164 :
人生残悔:
で、人生大学時代について語る前に、私の女性感について幼少期から
語ります。私の幼稚園時代(記憶はほとんどありませんがある範囲で)
家の隣に住んでいて同じ幼稚園に通う「けいこ」ちゃんと仲良しでした。
当時、私は彼女と結婚すると幼稚園児でありながら家族に話してした
そうです。(覚えてませんが、後に家族からそう聞かされた)
残念ながら、その子は私が小学校1年の夏休みに引越し、以後その消息
は知れません。私が小学校時代に好きだった女の子は「よし子」さん。
小学校5年と6年同じクラスでした。私はクラスでは馬鹿の部類でお笑い
キャラ、彼女は秀才、当然私のただの片思いでその思いを告げることも
無く、卒業。彼女は私立女子中学へ、私は近所の中学校へ、、、。
しかし、彼女の消息はわかるのです。なぜなら私の姉が彼女と同じ学校
(中学、高校と同じ女学校)だったので、定期的に姉の学校のアルバム
を通じて、何クラブに属し、同成長したかを写真で見ることができた。
もちろん、どこに住んでいるかもわかっていましたが、ある時期まで
人生の接点はありませんでした。 続く。
165 :
人生残悔:2006/01/05(木) 05:31:19 ID:Njm6Bs1r
小学校時代私はお馬鹿なお笑いキャラでしたが、中学進学時に変身を
試みました。思春期だから、単なるお笑いキャラではダメだと気がつ
いたのです。私は人気者キャラに自然に移行していきました。まあ、
中学校1年生ならお笑いキャラ=人気者ですから、人間関係は良好。
ただし、家庭はDV地獄。当時好きな女の子は「よりこ」さん。
交際を申し込んではいなかったので全く相手にされなかった。
しかも3学期に転校、さらに、「よりこ」は別の男と仲良しで勝負
あり、負け。変なもので、こんな私も転校しますとクラスで発表が
あったその日に、眼中に無かったほかの女の子からコクられました。
でも、転校してしまったのでお付き合いは事実上無し。転校がなけ
れば結構楽しい中学生活となったと思います。残念です。
転校先の中学生生活では2年のときに連れと2人で同じクラスの女
の子2人と1度ダブルデートしたくらいで以後特に何もなし。
166 :
人生残悔:2006/01/05(木) 05:49:29 ID:Njm6Bs1r
中学3年は特に女の子関係は全く無く、高校へ進学します。
高校は公立高校(結構偏差値は高い)男女共学、しかも私服通学。
とても自由な高校でした。ただ、家庭DVの心理的影響か、第2
思春期なのか女の子に対してはあまり積極的な行動もなく普通の
高校生でしたね。女の子に急激に興味を抱いたのは高校3年の
修学旅行の時、違うクラスの女の子がたまたた旅行の電車で向い
の席にすわり、トランプを2人でしてから急にその子のことが気
になりはじめた。その子は「みわこ」、振られました。さらに、
その子は、私が好きであるということを学年中に宣伝していった
ので高校生活はやや辛いものがありましたね。高校生活は終わり
いよいよ大学時代がやってきます。
167 :
人生残悔:2006/01/05(木) 06:08:27 ID:Njm6Bs1r
私は心理学か教育学を専攻したかった。なぜなら、DV家庭という
自分の状況を学問的に分析理解したかったからです。しかし、努力
が嫌いな私の学力では心理学部のある大学には通用しません。当然
1浪、レベルを下げて並の下くらいの私立大学で社会教育学を専攻
することになります。浪人の間に車の免許を取り、やや裕福だった
経済状況から大学1年生でありながら自動車で通学、当時の社会的
学生の経済レベルではかなり高買ったと言えます。家庭DVさえな
ければ、バラ色の人生と言えたでしょう。高校であまり女の子と話
すことが無かったので、その経験から、どうすれば仲良くなれるか
を学習しそれを実行。それは、相手は自分のことを知らないのだか
ら、明るくやさしい人を演じ(演じなくても本質がそうだから)れ
ば、相手は警戒を解き、ああ、この人はこういう人なのだと思わせ
ることと経済力を利用し懐柔、相手がこちらをアッシー君、メッシ
ー君と思っていてもお構いなし、下心は無いと相手に思わせること
で女友達は多かった。
168 :
人生残悔:2006/01/05(木) 06:22:51 ID:Njm6Bs1r
さらに、交友関係を深める為に部活に入る。当然女子の多数いるクラブ
です。混声合唱部に入りました。大学1年生の夏、彼女ができました。
彼女は「のりこ」さん、短期大学(私の大学は4年制と女子短大が同じ
キャンパスでしたから部活は同じ)でした。彼女とは4年間お付き合い
が続くことになりますが、終局は悲劇的でした。それは後談。
169 :
人生残悔:2006/01/05(木) 06:50:04 ID:Njm6Bs1r
それは、大学1年生も終わり、春休み3月のある日のことでした。
彼女も休みの間は郷里に帰郷していたので、家で何気なく新聞の
夕刊を呼んでいたときです。女子大生自殺の記事が3面にのって
いました。そして自殺した人が小学校時代あこがれの「よしこ」
さんだったのです。飛び降り自殺、、、、、。
私は愕然とするという経験を始めて味わいました。私はすぐに、
小学校の卒業名簿を手に取り1度も電話したことのない当時の
「よしこ」さんの友人に電話をしました。相手はお久しぶり?
なぜという反応を示しましたが、「○×新聞を取っていますか」
「○×新聞を見てください」と言い、、無言。相手も新聞を見て
一瞬絶句。 葬儀は○×年3月21日。私は行けませんでした。
行けなかったことと、生きている間に「よしこ」さんに何らかの
形で逢えなかったことが、人生残悔のひとつです。
死んでしまった人とは2度と逢えない、生きている間に何か連絡
でもできていればお互い違った人生だったのではと思います。