twitterみんな鍵かけちゃってつまらないなー
アカウント変更した人もいるみたいだしぃ
妄想のきっつい婆は相変わらずオープンで垂れ流してるけど
暗いのに弥助さんよくがんばったと誉めてあげたい
ちなみにねこさんはベージュのおっさんコートだったよね
※目撃談あり
ついでにねこさんたぶん三田線ユーザー
ねこさんて巻上だよね?
マジストーカーやってんのか?
本店の周りはうろついてるみたいだね
移動したんじゃなかったの?
本人乙
本人厨も
お仲間思いのフォロワーさんかもしれないね
>>228 黒川委員長のネクタイ、サウスパークかと思ったけどちょっと違うみたいね
なにか皮肉ってつけてきたのかと思った
読売310来なくなっちゃったね
今朝の会見には来るかと思ったんだけどな
佐藤、日曜日きてたよ。またチェックの寝間着みたいなので。
結局さぶりんなのか違うのかどっちなんだよー
わかめと話してる時の手の動かし方
あれはさぶりで間違いない
ふぁんならケツみりゃわかるんじゃないの?
おしどりの胸垂れすぎwww
意外と巨乳でビックリ
え、あれで巨乳・・・
236ってきょぬーなんだろなあ
どうして国会事故調の黒川委員長は変なネクタイをしてくるのか
かわいらしくていいではないか
それよりも変なネクタイしてるヤツがいるじゃないか
誰?
地図記号とか?
熊さんネクタイがやっぱ最強だね
孫からプレゼントとか(孫いるのか知らんが)。
なんかズレてるとしか思えん。
アメリカン的な感覚なのかしら
まあネクタイなんて何でもいいと思いますけどねぇ
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/09(水) 21:33:34.64 ID:Ar7zy1Fc
家に帰ったら、iwakamiyasumi2を開きっぱなしだったPCで
西澤社長がしゃべっててびっくりした。っていうか今しゃべってる。
「社会の信頼は落ちるところまで落ちてますので」わかってんじゃーん
国会事故調の記者会見で、2人目の質問のとき
七尾さんが木野さんになにか耳打ちしてから
上杉さんの隣席に帰ってほほえんでるのが気持ち悪いです
七尾さんは木野さんのことえらく買ってるよね
保安院の司会吉澤さん辞めてた
後任人事出たのに本人の人事が出ないからおかしいと思ってたんだ
一年足らずだけど広報の仕切りや検証よくやってたなあ
新規制庁に行くのをよしとしなかったのかな
今日保安院長会見でキレてた朝日新聞は大鹿か?
東電に来てた木村といい、なにをかりかりしてるのかね。
材料がないから原稿が書けないのか。
25日にあった畑村会見はどこも中継してなかったのか
面白いのにちゅまらない
テレビでちょこっと流れただけだね
それだけ世間の興味は薄れてしまったということなのか
畑村先生面白いのにねー
これ朝まで続けんの?
どれのこと?
テレ朝がいい声で波状攻撃をかけてくる
ちょっとうるさい
大飯のテレビ会議システムを今見せてもらい中だよ。ニコ生。
牧野会見まで暇だから。
保安院に、こぼりんが来ていたよ
今日で原子力安全委員会も、原子力安全・保安院も終わり
こういう日くらいニコ生中継してもいいのに
規制委員会のブリーフィングやってた
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/29(土) 13:40:19.02 ID:eYuCZJVq
愛知の同朋高校、文化祭で「福島県に実家がある」と言った高校生の入場拒否
ソースは、ツイッター
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/26(月) 17:58:16.59 ID:o3UoQ8cY
東日本大地震に引き続いて発生した福島第一原発の事故は、日本の歴史に巨大な爪痕を残した。当時、菅直人首相の下で官房副長官を務めていた
福山哲郎氏は、本書において当時の官邸の動きについての克明な記録を残している。これは、後々まで参照されることになる一級の資料となるで
あろう。政治家は過去ばかりでなく、未来にも責任を持つ。それでは、震災後の官邸は、未曽有の原発危機にどのように対応したのか。われわれ
国民が想定していた以上に、官邸は原発事故の深刻さに緊迫していた。最悪の事態へと発展すれば、東京にまで被害が及んでいただろう。3月11
日の深夜、「燃料被覆管破損」と「燃料溶融」、いわゆるメルトダウンに至る深刻な危機が発生した。張り詰めた空気の中、現場は直ちにベント
をして、爆発を避けるために圧力を逃がす決断をした。しかし、東電本店はそれを許可しない。菅首相は直接現地に赴き、吉田昌郎所長に指示を
出す形で、ベント実施へと動かしたかった。菅首相の現地視察が、仇となった。それだけではない。海水注入により冷却化を目指していた所長の
指示に対して、本店は官邸に配慮してなかなかその決断ができない。本書によって、官邸にいた東電元副社長の武黒一郎フェローが、その中断を
求めていたことが明らかとなる。現場が重要な決断を行いながら、本店が幾度となく壁となる。菅首相は、困難な状況で決死の対処を続ける現場
に厳しく指示を出し、責任を持って事故に対処するよう告げた。それはまさしく、政治主導であった。しかし同時に、現場は繰り返し「政治主導
の混乱」に苦しむ。官邸の外にいると、その実態がよく分からない。分からないまま、東電・保安院に対する批判が続いた。本書はそれに対する
有効な証拠となる。後の歴史は、いくつかの重要な決断を行った東電や当時の野党に対して、より正しい評価を与えるかもしれない。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 17:51:45.26 ID:jk1wOr/A
あげ
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN ID:hegdVtvb
p
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
\(^o^)/