【富士山】静岡県自作事情150【合同トライアウト】

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34歳の働き盛りで仕事が面白いと思っていた時にいきなりニートになった、今年で20年が経過した
無職になった当初は平日の昼間働いていない罪悪感と職に付けない焦りで夜になるのが待ち遠しかった
その当時夕方にポンキッキーズをやっていて、オープニングテーマの「歩いて帰ろう」が流れると
(走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく 誰にも言えないことは どうすりゃいいの?おしえて)っていう歌詞
今日も何もしなくて一日終わった何もやれなかったっていう気持ちで涙がポロポロ流れてきた
職を失った事と次の職に付けない事の原因が親の行動に起因する事だったので親はなんにも言わなかった
毎日食事を出してくれて、社保から国保へ、厚生年金から国民年金へ、国からの請求書は全部払ってくれた
職安に行って解雇になった理由を話して職の斡旋を相談しても、「いやぁ、それはちょっと・・」という反応だった
何ヶ月か経過して、お金稼がないといけない、警備員のバイトに応募した、履歴書が速達で返却されてきた
その封筒を手にした時に頑張ろうとか何とかしようっていう気持ちが頭の中から抜け落ちた、もうどうでもいいと思った
昼間出歩いても何ともなくなった、気がつくと親とも誰とも会話してない毎日だった
買い物などの店員さんとの会話以外には誰とも一切口を聞かない日々、それがもう20年続いてる
両親も老いた、86歳と82歳、病院への送り迎え、掃除洗濯買い物洗い物、もう自分が居ないと生活が成り立たない
自分が先に死んだら公的な支援でどの程度の生活が出来るんだろう、先に死ぬことも出来なそうだ
夜寝る時に目が開いたらまた一日が始まるんだと憂鬱になる、明け方に心臓がドキドキして冷や汗をかいて目が覚める
両親を看取ったら、自分も、もう疲れたよ