【配線】皆の愛機の中を晒してね Part31【エアフロ】
彼女が家にやってきたのはいつ頃だったろう。はっきりと思い出せないけど、多分春。
まだ風が少しつめたいけど、暖かい日差しが降り注ぐ、そんな頃だったように思う。
――そうか、丸1年なんだ。
彼女はMaxtor DiamondMax 16 4R160L0。160GBというトンでもない記憶容量をもってるくせに、
人懐っこくて穏やかな性格の、我が家の倉庫管理人。
はじめて家にきたとき、僕の持ってる手鏡では彼女の全身を映すことさえままならず、
ATA133カードという姿見を急遽調達するはめになった。
ようやく彼女の頭のてっぺんからつま先まであらためて見てから、これからよろしく、とタイプした小さなファイルを渡したんだ。
彼女はきょとんとしていたように思う。
なにせ無限にも思えるくらいの記憶容量を誇る彼女にとって、それは何千分の一にもみたない小さなテキストファイルだったから。
それからわずか数日、彼女のめざましい働きぶりに、僕は感心を通り越して感動していた。
彼女は高音質の音楽ファイルでも、映像でも、思い出の写真でも、
そしてちょっとエッチな画像なんかも(これには顔を赤らめつつ)てきぱきと保存してくれたし、
必要とあらばさっと取り出してくれる。
いままで散らかっていた我が家のファイルたちはたちまち集められ、分類され、整然と並べられた。
どんどん詰め込もうが、彼女は余裕たっぷりにさばいてくれる。
春が過ぎて、夏になり、彼女は変わらず必要な全てのファイルを保ち、渡してくれた
秋になった。
彼女はごくたまに咳き込むことがあった。
それはよほど気をつけないとわからない程度の音。でも少し気になった。
彼女の管理してくれているファイルは数万に膨れ上がっていたがそれでも八割に満たない程度。
念のため医者に診せてもみたが、
白衣のチェックディスクさんはルーペを眼前にさらしながら問題なしとそっけない診察結果を返してよこした。
そう、彼女の働きぶりに変わりは無い。でもごくまれに、返事が遅くなることが会った。
なにか考え込んでいるんだろうか?
彼女に聞いても、いえ、そんなことありませんよ、と目をぱちくりして答える。
冬になった。
倉庫の奥のほうを探してきてもらうと、なかなか帰ってこない。そんなことが頻繁になった。
あい変わらず診察結果は良好だ。
でも、時折咳き込む彼女が、どう考えても健康だとは思えない。
それでも僕は普段は問題なく働く彼女に面と向き合えず、予想できる結果を先延ばしにしていた。
もちろんそんなごまかしは容易に崩れて、ある日、OSからはっきりと告げられた。
遅延キャッシュの書き込みエラー。そんな内容のメッセージはよくわからなくて。
でも彼女がもうこれ以上記憶できないことは明白だった。
彼女の思い出を消してはいけない。
大急ぎで僕は自分の持てる記憶媒体を総動員してファイルのコピーを始めた。
代替のHDD、CD-R、とにかくなんでも使って。
それは自分にとってそれほど必要でないファイルが大半だったが、
彼女が管理したというだけで、何が何でも取って置かなければいけない気がした。
途中途中で彼女の動きが止まることがあって、最初からやり直したりと、
随分と時間のかかる仕事になったけど、結局二晩かけてほとんどすべてのファイルを取り出すことはできた。
そして、作業が終わってすぐに、ふっつりと彼女は動かなくなった。
まるで自分のすべきことをやり終えたというように。
春になった。
冷たくなった彼女の中に、一つだけ取り出せないファイルが残った。
test.txtというそっけないタイトルは見えるのに中は開けない小さなファイル。
まるでこれだけは自分が持っていく思い出というように、彼女の中に残った。
これを渡したとき、彼女はきょとんとして、そしてはい、とうれしそうにしていたのを覚えている。
もちろん僕には中身を見なくてもわかる。
渡したときに言った言葉がそのまま1行書いてあるだけなんだから。