私の人生

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363人生残悔
>>361
最近は人生相談板のなかの3,4板だけど、どれだかは今は言えない。
2chは1年くらい遠ざかっていたからね。前はギゴで2chを見てたけど
ウィルスを食らってPCを初期化したときギゴも消した。
当時はメンタルヘルス板とか、家電製品板だったな。
2chにいない時は、「教えて!GOO」で回答してたよ。半年くらいで、
336回、回答して、マスターポイント2140点。
364人生残悔:2006/01/24(火) 21:19:27 ID:yCG6i/FY
で、ここと並行してROM見が、「遺書を書きます」と「私は人殺し」。
「私は人殺し」は殺した側から見させてもらってたけど、殺した側への同情
票は実に少ないな。レスしてる人の意見はあくまで知らない世界への回答が
多いと感じたよ。見ていてあの板が釣りか?と思う面もある。
「遺書を書きます」は、板主の考えてることが?はぁ?何?って思ったよ。
釣りにしては内容が薄いし、マジなのかもしれないが、人生相談より医者
に行けと言っておきました。
365人生残悔:2006/01/24(火) 23:07:17 ID:yCG6i/FY
で、>>336 からの続き。
別「じゅんこ」に対しては初め後輩としての意識しか持っておらず、他の女の
人と同じように広く浅くの付き合いだったがある時期から私の意識が変わる。
しかし、それはまだ先の話し。社会人2年目の中頃、家庭の経済状況が激変し
た。父の経営する事業が綱渡りのような資金繰りになったのである。家庭内は
いつ倒産してもおかしくない父の事業に対するストレスのはけ口となり、その
被害者は常に母だった。私を含めて姉弟は常にそれを無視していたが、経済的
な危機からは逃れることはできなかった。父の会社の倒産は時間の問題だった。
そんな中でも、私は自分の世界と家庭を共有するつもりは無く私の収入は私が
すべて自分の為に使っていた。私は経済的に家庭を助けるということを全くし
なかったし、自分の将来の為に貯金をするということもしなかった。毎月の給
料は次の給料日までに必ず無くなり、不足分はカードで借金、ボーナスで返済
し帳尻を何とかあわせていたのである。収入の半分は社交に半分はギャンブル
で消費する。私の中の何かが狂っていた。私は人生において貯金をしたことが
ないのである。


366人生残悔:2006/01/24(火) 23:38:28 ID:yCG6i/FY
人生を計画し設計するという感覚が無かった。経済面、愛情面においての
人生の現実的な設計がいかに重要な事であるか、その後の人生でたっぷり
と思い知らされることになった。
社会人2年目の秋、家庭の経済的破滅への恐怖と無為な女の人との付き合
いの中で、遥かかなたへ去って行った「のりこ」への想いがある日突然こ
みあげてきた。彼女は郷里へ帰り一度も私に何の便りも無かった。私も、
彼女へ連絡することは無かった。それが別れたときの暗黙の了解だった。
しかし、一年数ヶ月して、私の心はこの不毛な生活に意味が無いことに気
がつく。過去の1000日の人生がなぜ未来に繋がらないのか、繋がらな
ければ1000日の意味が無いのではないかと、私は彼女に手紙を書いた。
「人生の過去と現在と未来を繋げたい。」
手紙は、住所に宛無し、と戻ってきた。私は彼女の弟の元尋ねた(彼女の
弟は大学生で私と同じ都市、そう元彼女のマンションに住んでいた)。
私は彼に彼女の行方を尋ねた。彼は彼女の住所を書いた紙を私に差し出した。

367人生残悔:2006/01/25(水) 00:00:06 ID:yCG6i/FY
住所、まるまる郡ばつばつ、名前 ○●のりこ。
名字が変わっていた。私は愕然とし、彼に「彼女は今幸せなんですね。」
彼は、「ええ、そうです。」私は、いったい、いつと聞くことはしなかった。
「もう意味が無い。」そう感じた。昔私の中で砕けた何かが、また砕ける。
私は、住所と名前が書かれた紙を彼に返した。そこに書かれていた文字を
覚えることは無かった。記憶の断片にも残らなかった。一年数ヶ月はそれほど
長い時間だったのか?もう遅すぎた?連絡しようとすれば今までいつでもでき
たことに、そのとき初めて気づく。不毛な時間と生活を続けていた事を悔いた。
その悔いはその後の人生の教訓にはならなかった。さらに不毛な人生を私は、
進んで過ごして行くことになった。
368人生残悔:2006/01/25(水) 00:44:01 ID:YuLrYLo4
しばらくして、私は体調を崩す。急性虫垂炎になった。即手術、無事成功。
私は特に金にこだわらなかったので、病室を個室にした。会社の上司、先輩
、同僚、後輩たちがお見舞にやってきた。入院3日目くらいで一通り見舞も
すみ、4日目あたりからは暇をもてあました。別れたCさんはほぼ毎日見舞
にきていた。何を考えていたのか私自身良くわからないが、私は「じゅんこ」
に電話して「イチゴが食べたい」と話していた。でも、「じゅんこ」は今日は
忙しいから見舞には行かないと言う、じゃ次ということで「ジュンコ」に電話
して、「今入院してるんだ」などと言う、「ジュンコ」は「え、知らなかった
、、」と軽い会話。私は今夜はだれもこないか、まあ、「ジュンコ」は来るだ
ろうと軽く考えていた。ほどなく、いつものようにCさんが見舞に来た。
毎日来るCさんに、少し心が痛む。やはりCさんは気立ての良い女の子だな、
と考えていた矢先、来ないはずの「じゅんこ」がイチゴを持ってやって来た。
病室の壁にCさんと「じゅんこ」が張付く、すごくまずい雰囲気、両者しばし
無言。しばらくして、「じゅんこ」イチゴを置いて帰る。Cもしばらくして
帰って行った。潜在的な三角関係だったものが一瞬で崩壊した。
369人生残悔:2006/01/25(水) 01:23:13 ID:YuLrYLo4
2人が帰った15分後くらいに「ジュンコ」が見舞にやって来た。人生なにが
起きるかわからない。もう15分「ジュンコ」が早く来ていれば、4角関係に
なっていた。結局、この時間差がその後の私の選択肢を混乱させた。3人が別
の時間帯に来ていれば、私の人生はやはり違っていただろうと考える。
私が退院して、やがて冬がきた。家庭の経済状況を壊滅に追い込む事態がおき
た。父の会社の経理係が一億数千万円を横領したと新聞にでかでかと出たので
ある。当然会社名は実名で出た。ただの一億数千万程度の損だけならまだ持ち
こたえられたが、新聞沙汰での風評被害深刻で会社の信用を無くし倒産した。
父の会社は私の勤めている金融機関とも取引があった。そして父の会社の取引
先の多くが私の勤める金融機関と取引をし、取引先の会社の多くは損失を出し
た。父は父、私は私のはずなのだろうが、世の中はそうは見ない。私は配置転
還され春昇進の時期、同期入社大学卒の中でただ一人、私に昇進はなかった。
私は営業店勤務から表に出ない本部コンピュターセンター勤務へ、しかも上司
は同期入社した奴、それから私は君ずけで呼ばれ仕事を指示されたのである。