ネトゲ依存 人生を見失っていないか

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74マジレスさん
渇望の仕組みと構造、共同幻想の価値の序列、粋(いき)という、緊張をはらむ美意識
ttp://www.interq.or.jp/venus/yoshida/0529Kokorono-yami(4).html

90年当時は世界史上最高の貴族型消費と言われた。この時、大衆消費社会に特
有の価値序列ができあがった。一握りの人たちの贅沢であったものが大衆化した。
生活に懸命のときは価値序列が希求の対象になることは少なかった。世俗的価値
の共同幻想の世界が大部分の人に手が届くように思えた。これらに接近すること
が人生の成功とされ、共同幻想の成功序列が心に渇望構造としてプリントされた。
世俗的価値の階段の序列の最高ランクが満たされたとき、幸せや安定した充足が
あるのか?そんなものがあるわけがない。心の底ではよく分かっている。外形の
充足は幸せの幻であるとの意識は、明確にある。それは、ホンモノのゴールでは
ないと、みんなが了解している。じゃゴールとは?ホンモノとは?ここで、心の
分裂が起こり、亀裂する。
1)外形的な豊かさへの渇望は、至れない時の挫折感と嫉妬を生む。焦燥が住み
つく。
2)外形の豊かさでは満たせない内面的な幸福への渇望は、現在の生活がニセモ
ノであるとの意識を生む。現在が仮の人生になる。
こうして、物心両面での欠落感と焦燥感を抱え、多くの現代人が生きているよう
に思える。
豊かさや幸せが将来に投影され、透視図ができ、可能性が見えれば、仕事と生活
のエネルギーが生まれ、やる気と努力が生まれる。しかし、それがつかの間の豊
かさや充足の経験の気分として残るとき、方向を持たない不健康な焦燥、欠落感、
敗北感になる。自分の可能性や将来の成功と幸福に信念をもてない状態、自分で
は方向が設定できない状態のとき、心の世界では「依存や嗜癖」が生じる。
75マジレスさん:2007/05/02(水) 21:35:14 ID:NizfsgsQ
若い女性に多くみかけるブランドへの依存も「嗜癖(しへき)」とみることがで
きる。憧れのブランド商品(嗜癖のobjet)は、一旦手にすると目的に達したこ
との充足感が消え、ますます満たされない感覚が残る。そうするとさらに高価な、
または新しい、ほかの人がまだ持ってない次の商品に向かう。
企業の優れたマーケティングと商品開発は、意識的にこの渇望感、未充足感の自
己拡大を利用する。ブランド商品の3ヶ月から6ヶ月での新作の発表など。
ファッション・マーケティングが有効になる条件は、(1)顧客グループの中の他
の人が、新作であることを知っていること (2)他の多くの人がもっていないこと
(3)他の人も無理をすれば買える可能性があること (4)伝説があること。渇望感
を高めるには、商品は不足状態、または高価でなければならない。誰にもいくら
でも売るという裏が見えると、渇望は消える。

こうした欲望(嗜癖)の自動拡大装置を、現代人は内面に持っている。手が届き
そうで届かないものが、渇望と欲望の対象になる。
目的のモノを手にした瞬間に、充足が消え、不足感が拡大し、欲望がさらに拡大
する心の現象を精神医学では嗜癖とか依存と言う。一方ではこれが有効な創造的
なものへ企図されると、すばらしい会社ができる。
持てば持つほどより欲しくなる、満たされれば満たされるほど欠乏感が強くなる
対象は個性で異なる。これが経済のダイナミズム原動力。クロード・レヴィ・ス
トロースの「熱い社会」。

ここまで読むと不安が残る。欲望や渇望に支配されたらどうなるか?欲望の暴走
を押さえコントロールするメカニズムはあるか?
本稿を通じた結論のひとつは、日本人は誰でも感知できる「粋(いき)」の美意
識。耽溺や欲望の自己拡大、再生産は、無粋。「美」は沸きあがるエネルギーの
緊張を、醒めた意識で抑制するハーモニー。かすかに刷いた紅、媚態、抑制、ダ
ンディズム、宿命の受容。それが「いき」とされるものの構造である。
「いき」というときは欲望を自己コントロールできている。過剰から意図した距
離をとる媚態。嗜癖や依存、欲望に支配された状態は「いき」ではない。価値の
バランスが壊れている。
76マジレスさん:2007/05/02(水) 22:55:39 ID:NizfsgsQ
ttp://plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200702090000/
大量消費社会の到来は、消費に絶えずいざなうべく、新たな差異=モノ=記号の
産出による幻惑作用 ――― ベンヤミンのファンタスマゴリー(幻灯)論、
「主体(精神)−客体(物質)」の対立において、主体を無意識的に規定にして
いるとする、記号論的パラダイム(ボードリヤール)への転換 ――― の支配
する社会の到来である。

「熱い社会」では、日常生活そのものが「蕩尽」(使い尽くすこと)化し、絶えず
新しい差異が産出されて崩壊を先延ばししているだけにすぎない。


ファンタスマゴリー(魔術幻燈):
ttp://blogs.yahoo.co.jp/tetorarukia/archive/2007/04/09
ファンタスマゴリーとは、ある物体に光を当てたときにできる影を、スクリーン
上に巨大な化けもののように映し出す幻灯装置のこと。
「商品自体は必ずしも使用価値がそれほど高くないつまらないオブジェであって
も、商品市場というスクリーンに映し出されれば、化物のように拡大されて魔力
を発揮することもあり得る」
「私たち自身の欲望が、ありふれた商品に大きな交換価値を付与しているが、私
たちはそのことになかなか気づかず、商品のファンタスマゴリー的な魔力に翻弄
されているのである」


蕩尽:財産などを使い尽くすこと