364 :
金龍:
もうここまで書けば結論は容易だ。「美味」の判断も美的判断の一種だ。
優れた判断というのは、現在の多数派、つまり現在の一致を必ずしも必要とはしないが、
それでも根本的には最終的な「人間の一致」を予定してる。
「人間の一致」こそが判断、アスペクト選択の優劣を決する本質ということだ。
「よく見た者」とは人間の一致を先取りする者、つまりは一人でありながら
多くの人間の経験を自分の中に包括した者。
論理学や数学でクワスのような問題が起きないのは、まさに強力な「人間の一致」が可能な規則によって
その根本が支えられてるからだ。最小限の規則の組み合わせのみで全体が構築されるから揺らぎが少ない。
しかし美のように新たなアスペクトが登場するサイクルの早い分野では、一時の一致も長続きしにくい。
ただ、それでもより多くの視点を先取りし、「よく見た者」の判断は優れていると言い得る。
審美的な判断に続いて、ものの善い/悪いという価値的判断がある。価値的判断に関して
「よく見た者」なら、より普遍性の高い価値基準を持ち、多様な価値に寛容な、
いわゆる「器の広い人間」となる。多様な人間の経験を内部に包括しているわけだからこれは当然だ。
「器の広い人間」という言葉が世の中で実感を持って語られてる以上、そういう優秀さはあるってことだ。
人の優秀さに関する判断ならそれらよりはさらに幾分「よく見た者」の優位が顕著だろう。
で、結局何かを評価する基準というのは、客観的・主観的を問わず、対象をより多くより広範な
視点・観点からの「見え姿」「思え方」の集合として取り纏め、多くの人間の経験を内部に包括し、
「人間の一致」を先取りし代表することのできた「よく見た者」による判断であること、
またはその「よく見た者」が集合の全体から抽出した自らの判断を近似する規則のことを言うわけだ。