善とか悪とか所詮人間に都合のいい

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26 ◆nswvqFUMEI
他スレで、辛味屋という糞コテが、私に対してこう言った。
「生きる上で欠くべからざるイデオロギーや信念といったものまで否定したとしても 、真のフリーラジカルな魂などと言うのはありえない」 と・・・。
何の脈絡もなく、こういう台詞を吐いた意図が分からなかった。

その謎が、このスレを読んで判明した気がする。
まあ、俺の思い込みかもしれんが、俺は確かに>>1とよく似た主張を各スレで展開した過去がある。

>>1が言ってるのは、ある意味当然のことだ。
原罪云々の話を抜きにしても (普通の善悪の基準に限定しても)、時代・国・地域によって善悪の基準などでコロコロ変わるものだ。
絶対的真理や基準には成り得ない。
そもそも俺は、宗教の戒律にも否定的な人間だから尚更だね。
(続く)
27 ◆nswvqFUMEI :2005/05/26(木) 16:55:22 ID:AQ3FCUQT
(続き)
ただし>>1にも問題点はある。
否定するだけで、その先が見えないからだ。
我々はこの社会で生きているのだから、社会のルールには従う必要があるし、そもそも本物だろうと偽物だろうと、その基準が無ければ社会は無法地帯と化すであろう。

否定するだけでなく、替わりの基準を>>1は持っているのか?
俺は持っているよ。
絶対的な真理かは別にして、私個人に限定すれば、「自己観照を通じて、内なる仏性の声に従う」 「ただし社会のルールに反しないために、折り合いも付ける」 となる。
禅宗で言う中空竹や、チベット密教で言う聖狂気がそれに近い。