ほんとうに、ぼんやりとしたものなんだ。
それこそ朝靄の煙る白い坂を、、登っていっていて、
ーー気付いたらリリアン女学園の背の高い門をくぐっていたーー
そんな状態だ。
知っていたのは、知っていた。
小説版は、98年頃だろう?
噂は聞いていたが。。
手がのびなかった。
俺はそういうものをなんとなく避けていた
なんとなくというからには 意思ではなくて
めんどうだったからな いちいち新しいものにアレする必要性ってのが無かったし。
それが、あの忌まわしき浪人時代の到来だ。
そう、98年から。。98年?
俺の中学時代からだ。
いつも、すばらしいもの、かつ昔からあるものに出会ったとき、
「出会っていた自分」、「出会っていた他人」というものを考え暗鬱な気分になる。
あるいは、これが人体的フォーマットをもっていることから、
「そうであった自分」まで考えているのかもしれないが。いや、確実に考えている。
ともかく、高校時代は。。
無気力で、死んだ目をしていたので、
まったく自分で種をまくことはなかった。
ふいに落ちてくるそこここの実を栄養にしていたとはいえ。
そして、あの忌まわしき浪人時代。
いや、高校卒業時だ。
おれは、あらゆるメディア作品の寵児である、
この「高校卒業」というイベントをも、押しつぶした。
押しつぶさざるを得なかった。
俺だって、2度は無いという圧倒的な虚無感が全てを台無しにしてしまうとはいえ、
人並みに。。メディア並みにすばらしい卒業というものをしてみたかったが。
しかし乾燥したものだった。
俺は、その日、ちょっとした都市計画的珍事に遭遇したとはいえ、、
帰宅した、オレンジ色の日がさした、詩情あふれる状況の、
疲弊した室内という環境で、毎年何万人何十万人と、
「振り分け」をされていく卒業生達についてもやけながら鬱々としていた。
振り分けとは、メディア的か、乾燥かということです。
そして、あの忌まわしき浪人時代。
いろいろ初めての環境におかれたわけだ。
そしてあらゆるものが遮断された。
俺は泣き暮らしつつも、依存し、
そして開眼した。
俺はついに芸術の深さを知った!
おぼれることによって。
その夏、マリ見てが開始された。
俺には視聴は認可されなかった。
俺が初めてマリ見てを許されたのは。。
アパートに来て、テレビが届いた最初の夜だった。
そしてそれは最終回だった。
これが、聞くところの、マリ見てという代物か!
俺はビデオに録画した。それはまだ残っている。
誰が誰かだの、スールだの、ギガンティアだの、
知識は皆無だったが。。
俺はこのロリポップのようなあからさまさに、
植物のような愛しさと親しさを感じた。
そしてその親しさは、その、出会いの、
ただ一回で途切れてしまうものなのだと、
暗い気分で寝る前に、次の、
十兵衛ちゃん2最終回をも目撃して、
その意味不明な作画の気合いに胸おどらせ、寝た。
俺はそこで死んだ。
マリ見て〜春〜という。。
命綱が頭上から巻き降ろされるまで。。
あんな世界と、娘達が!
ひびき玲音女史の助力もあるとはいえ、、、
(無論、物理法則、歴史、遺伝子、天体、などなどを踏まえた上で。。)
基本的に紙とペンから産まれ出づるとは!!!!
しかし、これ以上の創造が可能でしょうか。
だってもう〜
女学園での百合だの姉妹だのくんづほぐれつ。。
そんなものにかなうシチュエーションなどありえないだろう!!!!!!
それを掴んだ今野さんはまったく。。
俺が作者なら志摩子さんは俺の娘であり人形であり分身であるわけだ!!!!!
そう、まさに、
現代版吉屋信子。
最高だ、ねたみだの、マイナス感情が微塵も無い。
今野さんは偉業を為した、それだけだ!!!
そして俺は梱包のかがやきに浴しながら長期間黒く眠る、、
梱包
今野さんは現実界の良きものをパッケージングしたんです。