>>935 おまいは空腹の辛さを知らんからそんな事が言える。
水かけご飯はいわばおかゆ。ガスを使わないおかゆ。
おかゆにしたら通常の1/2の米で同じ満腹感が得られる。
中居だけかと思ってた水かけごはん...
939 :
通行人:2005/06/23(木) 19:03:32
魚肉ソーセージの薄切り3枚のみ
醤油につけながら
ご飯1杯は食えたな
940 :
やめられない名無しさん:2005/06/23(木) 21:58:42
お湯にうめぼし&おかかと醤油で、即席吸い物。我が家の定番。とろろバージョンのときも、あり。
941 :
やめられない名無しさん:2005/06/24(金) 11:25:18
学校から帰ったら、家で飼っていた
鶏が井戸端で解体され、大きなお皿のうえに
卵が連なったやつとかゲテモノっぽいものが並んでいて
贅沢だが食べられなくなった・・・
ある日は父親が闇で?チョン部落に行って豚肉をいっぱい
買ってきた。しかし料理には豚の毛がうじゃうじゃ浮かんでいて
食べられなかったな〜
ええ、立派に三姉妹大きくなりましたとも・・・
アテクシなどヤマテソースの中濃をかけてご飯をかっ食らっておりましたわ
ある瀬戸内地方の昔のお話
沢庵一枚で、普通にご飯二膳食ってた
スレの趣旨から外れてすまそ。
まだ漏れと弟が小さかった頃、お袋がきのこ(しめじとか)の炊き込み御飯作ってくれた。
「今日はマツタケ御飯だよー」とお袋が言うので
「マツタケ御飯だ〜!マツタケ御飯だ〜!」と弟と喜んで遊んでたら、
お袋が真剣に怒り出したのはどうしていいものかと。
父の仕事の都合で東京に住んでいた時、夕飯がブロッコリーにマヨネーズをかけたものをごはんに載せたものだった。
そのほかにも母が父の職場の寮の寮母?を強制的にやらされていたらしく、そこから持ってきたらしいおかずが小さな小鉢1つを母と弟、自分と3人で食べることもあった。
話を聞くと父の会社じたい安月給+母の給料が4万前後(s60年代の話)だったらしく、カツカツの生活だった、と。
実家に帰ってきて米と野菜が当然にある生活っていいなぁ、と思った。
その後地元に帰った母は調理師になった。今は自分が料理担当だけど、当時のような食事を用意したらきっと殴られる。
朝:明太子か、ふりかけご飯
昼:食パンにジャムかマーガリン
夜:モヤシと挽肉の炒めもの
貧乏じゃないですか・・・そうですか
20 才です
946 :
やめられない名無しさん:2005/07/03(日) 11:53:53
漏れが餓鬼の頃とか、近所の土手に生えているツクシとって
きて食べてたけど、今だと高級旅館とかで出されるんだって?
あと、田んぼでイナゴ取りして食べたのも懐かしい。。。
947 :
やめられない名無しさん:2005/07/03(日) 15:45:06
おにぎりといえば塩のみ。
海苔が巻かれていたり、具が入ってるとごちそうだった。
948 :
やめられない名無しさん:2005/07/03(日) 16:02:54
うち、貧乏じゃないから貧乏話できるのがうらやましいや。
松っちゃんもチキンライスの歌つくって自慢してるし。
でも、貧乏にはなりたくないけど。
貧乏自慢はしたいな。
949 :
やめられない名無しさん:2005/07/03(日) 16:40:01
>>935 同和奨学金のみ、貸与でも税金で肩代わりしているのが実態。
950 :
やめられない名無しさん:2005/07/03(日) 17:02:56
Mちゃんは大人ぽくて目立つ子でした。よく厨房が待ち伏をかけてお母さんが
パンツの中に隠して持って帰ったおつまみの残りを食べて胸が大きくなった
と下着を脱がしたりビールを飲ましたりして虐めていました。
元々そいつらの妹が集団でMちゃんを虐めていたのだけど。
Mちゃんは料理も裁縫も得意だったけど担任の先生が「育ちが悪いから」と
馬鹿にするので家庭科の時間はわざと下手にやってました。
そんな環境で育ったのにMちゃんは努力家で本が好きな子でした。
担任が推薦した子ではなくMちゃんが密かに出した作文が読書感想文の
コンクールに入賞した時先生は「片親」で「小学生に見えない」Mちゃんが
学校の代表では恥になるとMちゃんに辞退をさせました。
あたしが風邪を引いている時家に来ておかゆを作ってくれたMちゃん。
でもあたしは母にMちゃんとは遊んではいけないと言われてMちゃんを裏切って
しまいました。
もしMちゃんが生きていればいいお母さんになったと思います。
Mちゃんあぼーんなの?
953 :
やめられない名無しさん:2005/07/06(水) 20:30:26
>941
そういえば、鶏モツの「キンカン」(卵が連なったやつ)って
30数年喰ってないな。
子供ながらに、「卵の素?」と思っていた。
954 :
やめられない名無しさん:2005/07/06(水) 21:34:59
>>953 あれってマジで卵の元なの?
今日たまたま職場でその話題が出たんだけど
中途半端な田舎な俺にはよく分からなかったw
学生の頃、お昼はご飯だけ頼んでテーブルに置いてある
七味と醤油をかけて食べてた。周りの連中がいつも変な目で見てたな。
956 :
やめられない名無しさん:2005/07/08(金) 00:41:44
>>954 そうだよ
たしか卵管かなんかにある卵
だったきがしるよ
肉といえばスジ。魚といえばアラ
そんな時代もあった
>>813 フェリー乗り場のカップ麺て
安売りのときの4倍ぐらいしそうだが
自分には生まれたときから母親しかいなかった。
精肉工場で働いていた母は、切れ端のような肉片を結構な量
もらって帰り、それが自分と弟の晩御飯のオカズになっていたの
だが、米や野菜を買う余裕がなかったらしい。
いつも、少しの御飯と、お皿一杯の雑多な肉炒めという食卓だった。
白い御飯はもちろんだが、果物をお腹一杯食べたいといつも思っていた。
今にして思うと、本能的な部分で他の栄養を求めていたのかもしれない。
このスレで、自然のモノを食べていたおかげで健康だ、という
話をお見受けしたが、自分はまさに正反対。弟と二人で
しょっちゅう風邪をひいたり、腹痛を起こしたりしていた。
今は30歳を前にして痛風を患っている。
それでも、当時は、その環境が当たり前だと思っていたし、
母にはとても感謝している。
ただ、自分は肉をみると貧乏だった子供の頃を思い出す
という話が、周囲にあまり理解されないのは少々残念だ。
保守
子供の頃の土曜、日曜の昼御飯は、豆腐に醤油をかけぐちゃぐちゃに
潰しただけのものを、暖かいごはんに乗せて食べてた。それで1食。
実は今もたまに食べたくなる..。
久しぶりに来たけれど身にしみるね。
今でもおじやをたまに作って食べているが、
他の痛みを分かり思いやりを持ち、純粋に感謝できる人間であり続けたい。
963 :
やめられない名無しさん:2005/07/26(火) 20:36:00
964 :
やめられない名無しさん:2005/07/27(水) 00:44:46
965 :
やめられない名無しさん:2005/07/27(水) 03:19:43
今だにステーキがごちそうな俺。34才
966 :
やめられない名無しさん:2005/07/27(水) 03:35:49
しんみりするな、ここ
>>813 フェリーで旅行するわけでもなく
ただ深夜便のあるフェリー乗り場で暖を取る為に
待合室に居る状況が手に取るようにわかります
白黒テレビからは、紅白歌合戦なんて流れてるともっと悲しくなりますね
私が小学校3年の時母が再婚した
義父は優しかったのは半年くらいで
母も私もよく殴られてた
義父は私たちが自分より先に晩ご飯を食べることを許さず
しかも遊び好きで帰ってくるのが毎日10時過ぎ
いつも私は晩ご飯食べながら居眠りしてたなあ
あるとき母がインスタントラーメンを大量に買ってきた
どこで買ってきたのか今となっては覚えていないが
大きなビニール袋に包装もされていないラーメンがいっぱい入っていて
スープの袋は別の小さいビニール袋に入っていた
義父が帰るまでにお腹を空かせた私に
ラーメンを半分に割って作ってくれてそれがすごく美味しかった
969 :
やめられない名無しさん:2005/07/27(水) 18:30:29
家の前の花をぶちぶちむしって、3人の子供が一心に蜜を吸う。
きょうぐらい、働こうかという気になってきた。
970 :
やめられない名無しさん:2005/07/27(水) 22:47:31
>>965 ステーキなんてごちそうどころか食ったことねぇw
っつーか、肉そのものをしばらく食ってない…orz
最後に食ったの十日以上前じゃねーかな…
971 :
やめられない名無しさん:2005/07/28(木) 14:41:49
白いご飯に塩をかけて食べていた。
この平成の世の中で、弟は給食費を払うように先生に言われて帰ってきた。
両親は離婚した。
仕事もせず、暴力を振るうあの男には絶対にもう一生会うことはない。
>>972 最近はお中元で買わされた素麺ばかりだが何か
~~~~~~~~~~
定価で売りつけんな!クソメーカーが!
その辺のスーパーに行けば半額じゃねーか!!!
974 :
やめられない名無しさん:2005/07/28(木) 23:59:58
>>971 (,,゚Д゚) ガンガレ!
どこに住んでいるのかしらないが給食費は役所にかけあえ。
平成の世の中は子供への手当が充実しているから利用しろ。
975 :
やめられない名無しさん:2005/07/29(金) 02:41:47
実は今の日本って贅沢しようと思わなければ、かなり住みよいはず。
なので
>>971は
>>974を読め。
人生30年以上生きてるけど、多分死ぬまでウニを口にする事はないだろうな。
ここのスレを前からROMってて思い出した記憶。
今は父さんが頑張ってくれるお陰でそこそこ良い暮らしをしている。
けど、昔はほんとに貧乏だったよ…。肉たまにしか食べられなかった。お魚はイワシだったよ。
メロンに思い出あって…。もちろんメロン買えるお金なんてなかったよ。田舎の団地に住んでて、父さんまた学生
やってすぐあとの就職だったから本当に金なかった。なのにすぐにお酒に消えてた。でもその頃から
メロンが好物だったんだ。理由は野菜を買ってた安い八百屋さんで、優しかったおばちゃんに
「試食のメロン食べてみるかい?」と言われて、食い意地はってたガキの私はお皿に乗ってたメロン
全部食べちゃったんだ。本当に美味しかったんだと思う。母さんは恥ずかしかったらしいが、
おばちゃん…また出してくれたんだって。まだそのお店覚えているよ。
今メロンをとるとき、必ずそのお店からとっている。父さん立派になったんだよっておばちゃんに言いたい。
あの時だだこねて食い意地はってたガキは、困ってる人を支える職業になる為に頑張って勉強してるよ。
あの時いろいろよくしてくれたおばちゃんに感謝したい。
子供たちがおいしそうに食事するのをみてると
幸福感がひたひたと胸にせまってくる。
親も、必死で食べさせてくれたんだな〜と今にして思う。
今、贅沢しすぎなんで、初心に戻ろうと思うよ。
ヤマテソース中濃がけごはん奥
978 :
やめられない名無しさん:2005/08/22(月) 01:18:26
もうどうでもいいくらい古いれすだけど
379 :やめられない名無しさん :04/06/03 09:06
私は幼少のみぎりより飽食三昧で、不味いと言う事がどういう事か今だ理解出来ず、
そのため美味しい事の素晴らしさや感謝を知らないまま大人になってしまいました。
うそだと思うなぁ。
うちは母方の農家で育ったけど、親父は県下では名の通った板前、
母はその親父にも認められるくらいの包丁捌きの人だった。
野菜も米も自家製。港町だったから魚は魚屋か一般向けの市場で買ったのでものすごくうまい。
いま、社会人になって、よほどのところで食事しない限り、どれもまずくて
困るよ。酒なしで1食8000円以下程度の食事でうまいモンなんてほとんどない。
結局自分で自炊しないと耐えられない生活になってる。昼も自分で弁当。夜も自炊。
仕事の付き合いとかで3日も夜に外食が続くと、ものすごいストレス。
安い料亭の食事とか、創作料理とか、見てくれだけの居酒屋とか、心のこもってないすし屋とか
>>978 どちらもネタだろうけれども凄いな、
単に亜鉛不足なだけかもしれない。
981 :
やめられない名無しさん:2005/08/22(月) 02:28:04
>>980 家の親父は食べ物はなんでも大事にする人だから、漫画の何某とはだいぶ違うけどね。
>>979 普通に本気で書いたけど。結局自炊が一番うまい。
>>981 申し訳ない、どっちもコピペだと思ったもので。
東北人の自分は貧乏舌だからな…米と水だけは
煩いんだが、確かに愛は最高のスパイスなりか。
984 :
やめられない名無しさん:2005/08/22(月) 20:48:54
>>978を読んで、高校のときのツレを思い出したよ。
俺らは結構いきがってて、かっこつけて一ちょ前の悪さと化してたんだけどさ、
そのうちの一人のうちが、やっぱり親父さんが板前で、おばさんの料理が神のように
うまいのね。で、そいつ、どんなに遊び歩いてても、二日に1度は晩飯家で食うのね。
昼飯も買い食いは絶対しなくて、全部おばさんの弁当。
母さんの食事しないとダメなんだ、みたいなこと言ってて、俺らは散々マザコンて
馬鹿にするネタに困らなかった。ある意味うらやましかったよ。本当に。
俺のうちなんて外で買い食いしたインスタントのほうがよっぽどうまかった
「貧乏が恥でないことはわかっていますが、大した名誉でもありませんな。」
小学校低学年の頃、両親が離婚して母親に引き取られたんだけど、
やっぱり母子家庭で生活は苦しかった。(S50代後半〜S60代前半)
ある日ごはんしかない、おかずがない、そんな状況になってソースをかけただけのご飯を食べた。
貧しかったけど、母親と一緒にいることが幸せだったのかもしれない。
今は、私が社会人になって何とか母親と妹を養っている状態だけど、
食卓で家族が揃っている事は幸せなんだと今実感している。