【人格】魔王の相談室*34 byキスミ【研鑚】

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405ケムマキ
考えて自分なりの答えが出た。
結局、判断するのは個々の脳であるということ。
美しいと思う自分がいるから、美しいのだ。って結論に達した。
例えば超天才の作曲家が今までの音楽の常識を根底から覆すような曲を作った
とする。(そういやモーツァルトもはじめはあんなの音楽じゃないって言われた
みたいだし)当然初めて聴く人には理解できない。それはその人の脳がそういった
情報の処理に慣れていないからだ。金龍さんはなんか
>より多くの味覚的経験を積んだ者、即ちラーメンに関して「よく見た者」の多くが
>認める魅力的アスペクトであるなら、そのラーメンはたとえ現在の支持者が少なか
>ろうと、美味いラーメンだと言えることになる
これは社会的に共有の価値観ってことになるんでしょう。美的判断や善悪の問題は
言語化できるものじゃないので、言語化可能な領域についてのみしか評価できない。
しかし、自分がうまいと感じているのと他人がうまいと感じているのが同じだという
のは確認の仕様がない。赤でも同じように見えていると言い切ることはできない
でしょう。そんで、天才音楽家の話に戻るけど、誰も理解できないとして、時間
をかけて少しずつみんないいと判断できるようになるとして、それはあくまで
個々の脳が情報処理に慣れた結果であり、それが一般に共有の評価となっても
言語化できる範囲の薄っぺらいものでしかなく、感覚的な部分まで一致するかどうか
は確認の仕様がない。(同じこと言ってしまった)
そんでいいと思えるようになった奴がいて今度はそれが天才作曲家の意図した
通りだとは限らない。意図というか、そいつが感じたいいと同じとは限らないし
むしろ違うだろう。天才作曲家の意図したとおりの曲の良さはその天才と同じ
脳を持って来るしかないってことになり、つまり個々の判断
美しいと思う自分がいるから、美しいのだ。
って結論に達した。