224 :
人生残悔:
世の中でプロポーズをする場合、このような状況でそれをする人たちが何人
いるだろうか。その時の私には、それが適切かどうか等考えられなかった。
やり直せるなら、答えが同じでも別の機会にすべきだっただろう。
彼女は少しの沈黙の後、こう答えました。
「ごめんなさい、残念だけど、、、、できません。」
私は、言葉が出なかった。私の中で何かが凍りつき砕ける。
砕けたあとは、その破片が無残に散らばる。私の目は彼女を見ていたが
それまでの彼女ではない、彼女に似ただれか別の人を見ている気がした。
彼女も私を見ていた。彼女は話す、「私には両親を裏切ることはできない。
私、ずっと考えて悩んできたの、、、、わかってほしい」。
実際、事故というものが無くても、私と彼女には、お互いの結婚について
世の中によくある障害物(すべてはここでは話せない)がいくつかあった。
私は、しばし無言で「そうか、、、、」何かを言い彼女の部屋を去る。
225 :
人生残悔:2006/01/14(土) 16:01:17 ID:E5DeW3QD
部屋を出るとき、後ろで彼女がこう言う。
「あなた、今、死んでもいいと思っているでしょう。」
私は、部屋を出て彼女のほうを向き、「いや、、」と力なく言う。
「今日は帰るよ。」私は、マンションの廊下から下を見る。
3階からの眺めだった。真っ暗だった。しばらく見ていた。
もう覚えていないが、いつもの彼女への挨拶。「おやすみ」と
言い帰った。2人の間で「さようなら」という言葉は使わない
のが付き合い始めたころからのお約束だった。そのとき、彼女が
「おやすみなさい」と返答したのか「さようなら」と返答したの
か、覚えていない。だちらだっただろうか。
翌日、事故の相手はこの世を去った。
226 :
人生残悔:2006/01/14(土) 16:37:05 ID:E5DeW3QD
私の罪は業務上過失致死になった。ある意味救われたのかもしれない。
相手の人が一生涯植物状態であることが最も残酷な罰だっただろうから。
結局、相手の親は一人息子を失い、保険金5000万円位を得た。
私は、20歳以上であったが、実質的に罪を問われなく、処罰も無し。
でも、相手も私もお互いにとって唯一最高のものを失った。
彼女とは、それからもほぼ毎日会えた。彼女自身の気持ちが本心どうだった
のかは知るすべもない。変わらぬ愛なのか私を支えたいという同情なのか、
当時、それについて考えたこともなかった。私は大学4回生、卒業や就職に
むけて大事な時期だったから、やはり、支えてくれていたのだろう。
将来について、わたしは問題があっても何とかして行こうと彼女を説得しよ
うと話しあった。彼女も相当苦しんでいたのだろう、彼女にとっては私を取
るか、彼女の両親肉親を取るのか苦汁の選択だったのだろう。私の家庭はD
V家庭、親に対する恩や愛情の重みがわからない。彼女にはその重みがよく
わかっている。言えない条件でその両立は困難と私と彼女はわかり合ってい
たが、私はそれを乗り越えたかった。それを乗り越えるのが私の人生の唯一
の目的、生きている目的だった。
227 :
人生残悔:2006/01/14(土) 17:04:04 ID:E5DeW3QD
事故のことは、彼女しか知らない。大学の友人や部活の親愛なる後輩たち
には話していない。当時の大学内の交友関係は、合唱団での後輩の男女
5人と特に親しかった。当然私に彼女がいることは知っているので、彼女
たちも私もその手の感情(すくなくても私からはない)を抱くことなく、
食事をしたり、遊びに行ったり、サテンに行くことが多かった。
秋、彼らたちは私の翳りに気がついたが、彼女と上手く行っていないと
だけ話し、それで彼女、彼らは納得していた。無事卒論もでき、就職も
内定(地元の金融機関)していた。何も知らない人から見ればごく普通
の大学生だった。