327 :
人生残悔:
私の社会人の生活は、朝自分の車に乗り中島みゆきを聞きながら支店に出勤。
手始めは預金係りの定期預金担当、先輩女性(年下)から厳しく指導された。
その女性は仕事は厳しいがそれ以外は普通、まあできる女性の部類でした。
でも、私は同僚にある程度本気で「あの女が海で溺れていても俺は助けない」
と冗談を言っていたことを覚えている。皆もある面彼女に好感と同程度の嫌悪
感を感じていたようだ。職場は大学時代とは違う世界であり、そこで接する人
間たちも多様だった。学歴と年齢と立場の異なる人々が職場で決められたこと
を行う。職場での人間関係はどの職場でもある程度同じでるが個々にはその環
境と構成員で雰囲気が異なる。人間関係が上手く行けば職場での仕事も上手く
行く。そう当時は考えており、自分に最適な人間関係を構築していった。
同僚間では中心、先輩にはいい後輩、上司には真面目で明るい部下、仕事も
それなりにこなす。大学生活の最後の時期と比べれば社会人1年目の生活は
天国だった。毎日、話し相手、遊び相手に困ることなく過ごせた。なぜ?
そう表現するのか、それは続きで。
328 :
人生残悔:2006/01/21(土) 02:14:35 ID:D2MId7dB
職場が天国であると思えたのは、私の家庭で家族と過ごす事が何も楽しく
無かったからである。家庭では過去と比べて少なくなったが、DVは存在し
ており母は常に被害者でいた。子供である私と姉弟は、DVをずっと無視し
無干渉を続けていた。家族が全員揃って食事をするということは年3、4
回であり、それも儀礼的なもので食事中に楽しい会話など存在しない。
家族の団欒というものは私の家庭には無かった。親子間に親しみは薄く、
親子の情というものは当時私の側からは存在しなかった。姉兄弟の関係も
家族構成として姉私弟という関係であるだけで、TVに出てくる家庭での
通常の人間関係というものとは無縁だった。TVによくある冷たい関係の
家族に近いといえる。だから、私は家族の介在しない世界に幸福を求めた
のだろう、大学時代は家には寝に帰るだけであったし、それは社会人にな
っても同じだった。食事は家では一人で食べるが、外では常にだれかと一
緒だった。それが、同僚の男性、女性、先輩たち等職場の人々だった。
私はある意味、逆「引きこもり」だった。家と家の外の世界が逆なだけで、
私は、精神的には病んでいた。