日本には元々「愛」と言う言葉が存在しなかったそうだ。
キリスト教圏の人間が好んで使う「愛」を・・・・・。
その理由は俺には分からない。
ただ俺の想像で言うなら、
愛とか思いやりに該当する行為は、
日本人には「当たり前のこと」として認識されていたのではないか?
あまりにも当たり前すぎることだから、
敢えてそんな言葉を使う必要は無かったのかもしれない。
旧約聖書をベースにした宗教を深層心理に深く刻み込んでいる国&国民は、
同時に罪の意識を強く持っている。
すると無意識的に、その罪を相殺したいという欲求が生じる。
そこに大きなヒントがあるような気がするのだが、
俺はまだまだ結論が出せない状態だ。