A.カミュ『シーシュポスの神話』〜人生とは?

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A.カミュ『シーシュポスの神話』、打ち込みます。
感想、寸評、その他キボンヌ。
21:02/08/31 00:34 ID:JAprSPdv
神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山
の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達する
と、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。無
益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たし
かにいくらかはもっともなことであった。
31:02/08/31 00:36 ID:JAprSPdv
ホメーロスの伝えるところを信じれば、シーシュポスは人間たちのうち
でもっとも聡明で、もっとも慎重な人間であった。しかしまた別の伝説
によれば、かれは山賊をはたらこうという気になっていた。ぼくはここ
に矛盾を認めない。かれが地獄で無益な労働に従事しなければならぬに
いたった、その原因については、いろいろな意見がある。まず第一にか
れは神々に対して軽率な振舞いをしたという非難がある。神々の秘密を
漏らしたというのだ。あるとき、川の神アソポスの娘アイギナがユピテ
ルに誘拐された。父親は娘がいなくなったのに驚いて、このことをシー
シュポスに陳情した。この誘拐の事情を知っていたかれは、コリュント
スの城砦に水をくれるならば、事実をアソポスに教えようといった。
41:02/08/31 00:39 ID:JAprSPdv
天の怒りの雷電よりも、かれは水の恵みのほうを選んだのである。このた
め、かれは地獄で罰をうけた。ホメーロスはまた、シーシュポスは死の神
を鎖でつないだという話をぼくらに伝えている。冥府の神プルートンは、
自分の支配する国に誰一人来なくなり、すっかり静まりかえったありさま
に我慢がならなかった。かれは戦争の神をいそぎ派遣して、死の神を、そ
の征服者シーシュポスの手から開放させたというのだ。また、ある説によ
れば、シーシュポスは瀕死の床で、不謹慎にも妻の愛情を確かめようと思
った。かれは自分の亡骸は埋葬せず、広場のまんなかに捨てておくように
と妻に命じた。死後シーシュポスは地獄におちた。そこでかれは、人間的
な愛情をひとかけらも見せず、ただ言いつけにしたがうだけであった妻の
振舞いに腹をたてて、妻をこらしめるために地上に戻る許可をプルートン
から得た。
51:02/08/31 00:41 ID:JAprSPdv
しかし、この世の姿をふたたび眺め、水と太陽、灼けた石と海とを味わ
うや、かれはもはや地獄の闇の中に戻りたくなくなった。召還命令や神
々の怒りや警告が相ついでも、すこしも効果がなかった。それ以後何年
ものあいだ、かれは、入り江の曲線、輝く海、大地の微笑をまえにして
生きつづけた。神々は評定を開いて判決を下さなければならなかった。
使者としてメルクールスがやってきて、この不敵な男の首をつかみ、そ
の悦びから引きはなし、刑罰の岩がすでに用意されている地獄へとむり
やりに連れ戻った。
61:02/08/31 00:43 ID:JAprSPdv
シーシュポスが不条理な英雄であることが、すでにお解りいただけただ
あろう。その情熱によって、また同じくその苦しみによって、かれは不
条理な英雄なのである。神々に対するかれの侮蔑、死への憎悪、生への
情熱が、全身全霊を打ちこんで、しかもなにものも成就されないという、
この言語に絶した責苦をかれに招いたのである。これが、この地上への
情熱のために支払わえばならぬ代償である。地獄におけるシーシュポス
については、ぼくらはなにひとつ伝えられていない。神話とは想像力が
生命を吹きこむのにふさわしいものだ。このシーシュポスを主人公とす
る神話についていえば、緊張した身体があらんかぎりの努力を傾けて、
巨大な岩を持ち上げ、ころがし、何百回もの同じ斜面にそれを押し上げ
ようとしている姿がえがかれているだけだ。
71:02/08/31 00:44 ID:JAprSPdv
ひきっつたその顔、頬に岩を圧しあて、粘土に覆われた巨魂を片方の肩
でがっしりと受けとめ、片足を楔のように送ってその巨魂をささえ、両
の腕を伸ばしてふたたび押しはじめる、泥まみれになった両の手のまっ
たく人間的な確実さ、そういう姿が描かれている。天のない空間と深さ
のない時間とによって測られるこの長い努力のはてに、ついに目的は達
せられる。するとシーシュポスは、岩がたちまちのうちに、はるか下の
ほうの世界へと転がりおちてゆくのをじっと見つめる。その下のほうの
世界から、ふたたび岩を頂上まで押し上げてこなければならぬのだ。か
れは平原へと降りていく。
81:02/08/31 00:46 ID:JAprSPdv
こうやって麓へと戻ってゆくあいだ、この休止のあいだのシーシュポス
こそ、ぼくの関心をそそる。石とこれほど間近に取り組んで苦しんだ顔
は、もはやそれ自体が石である!この男が、重い、しかし乱れぬ足どり
で、いつ終わりになるかかれ自身ではすこしも知らぬ責苦のほうへとふ
たたび降りていくのを、ぼくは眼前に想い描く。いわばちょっと息をつ
いているこの時間、かれの不幸と同じく、確実に繰返し舞い戻ってくる
この時間、これは意識の張りつめた時間だ。かれが山頂をはなれ、神々
の洞穴のほうへとすこしずつ降ってゆくこのときの、どの瞬間において
も、かれは自分の運命よりたち勝っている。かれは、かれを苦しめるあ
の岩よりも強いのだ。
91:02/08/31 00:47 ID:JAprSPdv
この神話が悲劇的であるのは、主人公が意識に目覚めているからだ。きっ
とやりとげられるという希望が岩を押し上げるその一歩ごとにかれをささ
えているとすれば、かれの苦痛などどこにもないということになるだろう。
こんにちの労働者は、生活の毎日毎日を、同じ仕事に従事している。その
運命はシーシュポスに劣らず無意味だ。しかし、かれが悲劇的であるのは、
かれが意識的になる稀な瞬間だけだ。ところが、かみがみのプロレタリア
ートであるシーシュポスは、無力でしかも反抗するシーシュポスは、自分
の悲劇的な在り方をすみずみまで知っている。まさにこの悲惨な在り方を、
かれは下山のあいだ中考えているのだ。かれを苦しめたにちがいない明徹
な視力が、同時に、かれの勝利を完璧なものたらしめる。侮蔑によって乗
り超えられぬ運命はないのである。
101:02/08/31 00:51 ID:JAprSPdv
このように、下山が苦しみのうちになされる日々もあるが、それが悦びの
うちになされることもありうる。悦びという言葉は言いすぎではない。ぼ
くはもう一度想い描こう、シーシュポスは自分の岩のほうへと戻ってゆく、
そして、はじめはそれは苦しみであった。あの地上のさまざまな映像があ
まりにも強く記憶に焼きついているとき、幸福の呼びかけがあまりに激し
く行われるとき、悲哀が人間の心のなかに湧きあがることがある。これは
岩の勝利だ、いや岩そのものだ。かぎりなく悲惨な境遇は担うにはあまり
に重すぎる。これがぼくらのゲッセマネの夜だ。しかし、ひとを圧しつぶ
す真理は認識されることによって滅びる。オイディプスの場合も同じだ。
11サルトル:02/08/31 00:51 ID:V/yqhV1h
うるせえよ糞ウヨが。
121:02/08/31 00:52 ID:JAprSPdv
オイディプスは、はじめはそれと知らずに運命にしたがう。かれが運命
を知った瞬間から、かれの悲劇ははじまる。しかし、まさにその同じ瞬
間に、盲い絶望したかれは、自分をこの世界につなぎとめる唯一の絆が
若い娘のみずみずしい手であることを知る。このとき、途方もない言葉
が響きわたるのだ、「これほどおびただしい試練をうけようと、私の高
齢と私の魂の偉大さは、私にこう判断させる、すべてよし、と」。ソポ
ークレスのオイディプスは、ドストエフスキーのキリーロフと同じよう
に、不条理な勝利をこのように定式化するのだ。古代の叡智が近代の英
雄的姿勢と合致する。
131:02/08/31 00:54 ID:JAprSPdv
不条理を発見したものは、だれでも、なにか「幸福への手引」といったものを書
きたい気持ちになるものだ。「え、なんだって、そんなに狭い道をと通ってだと
……」だが、世界はひとつしかない。幸福と不条理とは同じひとつの大地から生
まれたふたりの息子である。このふたりは引きはなすことができぬ.幸福は不条
理な発見から必然的に生まれると言っては誤りであろう。幸福から不条理な感情
が生まれるということも、たしかにときにはあるのだ。「私は、すべてよし、と
判断する」とオイディプスは言うが、これは[不条理な精神にとっては]まさに畏
敬すべき言葉だ。この言葉は、人間の残酷で有限な宇宙に響きわたる。すべては
まだ汲みつくされていない、かつても汲みつくされたことがないということを、
この言葉は教える。この言葉は、不満足感と無益な苦しみへの志向をともなって
この世界に入りこんでいた神を、そこから追放する.この言葉は、運命を人間の
なすべきことがらへ、人間たちのあいだで解決されるべきことがらへと変える。
141:02/08/31 00:56 ID:JAprSPdv
シーシュポスの沈黙の悦びのいっさいがここにある。かれの運命はかれの手に
属しているのだ。かれの岩はかれの持ち物なのだ。同様に、不条理な人間は、
みずからの責め苦を凝視するとき、いっさいの偶像を沈黙させる。突然沈黙に
返った宇宙のなかで,ささやかな数知れぬ感嘆の声が、大地から湧きあがる。
数知れぬ無意識のひそやかな呼びかけ、ありとあらゆる相貌からの招き声、こ
れらは勝利にかならずつきまとうその裏の部分、勝利の代償だ。影を生まぬ太
陽はないし、夜を知らねばならぬ。不条理な人間は「よろしい」と言う、かれ
の努力はもはや終わることはないであろう。ひとにはそれぞれの運命があるに
しても、人間を超えた宿命などありはしないし、しかもその宿命とは、人間は
いつかはかならず死ぬと言う不可避なもの、しかも軽蔑すべきなものだと、不
条理な人間は判断している。
151:02/08/31 00:58 ID:JAprSPdv
それ以外については、不条理な人間は、自分こそが自分の日々を支配するもの
だと知っている。人間が自分の生へと振向くこの微妙な瞬間に、シーシュポス
は、自分の岩のほうへと戻りながら、あの相互につながりのない一連の行動が、
かれ自身の運命となるのを、かれによって創りだされ、かれの記憶のまなざし
のもとにひとつに結びつき、やがてはかれの死によって封印されるであろう運
命と変わるのを凝視しているのだ。こうして、人間のものはすべて、ひたすら
人間を起源とすると確信し、盲目でありながら見ることを欲し、しかもこの世
には終わりがないことを知っているこの男、かれはつねに歩みつづける。岩も
またころがってゆく。
16組曲 ◆t1N.Kj8U :02/08/31 00:58 ID:6QZWbOSk
いつまで続くの?
171:02/08/31 00:59 ID:JAprSPdv
ぼくはシーシュポスを山の麓にのこそう!ひとはいつも、繰り返し繰り
返し、自分の重荷を見出す。しかしシーシュポスは、神々を否定し、岩
を持ち上げるより高次の忠実さをひとに教える。かれもまた、すべてよ
し、と判断しているのだ。このとき以後もはや支配者をもたぬこの宇宙
は、かれには不毛だともくだらないとも思えない。この石の上の結晶の
ひとつひとつが、それだけで、ひとつの世界をかたちづくる。頂上を目
がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに十分たりうるのだ。
いまや、シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ。
181:02/08/31 01:00 ID:JAprSPdv
打ち込みました。感想キボンヌ。
19マジレスさん:02/08/31 01:02 ID:andLrtUT
みんな!!
1は夏休みの宿題を誰かにやらそうとしている!!
罠にかかるな!!!
201:02/08/31 01:04 ID:JAprSPdv
ちがうよ、純粋に感想をキボンヌ。
211:02/08/31 01:12 ID:JAprSPdv
YahooBB218133112071.bbtec.netrlo
22 :02/08/31 01:12 ID:hU7tt1qV
タレントのセインカミュっはカミュの孫だって!
驚いた
23YahooBB218133112071.bbtec.netrlo :02/08/31 01:16 ID:JAprSPdv
では
24.:02/08/31 01:19 ID:RtuCdoO9
>>22
あ、知ってる知ってる!
似てるのかな??
25ゆっき〜:02/08/31 01:42 ID:NtNl5+Yy
オーロラエクスキューション
26 :02/08/31 03:11 ID:+NW7retg
タイピングの練習ですか?
27マジレスさん:02/08/31 07:44 ID:Bj4SU8rr
>>1
イマイチ趣旨がつかめないですが哲板の人ですか。
ドストエフスキー解釈とか自殺論に持ってくつもり?
28ハンガリー:02/08/31 07:54 ID:gIUrIq4V
それよりもっとわかりやすいところかけ。

カフカ論のところでの、

有能な精神科医が水たまりで、つりをしているキチガイ患者に対し
医者「釣れますかな?」と聞いたところ
患者「バカいっちゃいけない。これは水たまりじゃないか。」といった。


「不条理」とはそういうことでらしいです。

これおもしろいよな。


29マジレスさん:02/08/31 08:13 ID:Bj4SU8rr
>>28
つまり 『不条理な人間』 とは
こんなところで救いなんか得られるわけない(生活)
などと思いつつもここから離れないというおろかな人々のことを云う。・・・で良いか?
30 :02/08/31 08:23 ID:Ekmb+AWE
この板のオナニー野郎は、いつも笑わせてくれる。
死ぬまで人生板でセンズリこいてろ。
311:02/09/05 05:20 ID:bLmytCSn
>>28
カフカ自身が精神分裂病でしたね。
だから、『城』を書き上げる事が出来たんでしょう。

>>29
「離れられない」のではなく、自らの意思で「離れない」のだと思います。
それを「おろか」と判断するか「覚醒している」と判断するかは、お任せします。

>>30
あなたも、ある意味で不条理な人間ですね。
自覚が無いだけです。
32代理番犬U゚Д゚Uチワワ:02/09/05 05:24 ID:nN6w9Fwq
また気が向いたら、読んで見ますねU゚Д゚U
今日は、眠くて、ツカレテルスィ、無理っぽいです(なに(´Д`;)
331:02/09/05 05:28 ID:bLmytCSn
>>32
ごめん。ageるつもりは無かったんだけど、sageを書き忘れました。
34馬鹿が:02/09/05 06:54 ID:6Pap1G6R
>>31
「離れない」と書いてあるじゃん。
351:02/09/05 11:54 ID:9lpQaLLe
>>34
読み間違えました。>>29さん、ごめんね。

>>34
「馬鹿が」さん、これから君の目の届かないような下に行くよ。
36 :02/09/07 05:00 ID:OHx3bE0q
カミュの名前を見ただけで
涙がこぼれそうになる俺
37 :02/09/07 07:47 ID:DWI5iLZ1
>>36
俺も
3870%紅茶 ◆e9NlGozk
 私自身の国語力不足のためいまいち何がいいたいのかわからないですけど、
シーシュポスの岩運びに関して私の意見を書きます。

 人が毎日を生きていく上で「繰り返し」というものをさけられないものだ
と思う。寝る、食べる、働く、すべてが「繰り返し」だ。人が生きるという
ことは「繰り返し」に他ならない。
 では、その「繰り返し」のさきに何らかの到達点を見出すことができるだ
ろうか、否、その先に何かが待っているなどということは決してありえない。
 芸術家が作り上げた彫刻も、科学者が発明した機械も、決して到達点など
ではありえない。それらは時の流れの中においてはシーシュポスの岩でしか
ないのです。
 人生の中における到達点などは決して、ないわけです。
 思うに到達点というものを求めて、あがくことこそ、人間の不幸の始りだ
と思います。人は今ある自己を眺めて「すべてよし」ということさえできれ
ばそれでいいんじゃないでしょうか。