>>677 非難されたらいけないのは何故でしょう?
自分の好きな事をして、その結果に評価が付くのは当たり前です。
否定的な評価が付く事も当然あります。
誰が見ても肯定的な万人から許される評価しか期待されない行為をしたのならそれは自分の好きな事をしたとはいえません。
万人に許される事をしただけです。
それをエゴとは言いません。
>>678 エゴによいも悪いも無いと思います。
都合がよいか都合が悪いかはあると思いますが。
都合がよい人には歓迎され、都合が悪い人には嫌がられるだけ。
行動する思考の根源が正しい事の為ではなく、自分の求めに従って動くならば都合が悪い人が現れた時で否定を受け入れる以外にありません。
万人を満足させる為にやった事ではないのだから。
自分の非難を逃れるにはいい訳しかない。
それか相手にも満足のいく条件を示すか。
自分の求めに基づき行動した人が自分のした事には何の落ち度もありません何てただの言い訳です。
もしも自分の為にした事を否定されたのなら。
そして否定されてもそれでも自分がしたい事だからと自分の求める事を押し通して始めてエゴだけどやったといえます。
誰からも歓迎される事しか望まない状況でエゴだけど受け入れてもらいたいというのはただの甘えですよ。
そのような状況で感謝の気持ちが芽生える事は無いでしょう。
何故なら自分のしている事は全面的に肯定しかされず、もし否定する人間を誤りととらえて拒否出来るのだから。
何ひとつ間違った事等していない何も憂いの無い人間が誰に感謝するのでしょうか。
こういう状況で人は褒めてくれる事をも望むものです。
正しい事をした事を評価してもらいたいと。それは感謝をしてもらいたいって欲求ですよ。
正当性の主張は間違った事をしてないから認めてもらう要求です。エゴではない。