50 ID:ndX5apQ7
10系座席車は車内スピ−カ−の位置がデッキ上じゃなくて横にずれて
設置されていた記憶がある。
形態はそれまでの43系と同じ埋め込み式
ナハ11の最終ロットは天井埋め込式みでオハ36と同様の内装だったそうだが
続・重量の話
>>97のオハネフ12やスハネ16を見ると、明らかに矛盾点があるように思える。
我が家にある諸元表も、いささか信憑性に欠ける。
このあたりがすっきり解決できるような資料、どこかにないものかな・・・
あれこれ考えると、オユ10も不思議な車両になる。
電暖トランス・冷房用電源・AU13×3、これだけ追加してもオ級のままとはこれ如何に?
106 :
61:2008/09/07(日) 16:27:31 ID:QEL3+5uz
オユ10の自重は冷房改造後で公称28.4t。改造前は26.2t〜26.5t。
客車や荷物車と違って荷重が軽い(8t)上に作業空間確保の観点から容積だけは喰う車
種だから、この重量も不思議はない。
>>103 「出雲」用24系の尾久への回送、「ゆとり」の回送などで使われていましたが
今春の改正でほとんど動かなくなりました。スジは残っているようですが。
その時代のナハフ11は確かに貴重だったと思います。
>>106 即レスありがとう。
オユ10の件は、なんとなく納得です。
ひとつ質問を。
オハネフ12やスハネ16の重量が、同車種内で5〜6tもの差があるのは何故?
0.5〜1t程度ならわかるのですが・・・
>>100 勘違いで書かれたと思うが
>10系のナハ、ナハフは、ノーシルノーヘッダー、しかも非冷房で車体裾を絞った構造
10系の座席車は裾は絞ってなく在来のスハ43などと同じ
車輌限界を極限まで使った大型車体に初めてなったのが寝台車だね
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 19:27:47 ID:2kBPVD3v
>>97 >オハネ17(電暖・TR23):32.2t・オハネ17(電暖無・TR47):33.7t・スハネ16:32.5〜37.9t
スハネ16は冷房改造のときにTR47に統一されたはずなのにオハネ17時代より軽くなってる車両がある?
そもそも重量がオ級のままだし。
111 :
61:2008/09/07(日) 20:21:04 ID:QEL3+5uz
>>110 ちなみにオハネ17 500はTR47付で32.2t。
オハネ17は台枠がUF425って公称されてるけど、ベースになった
スハ32とかはUF21にはじまって、UF38まで設計がどんどん変化し
てて、台枠流用時にその辺の統一はやらなかったはずなので、種
車によって重量には結構な幅が生じてるはず。
なので、実測した車両によっては変化が生じる可能性あるし、TR
47も前期と後期で重量違うので一概に言えないんじゃないかと。
112 :
61:2008/09/07(日) 20:28:22 ID:QEL3+5uz
このスレ的には余談なんだけど、スハ32、最初の1929年製から
最後の1942年製までの間に約3t軽量化してるのね。
台車は最初から最後までTR23でほとんど変化無くて、むしろ初
期の方が軽いくらいなので、その軽量化の分は全て車体の軽量
化によるもので、構造上台枠の軽量化(最後の方になると筋交
いがほとんど無くなっている)が一番大きかったりする。
オハネ17の重量の変動幅については台車もなんだけど、台枠の
相違が結構響いていることは念頭に置いておく必要があると思
う。
スハネ16の自重だけど、5t以上も違ったら運用上の取り扱いも変わって来ないかな?
重いほうの車両5両が軽い方だと6両くらいになるわけだし。
スハ43だと軽量化の結果オ級に収まって改番までされたけど、そこまでは行かなかったのか。
>>107 品川のナハフ11
車内をみると暖房のカバーが通路まで延びていて
営業で使える状態ではなく、がっかりした記憶があります。
今は鉄道文化村でみれるのかな?
>>114 1995年にアッサリ2台とも解体しちゃったよ
>>95 亀レスだが20系も防音強化や火災対策で重量が増大したからね…
結局記号上はナ級のまま、運用上はオ級という変則的な扱いになったが。
117 :
103:2008/09/08(月) 11:14:35 ID:foYv41g8
>>115 95年まで使われていたのでしょうか?それとも長期留置されたあと
解体されたのでしょうか?
そういえばオロネ10が3両群馬県北軽井沢の紀州鉄道パルコール村という
ところに保存されてますね。だいぶ傷んでいますが。大昔草軽電鉄が
走ってましたが、基本的には峠を上っていく、本線とはかけ離れたところに
突如出現するので、最初見たときは唖然、ポカーンとしました。
実車見たのは昭和57年以来だったので「こんなとこにいたのか」(違うって)。
>>117 使用中止後、まもなくだったと思う。
後任はマニ50.
それも使用中止になった気がした。
アッサリ壊しちゃって勿体無い気がしたな。
まぁ、動態保存には中途半端なスタイルだからしょうがないけど
>>117 おお、それ見た見たw
貸別荘村みたいなとこだよね。
そういや俺も「唐突にあるな」って印象だったよ。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 20:36:29 ID:4YPT+6Yr
オロネ10、何かに使われているのでしょうか?ぜひ見に行かなくては。
これから先、きちんと整備されていつまでも保存されることを願うばかり…。
581系開発以前に、153系(?)の足回りに10系寝台の車体を載せた
寝台電車の構想があったよね? もしもあれが実現してたら……
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 22:10:46 ID:K7AEolRl
>>118 東のPF+マニ50、一昨年だかに大宮で見かけたけど
そういう経緯があったんだね…
それだけではスレチなので書くが、
1975年ごろ首都圏一筆ガキしてた俺が相模線寒川で見たのは
疎開留置?されてたナハフ11だった。
そこにはその頃、他にキハ55(勿論ツートン)とか
相模線とおよそ関係ないヤツが留められてることがあった。
>>121 問題のオロ11がそうだね。
10系の優等車と寝台車は全て裾絞り断面で造られてる。
>>114 碓氷の文化村には福知山で除籍されたナハフ11の
トップナンバーが保存されてるはず。
あと、電暖関係だけど、蒸気暖房残置のままでも
旅客車が1t増、郵便・荷物車が0.5t増で済むのね。
これを意外と軽いと見るか、重いと見るか・・・。
>>122 当初は急行型で作る予定だった。>寝台電車
しかし、運転予定の区間(名古屋〜博多)が急行だと時間が掛かりすぎて
「夜行って昼間折り返す」ことが無理と判り、特急型として開発することになった。
当初計画が大阪〜博多間(または東京〜大阪・神戸間)であれば、急行型の寝台電車が
登場していたかも。
>>121 ロザはそうだろうけど
話の内容はナハやナハフのことやん
128 :
103:2008/09/09(火) 09:54:21 ID:BQVYWxYb
>>120 広場の端に置いてあります。ドアは施錠してあり入れません。
外観は窓が少し改造されてるのがあります。
塗装もだいぶ草臥れていますが白くて惨めなほどではありません
でしたので何回かは塗り替えていると思われます。
当時の姿はかろうじて留めているといった感じでしょうか?
20系客車のオロネ21に良く似ていますね。
これ小岩井のSLホテルみたいな感じで使われていたか使おうと
したのでしょうか?
横川の鉄道パーク?とあわせて行くといいかも知れません。
>>118 そうですか。JRになってからも8年も使われていたのですね。
感慨深いですね。当時は職用車になると急に関心が薄れてもったい
なかったなと思います。戦災復興車の隅田川の救援車とか。その分
現役車両が生き生きしてたということなのでしょうか?
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 20:20:52 ID:aq57QLc2
10系客車ではマイナーな形式のオシ16なんか興味深い。
30年代の深夜、こんなビュッフェに揺られ一人旅。
一度乗ってみたかった。
オシ16、車内のカラー写真を見ると派手な色使いですね
>>131 コンセプトは面白いんだがな>オシ16
今なら“あけぼの”とか“日本海”辺りに繋いだらいい憩いの場になったんだろうがな
空調完備のビュフェサービス、内装はお洒落――
なのに台車が平軸受けのTR23ってのはちょいと酷じゃないですかw
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 23:32:09 ID:BQVYWxYb
映画ネタ書き込んでる者ですが確か旧客の食堂車のシーンの作品があった。
カラーだったような。オシかもしれない。思い出したら書き込みます。
遅レス失礼。
>>74 6431は、3扉になったとき激しく車体垂下したよ・・・
430系として現役だった頃の写真を見たら、思わず定規を当ててみたくなるほど
窓の高さがズレてるw
>>133 ? TR47じゃなくて?
スレチだが常磐線普通列車で乗ったスハ43の
滑るような乗り心地に萌えた。
ノッチオフの前後動さえなければ最高だと思った。
>>137 お決まりの電暖車ス化回避ですね>TR23
139 :
137:2008/09/10(水) 12:16:39 ID:CwQo3qOI
>>138 ゴメソ、もしもの話だったのですね。了解でス。
>>139 彗星に投入したオシ16 1〜3はTR47、北斗に投入した2004〜2006がTR23(2006のみTR23D)だったのです
141 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 14:40:08 ID:uuv9Q1EV
昭和57年上野駅での荷物車が履いてた油とさびで汚れまくったTR23は
戦前戦中終戦の暗い匂いがしたものだった。あれから今日まで26年。
昭和57年から逆に26年遡ると昭和31年。
ということはすでに10系客車運用離脱からさらに10系客車一族の
一生分の年月が過ぎたことになります。
例えば昭和31年に新しい客車が出たねーと思ってずっといつまでも
新しいつもりでいたのがあっという間に時間が過ぎて上野駅などで
ボロボロの姿見てこの前出たばかりだと思ったのが10系客車も古く
なったなぁなんて考えた人などいたのではないかと思います。
電車の185系が出たのはこの昭和56年だったと思いますが10系客車
一生分と同じ年月経過した現在見ても10系客車みたいにボロボロでは
ないですね。
オシ16の車内の写真見ると思いっきり昭和の香りがする
143 :
137:2008/09/10(水) 15:04:40 ID:CwQo3qOI
>>140 オシ16にTR23を履いたのがあったとは全く知りませんでした。
各位に感謝しつつお詫び申し上げます。
>>141 185系は、外板の裾と台枠とのスポット溶接が、
比較的早くから剥離しかかってるのが多かったような
(あと、サロ110-1200も)。
軽量客車以外にも、43系客車なんかが台車を振替えて重量ランクを抑えられたのは
当時まだ蒸機牽引の区間が多くて、牽引定数もシビアだったからでしょうかね?
寝台車の冷房化が終わって、オ級・ス級で構成された12系客車が登場する頃には
全国的に電化・無煙化が進んで高性能な機関車が行き渡ってますから
145 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 21:21:51 ID:qkpEwBY+
>>144 俺もそう思った
よく知らないけどあれはセットだとか言うね
あれ席でお弁当食べるのやめて「どうせなら食堂で食べよう」ってお弁当持って行ったよね
良いのかな?
147 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/11(木) 00:31:03 ID:GwS9YOxZ
>135
確かに6431は悲惨だった。
しかし、最初から冷房を積んでいたのに途中ではずすなんてのは悲惨だった(かもしかに5820入れるくらいなら6431を転用してやればよかったのに)。
吉野線の勾配対策が面倒だったのかな
デハニ231のなれの果ての30年物にデロから捻出した古いWHモーター付けて、
わざわざ1C8M仕様の日立MMCを新調で装備する方がよほど大変な気がするが
(例え自社工場施工でも)
>>147 430形の、あの崩壊寸前の車体の垂れ下がり方を見る限り、
3扉ロングシート化するには、重いKM-7冷房圧縮機を
取り外すしかなかったのだと思う。
セミモノコックの超軽量車体のどてっ腹に、両開き扉の
巨大な開口部を開けるのは、さすがに無茶だったようなw
>>147 そもそもあのKM7じゃ、10000系の最後見る限り、扉の開閉回数増える
3扉車で使うの無理な気が。
2250も6421も格下げ&3扉化後に揃って撤去してるところから察する
限りは、重さ以前の問題だったんじゃないかと。
そもそも、KM系の冷房機積んでた客車が同じ頃に冷房機の換装をや
ってる(マシ35とか)こと考えると、製造打ち切りでメンテナンス
が難しくなってたんじゃないかという疑念もあるけど。
>>148 かもしかの運転開始が1960年で6431がまだ定期特急運用に
充当されてた頃だから、タイミングが悪かったというのは
あると思う。
あと、6431って115kW定格のモーター×4の1M1Tなんで、
75kW定格のモーター×4の2M編成で自重がほぼ同じの
5820の置き換えは難しい。
多分、スペックの数値だけしか見てない人には理解
できないかしにくいと思うけど、5820が付けたWH-
556-J6ってモーター、定格回転数が大正時代に造ら
れた吊り掛けモーターとはとても思えないほど高く
て(985rpm)、オールMで使う限り642・6431の日立
HS-256BRによる1M1Tじゃまず勝てない。
近鉄がMMC制御器を新製してでもこの中古モーター
再利用したのは、性能面でそれ相応の理由があった
のね。
何せ、WHとかGEのモーターって、巻線一回も巻き直
さなくても平気で半世紀とか動いてた様な化け物な
ので。
後、何より6431はMMC制御器に抑速電制もってないの
が痛い。
カム軸制御器の接点追加って、結局カム軸を新製交
換することになるから、制御器新製するのとコスト
あんまり変わらないので。それも転用を妨げた気は
する。まぁ、天王寺営業局としては面倒な中古車掴
まされるよりは保守に困らない有りものの在庫品積
んだ改造車で始めて、うまくいったところで正規の
新車入れる方がずっと良い、という判断だったんだ
ろうね。
えー、上の方にあった、冷房改造による自重増加のオ・ス問題のことで。
オハネフ13が電暖・冷房装備でもオ級なのは、
たしかTR200を使用していたからだと思う。
台車重量が若干軽いので、ギリギリ重量区分が収まる、
とかでなかったかな。オユ10も初期を除いてTR200装備だし。
>>144 スハ43が台車交換されたのは、オハネ17製造(改造)時にTR47を供出した為だと思います
第二の目的として、スハ43の重量減というのはあったかもしれませんが
154 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/13(土) 21:25:44 ID:KNltcknr
そういえば鉄道ジャーナル別冊に終了間際の10系寝台の乗車特集がありますね。
通路座席?で酒につまみかっ食らってるオヤジの腹の醜さが妙に印象に残っているw
>>154 末期の10系客車って本当に酷い状態だったらしく、
お化け列車とかその本に書かれていたような....
製造年代自体は新しいのにね...
156 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/14(日) 02:30:25 ID:5/INih6B
夜行鈍行なかさき号廃止直前、地元のTV局が特集番組をやり〜女性リポーターがオハネ12 29の所でこの車の誕生は昭和33年!何と26年も走っています!とびっくりしてましたが‥今のブルトレ車両で最も若いのが28年、長老だと37年目が居るんだよね。
157 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/14(日) 02:38:23 ID:5/INih6B
この前、最長老のスハネフ14ー3と最もヤングのオハネ15ー1246が手をつないで走っていて、ほほえましかった。
昔、普通寝台の「山陰」に乗ったけどあれが10系だったのかな?
3段ベッドの一番上で天井からの雨音うるさくてロクに眠れず。
「折角、奮発して寝台乗ったのに」と後悔した記憶ある。
朝は地元の通学高校生が寝台車両に押し寄せて通路でやかましいし。
>>156 そうそう。僕の感覚では80年代半ばで時間が止まってるから
10系客車=30年選手
14系など3段寝台=15年選手
24系25型など2段寝台=10年選手
14系15型=まだ新車の香りが残る5年ルーキー
という感覚がいつまでも抜けない。
10系客車はその時終えたからその時点で時間は進まないけれど
14系や24系はそのまま加齢が進んでいる。
今上野で北斗星なんか見ると外板なんかボロボロでちょっと10系客車
彷彿とさせるところがあるんだけれどそれ見て初めて現実に
戻される。
そこで一句
いつまでも
若いと思うな
国鉄車
sage
3段寝台の上段、夏期の冷房中に暑苦しくてなかなか眠れなかったことがある。
(冷気が下へ降りちゃうんだろうね)
向かいの上段の客と「なんだか暑いですねー」という話になって
クーラーのボタンが弱になってるのを強くしておいた。
それでも寝苦しくて目を覚ましたら、弱に戻ってた。
自動復帰だったのか、車掌が見回りに来て戻したんだろうか。
急行「能登」の、確かスハネ16だった。
>>159 現状の、14系と24系の混結とか、気動車と14系の混結とか、
24系でも金帯と白帯と銀帯の混結とか見てると、旧型客車末期の茶色と青ごちゃまぜ状態を
ちょっと思い出す。
固定編成が売りの20系も末期は12系座席と混結されてたしねえ。(「かいもん」など)
>>100の自らのカキコを見て、
なんという支離滅裂なカキコ/(^o^)\俺バカスwwwww
二日酔いの状態で2ちゃんなんてするもんじゃねぇな・・・(つД`)
かつては寝台車も含めて10系、35系、43系、etcの雑多な客車やディーゼルカーで
賑わった名古屋機関区も、今ではDCの75系や85系のオンパレード・・・。
DCの75系や85系に魅力が無いとは言わないが、
あいまいな記憶とはいえ、昔を知る人間に言わせれば、悲しいけれど、時代は変わっていくんだよな・・・。
164 :
143:2008/09/14(日) 23:52:18 ID:dL727M0y
>>163 157系は近くで見たことがないのです。引退のときのTVニュースは覚えています。
>>160 あのクーラーは巨大で存在感があったなあ
>>159 俺みたいだな、未だに50系なんて新しい客車は嫌だとか思う
166 :
159:2008/09/15(月) 19:43:14 ID:qsD8thgP
>>165 うむ。上山田線の50系乗りながらこいつが旧客だったら
さぞいいのに、まあキハ30よりましかな、へへ、という感じ。
そんな九州が田舎の僕は昭和57年の朝の上野駅、EF58に引かれて
到着した10系寝台室内の白熱灯独特の雰囲気、車体外観の古さ、ぼろさ、
暗さを見てるとそれがそのままこの列車が走って来た遠い東北や北陸の
貧しさ、暗さを象徴しているようで感傷的な気分になりました。
未知なる国への憧れも多分にあったのでしょうね。
まあずっと持ち続けていた10系寝台のイメージも上のレスの映画
「喜劇 快感旅行」のはちゃめちゃぶりが見事に壊してくれました。
大体このシリーズに共通して車掌や駅員に扮したフランキー堺が
3枚目役の女の子に追いかけまわされる、という話の筋があるのですが、
この作品では急行北陸の車掌役のフランキーが上野駅出発前に
食堂の女の子役の賠償美津子に押しかけられて愛情弁当を押し付けられ、
オロネ10?の車掌室には可愛い花柄のシールが貼られてしまいます。
オロネ10の車内では北欧出身のダンサーが暑い!とアフリカ出身の
ダンサーが車内が寒い!と大騒ぎ。B寝台では修学旅行の女子学生たち
がわいわいがやがや(持ってるカメラはペンタックスSP)で車掌もみくちゃ。
まあネタバレするといけないのであまり書けませんが、鉄道を離れても
伴淳の惚けたシーンなど笑えるところは多いです。こういう作品が
ある限り10系客車も不滅ですw。
エアコン完備のオロネ10の面目躍如なネタですなw
あのシリーズでは、20系「さくら」の車内でお産ということになって食堂車からお湯を持ってくドタバタもあったなあ
渥美清にとっては、「男はつらいよ」で大ブレイクするまで幾つも出演したプログラムピクチャーの一つに過ぎなかったんでしょうが、
国鉄職員の制服姿が、あの盤台面の寅さん顔でも結構ガラに合ってましたね。
セットのせこさはともかく、ロケで駅や実写を撮影している時の映像は
国鉄全盛期のいきいきとした風情が伝わってきて楽しいB級映画シリーズだった。
168 :
159:2008/09/15(月) 22:03:50 ID:qsD8thgP
>>167 ああすみません、ダンサーのどたばたはオロネ10の冷房の強さを
めぐってです。プルマン寝台の左側に北欧陣、右側に黒人アフリカ人だったかな
通路を挟んで英語で大騒ぎです。まあ良くある方法でフランキー堺の車掌が
解決するのですが、しかし車掌の苦労を印象付けるという点では秀逸の出来栄えですw
さくらの作品は「喜劇 急行列車」ですね。こちらは20系客車。子供の名前が
皆はやぶさ、あさかぜ、だの20系九州特急なのが笑わせます。
あとスレ違いついでですが20系で必見は「大いなる驀進」。昭和35年の作品なので
本当に見所一杯。しかもカラーです。一両に一人乗っていた列車ボーイ、山陽線内
牽引のC62(C59だったかも)、落成間もない車内の新しさ、ナシ20の意匠などなど。
僕はスカパーで見れましたが、最近はDVDでもかなり邦画のタイトルは出ています。
昭和50年代はビデオも普及してなかったし、喜劇シリーズは年末の特集などで
やる程度で、鉄道シーンが出るのを今か今かと見てました。
>>159 似たような感じだね。
ちなみに私の時計は、1987/3/31で完全に止まってしまった。
多分、もう動くことはないだろうね。
170 :
回想774列車:2008/09/16(火) 00:41:51 ID:nao+tbqv
RJの82年11月号は貪るように読んだ記憶があります
171 :
回想774列車:2008/09/16(火) 00:43:20 ID:nao+tbqv
間違いました。82年12月号です。
172 :
名無し募集中。。。:2008/09/16(火) 10:34:21 ID:AN9ZAHj/
>>156 なかさき号なんていったらハロヲタが喜んで食いついてきますよ。
「かもめ」がナハ11になってから、シンダーの飛び込みが多くて
幕の内弁当にシンダーの胡麻?が降りかかり箸で取り除くのに
苦労した。夏場は最悪だったがカレチに言うと「1号車が空いていたら
替わって下さい」でなるほどオハ二36の方が遥かにマシ。
174 :
回想774列車:2008/09/16(火) 12:18:36 ID:bhYOtBYn
北海道の夜行急行が14系に置き換えられだしたころ
寝台はまだ10系でその落差たるや…
175 :
回想774列車:2008/09/16(火) 21:24:49 ID:zzFRkh3i
40年前に祖母の見送りで、米子駅で見た急行出雲の10系2等寝台は、
子供心に東京へのあこがれを抱かせるに十分なモンでした。
>175 その頃って塗装は茶色でした?青でした?
まだ外板がつるんとした若い頃の10系客車はかっこいいですよね。
177 :
回想774列車:2008/09/16(火) 22:00:31 ID:nao+tbqv
>>174 14系寝台+座席セットで置き換えたはずだよ。
ただ、夜行が10系寝台+スハ43とかの間に、
先に昼行のニセコに14系が入っていた。
178 :
回想774列車:2008/09/16(火) 22:05:00 ID:q3VmRAT2
いや、座席が先行していました。寝台は改正まで余所で使っていたのを耐雪改造した上で持ってきたので組み込みが数ヵ月間遅れています。
179 :
回想774列車:2008/09/16(火) 22:05:57 ID:CyDkYmdL
>>177 >14系寝台+座席セットで置き換えたはずだよ。
俺の撮った写真は幻か?
180 :
回想774列車:2008/09/16(火) 22:12:49 ID:nao+tbqv
>>178-179 そりゃスマソ
14系と旧型客車は連結できたのか…
まぁ、最後はDCとも連結してたからなぁ。
さすがにスハネフをDCと連結できるようにするためには、
あちこちいじったらしい。
僕らはいやー10系だ見れて嬉しい!と思っていますが乗り込む一般乗客の
反応見てると「?!」、「……」、orz って感じで見てるこちらは
ひそかにウシシお気の毒などと思ってみたりして。
特にバブル時代以降は日本の住宅の内装がぐっと良くなったので今の若い人
なんて「何このボロくて汚い車両」「こわーい」「金返せ」なんて思うんでしょうね。
サンライズの内装が最低ラインなのではないでしょうか?
10系客車はハザも乗ったこと無いんだよなー。
自重から想像するに、非冷房のサハ103あたりと同じような乗り心地だったんですかね?
184 :
回想774列車:2008/09/16(火) 23:44:00 ID:TbmTfcUk
台湾で今でも(かろうじて)走ってる藍色客車とはまた違う世代の車両?
>>177 そもそも14系量産先行車は10系とかと併結して急行「瀬戸」
でデビューしてたんだが(汗)。
ナハ10とか昔山陰線で乗ったけど、そんなに乗り心地悪くなかったなあ。
スハ43のような重厚感はなかったけど、103系みたいにはねる感じでもなかった。
14系ハネ量産先行車はSG管装備で落成し、急行「瀬戸」が終わってから撤去された。
14系ハザはもともとSG管が無く、蝦夷地向け改造でSG管を取り付けた。
・・・と、記憶している。
10系の後、12系・14系と客車の進歩は著しいけど、方向性が変わってきたのもこの頃だね。
>>187 確か寝台車各形式の1〜3だっけ?SG管引き通しがあ
ったの。
まぁ、14系のシステムだと通してあるだけで、自車
では使わない訳なんだけど。>蒸気管
14系はブレーキがCLだからARSEでMRPと電磁同期の引
き通しが要った20系とは違って、自系列で閉じるべき
部分を閉じて、混用に伴う性能上限の低下さえ目をつ
ぶれば、大概の車両と併結出来るのね。
北海道での気動車併結も前後の気動車の総括制御に必
要な線を引っ張って、あとはサービス系の線の相違を
なおした程度で終わってた筈。
北海道の14系は座席寝台問わずSG管取り付けたぞ
そのおかげでオハネ24-500など北斗星用として改造された今も、SG管があるものがあってだな・・・。
>>180 1992年の8月に、PCまりもがお盆大盛況となって、釧路から発のまりもの増結にキハ56-203とキハ56-204が連結されたことがある。
動力は切って添乗員3名、アイドリング、ドア扱いも別でブレーキ管だけ繋いで走っちゃった。
民営化でちょっと過剰サービスして安全確認がおろそかだったということで禁止になったとか。
客には嬉しいけど、ブッツケ本番客扱いはやりすぎだったというのもわかる。
>>181 幌の取替え、
キハ400用にはKE53(だったと思う)ジャンパ栓2極取り付け
キハ183系用にはKE90、KE8Hを増設。元のKE85とKE-8はそのまま使った。
183系連結スハネフエンド向かって左から
KE-85、KE-8 連結器 KE-90、KE8H
の配置。
但しキハ400用とキハ183系用の併結回路はジャンパ栓のほかにもチョット異なるので、キハ400運用廃止後はキハ183用に再改造している。
190 :
回想774列車:2008/09/17(水) 07:43:05 ID:HMQu+CWm
>>176 青色だった思います。
東欧の出稼ぎ列車のようになった、今の富士ぶさと比べて
きちんとした格好でないと乗れない雰囲気がありました。
>>186 さんべが10系等だったころ、指定席がオハ46、自由席がナハ11でした。
新しそうに見える方が、自由席だった事を考えると、夜行での乗り心地は
オハより劣っていたのではないかと考えてしまいます。
>>190 さんべの指定席車はS43からS49〜50年頃までスハ44、
ただし米子に配置されたスハ44は2両しかなかったので
検査入場時などはオハ46などで代用していたと思った
>>190 昔の人は身だしなみがしっかりしてたよね。昔の東京駅の
ホームの写真なんか見るとそれが鉄道の景色の一部になってるんだよね。
いまだと沖縄行きとか国内格安チケットで乗るとTシャツに短パン、サンダル
だったりして旅情ぶち壊し。って人の事言えないけれど。
昔はスリとか憲兵に舐められないように外見をしっかりするという実際的な
理由もあったのでしょうけど。
富士ぶさが東欧の列車ですか?参りましたな。
ヨーロッパの客車みたいに古くなったらなったで威厳が出てくるのではなくて
ただただみすぼらしくて暗くておっかなくなる日本の客車は残念ですね。
193 :
回想774列車:2008/09/18(木) 00:28:35 ID:85rRsslv
昔は凶悪(という触れ込みの)プロレスラーでもスーツ姿で移動してたしね
194 :
回想774列車:2008/09/18(木) 01:21:50 ID:D9NqZPof
>>192 子供の頃に20系時代のはやぶさで鹿児島に帰省した時にはいわゆる「よそゆき」の服を着て乗ったな
父親は背広にネクタイで母親は着物だった
195 :
回想774列車:2008/09/18(木) 10:25:15 ID:GRxJtoCJ
この10系客車ってナハ10,11、ナハフ10,11の座席車はみたこと
ないが、短命なとこは今の209系みたいだが、けど209系は車体
に歪みは生じてるが、腐食はしてないし
>>194 いまは「よそゆき」って言葉もあまり使わないなあ
子供でものりの利いたシャツ着せられたし
>>195 たった10年でステンレスに腐食が出るなんて、余程ひどい使い方をするか、
さもなければステンレスそのものに欠陥がある証拠。
10系客車は普通鋼かつ下降窓だったから、どうしても水廻りと窓廻りの腐食が
避けられなかった。
(とは言うものの、まめな整備をしていればあそこまでひどくはならなかったのだが)
10系ハザは普通に上昇だろ。下降はハネの通路側。
裾絞りの件と言い、窓の件と言い、リアルで見てきた世代なら有り得ないような間違いが横行してるね。
10系客車ってもはや伝説の存在なんだと感じるよ。
20系ブルトレほどじゃないにしても、10系軽量客車は「旧型客車」とは少々違うもんだという認識だったが、
もはや時は流れすぎたか。
201 :
回想774列車:2008/09/19(金) 07:35:09 ID:p4liBSMo
>>200 たしかに、20系というと冷房が最初からついている10系のイメージがある。
>>200 10系には結構乗った世代だけど
普通座席車は10系以前の旧客とは同じ感覚だったな
寝台車はさすがにランクが上という思いだった
座席車は窓形状の違いで、結構違った印象が残っている。
ローカルに連結されていたころは、好んで乗っていたよ。
他にも隣の車両がTR23やTR47だと、継目のリズムが違って面白かった。
204 :
回想774列車:2008/09/19(金) 20:15:19 ID:EVD+O7R5
>>203 自分も122レで赤羽→上野をナハ10(11?)ばかり選んで乗っていた。
編成にはニス塗り・扇風機なしのスハ42も混じっていたけど、世代が
2つほど前の感があったね。厨房の頃のイタい感想なのだが。
205 :
回想774列車:2008/09/19(金) 21:21:47 ID:x5Alw8wG
北朝鮮の写真に10系みたいな客車があると思ったら
スイスから買った中古だと知って納得。
206 :
回想774列車:2008/09/19(金) 23:51:03 ID:d23PKb8G
>197
・車体を軽量にするノウハウがまだ少なかった
・手入れが大変だった
・少数派
・組合が一番うるさい時期に直撃
これだけのハンディがあったからね。
下降窓をデフォにした近鉄・阪急でも初期車は大変だったのだから、その倍くらいのメンテ労力が本来必要だったはず。
>>205 スイスのあれはむしろ近鉄の800に激似かと。技術提携とかしてたんだろな。
下降窓には丸い金属製の取っ手が2つ。裾も丸いし、台車も酷似。
>>195 腐ってもステンレス製の209と高張力鋼でもなんでもない、ただの普通鋼
を1.6mm厚で使った10系を比較して、腐ってる腐ってないと言われてもな
ぁ。
阪急の正雀に行ったことがあれば判ると思うけど、下降窓車、それも普
通鋼製車の腐食対策やメンテナンスって凄く大変なのよ?
ましてや、
>>206も言ってるけど、「仕事したくない」けど「権利だけ
は声高に主張」して国鉄という組織そのものを駄目にした労組の阿呆ど
もの絶頂期じゃ、「他よりもメンテナンスに手間がかかる」→「他と同
じメンテナンスだと寿命が縮まる」って車両は「労働者の権利保護」の
ために「他と同じメンテナンス」しかして貰えなくて、157系も10系もそ
れで駄目になった訳で。
>>207 近鉄800はSWSと近車の技術提携の産物(シュリーレン台車を含む)なの
で似てて当然。
ただ、台車に関しては揺れ枕部の構造とか、日本での高速台車研究の成
果が入っているので、800系の2次車以降、段階的にオリジナルのSWS製台
車とは似ても似つかないものへと激変していくことになる。
ところで、800のフレームレスサッシのつまみって本体部分は窓と一体の
ガラス製じゃなかったっけ?
昔800にはよく乗ってたけど、なにぶん幼児の頃の話なのでよく覚えてい
ない。
労組の問題もわかるけど、現場の空気読まずに投入した側もどうかと思う。
設計する段階でメンテナンスに頭が回らなかったのも不思議だし
無茶な冷改といい技術陣の意図がどうも理解できない。
>>209 設計段階では少なくともそんな空気ではなかったのは確か。
メンテナンスの手間と言っても、日常の保守の範囲ではち
ょっと作業が増える程度の話で、設計側が想定した作業を
想定したとおりにやっていればそこまで致命的ではなかっ
た訳で。
問題があるとすれば、1970年代の保守が1950年代の設計段
階で想定した水準を大きく下回ってしまったこと。
あと、アブト式で定数増やさずにどうにか増結を実現した
かった信越線が代表例だけど、当時の輸送状況では軽量化
を無理してでも実現する必要があったのも確か。
実際、信越線じゃ編成両数を6両だったものが8両に出来た
んだから軽量化による逼迫した輸送状況の改善効果が劇的
だったのは無視できない。
窓については、下降式の方が混雑時の換気に有利とか色々
な議論があって、窓の大型化が可能という点でも魅力的だ
った。何より、以後の標準になるナニワ式2段上昇ユニット
サッシは10系設計の段階ではまだ開発されていなかったし。
その意味では、10系に始まる国鉄の軽量化車体設計は、153
系電車で一つの完成を見たのかな、と思う。広幅車体+ユ
ニットサッシという重要要素が揃って、しかも空気ばね付
きのDT24系台車も完成したわけだから。もっとも、それが
高価で揃えにくかった、というのはその後のキハ58系が
DT22系金属ばね台車+1段上昇窓に戻った、という事実の示
すとおりなんだけどね。
そういう風に技術史を俯瞰してみると、新造時の10系客車
の設計には相応の必然があって、その意図も相応に理解で
きる。
まぁ、それでも流石にあのオロ11の冷改だけは弁解の余地
がないけどねw
>>210 だから10系の下降窓はハネの通路側だけだと……換気目的でもないし
10系ではハザの上昇窓が大きすぎて手を焼いたのはよく知られている。
また、急行形気動車に金属バネ、というのは「戻った」んじゃなくて、「幹線の電車並みにグレードアップする余裕がなかった」だけ。
この前のレスから文献だけに頼って書いてないか?
>>208 別に労組だけの問題で10系の寿命が短かったわけでもないだろ
日本の科学技術史には珍しい試行錯誤の落とし子だったのですかね。
10系客車の経験は無駄ではなかったと信じます。
>>211 あ、失礼。下降窓の件はその通り。ちと混同があった。失礼。
米原とかで窓開けて止まってるのを見てたんだけどなぁ・・・orz
キハの台車の件は、予算が問題だった、というのを書いたはずな
んだが。
まぁ、沿線自治体とかに国鉄債を買って貰ってどうにか数揃えて
た様な時代だから、仕方ないと言えば仕方ないと言うべきなんだ
ろうけど、キロまでDT22・TR51というのはどうだったんだろうか
と思う。まぁ、あの当時は客車のロザに金属ばね車がごろごろし
てたんだからそれで当然、と言われればアレだが、折角奮発して
乗ったキロがひどい乗り心地だったあの記憶というのはねぇ・・・。
>>212 俺が実見した範囲では、10系、塗装剥落とか外装がひどい状態の
まま営業運転に就いてる姿しか印象がないんだよね。同じ時に見
たスハ43とか、内装のコンディションから判断する限り、そこま
で保守状態に差があったとも思えない(とはいえ今のJR東とかの
保存車と比較すればおよそ良い保守状態とは言えなかったと思う)
だけに、ああ、柔な造りの車を丈夫な車と同じ調子でラフに保守
とか扱ったらこうなるのか、と思った覚えがある。
>>214 書き忘れてたので一つ。
俺が主に実見したのはまだDF50が山陰線で走ってた頃で、下
手したら播但線にC57がいた頃の話。
豊岡に親戚が住んでいたので、そこを起点に餘部とか和田山
とか遊びに行く際に乗った、というレベル。
後、下降式窓がひっかかったのは、母が姫路始発の急行銀河
で10系寝台の下降窓を開けた話を何度も聞かされてた、とい
うのが脳内でひっかかった模様。
思えば母は「窓がやたらと広くて痰壺が廊下にある客車」
(多分オロ36か40の格下げ車)とか貴重なものに結構乗って
たんだよなぁ・・・。
216 :
回想774列車:2008/09/21(日) 08:28:19 ID:+omZhUpm
35年くらい前まで、国鉄の長距離移動の比率は、
今とは比べ物にならないほど高かった。
本線クラスは言うに及ばす、今では廃止になりそうな
支線クラスですらバンバン直通急行や準急が入っていた。
おまけに機関車は、今から見れば貧弱なものだったので
軽量化は重要だったのだろう。
軽量客車誕生の頃だと東海道本線ですら非電化区間があり
DF50も登場してなかった頃だからね
218 :
回想774列車:2008/09/21(日) 13:42:23 ID:E8fGzK4o
旧型客車編成の急行に連結されたオロネ10は、20系などの特急型寝台車以上に眩
しいあこがれの存在だった。
たとえば急行「津軽」。多客時には、スハ43や、場合によってはニス塗り内装の
オハ35の車内は、通路に新聞紙敷いて酒に酔い潰れたオヤジが寝転がっていると
いう状況なのに、照明を落したオロネ10の車内はシンと静まりかえり、絨毯敷き
の通路の左右に並ぶベッドは、重厚なカーテンで閉ざされている…そんな、まさ
に格差社会の頂点に君臨するかのような存在感がたまらなく良かった。
いつかA寝台に乗れるような身分になったら、ブルートレインではなく、普通車か
らA寝台まで一通りそろった急行のオロネ10(オロネフ10)に乗りたい…と思って
いたが、オロネ10連結の客車急行など早々と消えてしまった。
そして、40過ぎのオサーンになってしまったが、いまだA寝台に乗る身分とはほど
遠い場所に漏れは居る…orz
219 :
回想774列車:2008/09/21(日) 15:41:34 ID:+Pr4Db7i
10系の断熱材
石綿といいたいのであろうが、その時代なら10系に限ったことではない。
10系ハネの登場時の公式資料なんかを見ると
中段の壁面が落とし込み構造で昼間は車内を端から端まで見通せる構造になっている写真があるけど
昭和50年以降になると殆ど寝台解体しなくなった状況で、あの落とし込み壁はまだ使えた?
あと、10系ハネは解体時中段を下に落として昼間は座席の背ずりにしてたけど20系からは上に持ち上げる構造にしてたよね?
寝台のベッド面を座席の背ずりにするのはやはりどっち付かずで不評だったってことでしょうか?
>>221 昔、交博にナハネ10のモックアップがあったけど座席/寝台使用時の
使い分けで展示していたね。
RF誌の20系特集の記事に「中段を背もたれとして使うには圧迫感が
生じるので20系では跳ね上げ式に改めたとある。
223 :
回想774列車:2008/09/21(日) 21:07:10 ID:w8O2Ju/E
583みたいな感じなのかな?
224 :
回想774列車:2008/09/21(日) 22:22:07 ID:BQFUP16J
>>221 最後まで10系ハネが残った普通列車「山陰」のオハネフ122094の車内写真があるんだけど。
中段の壁は落とし込みではなく跳ね上げだよ。
上段の裏面には中段の壁にあるハンガーフックを逃げる凹みがあるし、持ち上げ用の取っ手は下の方にあるから、上段の裏面に貼り合わせる構造だったみたい。
因みに漏れが乗車したのは82年以降のきたぐにと山陰だけなんだが、この壁は既に金具で固定されてました。
>>224 車内の中・上段への梯子に書いてあった形式は2000番台じゃないもとの番号のままだったよね。
226 :
回想774列車:2008/09/21(日) 23:22:52 ID:VagtWZx+
10系に関しては、プルマン式しか記憶にない俺です。
ボータイ、吊り半ズボン、ハイソックスに革靴の子供でした。
何か?
>>224 たしかに何らかのロック機構がないと、寝台使用中に中段の乗客が勝手に開けて、隣の中段を
覗くなんてことが可能になってしまうな。
228 :
回想774列車:2008/09/22(月) 17:02:54 ID:ChN50L6d
昭和50年代以降10系寝台車の列車廃止、車両置き換え(20系、14系)の度に客車ロザ(スロ54,62)も姿を消していきましたよね
こいつらを語り合ってるスレってありますか?
陸蒸気で、トンネル通過時に窓を開けっ放しにしていると、
機関車が吐き出す煙が入ってきてしまい、顔は真っ黒になる始末でした。
陸蒸気っていつの時代の人やw
もし日本で最初に一般化した蒸気機関が蒸気機関車で、蒸気船が後から登場していたら、
蒸気船は「海蒸気」とか「川蒸気」などと呼ばれていたのだろうか、とふと思った。
>>233 スレ違いだけど、川蒸気という呼び方は実際にあったそうだよ。
通運丸か…
>>230 簡易とはいえ、グリーン車との格差が無くなったことや
それらを利用する方々が、ほかの手段に移ったことが
あるのでしょうな。
51年の大幅値上げも大きかったかと
>>237 でも実際連結外れたのは、上野口、北海道だと55.10から57.11くらいじゃない?
まあ、あの頃の国鉄の体質だと実際の乗車率なんぞリサーチせずに惰性でつなげていたのかもしれないが
スロ62の窓割の関係でムダに広いシートピッチを体感してみたかったよ
239 :
回想774列車:2008/09/26(金) 00:18:53 ID:W9/5hdiE
スロ62の1270mmピッチは広くて快適そうだね。
前身がまさか大正期の木造車とは。
240 :
回想774列車:2008/09/26(金) 00:45:19 ID:mizItCjH
>>239 台枠くらいでしょ木造車時代から最後まで残ったのは
元から優等車として作られた他の特ロに比べて一番長生きしたのは皮肉
両数も一番多かったというせいもあるけど
243 :
回想774列車:2008/09/28(日) 23:44:09 ID:nbSaO5I3
オロネ10はナロネ20の図面使ったらしいからねぇ、
丈夫なんあだよね。
10系客車オンリー編成の最後は「桜島・高千穂」じゃないかと。
あと、RJの50系特集で散々叩かれていたかと。
244 :
回想774列車:2008/09/29(月) 02:14:19 ID:pnZby2ZF
未だに在来線で最高のスピード感は東海道区
間での[高千穂・桜島]だね
フルノッチのEF58は80km/h越えてもグングン
伸びるし
ジョイント音の…カチャカチャ…………カチャカチャ…に
は血沸き肉踊った。
245 :
回想774列車:2008/09/29(月) 02:16:10 ID:BCG1vOHC
>>244 日本で最後の旅客専用設計の機関車がEF58なんだっけか。
246 :
回想774列車:2008/09/29(月) 02:45:02 ID:63ujyngB
>245
EF61じゃね?
247 :
回想774列車:2008/09/29(月) 03:49:05 ID:pnZby2ZF
1時間定格速度でみると
EF65:45km/h(全回磁)、72km/h(弱回磁)
FF58:68km/h(全回磁)、87km/h(弱回磁)
の様に新性能電機は客荷両用に作られており
高速性能では敵わない。
EF61が客用と呼ばれるのは単に蒸気暖房付き
だから。
EF57/58牽引の急行列車に乗った事がある人
なら、新性能電機との出力特性の違いを肌で
感じられたはず。
61は、旅客機が余ったらギア比変えてSG下ろしてEF60並にするつもりで作られた車両だしな
66があるだろ
250 :
回想774列車:2008/09/29(月) 10:03:55 ID:QTHkSXqy
66は高速貨物用に作られたんでは?
251 :
回想774列車:2008/09/29(月) 10:31:19 ID:OdukDgNK
>>243 >10系客車オンリー編成の最後は「桜島・高千穂」じゃないかと。
消防の頃、朝夕に東海道を行き来するブルートレインよりも、日中に走る
「桜島・高千穂」が好きで、しょっちゅう線路端へ眺めに行った。
「高千穂」側は10系オンリーのことが多かったが、「桜島」側は必ず1〜2
両は43系が入り、10系オンリーの姿を見たことがない。
いつも子供心に「桜島は今日も“古いの”がつながっている」と思いながら眺
めていて、「桜島・高千穂」が全車10系編成なら「全部“新しい”のだ!」と
興奮したはずなのに、その記憶がないから、少なくとも漏れが見ていた範囲で
は併桔の両列車がすべて10系で揃っていたことはない。
(消防時代は、シル・ヘッダーが付いているか否かで、鉄道車両を“古い・
新しい”と区別していた)
その「桜島・高千穂」も、末期には「高千穂」のグリーン車は不連結となり、
「桜島」側もオロ11が“古いの”(スロ54だと思う)に置き換わってしまい、
がっかりしたものだ。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 10:33:15 ID:Ep9SVFfu
>>14 12さんの説明でおおむね正解だけどね。
グリーン車でいえば、オロ11は新幹線博多開業と同時に廃車解体されたのに
木造車改造のスロ81なんかは、JR化前後まで残っていたし。
郵便車のようなやや例外もあるけどね。
オロ11とほぼ同時期に製造されて同じような履歴の、
オユ10、11は郵便車消滅まで生き残ったのもあるから。
14さんのはチト違う。
元々ナハネ11→オハネ12は電気暖房がなくて、西日本主体で使用されてきたのだが
昭和50年代前半に比較的早い時期に関西方面の夜行が特急化
もしくは夜行急行の20系14系化で大量余剰になり、東北方面への転用が困難で
一部北海道向け(元々道内でナハネ11500からいたのと別にオロハネ10置き換えように
西日本から転入したグループ、電気暖房の2000代よりノーマル車改造したほうが楽)に
再改造されたものを除いて大半がオハネフ12・スハネ16より引退したってのが現実。
オハネ12より老朽化の進んでいたオハネフ12は電気暖房があったがために
やむを得ず生き残った。スハネ16は、車体に関してのみ車齢が新しいから。
スハネ16は、北海道の津別にいけば昭和41年製の最終型にまだ会える。
オロ11の悲劇も同じ理由。電気暖房がなかったがため。
昔はもれも木造改造上がりのスロ62は、最期まで生き残ったのに
なんでオロ11は、存在しないのだろうって思っていた。
丈夫な構造の43系でもスロ54も、本州では比較的早く姿を消した。
253 :
回想774列車:2008/09/29(月) 14:36:43 ID:psLbk/Dm
旧客末期の鉄道誌(たしか面白かった頃のRM)で、「(受験だか何かが終わって)久々に
北陸本線に撮影に行ったら10系が全然いないきれいな(43系中心の)編成ばっかりで
寂しかった」みたいな投稿があったな。
254 :
回想774列車:2008/09/29(月) 16:15:22 ID:yZjCENxD
>>250 でも高速性能面では58の後継に相応しいという話があるね。
66がブルトレ牽引するのは65より絵になってるし20系を臨時に牽引した時似合っていたと思う。
255 :
回想774列車:2008/09/29(月) 16:30:49 ID:wJy5ZXgL
>>252 対照的に国鉄末期の鋼製車は弱点を最初から徹底的に
対策した車体になったね。
結果、車体が丈夫過ぎて足回りの寿命が先にきてしまったと。
256 :
回想774列車:2008/09/29(月) 23:34:29 ID:pR+Q2PQf
>>254 トルクや加速状況、またブレーキングの調整など、旅客用と貨物用では
厳密には設計が変わるというようなことを聞いたことがあるが、そういう点で
EF66は高速貨物(というかフレートライナー)に特化した設計だったとか。
純粋に旅客列車牽引を意識した走行性能で設計した機関車はEF58が最後、
以後の車両は貨物用設計車に旅客車牽引に必要な設備を上乗せしただけ、
ということらしいが・・・
そんなにEF58の性能って良かったの?
ギア比が旅客用にマッチしてたって話だな。
瀬野八さえなければ、EF65ももっと高速側にギアを振ったかも。
そういや66+10系って見たかったな。20系はホリデーパルで見たけど。
66+10系みたことある人いる?あったとしても回送や配給だろうけど。
258 :
回想774列車:2008/09/30(火) 00:41:24 ID:RV+5aZKv
>>256 そりゃ、高速化に特化するか、重量化に特化するかでギア比は決まるだろ。
EF58は旅客機として製造された最後の電機だから。
トラックとスポーツカーの出力を比較しても意味がないのと同じ。
>>256 >>トルクや加速状況、またブレーキングの調整など、旅客用と貨物用では
>>厳密には設計が変わるというようなことを聞いたことがあるが、そういう点で
>>EF66は高速貨物(というかフレートライナー)に特化した設計だったとか。
それはEF58までの旧性能機での話。ED60以降の新性能機では従輪廃止による
車体重量減とモーター出力増強とあいまってわざわざ貨物用にギア比を上げなく
ても十分な牽引力が発揮できるようになったため。
あとEF66の場合、出力が当時の客車列車ではオーバースペックだったのと、
当時は貨物輸送が旺盛だったため、旅客列車にまで回す余裕がなかったと
いうのが実際のところ。(当時はひたすら汐留〜下関でコンテナのピストン輸送)
EF66が旅客仕業に就いたのは、ブルトレの長編成化(具体的にはロビーカーの連結)
による牽引定数の増加(EF65だと勾配区間で補機が必要になる)のと貨物輸送の
落ち込みによってEF66の運用に余裕ができたから。
>>249 高速貨物用に作られたので将来もブルトレ牽引は夢と思われていたんだけど
まさかの牽引機に昇格で当時は相当インパクトあったよ
漏れはPやPFがブルトレを牽いていた頃が好きだ。
263 :
回想774列車:2008/09/30(火) 18:14:01 ID:yq8eNFan
最後の旅客機はEF61では?
SG載せるためでもあったが、キヤ比もEF60より高速側になっているはず。
>>257 ヒント:暖房源
廃車回送でEF66-100がボロボロの10系を牽く姿ならピクに出てた
>>263 貨物機にSG乗っけた機関車でしょ61は。
セノハチの補機もしてたし(200番代のことではないよ)
ってここは10系客車スレ…。
266 :
名無し募集中。。。::2008/09/30(火) 23:08:19 ID:DoF4ZrWf
いいね!
横浜駅が、俺の記憶の中の横浜駅と同じ。
269 :
回想774列車:2008/10/01(水) 15:21:08 ID:ZcQZ6snP
全色盲?
>>266 博多の駅でかかる音楽「博多夜船」は効果音なのか、
それとも昔は駅で流していたのかな?
佐賀では他スレで話題になってた、木製の棚の乗車券箱が見える。
頼信紙(←一発変換だw)も死語だね〜
何のことでしょう(ヒント:その窓口の上に電電公社のマークが)。
10系だけどディテールにこだわらなければ今でも
最期が近づいているキハ28-58あたりで追体験できそうな内装だね。
271 :
回想774列車:2008/10/01(水) 22:47:52 ID:8JQBdoxo
>>261 EF66の場合は、貨物機から旅客特急牽引機になったのは昇格というべきか
左遷というべきか微妙なところ。
普通は貨物機が特急旅客列車牽引機になるのは名誉になるようだけど。
272 :
回想774列車:2008/10/01(水) 22:52:50 ID:7TjPB6Vr
要は、14、24系はスチームも電源もいらない、外から見れば貨物と同じだったという事でw
>>265 デザイン的にはベストマッチングだとは思うけどね。
なんというか、共に星さんのヨーロッパ外遊の成果という
か、そんな感じの造形なので一脈通じるものがあって。
EF61は子供時代荷物列車牽く姿を割とよく見てたんだけど、
あの長さを強調した鎧戸の配置やデザインの流麗さが凄く
好きだった。
274 :
回想774列車:2008/10/02(木) 00:14:09 ID:Xsb1hmr8
>>273 EF61のサイドビューは秀逸でしたね。
漏れも厨房の頃に荷物列車で見ていた。
残念なのはシールド2灯。
ちゅうか、旅客電機スレがあるとカナーリ盛り上がる悪寒。
275 :
回想774列車:2008/10/02(木) 01:20:22 ID:mOC4KQZ1
マロネ40 マシ35 スハニ32
276 :
回想774列車:2008/10/02(木) 01:45:12 ID:D6UNfR2e
66は寧ろスペイン辺りマネされたんじゃなかった?
>>276 あれは三菱電機がメーカーとして噛んでますから…
66スタイルを売り込んだら、スペイン国鉄が乗ってきたっていう、姉妹車種。
まちがいないく元祖は66。
279 :
回想774列車:2008/10/02(木) 19:59:00 ID:maAVE8Zm
280 :
回想774列車:2008/10/03(金) 01:30:06 ID:DxUyqnUy
国鉄-JR歴代ELのデザインNo.は間違いなく66
281 :
回想774列車:2008/10/03(金) 01:31:12 ID:DxUyqnUy
但し、1、2次車。改装版は除く。
>>280 あんた10系スレでようそんなことが言えますなあ。
ELデザインNo1はEF58に決まってます。
俺も旧客抜きにしてもEF58がデザインNO.1かな
高速牽引試験でEH10が牽引していたのはたしかナハ10だったような気がする
284 :
回想774列車:2008/10/04(土) 03:47:25 ID:in/qQqsr
>>273-274 EF61も☆さんだったの?
オシ16といいEF61といい「記憶に刻み込まれる」車輛ですね。
285 :
回想774列車:2008/10/04(土) 14:52:25 ID:A/3y7NJw
EF61といや、上越線に転用する計画もあったげな。
深夜、雪まみれで『能登』『鳥海』を牽く姿を見たかったな…。
286 :
回想774列車:2008/10/04(土) 15:45:26 ID:Z0IkeU8s
>>266 蛍光灯が直線のタイプなのであれはナハ11では?
だとしたらおろしたてだねw
あの映画が確か昭和32年頃の封切だからナハ11だとまっさらの新車。
しかし…例によって途中で青大将特急になったり、スハ32主体のローカル列車になったり…
(急行「さつま」じゃなかったんかい?w)
広島過ぎてカマがC59からC62になるのは良いが、小郡(現新山口)でまたC59ってのは…
(柳井でも徳山でもカマを変える事は普通は無い)
野暮だとは判っていても気になるのが「鉄」だw
軽量客車はマルーン時代の方がシックで良かったな
編成美で最高の組み合わせは同じくマルーンのDF50
に尽きるだろう・・・リアル体験はないが…
実体験だと、警戒色無しブルーのEF58が同色の客レ
を牽いて疾走する姿が最高にカッコヨカった。
>>286 「張込み」では映画のスチールに、主役二人のバックに止まる「ナハフ11 1」の車側ナンバーが映ってたな
車中シーンの多くは実際に「さつま」に増結したナハフ車中でエキストラ使ってぶっ通しのリアルタイムで撮りまくったそうだが
289 :
85:2008/10/04(土) 18:23:04 ID:EvTqq5Ic
>>85で10系客車主体の編成と書きましたが正しくありませんでしたね。
すみません。列車がころころ変わるのはあれはあれで貴重な画像ですね。
290 :
回想774列車:2008/10/04(土) 21:08:01 ID:Z0IkeU8s
>>289 いあ、九州急行は結構編成中にナハ車の組み込み多かったから編成上り側の
普通車自由席はナハ主体だった。
東海道内で完結する「なにわ」は寧ろスハ43主体だった。それはおそらく牽引
定数との絡みだろうね。
全線電化の終わった東海道内ならEF58の通客甲Bで550トン、甲Cで600トン
牽引できるからスハ車主体でも14〜15両ぐらいいける。
一方まだ非電化だった山陽・九州方面では如何にC59・C62をもってしても500
トン超となると流石にしんどい。利用客が多く増結要望も多かった当時、スハ車
3両をナハ車4両に置き換えられれば同じ定数内で定員が80人増える。となる
とナハ車が多く回されたんだろうね。
(それでなくても優等車としてマロネ・スロなんてのが複数はいるから大変…)
291 :
回想774列車:2008/10/04(土) 22:24:07 ID:cT63DGT8
EF58はNo.2
>>284 EF61の側面デザインはED72・73と同じく名鉄パノラマカーで有名な
荻原さんの提案。
ED72で鳩胸とセットで提案したら反対意見が出て、仲裁案としてED
72試作車では鳩胸+従来型側面、EF61で提案通りの側面、としたら
EF61が大好評で、結局ED72・73量産車では荻原さんの提案通りのデ
ザインが本採用になったとか。
ただし、その辺をとりまとめて具体設計したのは国鉄臨時車両設計
事務所(当時)の筈。
10系にはEF61がベストマッチだったのは同意だな。
どちらもシンプル・イズ・ベストだよね。
294 :
回想774列車:2008/10/05(日) 06:34:20 ID:hIXewnjM
学祭で出した会報で、車体も新しいしTR50だしとスハ43系以前より乗り心地がいい、と書いたら先輩に訂正された。老朽化で隙間風がひどくスハの方がましだって。(^^ゞ
俺が社会人になった頃かろうじて残っていた
北海道のオロハネ10、見たこともなかったが無理して乗りに行けばよかった
オロネ10は津軽で乗ったけど
296 :
回想774列車:2008/10/05(日) 10:09:21 ID:i5dVfOmC
>>293 EF61には10系客車やスハ44の近代化改装車が良く似合っていたね。下り音戸1号と
上り天草の先頭に立っていたのが懐かしい。
(因みに、有名な上り阿蘇の牽引は広島〜名古屋間。下関〜広島間はEF58だった。一方
天草のEF61は下関〜広島間。カマの所属が広島区だったせいか広島でカマを交換する夜
行急行は複数あった模様。当時の時刻表によると5分ぐらい停車する列車もあった。5分
あれば少々慌しいがカマの交換は不可能ではない)
297 :
回想774列車:2008/10/05(日) 17:02:21 ID:ndr2/wE5
EF61、晩年は呉線で貨物列車を牽いていましたね。。
呉駅のはずれの踏切で、通過していく列車をよく眺めたものだった。
誕生当時、東海道・山陽線を華々しく走っていた時代があったことを
知ったとき、その姿を見ると複雑な気持ちだったのを思い出す。
オロネ10で疑問に思った事なんだけど
オロネ10って空気バネ台車装備だけどコンプレッサーも元ダメ管も引いてないよね?
ということはブレーキ管から空気バネの空気は補充していたと思うんだけど(ここまでの認識で間違いない?)
通常はロネなんて編成中1両、せいぜいおまけにスユ16かワキ8000が1、2両だからBP管だけで事足りるんだろうけど
むかしあった「ことぶき」って全車オロネ、オロネフ10だよね?、エア足りたのかな?
20系の急行用改造も専用機関車が不要になる様にコンプレッサー大型化してカニ→カヤになった事を考えると不思議なんだけど
299 :
回想774列車:2008/10/05(日) 18:53:43 ID:15/yirns
昔の国鉄は、色々と厄介だったんだな・・・
それだけ「歴史」があるということなんだろうけどさ。
で、子供の頃に福知山線でナハに乗ってるはずなんだが全く記憶にない。
内装としては、キハ58系と同じと考えていいのかな?
300 :
回想774列車:2008/10/05(日) 19:17:28 ID:4d4326V8
301 :
300:2008/10/05(日) 19:21:14 ID:4d4326V8
ゴバク
>>298 編成長がさほど長くなかったのと、95km/hMaxなんで何とかなっていた、のだろうか?
まあ定員が少ないうえ、発車したら車重はほとんど変化しない特別列車だから、空気バネによるエア消費も抑えることはできたか?
>>299 福知山線にはナハ10が入っていたが内装がキハ58---まあ似ていたけれど
車内灯が20Wサークライン蛍光灯に改造されていたのが58と違う程度かな
304 :
回想774列車:2008/10/05(日) 20:15:46 ID:vtOygerl
ああ、サークラインが入った車両もあったなあ・・・
305 :
299:2008/10/05(日) 20:44:14 ID:0UPzHTT3
そういやサークラインだったなw
今から思えばスハ43に乗っておいた方が良かったのかもしれないが、
阪急電車に乗り慣れたガキにとっては10系が限界で、43系などは
能勢電にしか居ない超ボロ電並の老朽車としか映らなかったんだよな。
てか、ガキの目には、やっぱり43系は超古い車で、10系の方が現代的で
まだマシに映ったんだよな。さすがにリアル木造内装車両は・・・
でも、今から考えたら何とも勿体ないコトをしたもんだ・・・と12系使用の
臨時ちくま(ガラガラの大阪行き)に乗りながら思ったもんだ。
そういや20系のB寝台と10系のB寝台って、大きく違うモノなのかね?
末期の「あおもり」で20系のBに乗ったが、さすがに狭くて困ったわ>寝台
306 :
回想774列車:2008/10/05(日) 21:12:33 ID:GZ6qBi5l
>>298 >>302 そんなところだろうね。
でも新婚旅行用の列車でしょ。
かなり振動があったのでは…w
サークラインはグローブ付き白熱灯具のベースにぴったり。
309 :
299:2008/10/05(日) 23:03:17 ID:NqKksHah
>>308 悪いがキハ55系には乗った記憶がない・・・
記憶にあるのはキハ20系・キハ58系・急行型電車のみ。
播但線でも旧客時代には乗ったことがなく、乗車経験は
50系か12系しかないんだよね>座席客車列車
310 :
回想774列車:2008/10/06(月) 00:21:07 ID:WE9Q410S
天井がカマボコ型の車内空間こそが10系の味だ
乗り味が一番近いのは近郊型電車のT車だろう
>>309 確かにナハ10/11はキハ55とよく似た内装
キハ58とはかなり違う印象だったな
10系に限らず旧客列車が駅に停車して反対列車を待つ時のあの静けさは懐かしいな
>>305 >>そういや20系のB寝台と10系のB寝台って、大きく違うモノなのかね?
寝台そのものの構造は大した違いはない。10系B寝台と20系B寝台の違いと言ったらこんなところ。
・20系には側廊下に跳上式の補助椅子があったが、10系にはなかった。
・20系の中段寝台は昼間は上段方向に跳ね上げていたが、10系は座席使用時の背ずりとして利用。
・10系の上段寝台のカーテンを開けるとそこにはエアコンの室内機が。夏場は動作音が結構うるさかった。
まあ、補助椅子の有無が一番大きかったな。10系だと夜寝られないときに座席車まで遠征しないといけなかったし。
313 :
回想774列車:2008/10/06(月) 21:09:59 ID:ATF2vclr
>>306 かすかだが、その白熱灯のグローブに覚えがあるw
314 :
回想774列車:2008/10/06(月) 23:29:25 ID:YneEVfRW
>>311 個人的には、化粧板の色からキハ58に近い印象があります。
化粧板には記憶にある範囲で2種類あり、ひとつはキハ58と同じ茶系。自分が乗った10系は、ほぼこれでした。
しかし、時々アイボリーだがグレーだかの化粧板もありました。これは、ひょっとしたら淡緑色が薄くなったものか?
と考えましたが、よくわかりません。こちらはキハ55に近い印象です。
いつぞやのRJに、ナハ10試作車の試運転時の車内写真があり、それを見るとキハ55と同じ淡緑に見えますので、
デビュー時は淡緑で近代化改造で茶系になったのか?などと想像しています。
ただ、窓側の頭もたせ?はキハ55と共通ですね。
>>312 20系寝台の寝台灯は蛍光灯で読書も可能でしたが、10系のそれは豆電球で、とても読書は不可能でしたね。
それから昭和58年夏に「ながさき」のナハフ11 17に乗車しましたが、煤煙よけの網戸が残っていました。
客車は発動機や電動機などの余計な音がしないから、
ガタンガッタタン、、ガタンガッタタンというレールの継ぎ目を
通過するときのジョイント音が鮮明に聞こえる。
>>305 >>312 各車に空調用ディーゼルエンジンを積みコイルバネ台車の10系と
集中電源方式で空気バネ台車の20系では、寝台幅が同じとはいえ
乗り心地は異なっていたなぁ
317 :
回想774列車:2008/10/09(木) 22:13:31 ID:L2W0kc3f
>>312 >>316 10系のオロネ10と20系のナロネ21も微妙に違ってたんかな?
オロネ10は自車の冷房用のエンジンがあったからそれなりに煩いような気がする。
足回りは同じエアサスだけど。
>>317 冷房電源以外はそんなに違いはないよ
オロネ10のほうがナロネ21より後発なんだよね
寝台が出来るだけ前後の人が頭同士になるように配置されていたね
外観的には上段小窓の配置が違うのでそれが判る
319 :
回想774列車:2008/10/10(金) 23:54:12 ID:Fy6js7Ct
オロネ10のTR60は空気バネ。
オロネ10もナロネ21も固定窓だったからそんなに変わらなかったのかしれない
ハネの室内はクーラーの突起があってちょっと圧迫感があった
中学生の時、家族で帰省に使った「西海2号」のB寝台は思い出だなあ
その時は6ベットすべて埋まっていた中の4つがうちの家族で自分は最上段
階段をよじ登って身体を反転させて乗り込む
横のカーテンを開けるとドでかいクーラーがあるんだよね
頭のほうのちょうど通路の上は荷棚になっていてかなりの収容力があったよ
下って社会人になって10系寝台晩年の「津軽」や「山陰」で何度か利用したね
山陰では6つのベッドのうち利用は自分を含めて2人
ともに下段でしばらくは見知らぬその人と酒盛りしていたよ
あの6つのベッドの空間はほんと懐かしい
322 :
回想774列車:2008/10/11(土) 19:21:02 ID:Owy7O5zg
オロネ10は、ナロネ21のキロネ。
スユニ50製作時、軽量客車のTR50を再利用しなかったのは耐久性の問題か?
種車はスハネ16・スハ43・オハ46など全てTR47履いていた車のはずだけど?
再利用したのは台車と自連程度だったけどね
意味取り違えている?
325 :
回想774列車:2008/10/11(土) 21:15:32 ID:rRVSyJSv
素人質問ですまんが、客車の系列の番号は何で決まるの?
10系とか12系とか20系とか。35とか60とか47とか50とか。
326 :
回想774列車:2008/10/11(土) 21:41:53 ID:6WIRFmHA
網タイツのバニーガールのウサギちゃんが回転板に矢を放って決めます。
ああ、ほし☆あきら ちゃんだっけね
328 :
回想774列車:2008/10/11(土) 22:32:20 ID:QZsVpV3L
329 :
回想774列車:2008/10/11(土) 22:34:31 ID:GsHtQrBl
>>325 1927(昭和2) オハ31系
1929(昭和4) スハ32系
1939(昭和14) オハ35系
1949(昭和24) オハ60系
1951(昭和26) スハ43系
1955(昭和30) 10系
1958(昭和33) 20系
1969(昭和44) 12系
1971(昭和46) 14系
1973(昭和48) 24系
1977(昭和52) 50系
年代順に系列の番号が決められてるわけでもないし、系列番号がないものから順に決めてるのでは?
>>141 遅レスだが。
なるほど、現在活躍してる185系は4半世紀以上たったと思えないほどピカピカ。
昭和50年代に製造された113系、115系、201系も車齢25年〜30年。
これらの車両も引退時期を迎えるのにピカピカ。
1982(昭和57)年、急行越前に乗車。
そのオハネフ13は当時車齢25年位だった。
内外装ともボロボロに腐食していて その錆で塗幕の剥がれ方がひどかった。
同じ車齢を迎えても製造時期や形式によってなぜこれほどの老朽化の差が現れるのだろうか。
やはり、10系客車の製造方法に問題があったのでは?
もちろん、半世紀前だから製造技術も今ほどのレベルではなかったであろう。
軽量化するため鉄板を薄くすれば腐食がひどくなり短命化したのであろう。
330 :
回想774列車:2008/10/11(土) 22:37:47 ID:w3dy0rWd
走るんです電車群の末路が見えるようですな。
年代を経ると「高張力耐候性鋼板」とか、材料も技術も進んでますからね
既出だけど103系とかは車体修繕にかなり手をかけてたかと。
でも東の201系は、特に更新修繕とかしてないから、
工法の進歩によるのかも。
201系とか209系も、車内の床は…あと幌とか…(以下自粛)
333 :
回想774列車:2008/10/11(土) 23:04:52 ID:w3dy0rWd
建物なんかは、構造計算が精密になって、却って安全計数が小さくとられるようになった。
>>332 あの辺から連続溶接の採用など経年変化対策を始めてますだ>201系
335 :
回想774列車:2008/10/11(土) 23:06:06 ID:w3dy0rWd
○係数
今週NHK深夜にやっていた「昭和のSL」で、山陰線だったかD51が牽くオールロネという、かなりレアな映像が流れていました。
>>325 同じ作りの客車は極力同じような番号にしているけど
台車交換で重量が変わった場合あいている番号を適当に使ってしまい
結果、離れた番号になったのも多いね
狭窓60系、広窓61系、2重窓の2から62型など意味を決めていたのもあるね
10系のオハネフ12と12系のオハ12は同じ12でも系列は違うし
まあ2桁しかないので開いているところに入れていったというのが正解だと思う
気動車も同じ問題にぶち当たっていたから3桁にその後移行した
10系の場合だとオシ17やオハネ18などの台枠利用改造車は
2軸ボギー車最後の7から逆につけているね
オシ17より後に登場したオシ16の番号が若いのはそういう事情
おっと
×オハネ18
○オハネ17
>>337 オハニ36とか、お前いったいどうゆう出自よ?と問い詰めたくなるしな。
横川のオシ17(つーかオヤ17)の床のリノリウムがはげて板張りが露出してるけど、
車体新製するときにわざわざ板張りにしたのだろうか?
>>329 1941年の称号改正までは5桁番号。
称号改正の際に、5桁のときの形式の並び順に30から割り当てて、三等座席車ならオハ35まで埋まる。
以降も基本的には年代順で、戦時改造のスハ36(←スハ32)、オハ40(←オハ35)、オハ41(←オハ31)、
戦後のスハ42、スハ43…と続いてスハ57まで埋まる(新製はオハ46まででそれ以降は改造)。
オハ60系は鋼体化客車ということで、特別に番台を用意。
軽量客車は10番台、20番台を使用しているが、空きがなくなったために30番台以降も再利用。
でも10番台と20番台の区別がいまいち不明。
旧型車の改造車も1960年代以降になると空きがなくなったのか、戦時改造の番号を再利用したり、
26や27に割り込んできたりして複雑になってる。
客車は2桁しかないのに白熱灯から蛍光灯になっただけで形式変えたりしているから
そりゃ番号が無くなるわな
(当時蛍光灯化はそれほど重要なこととも言えるけど)
不思議なのはオハネ17から改造されたらスハネ16になってるんだけど
なんでスハネ17にならなかったんだろう
やっぱり適当なんだろうな
改造車はちゃんとオシ16やオハネ17は10台の形式で10系なのに
カニ38は他の改造車と違ってるものね
カニ18ではいけなかったのだろうか?
343 :
回想774列車:2008/10/12(日) 10:19:48 ID:JXwU6n6e
>>337 電車の場合旧国の形式の書き方を何で客車や二桁気動車みたいにしなかったんだろうか?
例:モハ72001→モハ72 1
という具合に。
344 :
回想774列車:2008/10/12(日) 13:56:09 ID:PrKkgXjI
>>342 >>不思議なのはオハネ17から改造されたらスハネ16になってるんだけど
>>なんでスハネ17にならなかったんだろう
オハネ→スハネへの変更があったから。当時は重量が変わったら律儀にナンバーを変えていた。
オハ35とスハ35は同時には存在しない。スハ43を軽量化してもオハ43にはならない。
スハ43→オハ46(但しタイプII)
スハ43→オハ47(台車振り替え)
スロ54→マロ55(冷房化但し後に台車振り替えでスロ54に復帰)
オロ35→スロ43(電気暖房化)
オハ36→スハ40(同上)
ナロ10→オロ11(冷房化)
オロ61→スロ62(同上)
オロフ61→スロフ62(同上)
ナハネ11→オハネ12(同上)
オハネ17→スハネ16(同上)
ナハネフ10→オハネフ12(同上)
等々
その意味では、スハニ61→オハニ61なんてのは例外の部類だった。
(確か荷物室の積載量を変更したんじゃなかったかな?かなぁ?)
カニ38がカニ18にならなかったのはおそらく荷物の積載量の都合で台枠構造或いは鋼体に
完全軽量型規格と行かなかった部分とかあったのじゃないのかな?
今はオハネ14とスハネ14、スロフ12とマロフ12が同時に存在するからややこしいw
スイテ49→マイテ49→マロテ49
2輌しかなくて同時に改造してるからいいのかな。
>>341 旧客の型鋼通し台枠ベースに軽量車体に更新したグループの多くは、完全新造軽量車のようなキーストンプレートじゃなくて
在来車同様の木材で床を張ってリノリウムでカバーしてたはずだ
>>346 10系客車だって、キーストンプレートの上は合板張りだったはず。
>>344 そうすると、なぜナロハネ10はオロハネ11ではなくオロハネ10に
なったんだろう。
349 :
解体作業員:2008/10/13(月) 15:38:51 ID:ihiO6E5O
オロネ10とか昔よくやってたけど、あれはリノリューム引っ剥がすとベニヤ板で、さらにベニヤ板を引っ剥がすと発泡スチロールが敷いてあったね。そういえば最近やったオロネ24102とか103とかもベニヤ板だったな。オロネ246とかいうやつは最近の素材アルミだったな。
>>348 冷房化が段階的に工事されたからかも
A寝台のみ冷房が行われてオロハネ10になって
B寝台冷房をしたのだけオロハネ11にするつもりが全車冷房化したので
結局形式を変えずにそのままだったとか
オロハネ104はBネの冷房改造施されないまま事業車改造されたけど、
元Bネのデッキ寄り1区画だけ寝台が残っているような写真もある。
真相はいかに?
352 :
回想774列車:2008/10/13(月) 23:43:36 ID:cFF3Ufvy
>>349 14系→24系の差。北陸トンネル対策。
353 :
回想774列車:2008/10/14(火) 00:42:28 ID:LH1n4LTB
丹那、関門トンネルを通る富士ぶさは、25→15。
354 :
回想774列車:2008/10/17(金) 00:49:08 ID:iSoA7/q7
>>332 国鉄の1980年代初頭の車両は抜本的に経年対策をしている。
201系なんて錆びやすい車体の下部はステンレスだし、185系などもかなり腐食対策をしている。
>>354 201は全部鋼じゃなかったっけ?
185は腰板がSUSだったような
10系も耐候鋼板とかが当時あれば長持ちしたのかもね
>>355 201は量産時に設計変更して台枠下部をステンレスに変更したはず。
で、あの時期の国鉄車両は厚みの相違こそあれほぼ例外なくSUSを
外板に使ってたはず。それこそキハ40系みたいなローカル線向け
を含めて。
耐候性というか耐食性のある鋼板というのは戦前の大阪市が含銅
鋼板使ったことでも明らかなように、結構昔からある。
問題はコスト。10系の量産数からするとちょっと採用は難しかっ
たんじゃないかなぁ。
357 :
356:2008/10/19(日) 19:02:39 ID:x2f1x0rU
訂正、SUSじゃなくSPA。
ガキの頃、大阪の祖父母の家までよく一人旅させてもらっていて、
10系「銀河」にはよく乗ったな。行きは新幹線、帰りは「銀河」というパターンが多かった。
で、俺の作戦なんだが、まず中段指名買いしていて、入線と同時に乗り込み、
ブラインドを開ける。当然、下段にも光は差し込んでしまうが、
たいていの人(ビジネスマン)はそんなこと気にせず、とっとと寝てしまうので問題なし。
発車すると俺は枕を窓側に置き、カーテンを開けて寝そべったまま夜景を眺めた。本当に極楽だった。
片側づつブラインドを開閉できる10系ハネならではの“技”だったかも。
俺にとって最高の寝台体験はこの10系ハネで、次が「なは」に連結されていたソロの上段。
「北斗星」のロイヤルも乗ったことあるけど第3位だな。
通路のカーテンを半分ぐらい開けて外を見てて、そのまま寝台に入ろうとしたら
たまたま車掌が通りかかって、きっちり下までカーテンを閉めていったな。
「灯火管制」という言葉が頭に浮かんだよw
10系は一度でいいから乗ってみたかったなぁ。碓氷峠越えのナハ11とか急行大雪のオロハネ10とか山陰のオハネフ13は憧れるなあ……。
そういや旧客全般のスレがないのねorz
361 :
回想774列車:2008/10/23(木) 23:58:02 ID:VUnF/y6l
f
>>329 10系はスイスの軽量客車のセミコピーなんだけど
高温高湿多雨 塩害などの環境の違いを頭に入れないで
コピー元そのままの下降窓にしたのが間違いの元だったような?
キハ55と同じ窓にしてれば長生きしたかもしれない
デザイナーがスイスに浮かれしまったのか・・・
>>365 その昔、中央線の車両を見て「錆止め塗料のままだ!」
と激怒して某全国紙に投書した自称芸術家というのがいてだな…
軽量化に徹しすぎて必要強度を得る最小限まで頑張っちゃってるのに、
それに応じたメンテナンスが十分に為されなくなったまま、長く使われすぎてしまったのが激しい痛みの原因でしょ。
窓サイズはナハ10とキハ55後期形では同じではなかったかと。
塗装整備と板金・パテ盛りなどの余裕も現場になくなっていたのだろうか。
368 :
回想774列車:2008/10/24(金) 22:19:57 ID:y/C8fz+q
10系客車と101系電車や20系気動車あたりは、共通した車体構造だろうから、10系だけが早く傷んだことは不思議に思う。
此処は大変勉強になります
カニ38以外に10系に荷物車が無い理由がよーく判りました。
>>368 電車や気動車の車体構造は、制御装置やエンジン類ぶら下げる仕様ですよ?
客車に比べて垂直荷重が増えますからそれだけ強化されていて、単純に共通とは言えない。
詰め込みによる無茶苦茶な荷重も想定せねばならない通勤形電車ならなおさらで。
10系軽量客車?ああ新型客車のこと、と思ってしまう俺ってなに者?
372 :
回想774列車:2008/10/25(土) 01:01:02 ID:+5qJ7gqU
>>370 客車にだって通勤車にはない水タンクがあったり、そのうえロネには最初から冷房と発電エンジンが付いていたりする。
ナハでも当時の急行自由席はそうとう込んでいただろうし(通勤車の詰め込みには及ばないが)、電車の制御機器ってそれほど重いのだろうか?
逆に、客車は列車重量をすべて受けられるように設計してるから台枠なんかは電車より丈夫だと思うけど。
オロネ10は10系の中では別格で状態良かっただろう。
また水タンクは予想の付く範囲、こと座席車用なら大して馬鹿でかくはない。
それに、着席定員88人が定員の三等座席客車と、
立席前提で空いた床面積が広く、定員でも140人超えの通勤電車では
「200%、300%」とかの定員オーバー時を考えても、相当に条件が違うぜ。
また客車は前後方向の牽引力には対処してるが、前後への引っ張り・圧縮への耐性は、
乗客の詰め込みによる垂直荷重とは力の向きが違うだろう。
オロネ10は20系のあとに作られた形式だから
充分構造など煮詰めて完成され、他の10系とは同列とは言いがたいね
376 :
回想774列車:2008/10/25(土) 02:22:32 ID:JaiipJ8s
確かにオロネ10は別系統と考えたほうが良さそうですね。
20系ロネの亜種と言ったほうが…
台車も空気バネだし。
377 :
回想774列車:2008/10/25(土) 05:19:00 ID:YV34hbF3
正体はナロネ21。
発電機下げた分でオになり、TR55から60に履き替えた。
上段の覗き窓の配置以外、まるでナロネ21。
>>366 俺は気動車の首都圏色を初めて見たとき、全く同じことを思った。
比べてみた
ナハ10 自重22.6-24.0t 座88人 座席ピッチ1480mm
キハ55後期 36.1t 84人 1470mm ※キハ26は31.3-31.7t
モハ80全金 45.6t 88人 1480mm ※サハ87は30.8t
こうして見ると10系客車の軽さがきわだつ
380 :
回想774列車:2008/10/25(土) 14:28:51 ID:+5qJ7gqU
>>379 モハ80の重量が、キハ55よりはるかに重いのが意外でした。
電車ってどこがそんなに重いのだろう?
ナハ10とサハ87も、どうしてこんなに異なるのか不思議です。
旧型国電なんかモーターだけでも1ケ1d以上あったりしたしな。
あと台車構造の違いは?比較的新しい例だけどクハ203なんて
100台とそうでないヤツとでは1両で2.3dも違う。
80系後期のDT20台車は鋼板プレス溶接・枕バネがコイルだけど、
ウイングバネに板バネ併用のゲルリッツもどきで複雑な軸バネレイアウトを使っていたから、超軽量とまでは行かなかったろう。
ましてや、モーターは従前からの重いMT40のまま。
383 :
回想774列車:2008/10/25(土) 18:04:04 ID:+5qJ7gqU
キハ26とサハ87の重量が、ほとんど同じというのはなぜだろう?
キハ26とキハ55の重量差が5トン位だから、エンジン1ユニットが5トンとして、
それをキハ26から引くと約27トン。
サハは台車が重いのだろうか?
>379
ナハ10は東急5000より軽いのか。
385 :
369:2008/10/25(土) 20:38:07 ID:h5QUCF6v
失礼しました
カニ38は軽量客車の分類でなく「軽量化車体の乗った戦前20番台
グループ」です。
軽量客車に分類したのは銀座の老舗、某堂の商品ラインナップでした。
ナロハネ10型が出来た当時ロネが扇風機と寝台の頭の部分にスライド
式の「送風口」があって、空けたら冷たい空気が噴出してきた。
ハネはファンデリアだった。
387 :
回想774列車:2008/10/25(土) 22:12:50 ID:+5qJ7gqU
>>385 カニ38はマハネ29からの改造だったと思う。
オシ17も当初3ボギーで計画されていたのでスシ38かスシ18になる可能性があったという。
途中で試作的な2ボギー台車に変更されてオシ17になった。
スシ58だったと思う
スロ60 118で試験していたKD-11とスロ54 47で試験していたKD-11Aを比較し
KD-11AをTR53として採用
オシ2形式とオハネ17の場合、定数抑制が必須の時代に敢えて台枠流用したのは、
やはり精度の高い台枠造りの手間を掛けずに、とにかく促成を可能としたかった面もあったんだろうな。
オシ17・16ははなから冷房搭載だから台枠強度の高さが求められたろうし、
完全軽量車体に比して重量の嵩む流用旧型台枠を使ったのは、
そのためにあらかじめ冷房と電源エンジンのマージンを得たかったのではなかろうか、と思ってる。
費用削減と余剰車の活用が主因だと思うけどね
391 :
回想774列車:2008/10/26(日) 02:34:14 ID:9z8BGKGx
台枠と台車の流用することで、全新製に比べて半額程度で造れると聞いた様な?
>>391 それはオハ60の場合。
10系の台枠流用型となるともっと高かったんでは
>>389 10系寝台は大人気で早急に3等寝台車の体質改善が必要だったしね
それもあるから工期も早かったんだろう
内装のみ10系並にしたスハネ30まで動員したくらい需要は大きかった
機関車そのままで増結輸送力うpが目的だから
電車と比較して耐久性より軽量であることにコダワリを感じる
まさか?軽量化のためにサビ止めケチったとか
どこかに補強の入れ方まで記入した図面があるらしい
それが手に入れば解るんだけどな
395 :
回想774列車:2008/10/26(日) 15:10:09 ID:SLviHPsT
あと考えられるのは自動連結器での牽き出し/制動時
のショックによる車体へのストレスの蓄積だろうね
セミモノコック構造で車体にも引張力がかかっていた訳だし
お手本のヨーロッパはバッファ╋スクリュー式で
ショックは少なかったはず
396 :
回想774列車:2008/10/26(日) 16:04:21 ID:3mzBwyT+
>>395 でも日本でバッファ+スクリュー式連結器が残ってたら、非力な日本の機関車では
いくら軽量化しても駄目だったような。
自動連結器は機関車の非力さを補う効果があった。
もっともそのために日本の蒸気機関車の発展が諸外国に比べて遅れたという負の側面もあった。
大正14年7月に鉄道省が北海道をのぞく全列車の運行を休止して連結器の交換を行った理由は?
いくら牽引力が強い機関車を造ったところで、連結器や台枠がその張力に耐えうるものでなきゃならんが。
ねじ式の弱点である強度不足を解消せんがための自動連結器のはずだが。
>>396 もともと鉄道省の機関車開発担当部門が冒険を嫌う保守指向だっただけでは?
自動連結器化が、日本の蒸気機関車の性能向上を阻害したなんてことはないと思う。
そんな話があるなら出典を知りたい。
399 :
回想774列車:2008/10/27(月) 00:13:02 ID:yTemiseo
引張力を大きくしないといかんな。
400 :
回想774列車:2008/10/27(月) 00:25:57 ID:IeTWsLXM
>>397 青函航路での貨車渡航が始まると、連結器の統一が必要になった為、
この時期に決まったと聞いた覚えがある。
401 :
回想774列車:2008/10/27(月) 00:32:25 ID:y9BNNO30
失礼、初期引張力で。
国産蒸機の基本レベル向上阻害は、
政友会のやらかした腐敗の温床のような建主改従政策の結果による、
狭軌のハンデを差し引いたところで主要幹線であっても世界レベルに及ぶべくもない
クソのようにみじめで絶望的に貧乏たらしく哀れっぽい
カーブと勾配まみれのグズで落ちこぼれで脆弱で悲惨な低規格軌道と、
そのせせこましい枠と予算不足に甘んじて、C51とD50のレベルでストップして勇気ある根本改善策を繰り出そうともしなかった
朝倉希一率いる設計陣の怠慢に尽きるでしょ(C53は欠陥機だし)。
蒸キチガイってなんで何処にでも涌くんだろう…
404 :
356:2008/10/27(月) 05:01:41 ID:8N52SKc9
端的に言ってしまえば自連の採用は輸送力強化と連結作業員の死傷事
故防止が主目的で、こいつが機関車性能向上を阻害したなんてのは妄
言以外何物でもない。
ちなみに、交換時には連環式連結器と自動連結器では、引っ張り強度
で具体的な数字は失念したが50%以上の差(無論自連の方が強度が高
い。ちなみに連環式連結器の数字は当時最良のドイツ製のもので比較)
があった。
あと、自連の圧縮引き出しなんてのは旧式のK三動弁前提のその場し
のぎの小手先の解決策で、それを自連のメリットに挙げるというのは
要するにその鉄道がありとあらゆる意味で目一杯時代遅れかつ低規格
だと絶叫しているのに等しい。
スキルとして高度であっても、手段としてはとてつもなく最低の方法な
のだということは認識しておくべきだと俺は思うよ。
自連はともかく蒸機の話は他でやってくれ
SLに10系は似合わん支那
407 :
回想774列車:2008/10/27(月) 20:51:39 ID:hchpcK17
>>406 でもC62と20系はなぜか似合ってたように思える。
408 :
回想774列車:2008/10/27(月) 20:54:50 ID:mpR4MYvg
>>406 呉線経由だった急行「安芸」の晩年の姿は似合いませんかそうですか…
あれはC62・C59の牽く10系寝台車編成。晩年は編成全車が10系で統一されていた
(それも全車両広幅。オロネ10・オシ17・オハネ12・スハネ16・オハネフ12以外は入っていなかった)
>>406 門デフC57と10系、C59と20系は非常に美しい。
スハ43系はなぜか電機のほうが似合う気ガス
410 :
406:2008/10/27(月) 21:43:44 ID:GzllvC8V
以外に似合うのは
10系&戦前型ELです。
>>389 遅レスだが、オシ17は種車の3軸ボギー再利用で計画がスタートしているので
定数抑制はあまり関係ないと思われ、元々はあさかぜ新設時の食堂車不足が
計画の始まりで、3両だと新製すると高くつくので余剰車を活用したとのこと。
余談だが計画途中で定員40名(既存車は30名)にできることが判明したので、
利用者の多いつばめ・はとに投入することに計画を変更、改造両数も4両に変更された。
またDC・EC化が予想以上に進行したこともありS34年度を最後に一般型客車の新製は
中断されているので、オシ16とオハネ17は新製することなどハナから考慮していなかった。
例外は戦前製ロネ置換用のオロネ10と、車掌室部分のスペースを生み出すために
既存台枠では長さの足りなかったナハネフ11くらい。
>DC・EC化が予想以上に進行したこともありS34年度を最後に
>一般型客車の新製は中断
動力分散化が史実より遅れた世界で国鉄が新製した44系相当
の特急用軽量客車とか妄想してしまうよ。
153系のような窓になった、急行用のオハ12(現実の12系でなく)
とかも。
>>413 S30年頃、東海道本線全線電化時に昼行特急用軽量客車を新製して
東京-大阪間を運転する計画があったという文献は読んだことがある
>>407-410 実際にあった訳だから、そう思う人は多いだろうね。
ただ新星とかで希にあったEF57+20系は今でも違和感を感じるw
スレチスマソ、ROMに戻ります。
>>412 > 動力分散化が史実より遅れた世界で国鉄が新製した44系相当
> の特急用軽量客車とか妄想してしまうよ。
ナハ20があるじゃないか。
418 :
356:2008/10/28(火) 15:57:15 ID:KZ9q9v68
>>413 EH50の計画やってた頃の話かな。
あの頃、電動機の定格変えて歯数比も変えたEH10 15で10系牽引させて
高速走行試験とかやってたけど。
結局軌道破壊の問題やら何やらで20系電車に差し替えられたというの
が何とも(合掌)。
やってたらやっぱり電源車+ナハ・ナシ・ナロ・ナイテ(?)って感
じの編成になってたのかなぁ。
ってたのかなぁ。
>>418 EH50も新特急計画の一環、電源車はパンタ搭載のMG専用で計画が進んでいたらしい
S30年に島秀雄氏が国鉄復帰した際、この特急を機関車+客車で実現するか、電車で実現するかの
再検討をすることになり、東海道本線電化には間に合わずS33年に20系電車として実現
この新特急計画で検討されていた事項の内、2900mm幅車体と裾絞り形状はナハネ10で採用された
420 :
回想774列車:2008/10/28(火) 22:15:45 ID:5t7mbmeb
20系のハザは寿命短かったな。
421 :
回想774列車:2008/10/28(火) 22:40:36 ID:8Z9OQV0D
>>419 EF65のすごさがよくわかる話でつネ。アレが出てきてH軸P型投入の必要性がほとんどなくなったんやから。
422 :
回想774列車:2008/10/29(水) 02:58:47 ID:WD+KmV3q
>420
模型でハザだけで編成を組んだら結構面白いカモ
423 :
回想774列車:2008/10/29(水) 08:16:27 ID:iRXnbF2o
>>422 それはいくらなんでも貧相だ。
ナロ3両とナシくらい入れた方が……。
カニ22+ナロ20+ナシ20+ナハ20+ナハ20+ナハ20ナ+ナハ20+ナハフ21+ナロ20+ナハ20+ナハ20+ナハ20ナ+ナハ20+ナハフ20
1〜8号車 東京・長崎
9〜14号車 東京・佐世保
425 :
回想774列車:2008/10/29(水) 11:24:44 ID:9JI6lsce
>>419 もし、「つばめ」「はと」が電車化じゃなくて、EH50+20系座席車で実現していたら、
東京-大阪はどれくらい走れただろうね?
EF66+20系寝台車でだいたい7時間くらいだから、殿様ダイヤにすれば、
6時間45分くらいはいけたんじゃないか?
426 :
回想774列車:2008/10/29(水) 15:21:21 ID:7JDgi641
今と比べれば、木枕木と細いレール。
横圧の大きい機関車牽引だから、軌道しだいってことになる。
427 :
回想774列車:2008/10/29(水) 16:42:06 ID:EaDClJyM
ナハ20は窓を2連で繋げれば見栄えしたw
ナハフ20の最後尾は有料展望室にすべきだったw
>>425-426 新特急計画としては6時間半だったが、20系PCならブレーキをAREB化するまで
最高速度は95km/hだから厳しいと思う
仮に20系PCが登場時より110km/h対応だったとしても、151系ECが軌道強化が
完成するS35年まで6時間半は達成できなかったから、同じような経緯をたどったのでは?
430 :
回想774列車:2008/10/29(水) 21:12:02 ID:K5xl54Fc
窓配置はカニさんの方がいいな〜♪
>>425 EF58+スハ44系時代で東京〜大阪間が7時間30分だったから、
線路改良込みでおおむね7時間程度の計画だったと思われる。
ちなみに、こだまが151系で登場した時点での東京〜大阪の所要時間が6時間50分。
その後の線路改良により、つばめ・はとの電車化時に所要時間を6時間30分まで切り
詰めたから、当時としては機関車牽引で6時間45分は相当に難しい。
しっかし、軽量客車登場から新幹線開業までたった9年とは
昭和30年代って凄い時代だったのね
>機関車牽引で6時間45分
東京・名古屋間はノンストップ、
機関士交代は走行中に機関士控え室のある先頭のマニ2*から前面貫通扉を
介して行う。このためEH50はDF50みたいな前面形状となる。
(マニもオハフ12みたいな形状)
マニは架線下のみの運用なので発電機不要、機関士スペースは
十分に取れる筈。EH50のスペースに余裕があれば
パンタを1基ふやして機関車からサービス電源を賄えるかも知れない
・・・と、厨な妄想
ところで、その固定編成昼行客車特急は、終点では編成ごと方向転換するのかね?
もしそうなら、機関車の後部と幌で繋いじゃえばいいんだが。
>>433-434 つ プッシュプル列車
デパートのおもちゃ売り場のプラレール展示線で、EH500の
二つの車体の間にコンテナ車を挟んで走らせてたのを見た。
間違ってるが、これはこれでかっこいいかもと。www
436 :
356:2008/10/30(木) 03:24:43 ID:uSk6ZvA5
>>435 確かに格好良いけど、制御線の引き通しとか、大変なことに
なりそうだなw
え、アメリカのDELみたく無線誘導?
437 :
回想774列車:2008/10/30(木) 06:50:32 ID:smrPF7wr
>>434 機関車とすぐ次の客車を幌で繋ぐのは、イギリスのフライングスコッツマンで行ってたな。
あれはテンダー内部に通路を付けてたような。
まつたくのスレ違いだしいまさら言うまでもないが
一方向きシートのスハ44などで組成されてた特急は
終点で編成ごと向きをかえてたんだよね?
はつかりは青森で、とか。
そうだよ、三角線使って編成ごと方転
本来急行用のナハ11が特急のかもめに入ったのは、門鉄がその方転を嫌ったため
本当はスハ44を回転クロス化してまたかもめに入れる約束だったらしいが
博多はたしか、勝田線、香椎線を使って方向転換できたのに、何が面倒だったんだろう。
下関では一両ずつばらばらにしてターンテーブルに乗せていたと聞くから、はるかに大変だ。
>スハ44を回転クロス化して
スハ44もだけど、20系のハザもシートは走行中は一方向固定だったな。
向かい合わせにすることを嫌う意向があったのか?
オレは長距離列車ではたいてい寝るから、座席を向かい合わせにして
ギャハギャハ盛り上がってる連中は迷惑なので、固定の方がありがたいが。
>>440 その作業に1時間以上かかった上に勝田線、香椎線では重量列車通過による鉄橋への負担が半端じゃなかった…
関係ないけどSLやまぐち号の展望車の転向を
C57 1が津和野のターンテーブルでやっていた(今でも?)。
>>442 今でも、香椎宮の横を通る、草に埋もれたような香椎線を見ると、
とても十数両の特急編成が入線していたとは思えないもんな。
445 :
Takechang ◆OERN6KX2L. :2008/10/30(木) 14:10:58 ID:zJAh/9Ly
東京側では大崎付近(目黒川信号場)で方向転換してたんだよね
446 :
356:2008/10/30(木) 15:03:33 ID:uSk6ZvA5
>>440 >>442も書いてるけど、時間が馬鹿みたいにかかる上に、客車区
での車内清掃に必要な時間の捻出にも苦労していたらしい。
ちなみに、方向転換を拒否した最初の特急は、確か56年の「あさ
かぜ」からなんだけど、それでも特急列車としてのメンツだか何
だかで、各車の号車札を上りと下りで全部入れ替えるという、今
考えるとアホみたいなことやってたらしい。
サハリンに軽量タイプの客車がいたらしいですけど、詳しく知ってる方はいますか?
>>440 勝田線ー香椎線のデルタ線を使っての方向転換
じつは481系も一度だけ行ったことがあるとのこと
営業運転前の各種試験の際
測定時の走行方向の都合上、方向転換を実施したもので
6M7Tの13両編成(502t)の両端を 2両のC11ではさみ
途中3回の制動管がはずれるなど相当の苦労を伴った記録が
ピク誌1965年10月号「481系高速運転試験列車試乗記」に紹介
いまは武蔵野線あるけど、なかったころの上野口の方転って、やっぱ品川まで持って行って品鶴使ってたのかな?>
はつかりの場合の方転は
上りはつかり上野到着→尾久に推進回送整備→田端操車場→隅田川→上野でした
補足
尾久→田端以降の移動は翌日出発前でC57が牽引
レスどうもです。昔は尾久−田端操って編成でいけたんですね。
今は単機以外やらないけど。
454 :
回想774列車:2008/10/31(金) 00:46:14 ID:e7l26Qdz
455 :
回想774列車:2008/10/31(金) 07:39:34 ID:vLE1X9Id
ナハ11の特急なんて利用客から苦情出なかったんだろうか。
583系はさんざん出たらしいけど。
12系の臨時特急みたいに特急料金の割引があったのかな?
>>455 えーと、今の感覚で判断しているから、そういう考えも
でるのでしょうが、向かい合わせの並ロがあった時代ですから
そこまで言わなかったじゃないでしょうか?
一応新車ですしね。
>>455 上で言っているように今の感覚で考えるとダメね
オハニ36(鋼体化客車で内装はスハ43並み)も特急かもめに使っていたしね
上級といえば進行方向固定座席のスハ44があったくらいで
比べる対象がそれほどないのだから苦しいけど速達列車として喜んで乗っていたのでしょう
かもめに10系が投入された頃だと、つばめ・はと・あさかぜしか特急が無い時代だし
不定期だけどさくらがあることを忘れていた
さくらもかもめがスハ44時代はスハ43だったね
460 :
回想774列車:2008/10/31(金) 20:18:36 ID:Mpl4AgH5
戦前はともかく、戦後は車内設備云々より「車内風紀」や「速達性」が
特急の重要な要素だったんだろうな。例え急行と同等車両であっても
指定席(だよね?)なら当時の急行のような大混雑にならないだろうし、
それで早く着けば尚よし、という程度だったんだろかね。
461 :
回想774列車:2008/10/31(金) 21:13:42 ID:l9ii7gya
>>447 確か、日本からの輸出車で、ナロ10の裾絞りがないようなデザインのがいましたね。
座席車と寝台車とがあって、D51のイベント車にも座席車が抜擢されてますた。ただロシアの車両は形式がよく分からんです。
試運転は日本国内で行ったそうです。
>>461 ナロ10に似てるとは考えつかなかったけど外装はお約束の深緑色ですよね。
TVで見ただけだけど、車内に日本風の帽子掛けがあり、
ロシア人たちはそれにちゃんと帽子を掛けていたのは
日本ではとおに廃れた光景だと思いました。
いつだったかの鉄道ピクトリアル誌でサハリンに行った軽量客車の記事があったような
>>463 読んだ記憶がある。
東急車輌の人の連載だったかな。
>>455 昭和30年代なら、平均身長も現在より10cm以上低かったと思われる。
膝がぶつからなければ、さほど苦情は出なかったのかも。
466 :
回想774列車:2008/11/01(土) 12:57:16 ID:XS48nvNR
その分が全部脚の長さだったのかw
「かもめ」のナハ11は最低だったな。シンダーの飛び込みが多くて
非電化区間では夏など網戸下ろしても天井の通風口からバラバラと
降って来たのでオハ二36の方が余程良かった。アレならオハ46使って
呉れた方が余程マシだった。
最近は定年退職した団塊世代が2ちゃんにカキコするのか……
恐ろしい時代になったものだ。国鉄時代には考えられなかった。
他のネタスレにもあったけど、国鉄時代にはインターネットそのものが
存在しなかったのも懐かしい。
パソコン通信すら無かった・・・
通信手段と言えば長らく電報電話郵便が主流だったしな。
「ウナ電」「チッキ」「異級乗車券」「467」etc……
もはやそんな歴史の世界の車両なんだな、10系ってのは。
10系登場の頃
国鉄は発足してまだ6年目、3等級制
巷には「赤線地帯」がまだ健在。
大卒初任給が「数千円、1万円あれば高給」
の時代・・・
>>472 「467」がわかりません。何ですか?
最低賃金のニコヨンというのは聞いたことがありますが…
>>474 1950年代にすでにこの世に存在していたらしい
>>467という生物と時代を共存していたということでは
476 :
474:2008/11/02(日) 11:33:18 ID:fQ9LPxpO
>>475 これは失礼しましたっ!歴史的な何かの符丁かと思ったものですから…
当方リアルでは列車の網戸見たことがありませぬ…では消えます…
オシ16って床下発電機は2基ついているんですね
478 :
回想774列車:2008/11/05(水) 23:05:41 ID:YHmCub6E
>>477 冷房用と電子レンジ用だと記憶してます。
あの事故からきょうで36年
心の中で掌を合わせてみる
鉄道100周年を迎えた直後だっただけに、大きな痛手だったろうね。
あの事故がなければ10系客車も、もう少し遅くまで見られたかもなぁ・・・
>>477 そうなんだ、オシ17くらいの厨房なら判るけど
オシ16の厨房規模で2つもあるのにびっくりしたよ
>>481 オシ17は石炭レンジなので発電機は冷房用だよ
>>478 電子レンジではなく電気レンジだと思う。
むかし誠文堂新光社の「客車貨車ガイドブック」で読んだけど
「極超短波使用の電子レンジ」とか書いてあった記憶が
>>483 オシ16は昭和37年に製作され、厨房にシャープ製の電子レンジを搭載していた。
ちなみに、国内で最初に作られた電子レンジでもある。
>>485 へぇーそうなんだ>本邦初
オッシ-16は車軸発電機も搭載していたと思うんだけど照明用かな?
オロハネ10 4から改造された新幹線貨車の939-201の画像ってどこかにありますか?
>>488 RF誌の1979年12月号(通巻224号)と1980年1月号(通巻225号)で
新幹線特集をやったはずだけど、そのどちらかに1点だけありましたね
すでに手元にないのでうpできませんが
490 :
回想774列車:2008/11/08(土) 23:05:11 ID:r1Vt7X39
>>487 星晃氏の「回想の旅客車」によると
「(前略)電子レンジも取り付けられたが、
客車のために電源が車軸発電であったことから、
電熱器と切替え使用をしなくてはならなかったのは
やむをえないことであった(後略)」とあります
492 :
回想774列車:2008/11/09(日) 11:10:50 ID:9eu2uUJT
>>489 >>490 ありがとうございます。本を探してみます。
レアな車両なので画像も殆ど残っていないですね。
>>489 >>490 ありがとうございます。本を探してみます。
レアな車両なので画像も殆ど残っていないですね。
>>489 79年12月号にありましたね>939-201
アレの後継車が確かスロ62だったかの改造だったんだよな。
シル・ヘッダーつきの車両が新幹線の線路を走ってる姿て想像しづらいなw
939-201か。
鉄Fの2003年ごろ?の「新幹線コレクション」に載ってなかったっけ?
マイナーな車の割にはどこかで写真をポツポツ見たような記憶があるな。
>>495 元をたどれば戦前のクルマの台枠が活かされているわけだしねw
10系のモチが悪かったのは軽量化で丸穴肉抜き加工を使ってたから?
と推測
同年代のキハやサハは軽量化丸穴肉抜き加工してなかったから
ナハに比べて重く耐久性もあったと
バイクやクルマを見てるとあの穴のバリの残ったフチの部分から
腐ってくんだよな特に昔のは
穴加工の多かったナハの方がカネがかかってたんじゃないか?
498 :
488:2008/11/13(木) 22:15:06 ID:2u0BkRwD
>>495 79年12月号ですか!
ちなみに年代が年代だけに写真は白黒ですよね?
>>496 2003年頃の本を調べてみます。
ありがとうございました。
499 :
回想774列車:2008/11/19(水) 20:08:21 ID:cGuodN88
10系ハザは寒いと言うイメージが強い。
夏場の昼間だったら大きな窓を全開にする開放感は最高だが、
夜になると網戸装備のスハ43系の方が良かったし、冬場の10系
ハザは旧型ハザと比べると、やはり寒かった。
窓の大きさ、鋼板の薄さ、それに断熱材の悪さが原因かと。
最期は西日本に多くなったのはこの辺も関係あるかもしれません。
木は最良の断熱材?なのかも
501 :
回想774列車:2008/11/19(水) 21:26:21 ID:ecOdD2EZ
木製のパソコンケース作ったら、
熱がこもって冷却が大変らしいぞ。
>>499 末期は窓の立て付けが悪くて八甲田のナハ11なんか
窓から雪が入ってきたw
高校時代通学に使ったがナハ10の900番台も残っていた。
デッキのステップがエキスパンドメタルになってた。
量産型は価格切り下げで普通の木材だった。
室内はすでにサークラインになってて変化は感じなかった。
ナハ10も11も窓の隙間風はひどく、冬は新聞紙をはさんだりしてたな。
乗り心地もなんかはねる感じであまりよくなく、ナハは避けてTR47付の車両を
選んで乗っていた記憶がある。
オハフ61もスハフ32も少数のこっていたがこれらは白熱灯一列で室内が暗く、
夜の時間は特に避けていた。
オハフ61は乗り心地がものすごく、椅子から尻が飛び跳ねるようだった。
ガラベンって空気を吸い出すんだったよね。それがすき間から雪を呼ぶ?
単純に、窓の立て付けが悪いからだと思う。
朝起きると窓際に雪が積もる。
ベンチレーターは車掌が鉤を使って調整はしていただろう。
>>505 それはどうも。押込式ベンチレータが手で開閉(含む半開)できるのは
知っていたけど、ガラベンの開閉シーンはついに見たことはなかった。
507 :
回想774列車:2008/11/30(日) 02:09:55 ID:Ldc27Z/+
俺が10系に乗った頃は、もうドン行運用となっていた頃だった。
東北、北陸、山陰とドン行に、よく1,2両連結されていた。
窓際にクッションの入った枕が珍しかったな。確かキハ20やキハ55も
同じだったと思う。
重厚な43系と異なり軽快な感じだったな。
八甲田にナロ10が使われていた話、これって有名?
実は少し前に知った。
新発見は嬉しいけど、常識だったら恥ずかしいなあ。
509 :
回想774列車:2008/11/30(日) 17:26:47 ID:Ldc27Z/+
>>508 ナロ(オロ)10って、東北入ったんだっけ?
電暖がないので、ED75と連結できないはず
まあ暖房のいらない夏場なら問題ないわな。
もし冬場でもカマが蒸気暖房を積んでれば……。
そうそう、昔は暖房問題しか運用地域制限無いから夏場はカオスだった。
スレ違いになるが、夏の北海道はキハ55系があちこちに入線してたな。
冬は本州へ渡って避難したり、そのまま冬眠したり色々だった。
例外では一等車不足からキロ25が冬も運用されたことがあるが、
寒かっただろうなぁ。
>>509 写真と記述を信じると昭和38年の話みたい。
だから電暖は関係ないよね。
部分的な写真だけど、スロ54らしき車両の次位にナロ10があって、その後ろにナハ10(11)が続いていた。
>>512 東北地区の電気暖房の開始は黒磯-白河が交流電化された昭和34年だけど、
暖房未使用時期なら関係ないですね
ちなみにどの文献にあったのですか?
>>514 ソース提供感謝です
38年ですと、東北本線の旧特ロはオロ61でほぼ統一されていたはずなので
何かの都合で品川のナロ10を借りたのかな
「軽井沢グリーン」にスロ62・スロフ62で統一の編成と
スロ54・オロ11が各1両ずつ入った編成があったようですね
(確か鉄道ファン誌の1971年夏臨のレポート)
当然ながら電暖は要らないわけで
>>514のリンク先を見ると38年3月撮影で、他の客車列車は暖房を使用している
ナロ10組込の八甲田とされている編成は牽引機がEF56なので黒磯までと
まだ電化されていない仙台以北はSGで問題なかったと思われるが、
黒磯と仙台の間はどうしたんだろうね、その頃のその区間だとED71だったはずだが
新製のキハ45を夏の北海道で走らせてから、正規の配置区に送った例もあるそうで。
キハ55は苗穂に通年配置があったです。
>>518 逆にキハ24が会津若松に配置後に北海道に向かったな。
キハ55は、準急ちとせ用正式配置が最初
キロ25の3両は新製だ。
で、キハ55は北海道で果てたのが5台ある
キユニ改造含めたら10台だったかな。
1981年までだったかと。
使用は千歳線、函館本線札幌圏、札沼線南部だよ。
北海道にナハ10は試験しか来なかったな。
>>517 手元の本(交友社「写真で見る 戦後30年の鉄道車両」)にはED71の次位に暖房車が連結
された写真が載ってますね。34年の撮影だから38年にはどうなってたかは分からんけど。
>>520 なるほど、その手がありましたね
最近発売のピクのアーカイブス16の巻末に、1年後の39年4月の配置表があるけど、
福島にホヌ30、スヌ31、マヌ34が配置されているので、暖房車を使った可能性が高そうですな
1960年5月9日 原宿→上ノ山 旧1号編成
黒磯→福島 ED71 16 + ED71 10 + ホヌ30 9
福島→米沢 EF16 *+ ホヌ30 1 *何号機か記載なし
ここのスレ民で10系客車に乗ったことがある香具師は少なそうだな…
俺もそうだがw
俺は学生時代に最後の活躍をしているやつに乗ったよ。
山陰、はやたま、大雪、まりも、利尻(以上オハネフ12,スハネ16など)、山陰線の普通客レ(ナハ10、11)
残念ながらオロ11は乗ったこと無い(既に廃車)
昭和56〜61年頃の話。
子供の頃 山形に住んでいた当時
「津軽」に3回乗ったうち2回がナハ11だった
一度は通路に新聞紙敷いて
残り2回は指定席だったけど、うち1回はニス塗りの客車
定期列車なので たぶんスハ43系だとは思うけど・・・・
「津軽」が満席で臨時「おが」にしたら新製間もない12系だった
いずれも1970年頃の思い出
後に周遊券で乗り鉄するようになってからは
まだ、寝台車に10系が残っていたけど乗車経験なし
乗車経験があり、その記憶が残っているとなると30歳前後が一番若い世代になるのかな
自分は40代前半だけど、八甲田のナハ11、妙高のオハネフ13の記憶ははっきりとある
出雲が急行時代にオロネ10とオシ17も乗車(利用)したらしく、写真には残っているが記憶がないのが残念
その数年後に特急になった出雲のナロネ21、ナハネ20、ナシ20ははっきりと覚えているのだが
急行西海で横浜〜博多まで乗ったことがあるぞ…
真夏で凄く暑くてボックス席だったから辛かった…
揺れも相当凄かったし…
>>522 素朴な疑問。
お召しってことでホヌも磨いたのかな?
こぎれいな暖房車なんてイメージ湧かないな。
10系客車の乗り心地って115系に似てたな・・・
座席もすげぇ似てた希ガス…
113 115 のTc車の乗り心地を思えば
そんなに乗り心地が悪かったワケではないんだな
子供の頃、北海道に寝泊まり寝台客車で周遊したのは10系のはずだが、
結構快適だった記憶がある。
子供だからというのもあるが。
10系客車の乗り心地は50系客車と、ほぼ同一かと思います。
私の出身地に10系は配置が無かったのですが
福知山線でナハ10に乗車した時の感じが、そうでした。
>>529 マジで?
信じるに足るソース、何かないかな?
>>534 「RMライブラリ44 国鉄暖房車のすべて」に昭和28年のお召し列車に使われた写真がある
写真の説明をざっくりまとめると、特別に装飾などはしないが全般検査を受けて磨かれ、
手摺りを白く塗るなどの整備を行う、とある
御紋章・日章旗はつけないでしょうな
追加
その写真も磨かれて手摺りが白くなっていることは確認できるが、それ以上の装飾はない
供奉車にも付けない御紋章を暖房車に付ける意味がわからない。
初めて北。今頃、寝た子を起こしてすまぬ。
>オハネフ13の電暖化と車重
ナハネ11→スハネ30の時、寝台の設計を若干いじっていると思われるので、
それも影響があるのかなと考えたが、
>>97でナハネ11とナハネフ11の自重差がないので却下。
ただ、ナハネ10・11とスハネ30以降の車両は、下段寝台(座席)の袖の形状が異なるが、
コストダウンのためだろうか?
>電車80型は重い
キハ55等は車内内張にポリエステル化粧板(ハードボード)を使用、80はアルミデコラを使用しているが、
重量的にどうだろう。気動車はかなり後年まで(キハ80系も含め)ポリエステル化粧板だったが、
コスト面からだけで採用されたのだろうか。なお20系客車も遅くまでポリエステル化粧板。
この項すれちスマソ。
20系はアスベストがふんだんに使われていたけど、これはどうなの?
もちろん大量に使用。内張はがすと吹き付けてあるのが見えるらしい。
ココの人たちは皆アスベストがフツーだった世代だよね
アスベストを理科の実験で使っていたくらいだし。
熱に強い優秀な素材だった
つ 石綿金網
544 :
回想774列車:2008/12/05(金) 10:22:30 ID:ewj+SJ1B
チクロ サッカリン
カドミウム サリドマイド
アスピリン ダイオキシン
アスベストなんて氷山の一角
でもアスベストと新建材は
この系列を一気にダーティに
してしまったかもしれないね
>>540 その20系も腐食対策と重量軽減策による仕様変更で後期車は石綿使用を廃止した罠
あまり国鉄型=アスベストと短絡的に見ない方が良い。
フロン R−12も優秀な冷媒だったんだけどなぁ。
いまやもうアレでアレで。
代替フロンが一向に性能が上がらないのがなんとも
547 :
Takechang ◆OERN6KX2L. :2008/12/05(金) 11:48:31 ID:HmhySoGV
石綿が奇跡の鉱物といわれた時代もあったんですよね?
548 :
回想774列車:2008/12/05(金) 15:06:22 ID:G3RneQZ/
末期の上り「津軽」でオハネフ12に乗ったのが最後の俺です。
今の寝台特急の凋落ぶりからは想像も付かないですが、春休み中のこの日はハザもロザもロネもハネも満席。
寝台片付け後のボックス六人席は皆さん寡黙でなんだか息苦しかった記憶があります。
549 :
回想774列車:2008/12/05(金) 17:27:08 ID:3v64H5RA
発癌性さえなければ凄い素材だ。
燃えない油PCB
>>550 アレも出来る子だったのに使われ方が悪かったせいで・・・・。
>>544 おいおい、サッカリンはチクロの代替品だし、アスピリンはピリンの代替品だぞ。
完全にシロではないが、危険のはっきりした後者に比べればマシだし有用。
サッカリンは歯磨き粉等に多用されてるしアスピリンはバファリンの主成分。
ちなみに、アスピリンではないピリン系薬剤は規制を受けつつ現役。
もちろん医者の処方だが、俺も世話になった事のある薬だ。
554 :
回想774列車:2008/12/06(土) 02:19:27 ID:4KdbNzii
>>552 バファリンはサリチル酸ではなかったけ?
555 :
回想774列車:2008/12/06(土) 02:23:29 ID:BCClqFKo
ピリン即ちサリチル酸をアセチル化して胃に優しくしたのがアスピリン。
10系スキーは薬品関係も詳しいと・・・メモメモ
557 :
回想774列車:2008/12/06(土) 11:27:41 ID:2PzUFs54
高校の理科Tの授業でアセチルサリチル酸の合成やったっけ。
558 :
回想774列車:2008/12/06(土) 12:36:15 ID:YKSmJ0vm
アスピリンはピリン系薬剤と誤解されていることが多い。
しかしアスピリンはアセチルサリチル酸のバイエル社の商品名で、物質
起源に由来した名称である。
559 :
554:2008/12/06(土) 13:23:05 ID:4KdbNzii
そういうことか。ありがと。
薬剤師ですか、くわしいですね。
ちょっとググれば出てくるかと。
10系デビューの時代に、薬屋(今みたいなドラッグストアでなく、調剤もやる白衣の薬剤師さんがいた薬局)
で、鎮痛解熱剤を購入するとなると、まずはアスピリンの元祖のバイエルアスピリンだったろうな。
もしくはそれを含んだケロリンとか。
「阿房列車」には四国旅行に行って風邪を引き込んだ内田百關謳カが、アスピリンを服用して宿で寝込んでいるエピソードが出てくる。
(バファリンがライセンス生産によって日本でポピュラーになるのは40年代以降でなかろうか)
銭湯の黄色いケロリン桶を思い出した
銭湯行きたいモードに突入
>>561 それ漏れもガキの頃飲まされたよ。
独特の5角形の包み紙に入った白い粉末。すっごく苦〜いの。
ケロリンはオハ31系出現の頃からあったからな
(第1次大戦のドイツ敗戦で、日本を含んだ戦勝国ではバイエルのアスピリンの特許・登録商標が無効になり、
各製薬メーカーは使い放題になった。
ケロリンもアスピリンを混合して「良く効くくすり」として売り出したもの)
10系らしいグッズや材質というと、ビニールかねえ。
3等の頭もたせ(サイドヘッドレスト)。
あれ、55系や20系などの液体式第二世代気動車にも付いてたけど、なかなかいい装備なんだ。
その後のボックスシートでは廃れちゃったのが惜しいね。
ケロリン桶、売ってるとこあるよ
おまえらwww
10系客車の話はどこいったんだwwwww
何という博識なスレ
ケロッ と治るから
ケロリン なんだよな
はぁー、10系ですかぁ?
夕暮れ時、ハネ17の通路側で暮行く風景を
見ながら、トリスのポケット瓶をチビチビやる
のが俺のスタイル。
東京→横浜間とか、北九州の工業地帯でやると
最高に美味かった。
>569
スミマセンが、
ハネ17+トリスポケット瓶
人生の大先輩であらしゃいますよねぇ。
薬局にあるケロリン人形はまだ現存するのか?
>>566 ケロリン自体がドラッグストアに普通に売られてるよ
ケロリンを作ってる製薬会社のホームページに行けばケロリングッズを通販で買える
最近はケロリン桶のストラップまである
薬屋店頭のかえるの人形は、興和製薬のコロちゃんでは?
ケロヨンだと思ってた・・・
ココのよゐこはみんな知ってると思うけど。
ケロヨンと言うのはだな、ロネからハザまで10系で固めた急行がガンガン走ってた当時、劇団木馬座が子供向けにやってた着ぐるみ劇だ。
TV版の放映も有ったから全国区で人気があったし、キャラクターグッズとかも出ていた。
ケッロヨォ〜ン!
今考えたら結構シュールな造形だったな。
バッハハ〜イ!
うつみ宮土里のことかと思ったw
それはケロンパ
末期は経年や防火対策で内装の交換とかを受けた車両もあったがすぐ廃車になったな。
20系も同様の改良を受けたのがあった。
宮原とかでは汚物処理装置を搭載したのもあったな。
>556
これでは懐かしの科学物質を語るスレだなw
気にする事はない
某国の総理大臣はWHOを世界保険機構だと
言っていたし ('A`)
世界保険機構じゃなくて世界保健機構だな。
World
Hoken
Organization
584 :
名無し募集中。。。:2008/12/08(月) 14:51:45 ID:XRYtEKpM
>>574 今も販売促進品として配布されてるよ
子供の頃に指先に差し込むタイプをもらったが
今はぬいぐるみタイプを配布してます
だれか10系のぬいぐるみを配布しろ
交通会館の富山県ショップにケロリン桶売ってる。儂は桶はいらんけど、ケロリンバスタオルが欲しい。
交通会館行ってみよっと。
588 :
回想774列車:2008/12/08(月) 21:13:17 ID:l1nj6Kav
有楽町?
【レトロ】銭湯で愛される ケロリンの風呂桶
銭湯に行けばケロリンの風呂桶
検索かけてみたらスレあるわな
590 :
回想774列車:2008/12/09(火) 10:16:33 ID:SCWeiH3/
オロネ10とナロネ21の違いって何?
デッキのドア、連結器、電気回り等以外で何か違いってある?
591 :
回想774列車:2008/12/09(火) 10:34:18 ID:FLEvkmkX
標記
上段寝台の覗き窓の配置
>>590 デッキ、電源関係、関連の機器、ブレーキシステムの上位互換、方向幕、サービス回路、寝台の頭位置の向き、内装の材質の一部、冷房装置の微妙な違い
などなど。
595 :
回想774列車:2008/12/09(火) 19:27:09 ID:zrJiZXyd
>>590
台車、ダンパ、室内灯やルーバーのデザイン、座席のモケット、冷房電源用の小型ジーゼル発電機、など
ナロネは方向幕ではなく、車両の内側に専用のサボを差せるようになっていました。
596 :
回想774列車:2008/12/09(火) 20:14:40 ID:FLEvkmkX
登場は色からして違った
597 :
回想774列車:2008/12/09(火) 22:58:53 ID:zgqGGCT8
バイエルのアスピリンと言えば四国阿房列車を思い出すわけだが
チクロと言えば、ズルチンの事もた(ry
もしもマロネロ38の後継車としてナロネロ10が造られたとしたら…
晩年の姿を想像しながら一杯やるか。
ところで、
【写真で見る客車の90年 日本の客車】の復刻は年内にされるのかね?
ピクトリアルの4月号で予告されてから、その後音沙汰が無いが。
>>598 おもしろいですね、それ。
自分は模型もやるので、そう言うのもいいかも。
自分だったら「さつま」の近代化と言う事でオロネロ10[←ナロネロ10]のベースはナロハネ10かな。
ロハネベースだと特ロ部分はそのままナロ10が継げそうなので。
でも、冷房化が微妙な感じになってくるけど。
601 :
回想774列車:2008/12/10(水) 01:19:02 ID:HZUaJZsL
590です。
色々教えて頂いてありがとうございました。
>>605 チンドン屋列車だなw
オットーが夫と妻になるとは、笑いが止まらん
>>904 >この人は考えが柔軟だな
柔軟な考えと脳内妄想は紙一重だよ
でも、解説がとても尤もらしい内容で、妙に感心した。
この人前から描いていたが表紙のデザインといい
磨きがかけられ洗練?された w
拍手喝采 爆笑もん
このノリで
10系客車をさらに軽量化したインチキ客車をお願いします
楽しめたのでネタ提供
架鉄の厨房サイトは大量にあるくせにどれも似たり寄ったりの内容になってるけど、
ここの発想は(いい意味で)飛び抜けてるなw何よりネタが面白い
610 :
回想774列車:2008/12/10(水) 22:54:05 ID:f1AnYo1Q
コンスタントに書き込みがされている本スレだが、雑学から妄想まで幅広くていいね。
読んでいて楽しい。
懐かし板ができて、うまく若年層と分離できたんだろうね。
ここは、みんな大人だから。
ナからマまで、ハからロネまで、二もユも、扇風機無しから冷暖房完備まで、TR23からエアサスまで何でもカバーです
無いのは、自動ドアだけですw
マヤ10?
カニ38も、一応10系の範疇なのかな。
38も仲間としておくと、「3軸ボギー、イコライザー、カ級」まで制覇できますな
619 :
回想774列車:2008/12/11(木) 00:46:54 ID:9lQ1wFtx
620 :
回想774列車:2008/12/11(木) 01:03:20 ID:Ai7V4bPS
>>610 10系車内の客の会話のようなスレだと車掌がノリホに書いていたのを 見た!!
10系客車まとめ
新製車
オロネ10
ナロハネ10→オロハネ10
ナハネ10→ナハネフ10→オハネフ12
ナハネ11→オハネ12
ナハネフ11→オハネフ13
ナロ10→オロ11
ナハ10
ナハ11
ナハフ10
ナハフ11
オユ10
オユ11
オユ12(スユ13)
オユ14
スユ15
スユ16
マヤ10
スヤ11
改造車
オハネ17→スハネ16
オシ16
オシ17
?カニ38
ピクによるとこんなもん?後年まで製造された郵便車は製造時期によって12系、50系の様式が取り入れ
られてるけど。
異論はあるけど、ノーシルノーヘッダーの整った外観のカニ38は個人的には10系に入れてあげたい。
稀少車のオロネフ
オロネ10→オロネフ10
>>622 マニ30の2007〜2012は?
かなりビミョウだけど、カニ38がアリなら・・・・・
マニ30 2012が仲間になりたそうにこちらを見ている。
小樽からw
>>622 個人的にはスユ15、16、オユ14と事業用のマヤ10、スヤ11は外した方がいいとおもうな
昭和40年以降に出た車両は構造的に脆くて儚い10系のイメージは無いと感じる
スユ15、16の最終グループは別の意味で悲運だったけどね
50系は付番がいい加減だから1977年以降に新製、又は改造編入された50番台の
客車だけが50系だと個人的には思う。
>>625 だよな車体幅が従来の郵便荷物車と同じというだけで
構造的には12系の流れだからね
オハニ11とオロネロ13がないw
>>631 確かに車体のペースは10系なのかもしれないが、マヤ車はその他の構造が
特殊すぎて通常の客車の系列に入れるのは少し無理があると思うが。
633 :
回想774列車:2008/12/12(金) 19:48:29 ID:rTCOg7zZ
>>631-632 マヤ341(マヤ342501)の車体断面は10系に酷似しているけどね。
>>622 ノーシルノーヘッダーで屋根Rや端面の処理、旧車台枠利用という点では10系の範疇、かな?
やっぱり軽量だから
マやカってどうかと思うよ
影響は与えているんだけど
形状もいいんだが
オハネ17はまあわかる。
台枠と台車を流用品で調達して、国鉄工場で車体だけ作ったのは、
寝台列車増発に応じた300両もの大増備を図る必要があった、という背景があるわけだし。
わからないのは少数派の食堂車であるオシ17・16。
軽量台枠を新造せずに、重くなるのがわかってる戦前車から流用する必然性がどこにあったのか、わからない。
冷房装置と発電機の重量増加を考慮したら、軽量構造を強化して設計せねばならないので、
少数形式のために補強の手間を省いた、というならわからないでもないが、そこまで踏み込んで考証した文献ってないよね。
どれも単に「余剰な老朽三軸ボギー車の台枠流用」とあるだけで、必然的な理由になってない。
>>634 >>638 台車も3つ付いていますから
>>635 食堂車は編成中1両だけだから重さよりも予算重視ということでしょう
回想の旅客車下巻の記事にも新製だと高くつくので改造でとの記述とありますな
元々は種車の3軸ボギーも再用の予定で、計画当初はスシ58で話が進んでいたことからも
重量が重くなることを承知で、予算が安く済む改造という選択だったかと
シュリーレン台車試用の経緯ってわかりますか。
641 :
回想774列車:2008/12/13(土) 12:36:33 ID:gUCexLex
>>639 食堂車は、大容量の水タンクとか発電機とか、もともとが重くなる要素があるからね
お金かけて無理してナ級に収めるより、そのお金で他の座席車を軽量車にした方が
編成全体としては有利ということなんだろうな
>>640 高速列車実現に向けての実車試験の一環かと
オロ41でのOK-2・マイフ97のMD台車・スロ60 118のKD-11・スロ54 47のKD-11A等々
この内KD-11AがTR-53としてオシ17で正式に採用
10系って他の客車と比べたら
デザインが際立って個性的
過渡期というわけでもなく
むしろ突然変異という感すらある
国鉄全盛期と高度成長期の勢いを感じるのは俺だけではないはずだ
でもスハ43やオハ35と繋がっていてもしっくり馴染んでいたな
12系客車に何気に似てるよね
646 :
回想774列車:2008/12/25(木) 14:06:49 ID:6LHhgviN
>>644 そう。さらに小海線ではC56とナハフ10の組み合わせ。これがまたよろしい。
揺れが凄かったよな…
ズシン!ズシン!ドシシン!って感じ・・・
649 :
回想774列車:2008/12/26(金) 00:37:42 ID:qBE1II+8
>>643 2つ理由があると思う。
欧州視察の成果による軽量車体なので、日本離れしたデザインになった。
職を失った航空技術者が鉄道分野に流れてきて、航空機流の応力外皮構造を導入する土壌を作った。
この技術は、高度成長期の151系〜新幹線などに受け継がれ、全盛期の国鉄の象徴となった。
スハ43までは戦前に確立された技術をベースにした上で
改良の積み重ねだからね、特に車体は
日本の鉄道は明治期はイギリスの影響が強いが、昭和初期〜30年ごろはアメリカの影響が強いな。
スハ43までの客車はもろヘビーウェイト客車。
10系客車が無かったら20系客車は出来なかっただろうな…
現存する10系のリストってある?
碓氷にある。
657 :
回想774列車:2008/12/29(月) 17:15:18 ID:aRkL8fk+
朝から英会話をしなきゃいかんのかw
658 :
回想774列車:2008/12/29(月) 23:44:25 ID:ABZsXWJl
>>652 時代の要請で20系は出来ただろうが、青大将の寝台版にような形態になったんでないのかな
>>652 特に10系寝台は裾絞りがその後の客車はもちろん電車気動車にも波及したのが大きいね
青大将とか言うが…
実際は緑大将じゃね?
>660
本当の青大将は20系だな。
学が無いのがばれましたw
>>660 なお、マヤ文明や漢字圏文化(日本、中国、ベトナムなど)では、グリーンとブルー (blue) を明確に
切り分けないが、別の文化圏においては厳密に区別される。これは色の区分に物理学的な根拠が
なく、文化によって区切られていることによる(鈴木孝夫の『ことばと文化』<岩波新書> などに詳しい)。
グリーンとブルーを区別しない言語は比較的温暖な地域に多いことが知られており、これは野外
活動により浴びる紫外線から網膜を保護するために加齢とともに水晶体が黄変し、実際に短波長
の色の区別が困難になるためであるとする学説もある。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/緑 より
いやそういうことじゃなくてw
ほんとに知らんの?青大将。
>>664 実際青大将自体青く無いし
663はきわめて真っ当
お前の方が変だぜ
>665
ギリシャだとものすごい数のバリエが出来そうだ。
とりあえず加山雄三とを置いておくんだ
青大将の田中邦衛だす
加山じゃ若大将になるぜ
と釣られる
東海道の若大将か?
白大将
赤大将
ゼンジー北京かよっ
10系客車の乗り心地に似てるといえば…
101系や103系113系115系のハズレ車に乗ると10系っぽい乗り心地だぞ。
田中邦衛の青大将は吾郎にぶっ飛ばされたからなw
ハズレというよりは
バネ定数の関係でガラガラだとバネが撓まなくなるので振動減衰効果がなくなり
まるでトラックのような乗り心地になるよ
ガラガラじゃなかったかい
675 :
回想774列車:2008/12/31(水) 20:45:26 ID:RUDQICfN
階段規制が当たり前だった101系時代の朝ラッシュ時の赤羽線
赤羽→十条の上り勾配で、バネが撓みきって
1,2回ほど底つきの猛衝撃に見舞われる地点があったのが
1978年春に103系に置き換わってからは嘘のように消失
7両(101系)→8両(103系)と 極くわずかに混雑緩和があるにはあったが
DT21とDT33の設定の差を実感した瞬間だった
スレ違いな昔話スマソ
あお あを 1 【青】
(名)
(1)色の名。
(ア)三原色の一。よく晴れた日の空の色。
(イ)藍(あい)・緑・水色など、青系統の色の総称。
「―田」「―葉」「―海原」
>>675 10系以外に旧型客車(2重屋根車含む)も連結されていたが、
120km/h運転に対応するため台車は交換していたんだろうか?
青大将(蛇)見たこと無い椰子どもの青大将談義(爆w
青大将とは蛇の青大将の色に似てるからだろ。
直接的にはね。
で、このスレには日本の伝統的な色の表現に関する文化を理解していない方が数名居られるようなので。
普段から「青信号」と言ってると思うんだけどさw
古来日本では緑は青の中に含まれているわけで
青大将は蛇の意味でもあるから緑大将なんていったら意味が通じないしね
青信号は緑色
684 :
回想774列車:2009/01/01(木) 18:46:21 ID:WBZb+NAc
青リンゴの色
麦が青々と
設計の星さんって健在なのかな
>>678 120km/hなら台車交換は特に行う必要は無いはず。
もっとも、見れば明らかだがナハ10はTR50X付きの900番台
なので、ボルスタアンカ付きと無し(TR50Xはメーカーに
よりボルスタアンカ有/無の2種が存在)で高速運転時の
特性差の評価試験の目的もあったと思うけど。
軌道条件さえ良好なら、TR23どころかTR11でも120km/h運転
できてしまうのは阪和の「黒潮號」で証明済み。
無論、それ以上になると2次蛇行動が発生する領域に突入す
るので危ないだろうけどね。
やはり蛇とは縁がきれませんね
イコライザー台車の方が高速性能は優れてたんじゃないっけ?
軌道が極悪で、対する通常型ペデスタル台車のペデスタルがガタガタに磨り減っていれば。
なおかつイコライザー台車のスプリング設定と、心皿上荷重が適切ならば。
純粋に「優れている」というより「悪条件への耐性が比較的高い」ので相対的に有利なこともあった、と見る方がいい。
アメリカの客車は今でもイコライザー台車だね。これも線路の関係なのかな。
>>689 イコライザー台車の方が有利なのは690も書いてるとおり、
軌道条件が劣悪な場合の話。
メトロライナーが完成した頃、確か鉄道ファンの69年6月
かそこらの号だったと思うけど、国鉄の新幹線関係者の
座談会か何かで、メトロライナーを見に行ったらイコラ
イザー台車をはいてて驚いたとかいう記事を読んだ覚え
がある。
アメリカの鉄道でイコライザー台車が重宝されてるのは、
ぶっちゃけ貨物さえ運べればいい、てな感じで軌道保守
がガタガタになってるせいなんだけど、一方でばね下重
量の大きなイコライザー台車を履いた客車とかが高速で
走るせいで、余計に軌道の状況悪化が促進されてる面も
ある。
ちなみにTR11に対する国鉄の評価というのはマニ60形を
高速な列車に運用する際に、台車振り替えでTR23に交換
してマニ61形にした、というのが一つの答え。
693 :
回想774列車:2009/01/03(土) 01:37:04 ID:YQQdljTB
イコライザー台車の高速列車と言うと、日本では満鉄のあじあ号が全車3軸のイコライザー台車でしたな。
3軸ボギーは重量とコストに目を瞑れば高速域での特性に優れると言われてた。
戦前は軸距が長いほど安定性の優れた台車になると考えられてたからな…
(独のゲルリッツ台車が典型例、3軸台車もその一環)
>>692 前にどっかのスレにも書いたけど
マニ60とスハ32の台車振替も、マニ60の荷痛み対策説と
スハ32の重量軽減対策説がありますな
オハ56(スハ32の台車をTR11に交換した)がローカルの
オハ61などの置換に回るのでス級ではなくオ級にしたかったとか
>>693 記憶に間違いがなければ、あじあ号のテンイ8の一党で3軸ボ
ギーを採用したのは、軌道条件の悪い新京〜哈爾浜間への入
線を前提として軸重軽減を図る必要があったからだ、という
ことではなかったろうか。
無論、日本の優等客車と同様、1軸あたりの荷重を減らして
ばね定数を引き下げ、柔らかい枕ばねとすることで乗り心地
を良くする、という目的もあったと思うけど。
>>695 マニ60→61の件については、荷重上限を引き上げたかったん
じゃないか、という気がする。
TR11って10t長軸でTR23に交換するだけで2×4=8t上乗せでき
るから。
>>686 12月初めにお会いした人の話では、お元気だったと聞いています。
>>695 スハ32の重量軽減対策については、関西支社から本社へ「現用客車間で台車交換をし、一方の客車の軽量化を図る案」が出され、差し支えないとの結論が出て実施されています。
関西支社からの具申なので、種車は全て大鉄局配属車で、改造も後の3両を除いて支社内でした。
そしてオハ56・オハフ35の配属も関西に集中しています。
対象がマニ60だったのは10t長輪軸のTR11を履く車輌を選んだからのようです。
マニ60は12tの長輪軸TR23に交換することで輪軸を強化できました。
(この時期、マニ60は足回り強化の為に12t長輪軸へ交換する工事をはじめていました。)
698 :
回想774列車:2009/01/06(火) 22:36:56 ID:LffbKbQS
686です
消息情報ありがとうございます。
星さんのご健勝何よりです
10系と聞いて星さんを思い出したのでお伺いしました
時代の要請、国鉄らしさ、世間よりワンランク上の車両
10系は、これらを体現した氏の作品のひとつですね。
0系フィーバーでTV出演もあったじゃないか。
10系っていったいどの形式からどの形式までなんだよ…
オハ12までか?
>>701 2 オロネ10形
3 オロネフ10形
4 ナロハネ10形・オロハネ10形
5 ナハネ10形
6 ナハネ11形
7 オハネ12形
8 スハネ16形
9 オハネ17形
10 ナハネフ10形
11 ナハネフ11形
12 オハネフ12形
13 オハネフ13形
14 ナロ10形
15 オロ11形
16 ナハ10形
17 ナハ11形
18 ナハフ10形
19 ナハフ11形
20 オシ16形
21 オシ17形
22 オユ10形
23 オユ11形
24 オユ12形・スユ13形
25 オユ14形・スユ16形
26 スユ15形
27 マヤ10形
28 スヤ11形
29 オヤ10形
30 ナヤ11形
31 オヤ17形
32 939形
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/国鉄10系客車の新旧番号対照 より
>701-702
どこかにあった気が駿河、
オユ11 101-105
オユ14
スユ15(2001は微妙)
スユ16
は明らかにベースとなった車両の系列が異なる。
便宜上、10系(10系と言うこと自体が便宜上)ということで。
郵便車の一統は途中から110km/h対応だったりでどう見ても12系ベースなんだな。
10系とドシャメシャになってるのは、予算とか大人の事情とか宇宙の意志とかいろいろ理由はあると思うけど。
>>701 オハ12は当然12系なので入らんよ
一般的には冷房化や台車変更の改造は別として10系のラストはオロネ10なのでは
706 :
回想774列車:2009/01/08(木) 10:08:01 ID:oPCbnjh5
『10系客車の定義【私案】』
1.ナハ10、ナハネ10、またはオロネ10に準拠する断面の軽量車体を持つ。
2.1両単位で運用できる。
3.日本国有鉄道が保有または運用していた客車。
708 :
回想774列車:2009/01/08(木) 23:14:40 ID:yJSD8C4U
途中に灰皿カチャカチャ音が入ってたなW
709 :
回想774列車:2009/01/09(金) 22:19:33 ID:LglbNMNX
無知なオレに教えてくれ
14系24系は電源が要るだろう?
10系は何で電源要らないの?
それとも、10系って14系24系なら当然出来る何か(電気食うようなこと)が出来ないの?
とりあえずウィキって来い、話はそれからだ
>>710 10系は構造こそ近代化された軽量構造だったが、運用思想自体は旧型客車と変わるものではなかった。
だから最低限のサービス電源(照明と扇風機)は車軸発電機に頼り、
暖房は編成他車共々機関車からの蒸気か電源で賄い、
冷房は自車にディーゼル発電機を搭載してスタンドアローンに使える、という、旧型客車そのもののフォーマットで使われていた。
実際、旧型客車との混用をせねばならない時代の車両だから、そうでないと困ったわけだ。
ここから脱却するのは20系以降。
12系は車軸発電機は残っていたが、編成運用思想を取り入れて
自系列ユニットはまとめてスハフの電源で冷暖房の面倒を見られるようにした。
引き通し管・電線だけ設けて、旧型客車との混用にも配慮したのは過渡期の車両だから。
14系・24系は車軸発電機もやめて、全電源をディーゼル電源に頼るようになったが、これは旧客混用がありえず完全度外視できるから。
>>712 50系で元に戻ったけどね。
もっとも、50系登場時にはユ・ニを除く10系及び旧客そのものがほぼ絶滅状態だったから、
結果的には50系の清一色編成がデフォルト状態となっていたけど。
50系、冷房ないからだろ。
電化区間用にパンタつけてSIVとか積んで冷房できるようにしとけば、少しは延命してたかもな、50系。
>>714 50系1000番台を忘れないであげてください
>>712 thx
ディーゼル発電機積んでたわけね、要するに全車スハネフ14状態だった訳だ。
2〜3回寝たことがあるが、そういえばうるさかったような気もする。
>>717 5000番台は傍系、1000番台こそ本流でしょ
>>714 実際にはほぼ無理。>50系の延命
50系が淘汰されたのは国鉄の分割民営化でそれまで貨物列車の間合いで
使っていた機関車を使えなくなり、旅客会社が自前で機関車を用意する
必要となったのが大きな原因だったからね。
それを札沼線向けの通勤気動車として、客車という出自に適応した編成運転向けの仕様で数を揃えて仕立て直すことで
可能な限り活用することに成功したまれな例が、北の141系に始まるPDCシリーズだな。
コヒのお家事情も絡んでいるとはいえ、改造による車種転換の大規模な事例としてはJR化後最大の試みだったし、
実際に所期の成果は収めている。
なかなかうまくやったと思うよ。
その50系客車だけど、来年春に現役復帰するよ。
もちろん客車列車として。
今の計画では、昼行の臨時列車で種別は快速。
不定期とは言え、貴重な一般型の客車列車が帰ってくるだけでもうれしい。
オハ50とかオハフ50とか、そんな生きた記号が見られるだけでもワクワクする。
あと、たったの1年の辛抱だな。
書き忘れたけど、もちろんJR線上の話です。
50系みたいな新型客車には興味ないなあ
>>723 ああ、本当に面白いのは真の雑型客車、社型だよな。
問題は、もうそんなものは明治村でないと動く物自体残ってないということだ
明治村で明治ヒトケタの機関車と明治末のマッチ箱が動いているだけでもじゅうぶん凄いのだが
>>720 客車の気動車化は、北海道お得意なのかw
>>721 人吉らへんを走るヤツですっけ?ボディは思いっきり旧客に似せて
作り直したり、なんてしないんでしょうね。
50なんて真岡行けば普通に見られるし。
729 :
回想774列車:2009/01/11(日) 10:39:11 ID:hXlok1pK
もうオーイ川鉄道行くしかないんだな
おにぎり持って沿線歩くんだな
ぼ、ぼくは、線路の中を、歩いてるんだな。
35系や43系だけでなく、10系も動態で保存して欲しかったな。
10系って座席車と寝台車を分けて考えるべきだと思う。
座席:軽量客車。軽くしすぎていろいろ失敗した実験的な客車。
寝台:一般型寝台車のパイオニア、ブルトレの元となった存在。
前者の動態保存は難しいだろうな。後者なら頑張れば何とかなるか?もう遅いかな。
横川のオハネフ12、部品を補修して走行させるなら10万くらいなら寄付するぜ。
内張の保温材が旧客みたいな木材じゃなくて、アスベストってのがネックだと思う。
寝台車はパーツ供給もままならない旧式な冷房装置についても問題になるだろうし、これじゃ静態保存が精一杯かと。
>>729 お茶を勝手に摘んで沸かして飲んで、ひと騒動起きるシーンを連想したよw
736 :
回想774列車:2009/01/11(日) 15:13:48 ID:IBpUCeAc
>>732 座席車は、確かに行き過ぎた軽量化で老朽化が早かったと聞いたが、寝台車は
かなり遅くまで残っていたのは、適当な代替機種がなかったからと思っていた
けど実際はどうだったのだろう。
需要はあっても
>>735での指摘のような状態なら廃止もしくは保全工事が必要な
はずだけど。
>>732 つオユ10。
鉄郵OBからの寄付金が期待できる。オユ10なら12万は出してもいいな。
157系といい、下降窓は悲惨だな。
しかし、阪急など一貫して下降窓を採用しているが、技術的にどこが駄目だったんだろう?
普通鋼とステンレスの違い
設計もステンレスを使いたかったらしいが
価格、工場の塗装工の問題で
導入を断念したらしい
う〜む、下降窓自体は新しい技術でもないはずなんだから、
普通鋼だからというのは二次的な理由でないかしらん。
連投スマソ
星さん曰く
下降窓の下に雨水受けと
水抜き穴があるのを後で知った
というくだりが回想の旅客車にあったような気がする
水抜き穴のくだりは
>>735のブログにも書いてあるね。
自動車も鉄道車両も雨水、防錆処理の如何で寿命が決まってしまうんだなぁ…。
>>742 国鉄車にそこまで気を回さなかったのは、星さんらしくもないなあ
阪急なんか、2000・2300をそれこそ「走るんです」級の耐用年数と割り切って当初製造しながら、
現実にはあれだけ保たせてるのに
>>741 要は保守の水準が問題だったのでは?
下降窓でもない185系が、側板裾部にステンレスを使った事例でもわかるように、国鉄は
側板が台枠との接続部で腐食するのに手を焼いていたから。
>>745 車輌メーカーの設計の問題なのか、国鉄の車輌設計事務所の問題なのか。
ナニワ工機がエロいのか?
どっかの記事で、157系も水抜き孔が作ってあったが、細くてあっと言う間に錆で詰まり、車体内部に水を抱えて走っていたとか。
仕事上、水の過酷な部分を知っているけど、清い水の流れっぱなしなら腐食は遅く、予想通りでも、錆汁になったら一気に進む。
磁石の付く、クロム分が多いステンレスとかも、錆汁に浸ったら1年でボロボロになる環境もある。
40度くらいで温度が高かったり(電車の夏場なんてそうだな・・・)密閉されていたら加速してボロボロになる。
鉄なんてイチコロに消滅する規模だったと思う。
梅雨明けで水が入り、夏場に半密閉で内部が高温多湿、錆汁が流れきらない・・・。
あ、これは1年もしないで鉄材が消えて(錆で砂化して)なくなると思う。
157系はある会社が払下げを受けようとしたが(どこの会社か想像できるよね)、
余りの腐食の酷さに断念したらしい。
>>745 201系でも量産車で裾部ステンレス化+連続溶接にしてたしねぇ。
>>746 ナニワ→アルナの設計が良くできていた(というか、阪急スタイル
の始まりである900でこの辺のノウハウは確立されてたはずで、そう
いう意味では川車の手柄ということになるのかも知れない)、とい
うのもあると思うけど、正雀見てる限りは阪急サイドの保守の凄ま
じさがあの構造を長持ちさせてるのだと思う。
なんせあそこ、何かする度に塗装全剥離&腐食部の容赦ない切除か
らやってるからなぁ。腐食しやすい窓下の側板切り取ってるシーン
に何度お目にかかったことか・・・、
阪急ばかりが比較対象になるけど、近鉄も鋼製車で下降窓だった。
あっちはどうだったんだろう?
近鉄の下降窓は戦後に導入したシュリーレン式の設計だ。台車と並んで戦後の近鉄の重要な資産だな。
防錆対策もそのノウハウとして入ってたんだろう。
こういう下降窓の腐食対策とか、いくらライバルとは言え、
車輌工業会などで横展されていても良い筈だけどな。
国鉄は「私鉄の設計は簡易で粗末」と決め付けていた空気はあったからな・・・。
だからST式ドア装置を西武から導入したときはファンも一様に驚いたらしいぞw
>>752 国鉄は量産車の場合、モノにならない技術は躊躇無く旧式に退歩して
主立った大手私鉄多数が石橋を叩いて渡り負えてから、匍匐前進で渡り出す、からw
その頃には周回遅れになっていて、石橋を再び渡りにきた大手私鉄各社に踏んづけられてたりしたがw
>>755 発注数が半端じゃないんだから、先進的な技術に飛びつくのはためらうでしょう。
標準化にとことん拘っていたし。
>>749 つまりメンテナンスには金に糸目をかけないということか。
>>756 標準化というのはある意味大事なんだよね。生産コストを下げるには
規格化していくのは避けられない。
>>757 しかし、昔から阪急の車輌はきっちり塗装はがしてから塗りなおすから、綺麗だね。
室内も、国鉄の同じ年数たった車輌と比較にならない。
常磐線なんか、未だにワンカップの匂いがする。
759 :
回想774列車:2009/01/12(月) 23:44:27 ID:Xg9+bojP
>>757 メンテナンスには金に糸目をつけない、というよりはむしろ延
命に必要な手間を惜しまない、というべきだろうね、あれは。
こまめかつ定期的なメンテナンスを行うことで、致命的なトラブ
ルの発生をほとんどの場合未然に防止できる訳だから、実のとこ
ろ長期的な視点でのランニングコストはむしろ阪急方式の方が安
いんじゃないかという気がする。
もっとも、これは阪急に限った事じゃなくて、関西私鉄各社は
車両新造コストをそれなりにしっかりかけて、その後みっちり
メンテしつつ30年以上使用し続ける方針のところが多い。
廃車寸前の筈の京阪1900系が関東私鉄の現役車よりもよほど行
き届いた整備を受けていた、というのが典型例。
>>756 もっとも、慎重そうに見えてとんでもない欠陥品の量産や頓珍
漢な「先進技術」の導入も内燃動車系を中心に、結構やってる
んだけどね。
あと、標準化するに当たって先進技術の導入を避けるというの
は言い訳にも何にもならない。先進技術でもちゃんと評価試験
すれば標準採用できるものはできると判断できるし、また採用
できなくとも近い将来の採用を念頭に置いた計画ができる。
国鉄の場合、それすら怠ってたところが多々あるんだよねぇ。
>>760 先進技術の導入を避ける傾向というのは、お役所だからかな。
>>760 某所で散々言われてた話だが満鉄ではとっくに採用されてた燃焼室を
D52まで本格採用しなかった(要するにそれだけ燃焼効率で損をした)蒸機は典型だからな…
>国鉄の場合、それすら怠ってたところが多々あるんだよねぇ。
>>761 お役所だから、ということもないと思う。
国鉄のあれは単純に、客観的な計測結果に基づいた技術的検討や
評価を行うのを怠っていただけだから。
今は散々叩かれてるけど、大阪市の交通局、というか電気局時代
に1号線の開業に当たって用意した電車を見ると、すごくエッジな
設計になってて、しかも将来の発展ということを充分に検討した
跡が機器配置(戦前の最初の段階で既に電磁同期弁つけて電磁自
動ブレーキにするためのスペースをちゃんと床下に確保してるの
ね)にも見えてたりする。
ああいうのを見ると、先進技術の導入を避ける理由がお役所だから、
というのは無能の言い訳にしか聞こえなくなる。
役所仕事でも、ちゃんとアンテナを高く張ってエッジな仕事をでき
るんだ、ということを俺は大阪市交の仕事を見て学んだ。
労組も大きなもんだ立ったけどな
それだけじゃないけど・・・。
新技術品反対とシプレヒコールあげられちゃぁ
全国規模で膨大な両数を揃えねばならないので下位メーカーでも手に負える程度の車両しか作らない国鉄、
政治の無茶に逆らえない国鉄、組合が強すぎる国鉄、
と言ってしまえばおしまいだが、実にみじめになるな。
それにしても御堂筋線開業時の大阪市電気局の技術スペックは凄かった。
>>760 なるほどね。これは物品維持管理全体にあてはまりそうな要点だね。
>>763 スタッフの体質にも寄るんじゃないのかなあ。開業時は気鋭の陣営だった可能性もある。
大阪市交は、今では典型的なお役所でアレだが、
開業時の土木関係を見ても、かなり先進的だったと思う。
国鉄の蒸機が保守的な設計だったのは、島イズムと呼ばれる影響もある。
シロクニで蒸機の限界を見極めたかったとの談を聞いた事がある。
陸海軍のエンジニアが多数入り国鉄労使関係が正常
かつ国鉄財政が悪化する前という時代背景がなければ10系もどうなったんだろうかと思う時がある。
話を蒸し返してスミマセヌが、
良いモノを造って永く使うということは今はもう難しくなってるんですかね。
自社や傘下に、普通鋼製の車体改修ができる工場を擁してるところはいいけど
ステンレスですら陳腐だとかレトロフィットできないという理由だけで
捨てる例がでてきている…
昔のロールス・ロイスとか高級機械式腕時計と同じでしょう
いいものは長持ちするが、結局手が掛かるのは安物と同じで、
ただ安物に比べて劣化が少ない、ってだけの事で、
それじゃ安物をとっかえひっかえでも目的は果たせるという事になってしまう
>>770 安物をとっかえひっかえで目的を果たせる、と考えたJR東日本は
あの通り、「走るんです」初期車のトラブル続出で目的をまとも
に果たせていない訳ですが。
E233が結局最初のコンセプトからかなり乖離した重装備になって
る、という事情を考えると、あの「走るんです」使い捨てプラン
は結局問題ありということになるんじゃないかと。
法定耐用年数は計画通りクリア、初期トラブルはとりあえずおさまりました、外板がよれてきたのは仕様です、と、
後続系列に繋がる成果は上げたけど、出来についての評価は微妙な印象。
走るんですも、壮大な実験だった、と見るべきか。
壮大すぎた気もするが。
10系の後に豪華版の20系を挟んで、次の12系は他系列並に「そこそこには軽いが、耐久性は世間並みに確保してある」
ってなったわけで、どっちも限界設計に挑戦、3歩進んで2歩下がるって感じはある。
>>771 209系の存在意義が使い捨てプランだとすれば当初の目的は充分果たせて、今ま
さに置き換えて使い捨てられてるよ。
長期仕様を見据えて金かけて頑丈に作ったはいいけどテクノロジーの進歩につい
ていけずに時代遅れになって維持コストもかかってトラブルも多発で結局は持て余
して廃車
ローコストで安普請だけど短期使用とメンテナンスフリーを見据えてテクノロジーの
進歩や求められる旅客サービスに合わせて次世代車に容易に代替できる車両
どっちがいいかはその時代背景や経営スタイルにもよるだろう。
失敗のデータもまた重要ではないのかなと思う。
通勤電車なんて足回り以外72系とどう変わっているんだという気もするし、
モハだけ更新できるようにして、クハとサハは長期しようでいいんじゃないかと
思うが、すれ違いぎみなので、話を戻す意味で、
10系の技術的功績について書いてみないか。
功績はもちろん寝台車だろう。窓が開く寝台車に萌え。暗すぎる読書灯も。
あれ、これ技術的功績じゃない?
1.車体断面を損なわない本質的超軽量構造の、国鉄における最初の実践(限界構造への挑戦)
電車・気動車にも応用され、その後の軽量構造の基本を築いた。たとえ10系自体に問題があったとて、これは最大の功績
2.寝台車シリーズにおける裾絞り2.9m幅車体という車両限界のブレイクスルー
これと、55系気動車の21.3mという限界全長が、今のJRまで引き継がれている事は意義深い
3.寝台車サービスの改善
途絶していた大衆向け寝台をナハネ10でグレードアップして復活させ、老朽マロネに代わる特急並みアコモのオロネ10を産み、
旺盛な輸送需要にはオハネ17を作りまくるという巧みな積極策で対応
TR50台車の実用化も忘れちゃいけない。
乗り心地については毀誉褒貶があるけど、軽量構造の台車を実用化して
国鉄最後の14系15形や50系まで継承されることになる一連の軸ばね台車
の基礎を確立した意義は非常に大きい。
ついでに言えば、オシ17でTR53を採用して、その後のDT46以降の円筒案
内式台車の大量採用の基礎データを提供したことも見逃せない。
>>774 おまえのせいでスレが急にキモくなったジャマイカ
779 :
回想774列車:2009/02/06(金) 09:37:30 ID:wwa2D76M
電車は旧性能と新性能で世代がくっきり分けられるが
客車を分けるとしたら10系は新旧どっちに入るかなあ。
俺的には旧客の仲間に入れてやりたい気分…
電車で言えばモハ80300に相当すると考えて。
試作を除けばノーシルノーヘッダーはみんな新型客車かと思ってた…
781 :
回想774列車:2009/02/06(金) 20:00:44 ID:9aG0U/vj
>>779 入れてやりたい、か。
車両に人格があったら旧客と一緒にしないで欲しいと嫌がるかもよw
まぁ、車体の構造は新機軸を投入したけど、使い方とかは旧客のそれだからねぇ。
車輌に人格があったら、イベント用で現役のスハ43系に10系のこと聞いてみたいな
日高本線のキハ40あたりも面白いコメントしてくれそう
>>779 何度も話されてた事だけどね
使い方を見れば旧客となんら変わらないし
客からすればデッキ扉も手動で同じだから旧客だろうな
一般型は10系以降は50系に飛ぶので簡単に分けれるし
それ以外は20系12系と固定編成になるから10系と20系の間で線引きすれば良い気がする
新系列客車と分けるけど、20系は入らないな。
一番穏当なのは、スハ43系までが旧系列で12系以降が新系列、
10系と20系はその端境期の車両と言うところになると思う。
10系はハード的には新系列のペースとなっているけどソフト的には
旧系列を踏襲しているから。
20系の場合は初期には牽引機を選ぶ我儘な車両だったし、他系列
との混結を一切考慮していなかったから、孤高の存在でも良いと思う。
20系は牽引機は選ばないだろ。問題はあったけどw
110km/hだすのに選ぶだけで。
43・10改正前の20系は牽引機に制限無し
つAREB そして元ダメ管引き通し
だからそれは110km/hと電磁B使いたい時だけだって。C60やらC11だって牽いてたろ。
791 :
779:2009/02/07(土) 01:55:19 ID:OCGKwpzr
どうも私的には電車と同様に機関車、客車、気動車も
旧世代、新世代を分けたがりな嗜好があって
とりあえず10系と20系の間で分けらんないかなという
さらに、43系をED75が牽いてるとか、
EF58やC62が20系を牽いてるとかは
どうも新旧混在の均整のとれていない編成に見えて
すっきりしない感じがしてしまうのです。
(クモユニ74+153系とかみずほの簡易電源車もちょっと抵抗があるw)
そこが萌えるのにっていう心理はそれはそれでよーくわかるんですがw
へんに潔癖症なのかもしれませんが…
まあ一番悩ましいのは気動車をどこで区切るかで。
時期を合わせるとキハ10と20の間(車体大型化)か、
でも機構的にはあまり変わっていないし… うーむ
という感じ。
すれ違いになってきました。すんません。
気動車は、機械式・液体式・新系列(制御電圧100Vとか
電気指令式ブレーキだから他とつなげられない)っていう分け方
だとばかりてっきり思っていました。
793 :
回想774列車:2009/02/07(土) 17:07:07 ID:q7ujIHG1
10系軽量客車と言えば
せんだみつお
ナハ、ナハ、ナハハハハ・・。
>>791 急行型を含む一般型気動車は分ける必要なんてないでしょ
キハ40系列でさえキハ10系と混結可能なんだし
とくに時代で分けるのは無理がありキハ58、キハ66、キハ40の
大型車体とそれ以外で分けるくらいじゃないの
>>795 それは乱暴杉
キハ04〜キハ07系列・やキハ01系列をキハ66と同列に扱うのか?
これらは連結だけなら出来るが総括制御の無いのが多いぞ。
称号改訂前ならキハ43000系もいるしな。
こいつは総括制御のシステムそのものが全く別物。
連結出来るだけなら機関車や客貨車まで仲間になるしな。
キハ08系キハ09系は全車キハ10〜キハ66と総括制御できるがな。
797 :
回想774列車:2009/02/07(土) 21:21:39 ID:q7ujIHG1
じゃあ鋼体化客車は
799 :
回想774列車:2009/02/07(土) 23:50:03 ID:+CoJTgTX
>>796 むかし何かの本で、DMH17装備の気動車はすべて旧型としていたようなのがあったな
スレち失礼
>>796 電機式やレールバスとか
悩むまでも無いだろ
そんなもん国鉄部内でも完全に異端児なんだし
>>800 だから完全に別物だと言ってるだろ。
一般型気動車を車体幅で分けるという分類に反論してるんだ。
それに電機式はともかく、機械式は異端じゃないぞ。一時期は主力車だったしな。
つられて間違えたじゃないか
×電機式
○電気式
とりやえず
・キハ二類の戦前試作含み〜流線43000あたりまで
--------量産化の壁で区切り
・量産第一弾のキハ04類、07類の元ガソリン類(派生改造含む)・・・・〜レールバスは遅れてここに付く
--------長編成化の壁で区切り
・湘南顔の量産試作類
--------主力輸送への標準化で区切り
・DMH族
・本格DMHのキハ17類〜キハ45まで
・本格優等キハ55・58類
・特急キハ80系
※サブテーマ・・・車体本格化・・大型化
--------次世代エンジンの発展で区切り
・国鉄の総集編(DMH族の用途流れにも別繋ぎ)
・キハ181〜65、66、67、40、183系各種
・キハ54、31、32、185系
※サブテーマ・・・省力化の次なる模索、脱・戦前
--------全国思想から各社思想の流れ変わり
・JR各社軽快組
・キハ11、130、110系、120、1300〜などなど
--------気動車は気動車専用設計脱出の量産的区切り
・21世紀テクノロジー組(勝手に命名)
・各種ハイブリッド車
・各社電車共通化車両
なんて提唱してみる。
気動車の区切りは、いろんな切り方があるから押し付ける気はない。
志村、スレタイ!
>>804 いい事いった。
可愛そうなガスタービン試作車たちや、キハ60なんてのは、所詮は・・・・
客車と気動車の違いを理解してないことは解った
客車を気動車にしたのがあったな。
加悦鉄道あたりで見た気がする。
10系客車はどこ?
客車(鉄道院〜JR)の区切り
・2軸木造車
--------台車で区切り
・ボギー木造車
--------車体素材で区切り
・鋼製車両〜スハ43あたり
--------重量・車体構造で区切り
・10系/20系など前期軽量車体
--------ドアエンジンで区切り
・12系/14系/24系/50系
--------客車時代の終焉で区切り
・E26系
こんな感じかと。
鋼製客車の正式な分類としては下記の通りだが、カニ38が一般型に括られているのが未だにわからない
カニ38はオハネ17・オシ16・オシ17と同じく台枠再利用の軽量構造車体だよね?
台車を再利用すると軽量客車に入らないとも考えたのだが、オハネ17やオシ16の電暖車は種車のTR23だし
軽量客車、固定編成客車、一般形客車、鋼体化客車、戦災復旧客車、和室客車、特殊車両、雑形客車
軽くないのに軽量客車とはいえないw
817 :
回想774列車:2009/02/09(月) 14:31:26 ID:kK8VBCRs
軽量客車と聞くと速く走れそうな気がするからだろ
結局増圧ブレーキかレジンシュー付きCLブレーキがないと
TR10はいた木造車だろうがシュリーレン付きのオシ17だろうが、
95km/h止まりなのは変わらない
オシ17も当初は種車の3軸台車も流用でスシ58(一般型)で話が進んでいたな
カニ38も後年救援車になったときにスエ38になっているから
オとスで線引きされていたのかな
そうなると後年の冷房化でオハネ17がスハネ16になったのがおかしくなるが・・・
>>819 車輌重量は初回ロットで正確に量ってても、
その後内装を替えたり近代化で軽量化されたのに、
形式変更しないというのは良くあったことでしょ。
スハ43でも、途中でオに変えてるわけだし、
20系も初期と後期では実際の重量が違ったようだし。
>>815 基本的な構体が準張殻構造ではないからでは?
だってあれ、台枠魚腹だし、側面がほとんどシャッターで
強度保持を骨組に依存するから応力外皮も糞もないわけで。
見た目はともかく構造を客観的に見ればあれは一般型に分
類するのが妥当だと俺は思う。
>>819 スシ58の段階の図を見る限り、準張殻構造の10系と
同等の車体載せる気だったのかどうかかなり怪しい
ところがあるね。
時期的に10系の台枠流用車のトップにオシ17が来る
(1956年。オハネ17は1961年)ことを考えると、や
っぱりスシ58の時点ではまだ一般型客車に準じた構
造で製造するつもりだった=準張殻構造車体をUF45
〜UF51までの台枠に巧く載せる方法が確立されてい
なかったということなのでは無かろうか。
>>822 いやそれはないだろう。
逆に(あり得ないが)中梁省略・キーストンプレート張りの軽量台枠に重い車体を載せるならともかくだ、
セミモノコックボディを既存の重量型台枠に載せるだけなら、寸法さえ合えば別にぜんぜん難しくない。
>>819 最初から軽量化を目的として設計された車両はオ・ス級だろうが軽量客車。
スハネ16はシル・ヘッダー付きの車体で作れば確実にマ・カ級だったろうか
ら重いス級でも軽量客車。
と俺は解釈してる。軽くなった分冷房や発電機を載せられる余裕が出きてス
級で納めることが出来たんだと思う。
うんそうや
828 :
回想774列車:2009/03/26(木) 03:50:22 ID:ClSDZkJt
去年12月予定だった「写真で見る客車の90年 日本の客車」の復刻の話はどうなったんだ?
大恐慌のせいでそれどころじゃなくなったのかね・・・
>>828 復刊ドットコムの奴?それとも別の話?
復刊ドットコムは復刊に向けて調査を開始したってメールは随分前に来たけどそれ以降音沙汰はないが・・・
830 :
回想774列車:2009/03/27(金) 00:19:10 ID:GHdPYaoV
>>820 不思議なのはナ(オ)ロハネ10が、セミモノコックなのに車体中央に扉をもって
きたことだな。車体中央は応力が集中しやすいため魚腹大枠にしたり、シル・ヘッ
ダーで車体の垂下を防止するところなのに、窓より大きい開口部でしかも台枠の
一部まで切り欠く構造になるわけだからね。それだけ構造解析が進んでいたという
ことなのか?
>>829 いや、鉄道ピクトリアル2008年4月号で触れられていた話なのだが。
ピクトリアルのHPでも何も触れられていないな
834 :
回想774列車:2009/04/01(水) 16:06:23 ID:os/nkAKZ
>>830 にわかでトーシローなオイラは
中央部を「ボックスラーメン」と推察する
835 :
回想774列車:2009/04/01(水) 22:58:46 ID:O2KcF8xM
オロネ10は本当に10系なのか?
>>830 俺もトーシローだが、そんなこと言ったら超軽量構造の東急5000(青ガエル)とかはどうなる?
巨大なドアが3か所もあるんだぞ。
ステップ付きじゃないというのなら、玉川線の200というのもあった。
837 :
回想774列車:2009/04/02(木) 00:47:12 ID:VBBHupAF
まあ、キハ35とかと違って、エンジンとか、重いもの吊ってるわけじゃないから、ドア位置はどこでも問題なかったんじゃ?
839 :
回想774列車:2009/04/02(木) 16:54:03 ID:VjQs+ZeN
>>837 でもロネ冷房化の時に、ドア上に重量があるエア・コンディショナユニットkが載ったからなぁ…
840 :
回想774列車:2009/04/02(木) 19:40:10 ID:rPCgw8ME
>>837 キハ35は戸袋を避けるために外吊りになったのでは。戸袋あると開口部の幅が
実際の2倍くらい必要だからね。
その点、客車は戸袋ないし開口幅も狭いからね。キハ35が大丈夫ならオロハネも
問題ないはず。
841 :
回想774列車:2009/04/02(木) 20:42:09 ID:L06w3PJR
>>840 >客車は戸袋ないし開口幅も狭いからね
↑たぶんこれだね。オロハネの答え
842 :
回想774列車:2009/04/02(木) 23:02:51 ID:8qdq+4f0
>>841 それから寝台車なので定員乗車が基本というのもなったのでないの?
寝台車はもともと定員が少ないから構造設計には余裕があるんでないのかな。
そう考えてみると電車の戸袋付き6扉車はすごいな。最近はモノコックは廃れて
スケルトン構造が主流だから、このような設計も可能になったのだろう。
>>842 >寝台車はもともと定員が少ないから構造設計には余裕があるんでないのかな。
サンライズが性能面で223ベースながら重い鋼製でかつ2M5Tという一見無茶なMT比で運用してるのも定員運用が前
提だから、てのをどこかで見かけたな。
844 :
回想774列車:2009/04/03(金) 12:22:40 ID:L8p1oz1/
これらを鑑みて、改めて蒸し返し恐縮だけど「ナロ10・オロ11」
カマボコ深屋根のまま「床下冷房ユニット」だったなら
かりにそれでも垂下(?)という事態が発生しても
Rの大きい屋根の補強だけでクリアできそうな気がする
無論にわかでトーシローの「思いつき」と承知の介w
845 :
回想774列車:2009/04/03(金) 23:51:52 ID:pGarNxAV
>>844 補強ならシルヘッダーを付けるという選択肢はなかったのかね。
10系は窓大きすぎ。
表側だと車両限界超えるというのなら、戦前のオハ35みたいに裏側に付けるという
手もあるし
>>845 シル・ヘッダーは内側に付けたんじゃなかったっけ。
>>845 846です。
ごめん、前半しかよまなかった。orz
848 :
回想774列車:2009/04/04(土) 08:04:19 ID:MDvc59o6
そうだとしたら現大鐵のオハ35-149はこの当時でよくヘッダーなしで作れたよなあ。
>>848 アレは技術試験を兼ねて作った例だからな。
外板裏側に補強帯を入れるのが面倒だっただけってことだな。
やる気になればできたが、セミモノコック以前ではそこまでこだわる必要がなかったと。
851 :
回想774列車:2009/04/09(木) 17:46:38 ID:9ev6E2rp
乗る機会ついになかったが「津軽」とかで走るオロネ10やオハネフ12らは格好よかったなぁ・・・
852 :
回想774列車:2009/04/09(木) 22:15:08 ID:tGEnjb1J
>>851 ヨーロッパ調デザインが基調だったからね。一方で外板の
ボロさと白熱灯に照らされた車内の焼けた化粧板がわびさびの
雰囲気かもし出してたけれど。
新しいうちは日の当たる東海道山陽、ぼろくなってからは日本海の
鉛色の空がよく似合うw。
853 :
回想774列車:2009/04/10(金) 03:58:20 ID:OPUXPJcG
昭和40年代に、北海道の狩勝実験線で行われた客車燃焼実験の写真を見たら、被験車はナハ11なんだよね。
北海道には10系座席車の配置は無かったと思うんだが、何処の車両を持って行ったんだろう?
それと、昔は夏になると臨時列車用として本州の客車が北海道に貸し出されていましたが、
10系座席車も貸し出されて、北海道で客扱いで走った事があるのでしょうか?
854 :
回想774列車:2009/04/10(金) 11:48:25 ID:Cr2FBzUN
>>853 実験を大義名分にこんなボロ客車燃やしちまえって
ことだったりしてw 関係ないけど今レンタカーは夏過ぎると
札幌ナンバーの車が関東走ってたりする。北海道は夏冬の
ギャップが激しすぎるみたい。
855 :
回想774列車:2009/04/10(金) 21:12:37 ID:9gHJnnO7
>>853 鉄ピクの特集や昭和47年版車両配置表によると、狩勝での被験車は鹿児島と門司に配置されていた車両でした。
他の地区で行われた実験でも、電暖改造車の2両(直江津配置車)を除き、全車九州地区に配置されていた車両
です。試験後は廃車されてますね。
>>855 まあ盛大に燃えてますから当然ですな >試験後は廃車
狩勝の実験のきっかけは、北陸トンネルの「きたぐに」列車火災事故だからね
「きたぐに」は火元のオシ17も含めて10系主体の編成だったから、当然10系で試験するだろ
特に10系は軽量化のために、合板やプラ板が多用されてたからねぇ
>852
同時代のヨーロッパの車両も末期はぼろぼろだったからな。
ローカル線やモロッコなどで走っているのを見ると泣きたくなる。
ちなみに、狩勝実験線の時の燃焼実験は所期の目的は達せられなかったけどね。
なんせ、火を点けてすぐに走らせた時には自然鎮火してしまったし、完全に車両に
火が廻ってから走行開始した時も隣の車両への延焼はなかった。
結局、宮古線の猿峠トンネルで、実際にトンネル内火災の試験を行って、貴重なデ
ータを取得することとなった。
860 :
回想774列車:2009/04/12(日) 09:36:52 ID:oLkz8uNU
狩勝動画って無いのかな
>854
S48頃はまだ大量のオハ35やら61が残っていて、10系はボロ客車までは行っていなかった。
当時のRJの読者投稿にも、なぜ燃焼実験を「新しい」車両で行うのか、という趣旨の発言があった。
しかし実際は、10系は台枠のねじれなど、結構くたびれた状態であったと聞く。
燃焼実験で車内を不燃化した車両があり、新聞紙にアルコールを含ませて火をつけたが、
座席の表面が少々溶けた程度だった、という報道があったが、あの車両、そのまま解体されて
しまったのだろうか?せっかく内装更新したのだから、どうなったのかがいまだに気になる。
>>860 交通科学博物館、記録映画では見たけどね。釜石線の実験も。
10系レベルのを焼かないと今後不燃化対策をどうすべきか解らないだろうしねえ。
864 :
回想774列車:2009/04/12(日) 23:29:31 ID:n9VvnAth
>>861 当のオシ17は旧1等客車の台枠を転用してたからね。
865 :
回想774列車:2009/04/13(月) 00:31:22 ID:66O9gPgC
>>857 ところで、10系以降の電車気動車はなぜ全金属車と言うのだろう?
実際は燃えやすいハードボードやプラスチックを使用していたのに。
866 :
回想774列車:2009/04/13(月) 00:38:18 ID:9QjEMfyl
他に言いようがあるの?
867 :
回想774列車:2009/04/13(月) 00:56:24 ID:VYX53ApR
>>865 おまいの理論だと椅子まで金属、ガラスも使えないなw
全金ての鋼体が全て金属の車のことだ。
装甲列車は全金車かもしれん。
869 :
回想774列車:2009/04/13(月) 12:29:14 ID:Rc5gvvkP
>>867 >鋼体が全て金属の車のことだ。
そうするとオハ35やオハ46の鋼板屋根・鋼板ドア・金属雨どい車も全金属製と
いうことでおk?
雑誌国鉄時代の餘部鉄橋渡る出雲のナハネ10見たけれど
マルーンのつるつるすべすべの頃は格好いいね。
マルーンにドアや窓周りのステンレス?が映えていてね。
20系とはまた別の風格持ってるね。
ハネに冷房つけるとき、集中電源式にすることは考えなかったのかなぁ。
1両ごとに発電セットつけるより、マヤ20のような改造電源車作って
半固定編成にするほうが多くの場合には合理的だったと思うんだが……。
(韓国の統一號、台湾の冷気平快車みたいな感じ。あちらは座席車だが)
或いは、12系の製造を待って、スハフ12を10系ハネの電源車に使う手もあったと思う。
(20系1000代と同じ)
電気暖房しか使わない線区なら(東北筋etc)、冷房電源を機関車から頂く手も。
(12系2000代と同じ。台湾の客車も同じく)
勿論、寝台車の両数が少ない場合は(普通列車とか)1両ごとの発電セットの方が
使い勝手良いから、そこはケースバイケースで、と。
と、ここまで妄想して思ったんだけど、
全国単位で車両の融通してた時代は固定編成的に車両を固めるのは
不自由になりうるし、「固定編成」と「1両単位」が共存してるのも
運用・取り扱い上はデメリットか。
1両ごとの発電セットはそんなに非合理的ではなかったのかも?
このスレの趣旨とは違うけど、台湾の客車は10系的で良いぞ。
いわゆる平快用で絶滅寸前の藍色車だけじゃなくて、
急行(キョ光號)用の客車もどこか10系っぽい雰囲気がある。
走行中開け放ちの手動ドア。
ユニットクーラーとは無縁の深い屋根(冷房は床置)。
標識円盤つけたテールライト。貫通路には鎖2本のみ。
国鉄スタイルのリクライニングシート。
絞りのない、ストレートな車体。
ナロ10が正常進化したかのような雰囲気がある。
厳密に言えば運用・システム的には20系に近いし、
製造されたのは1983年までだから14系より新しい位なんだけど。
それから、残念ながら?外板は厚いのか老朽化はしてないw
>>872 それらの客車は日本製客車を模倣して作った物。
>>871 1両単位で冷房改造して編成に順次組み込めるメリットを取ったのかと
>>872 そいえばデッキ上と車端腰板との設置位置の差はあるが
台湾の特快客車〜初期の電車の行き先・号車・種別表示が
20系客車のそれと酷似していますね。
鼬すまそ
冷房もない中、高雄―花蓮を12時間汗だくで平快車を乗り通したのもいい思い出。
花蓮着いたら台風来てたが(笑
なくならない内にまた行きたいなぁ。
>877
それって台北経由、それとも屏東経由?
凄い大回りの直通普快があったよね。
冷房なしの普快も今は南廻線・台東線だけ。
一番景色が良くて風情のあるところに残ってくれたことを感謝すべしか。
漏れもまた行きたいわ。
>>878 高雄発台北経由花蓮行の166次〜193次ですよ。
ちなみに花蓮発の夜行平快で高雄入り。
今じゃこんな強行軍は無理だな。
>879
いいなぁ。でも夜行で普快はちょっと嫌かも。
あの微妙に煤けて荒んだ雰囲気で一晩というのは台北の安宿と
おんなじくらいに気分がへこみそう。
台湾の列車はロングシートの区間車以外大好きだけど、流石に普快に長時間は辛い。
座席は回転クロスで上等なんだけど、小汚い雰囲気がなんとも、ね。
(それ思えば日本の165系夜行は固定クロスでも小奇麗な分快適だったわ)
このスレ的に云えば10系ハザに長時間乗るのは嫌、という感じなのかな。
スハ47と10系は似てる
スハ47 1-5
はナハ10の燃焼試験車の台枠を再利用し昭和50改正時に登場した。
苗穂に5両配置され北海道ー上野の津軽、十和田、八甲田に隔日運用された。
ちなみにレガース・リクライニングシート採用の為指定券はかなり取りづらかった。
JR移行前の昭和61まで運用され惜しまれつつも引退した。
外部塗装は1-3は青15号。4-5は淡緑2号。
なんだ妄想か
もう少しリアルな設定だったら
信じたかも
1往復の貴重な大村線直通、DD51客839レで佐世保→早岐間を通学していた。のだが
地元門ハイが受持ちだったが、10系は配置がなく、休日、佐世保の街まで遊びに行く際は
佐世保線客レの門トス車ナハ10を”選んで”よく乗っていた…懐
客車9連だったがいつも1〜2両で、なぜか編成の中間部分に連結されていて
登坂時に唸る、ED76のモーター音を同時に楽しめないのが残念だったな。
221、223で通勤していると、たまに帰省してキハ200SSLに乗るのが今は楽しみw
35年前になるか、試9001レに乗るチャンスがあった
さすがに10系モドキには乗れなかったが
当時の10系寝台急行ってリネンや浴衣も何もなく
ただねっころがれるだけだったんですか?
>888
ちゃんと浴衣もシーツも枕も毛布もあったよ。
着替えるの大変だったが。
向かいの寝台の若い女性が、浴衣に着替えてる衣擦れの音が聞こえてくると、
ドキドキした。
>>889 や
>>890 は注釈をひとつ書き忘れてるのか、本当は乗ったことがないのか
どっちなんだろう
浴衣はA寝台と電車寝台からじゃ??
Aネは更衣室があったからな
オロハネは知らんけども
894 :
回想774列車:2009/06/24(水) 09:06:29 ID:/n+8iE3+
>>866 >他に言いようがあるの?
非木製車なんてどう?
内装から木材を廃したのがポイントなんで。
895 :
回想774列車:2009/06/24(水) 21:57:28 ID:eNhspidX
>>875 ごく初期の観光號に使用されていた、スロ53・54に似たシル・ヘッダー付き車体の客車は、台枠流用で車体新製して、
キョ光號か復興號用の車両に改造されてますね。
>>895 20年以上前に、シル・ヘッダーつき、JNR形式TR47の展望車
(現地名称:客廳車)ってのを現地松山站で見たことがある。
台湾の台車の形式はTRが頭についてても日本のと全く違うので混乱する。
板違い禿しくスマソ
897 :
回想774列車:2009/06/25(木) 00:27:06 ID:uScBLrQj
>896
その車は現役だと思う。
http://emu300ct.myweb.hinet.net/index.htm このサイトで
首頁→台鐵客車介紹→客廳車介紹→觀光號改造客廳車~35PC32701號
と辿ると紹介が読める。
1993年に外板張りなおし、固定窓化で他のキョ光號客車に近い姿になってるけど
やはり何処か変な雰囲気は残る。
台湾の客車でシルヘッダー付は、2007年に留置車を確認した報告があるくらいで
今はないんじゃないか?
>>894 スレチだが、何だかんだで木材は使っている。
国鉄電車でも、70年頃までは台枠上の床構造は木材だったのが多い。
900get!
>>899 木根太は北陸トンネル火災の後に
不燃化が強化されるまで使われていましたよね。
>>899 正直、キハ58(パノラマ窓車の途中まで)やキハ80系、20系寝台車のほとんどが
内装材のかなりの部分がハードボードというのを知ったとき、一寸ガクッとした。
>>899 王寺水没事件で被災した101系の床周りがマジで悲惨なことになって即廃車決定になったてのもあったな。
(快速用の113系は補修の上で再利用されていたが)
>>903 101系は床材にコルクが入っていてな・・・
で、水を吸って膨れ上がったとか。
>>904 水を吸った木材とか凄い破壊力があるから
ただ膨れただけでなく車体なんかを壊したのかねえ
>>905 101系以降の新性能車両はフレーム(台枠)だけでなく床や壁等の車体全体で
車両に掛かる荷重を支える構造になっている。
従って、床部分がgdgdになると荷重バランスが崩れて車体が大きく歪むことになり、
最悪の場合自重すら支えることができなくなってそのまま破断することもあり得る。
初期の新性能車両は軽量化最優先で設計されていたから、この辺の余裕が
少なめなため、想定外のことが起きると割と簡単に破綻してしまう場合が多かった。
その後の車両では設計や材質の見直しで余裕を多めに取り、簡単には破綻しないように
見直されている。(113系はこのグループ)
やはり101系ネタですまんが、手元の本に王子駅冠水車の状況がが書いてあったので・・・
JRR・国鉄車輌シリーズ3 101系通勤電車 (1984年)
101系の冠水車は、床がコルク材でできた初期車であったため、水を吸った床ははちきれんばかりに膨れあがり、見るも無残な姿に変わり果ててた。
まさに”どざえもん”であった。
また床下の機器はすべて砂をかぶって手の施しようもなく(以下略・以上原文ママ)
鋼体そのものにどれだけダメージがあったかは知らないが、元々廃車にリーチのかかった車だったことも一因だろうな。
908 :
回想774列車:2009/07/24(金) 19:24:39 ID:9JlLYBkW
>>907 もし同じようなことが現在起こったら、会社が違うから向こうの廃車予定車を急遽回すなんてことも不可能だろう。
したがって新車を入れるしかなくダイヤが完全に復旧するのも相当長くかかるだろう。
>>908 だよな。
阪神淡路大震災の際に東日本や九州のキハ58借りて運転できたのもあの当時まだ国鉄車両が結構残っていたからな。今では共通で使えるとなると113系かキハ47系位だし、それらも会社独自の仕様になっているから難しいよな。
今なら会社内でやりくりするしか手はないだろうな
そういう意味では通勤電車ぐらいは共同開発があってもいいのかもね。
912 :
回想774列車:2009/07/25(土) 22:05:13 ID:pcOd4CCn
そうだ
913 :
回想774列車:2009/07/26(日) 12:21:50 ID:FrfvEC46
うんだ、うんだ
東のE231以降はそれ前提になっているからな>共通化
西の321が内装はアノままで車体はE231やE233ベースでもよかったかも知れないな。
共通化と言うと関西だとクーラーがJR・京阪・阪神・(見た目は不明だが)阪急がほぼ同形状だよな。
車体だけ共通にしても、関西の電車は今は縦軸2ハンドルがデフォだから
他の地域に貸し出されても嫌がられるだろう。
スレチだし懐かしくもなくてゴメン
916 :
回想774列車:2009/07/30(木) 00:35:26 ID:quH1L42G
高価な特急車も
651系みたいな681系683系653系が延々と作られてもよかった。
東と西は共同開発してもよかった
917 :
回想774列車:2009/07/30(木) 19:38:37 ID:5dxYty7Y
?
918 :
回想774列車:2009/08/01(土) 06:42:56 ID:1swZlt3B
共通化なんか進めたら路線事情にそぐわないところにも投入
されたりして国鉄時代の過ちを繰り返すだけ。
いつくるかも分からん災害時の応援運用を考えるよりも車両
基地の防災設備に投資した方が効率的だよ。
車両の共通化は進んでいくでしょう。
東ではE231・233系と相鉄10000・11000とか小田急4000みたいな動きがあるし、
西では223系、125系、521系みたいな車体の使い回しをしている。
関東ではこれだけ相互直通がさかんになってくると、各社バラバラの保安設備を統合する動きが
出てきたりもするだろうし、
さらに進んで全く同じ車種を数社で導入するみたいな動きが出てきてもおかしくない。
920 :
回想774列車:2009/08/01(土) 14:38:54 ID:YQ9CQqI/
>>918-919 新幹線N700系の16連車は東海西日本と全く同一仕様になったな。
理由のひとつに阪神大震災時に0系が所属会社関係なく整備出来た経験から、所属会社が違っても全検をはじめ全てのメンテナンスが出来るようにした。
したがってZ編成を博多で、N編成を浜松で全検したりということも可能。
921 :
回想774列車:2009/08/01(土) 15:00:06 ID:oO61rVh0
>>921 審美眼の無いブラクラとは正にこのことだな。
923 :
回想774列車:2009/08/02(日) 07:04:45 ID:3JNhutTq
75 :回想774列車:2009/08/02(日) 06:40:17 ID:YgdvmkSC
当然と言えば当然なのだが・・・・
出身地や応援したい県、市町村に5000円を超える寄付をすると住民税や所得税が軽減される「ふるさと納税」。
昨年5月に導入されたが、中部地方では昨年度、福井県が3000万円以上と突出した一方、
愛知県はわずか14万円と“明暗”が分かれた。その違いは県民性の表れか、自治体の熱意やアイデアの差なのか−。 (社会部取材班)
実績がわずか14万円だった愛知県。
一般の寄付を「ふるさと納税」に合算する自治体もあり、正確な統計はないものの、全国でも最低レベルだったのはほぼ確実だ。
県の担当者は「金額の多寡を競い合うのは、制度の趣旨にそぐわない」と釈明する。
県は「ふるさとあいち応援寄付金」と命名したが、チラシや申込書を作り、ホームページや県人会へ資料を送るといった呼び掛けにとどまった。
6月定例県議会でも、議員から「もう少し集まるような取り組みを」と求められたが、
県は「都市部を抱える本県で実績が少なかったのはやむを得ない」と答弁した。しかし、大阪府は1億5700万円の実績があり、説明の根拠としては乏しかった。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2009080102000269.html 愛知が嫌われてるのはトヨタ(笑)関連のせいだなw
>>919 「東日本鉄道車両株式会社」が各社にリースするという発想も出てきそうだね。
そういえば車端圧縮加重100tに耐える構造だったのって10系まで?
927 :
回想774列車:2009/08/11(火) 04:01:14 ID:ECggqnws
>>919 それは相互乗り入れしてる首都圏の私鉄同士での話だろ。
災害時にJR各社で共通規格の車両を有するのは理屈に合
わんでしょうが。
>>926 へー、そうなんですか。それって確か北米と並ぶ数値のような。
それで今は60tでしたっけ…?
凱シュツだったら失礼
高輪でやってる大鉄道博で佐久間レーパのパンフもらって、11月で閉鎖されるって聞いたから行こうと思ってるんだが。天竜保管の10系はどうなるのかな?
>>928 北米はたしか300t
そして密着型自動連結器を装備する電車、気動車、客車が50tらしい。
だがいまひとつようわからん。
>>931 ヒント 8kg/t (平軸受、計算上、数値違っていたらスマヌ)
2マイル長の貨物を引っ張るとなると・・・ってこと?
>>931 突っ込みすまんが360tだよ。
使用すべき路線によって違ってくる。
たとえば長大な貨物列車が走行する路線(またはそれに準する路線)では前述の360tが適用される。
(例・アムトラック・貨物路線を使う都市郊外のコミューター)
ただし、独立した電車専用路線などは基準が変わる。
935 :
回想774列車:2009/08/15(土) 15:59:37 ID:OT7yd2AK
軽量って何kg?
936 :
回想774列車:2009/08/15(土) 20:39:23 ID:OT7yd2AK
10系って軽量なの?
10系座席車については、60年代後半以後は結構ばらばら、
寝台車については末期まできちんと向きが揃った編成を良く見るんですが、どうだったんでしょうか?
(オハネ10はオハネフ10(のちにオハネフ12)改造で前位後位が逆転しているので、スハネ16やオハネ12とはドアの向きが逆だった事がかなり多いようですが)
>>936 10系以後の鉄道車両は軽量なのが当たり前になったから分からないだろうけど
当時のマロネフやらマイテ、スハ43に比べればナハ、オハネ16と言うのは十分に軽い
スハネ16は台枠流用&冷房化の関係でそれほど軽くはないが、それでもス級になんとか収まっている
939 :
回想774列車:2009/08/16(日) 07:02:52 ID:TSaUoh5g
10系客車、いいね!
オハネは17だろ。あとオハネ10も知らん。
941 :
回想774列車:2009/08/16(日) 18:26:37 ID:TSaUoh5g
じんじんじん
>>936 当時の3等客車が32トンから35トンぐらいで当たり前だった時代、
同じ収容力で24トン未満まで切り詰めたんだから、立派に軽量だろう。
乗り心地と不燃対策は褒められたもんじゃないが。
943 :
回想774列車:2009/08/16(日) 21:02:57 ID:TSaUoh5g
じょっぱり!
このスレも糸冬了したな
マロニエ読本
花の都 パリ
糸冬了
このスレにも犯罪者が沸いている
ウジ虫が湧いてるのか?
949 :
ナハネ10:2009/08/17(月) 12:23:53 ID:YkkLzRNB
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|凵 | ̄ ̄ ̄|
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| | ̄ ̄ ̄ ̄| | | | | | | | | | | | | | | | | | | . |│ │|
| |____| |____| |____| |____| |____| |____| |____| |____| |____| |____| |_| |└─┘|
|凵 寝台 [長崎行] 寝台 | |
| | |
| ナハネ 10X |___|
|_________________________________________________________|___|
. ||_凡_‖__‖_凡_|| |_____|_|_____| [二二二] [二二] |____| ||_凡_‖__‖_凡_|| |__|
.(\画/)|璽||璽|(\画/) |_____|_|_____| |____| (\画/)|璽||璽|(\画/)
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950 :
オユ14:2009/08/17(月) 12:25:22 ID:YkkLzRNB
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EI!=-' └r幵┼ii┼幵:r┘|ニ ニ ニ |└l」 〔____〕|H| |l¨ ¨l| |「o|「 └r幵┼ii┼幵:r┘ `-=EI!
ゝ-'└''┘ゝ-'  ̄ ̄ ̄  ̄  ̄ ̄ ` ̄´ ゝ-'└''┘ゝ-'
犯罪者西クズ(=スレッドクラッシャー)確認
犯罪者西糞(=スレッドクラッシャー)確認
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
964 :
回想774列車:2009/08/18(火) 07:38:31 ID:Tf93gGpD
晒しage
10系軽量客車
なぁ、やめてくれないか?
10系軽量客車
968 :
回想774列車:2009/08/18(火) 07:50:47 ID:Tf93gGpD
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
ふざけるな
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
10系軽量客車
980 :
回想774列車:2009/08/18(火) 08:58:12 ID:Tf93gGpD
基地害晒しage
10系軽量客車
ふざけるな
基地害晒しsage
ふざけるな
ふざけるな
ふざけるな
ふざけるな
荒らしクン、毎日毎日よくまあ飽きずに独り善がりを続けているもんだ。
叩かれても叩かれても、ここまで粘着する根性は大したもんだ。
しかしまあ、こんなたかが2ちゃんの戯れ言如きに、毎日毎日かじり付く基地外の人生…。
なんか虚しくないんだろうかね。
そんな根性を他のことに使えば、もっと楽しく有意義に使えると思うんだがね。
まあ、“余計なお世話”だけどさ。
齢を重ねた時になって、自分の今の時代を振り返った時、2ちゃんにのめり込んでいた…
って、胸張って言えると思うかい?
人生は一度しかないぞ。今の時間はリセットは出来ないぞ。
よく考えてやってくれ。
国鉄10系客車(こくてつ10けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1955年に開発・試作し、その後量産した軽量構造の客車のグループである。
990 :
回想774列車:2009/08/18(火) 09:33:56 ID:Tf93gGpD
西クズに何言っても無駄無駄無駄
ナハ10形:三等車 1955年
ID:EKE29lUZをスレッドクラッシャーと断定、これより介入する
みんなで埋め立ててんの?
995 :
回想774列車:2009/08/18(火) 09:54:26 ID:Tf93gGpD
.───┐ ∠_ \L
 ̄ ̄ ̄| | llヽ _| ヽ
| | |l ̄| | l ドラえもん、スレ荒らしが自作自演だったんだって。ビックリするね。
| | / ´\ /
| | ヽ、_ `^イ
二二二 」 _ __ lニ二二l、 ____
─┴┐ ⊆フ_)__./ ┌ヽ ヽ┐ /´ `\
二二二二二二l / | | | |. / ヽ
_l_____| /`ー─‐|_| |_| / ヽ
| /`ヽ__, ─ 、ノ |─l l l
|───/ /lニ/ /二ニluul. | ! え?あたりまえじゃん?
| ___| ̄ | | |_|. l / 田淵の常識だよ。
└─( )(ニ|  ̄|./二ニ) ヽ /
 ̄ ̄ / ) >━━━━━━ く
`ー ´ / ヽ
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ナハ11形:三等車 1957年
ナハフ10形:三等緩急車 1956年
田淵は滅び去れ
西クズ、さっさと氏ね
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。