>>272 催眠が治療で無いように、『異性とみなす事』や『手術』も苦痛緩和の為の治療とはいえないような内容。
治療として通っている事が不自然。
>「自我を変えずに苦痛を緩和する既存の治療を閉ざしたいがための否定暴論(自称アドバイス)を必要とする」
異性になりたい部分は自我ではなく願望です。
野球や女優になりたいと同じ。
そもそも苦痛緩和する治療なら社会に参加せずにカウンセリングを受けるだけで同じ程度の苦痛緩和になるはず。
異性を意識しないで済むのだから、性別の関係ない環境での生活。
それではあきたらず異性として生きると言う状況に拘ってそれこそが治療だと言うのは野球や女優になりたいと同じ願望。
苦痛を緩和したいんじゃない。異性になりたいと。
『苦しんでいる』から『異性になる』がつながっていない事が問題。
苦しいなら、治療、それは苦しさを和らげる為、カウンセリング。
それ以外の事をするのはお門違いでは?
後もし仮に異性になると言う事を肯定するなら誰でも異性になれる状況にしないとこれまた不平等の問題になります。
ここに書いてある子供のいる親もその対称だし、ただなんとなく異性になろうとする人も、異性の中にまぎれて性的欲求を満たしたい人も。
それは当然病気だからではなく人間はだれでも異性になれると言う理由。
『異性になれなくて苦しんでいる』以外の理由が無い人間を選別して特定のものだけは異性になる事を推し進めその他は拒否(選別)ではそのあいまいな基準にゆがみが出る事はなはだしい。
異性になれない事を悩んでいるという基準ならそうなります。
苦しむ事を何とかしたいとは別。