1 :
兄:
俺の家は貧乏だった。父親は俺が物心ついた時からいなくて、
体の弱い母親だけで俺と妹二人を育ててくれた。
児童福祉手当とかが出ていたけど、収入が低いから生活は本当に貧しかった。
当然、働き手が無いから俺が中学卒業と同時に型枠大工になって
家計を支える事になったけれど、それでも未成年の有職少年の給与などたかが知れている。
アパートの家賃、母親の病院・薬代、妹達の学費や家族の生活費に、殆ど消えて無くなった。
仕事を始めて3年半年位経った時、母親が倒れた。
元々体が弱かった事と、心労が重なったあげくの脳溢血だった。
倒れてからわずか数日で母親は逝った。
取り残された俺達兄弟は、これからどうしたら良いのか迷った。
父親が昔に粗相をしでかしたらしく、親戚には縁を切られているので誰も頼れない。
頼れたらあんな暮らしをしていなかっただろう。もう少しましなものを食べていただろう。
施設に預けようかとも思ったけれど断った。正直、母親の医療費が大きかったので、
それが無くなったら俺の収入でやっていけると計算出来たからだ。
それから妹達の面倒を俺が全部引き受ける事になった。二人共、まだ中学1年だった。
さすがにあいつ等も貧乏な中で育っているから、我が儘を言う事もなかったけれど、
アパートの家賃・学費・食費、直接税は軽減されているとは謂え、間接税は容赦なく
家計を圧迫した。家族は誰も嗜好品を嗜む余裕など無いので、
殆ど食べ物や公共料金にしか出費しなくてもだ。
俺は学が無いからいろんな所で馬鹿にされた。着飾った同年代の奴等は、
いつも作業着姿の俺の事を、それはもうゴミ虫を見る様な目で蔑んだ。悔しかった。
こんな思いを妹達にはさせるものかと、どうしても進学させたかった。
でも、私学にはとても入れられない。ギリギリの生活だったが、それでも年間200万円は
生活に消費されたから、俺が働いた収入から差し引いて考えても
二人共公立高校でないと入れてやれなかった。
2 :
兄:02/09/09 02:33 ID:jv/WLMIV
塾になど通わせてやれる訳も無いので、学の無い俺が独学で勉強を教えた。
自分が一度は学んだ事だから、当時の教科書を何度も読み返してだから適切では無かったかも知れない。
しかし運良く、二人共公立高校に合格出来た。俺は嬉しかった。天にも昇る気分だった。
あいつ等もなんとか高校に通いながら働き、家計を助けてくれたので、
それからの俺達兄弟の暮らしは幾分ましになった。
そして幾年か時が流れ、家庭を構え、こんな俺でもインターネットに辿り着けるまでに暮らしが向上した。
そうしたら、高卒は低学歴だと言う奴等が居る。許せない、俺にとって妹達は誇りだ。
あいつ等だって遊びたかっただろうに。短大や大学に進学だってしたかっただろうに。
他の裕福な家庭に生まれた子は、働きもしないで服や食べ物を買って貰えるというのに、
それを偲んで18歳で就職して働いている妹達を馬鹿にする奴等が居るのはどうしても納得出来ない。
人にはそれぞれ事情があるんだ。どうやったってこれ以外に選択枝が無かったんだ。
俺達がどれだけの我慢や悔しい思いをしてきたのか判る奴はいるのか。
俺達を低学歴だと馬鹿にする奴等は、一体どれ程偉いというのか。
生まれてくる所は選べない。なのに何故こんな理不尽な仕打ちを受けるのか。