スイスの民間防衛に出てくるスパイ活動そのまんまのピースボート
http://nokan2000.nobody.jp/switz/page04.html 国民をして戦うことをあきらめさせれば、その抵抗を打ち破ることができる。
軍は、飛行機、装甲車、訓練された軍隊を持っているが、
こんなものはすべて役に立たないということを、一国の国民に納得させることができれば、
火器の訓練を経ることなくして打ち破ることができる・・・・・・。
このことは、巧妙な宣伝の結果、可能となるのである。
敗北主義−−それは猫なで声で最も崇高な感情に訴える。−−諸民族の間の協力、
世界平和への献身、愛のある秩序の確立、相互扶助−−戦争、破壊、殺戮の恐怖・・・・・・。
そしてその結論は、時代遅れの軍備防衛は放棄しよう、ということになる。
新聞は、崇高な人道的感情によって勇気付けられた記事を書き立てる。
学校は、諸民族の間との友情を重んずべきことを教える。
協会は、福音書の慈愛を説く。
この宣伝は、最も尊ぶべき心の動きをも利用して、最も陰険な意図のために役立たせる。
>>7 ずいぶん貴重な情報をもってるようだな。
で、高遠さんはいくらもうけたんだい?
反核平和の火リレー:炎に願い託して 長崎・平和公園を出発 /長崎
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000201-mailo-l42 県内を一周して平和や反核を訴える「反核平和の火リレー」が20日、長崎市
松山町の平和公園をスタートした。28日まで県内と佐賀県の一部の241区間
約390キロを約600人がつなぐ。
リレーは82年、米国の中距離核ミサイルの欧州配備に反対する運動の
盛り上がりを受け、広島で始まった。長崎では、県平和運動センター青年女性
協議会などで作る実行委の主催で、85年にスタート。ギリシャから贈られ、
長崎市で燃え続けている「ナガサキ誓いの火」から採火した火をつないで
「核も戦争もない平和な世紀に」と訴える。
この日は原爆投下時刻の午前11時2分に黙とうした後、ランナーがトーチを
手に国道206号を北上した。昨年の最終ランナーで、今年は第1走者となった
長岡千代美さんは「核や平和を改めて考えるきっかけになれば」と話した。
【横田信行】
7月21日朝刊
(毎日新聞) - 7月21日17時40分更新
戦後60年:平和への思い新た 鹿児島で原爆慰霊式−−遺族ら80人出席 /鹿児島
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000221-mailo-l46 終戦60年の節目に、広島・長崎への原爆投下で亡くなった県出身者を追悼する
つどいが20日、鹿児島市山下町の県民交流センターであった。遺族や被爆者ら
約80人が出席し、平和への思いを新たにした。県原爆被爆者協議会(地頭所
正人会長、950人)の主催。
式では、地頭所会長が「戦争のない平和な世界をつくることが最大の供養」と
述べた。続いて、98年の慰霊碑建立後新たに亡くなった223柱を含む998柱の
名簿を奉納し、黙とうした。
広島県庁に勤める父を42歳で亡くした中川久子さん(63)が遺族を代表して
あいさつ。「60年の長い年月の間に、多くの人が病と後遺症に苦しみながら
亡くなった。核兵器の恐ろしさと廃絶を訴えてきたが、各国がいまだに核兵器を
製造し、保持していることに憤りを感じる。生き残った者の使命として恒久平和と
核廃絶を訴え続けたい」と語りかけた。
県内の被爆者健康手帳取得者は3月末で1407人、平均年齢は約75歳と
高齢化が進む。現在、認定申請を却下された県内在住の7人が、国に対し
却下処分などを求めて鹿児島地裁に提訴している。式では記念講演として
森雅美弁護団長が認定基準のあり方について話した。
【高橋咲子】
7月21日朝刊
(毎日新聞) - 7月21日17時50分更新
硫黄島で都の戦没者追悼式 遺族「日本を見守って」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000158-kyodo-soci 太平洋戦争で激戦地となった小笠原諸島・硫黄島(東京都小笠原村)で21日、
都主催の戦没者追悼式が行われ、遺族ら約50人が参列、冥福を祈った。
硫黄島には1945年2月に米軍が上陸、日本兵2万人余りが戦死したとされる。
都の追悼式は戦後60年となる今年で23回目。「鎮魂の丘」で行われた式で、
遺族代表の栗田猛さん(67)=大田区=は「平和な日本を戦禍やテロに遭う
ことのないよう、この島から見守ってください」と述べた。
また「日本の礎として多数の同胞が犠牲になった史実を次の世代に語り継いで
いくことは、わたしたちの重要な使命」とする石原慎太郎知事の式辞を都幹部が
代読した。
遺族らはその後、摺鉢(すりばち)山などの戦跡を回り、慰霊碑に水を掛け、
手を合わせた。
(共同通信) - 7月21日18時27分更新
若手集い、平和話し合う パグウォッシュ会議前に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000145-kyodo-soci 核兵器と戦争の廃絶を目指し、世界の科学者が討議する「パグウォッシュ
会議」の第55回年次大会が23日に広島市で開幕するのに先立ち、平和に
向けた活動を探ろうと、10代から30代の若手の研究者による「ヤング・
パグウォッシュ会議」が21日、同市中区で始まった。
会議には米国やロシア、パキスタン、中国などの核保有国に加え、
日本やイランなど10数カ国から約40人が参加。
2つのワーキンググループに分かれ、核不拡散や持続可能な開発について
意見を交わすほか、被爆者の体験を聞く予定。2日間の日程で、22日には
会議をまとめた声明を発表する。
(共同通信) - 7月21日17時24分更新
アインシュタインの手紙:故篠原さんとの往復書簡に「核廃絶メッセージ」 /広島
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000287-mailo-l34 ◇寄贈受けた原爆資料館、展示に活用の方針
原爆開発を巡り、海を越えて激しい論争を交わしたアインシュタイン博士
(1879〜1955)と哲学者の故篠原正瑛(せいえい)さん(1912〜2001)の
往復書簡。広島市の原爆資料館に寄贈された20日、関係者は「手紙は
核廃絶への2人からのメッセージ」と話した。【田中博子、堀江拓哉】
広島国際会議場(中区)での寄贈式後の会見で、篠原さんの友人で元東京都議
の高山真三さん(68)は「読めば読むほど、哲学者と物理学者の激烈な論争。
しかし、その中で、人間対人間の友情が生まれた」と評した。畑口実館長は
「被爆60年で、特殊相対性理論発表から100年。ラッセル・アインシュタイン
宣言から50年。節目の年の寄贈に、偶然以上の意味を感じている」と感謝し、
展示に活用する方針を明らかにした。
篠原さんは戦前、ドイツに留学、日本語教師などをした。現地で終戦を迎え、
連合国軍に抑留された後の49年に帰国。在野で哲学研究に取り組んだ。
「僕らはごめんだ―東西ドイツの青年からの手紙」(光文社)などの著作がある。
1952年、言論雑誌が博士へ送った公開質問状にかかわったことを契機に、
篠原さんは翌年手紙をしたためた。手紙について、篠原さんは「保存に適した
場所に寄贈すること」と遺言。遺言作成にかかわった佐久間豊弁護士が
ドイツなどを含めて寄贈先を探していた。遺族が寄贈先を探しているという
6月の毎日新聞の報道をきっかけに、大学など11の施設、団体が受け入れを
希望した。
遺族らで話し合った結果、原爆開発に携わった博士への手紙で、毎年8月6日
に篠原さんが広島を訪れ平和記念式典に参加していたことなどから、同館への
寄贈を決めた。
7月21日朝刊
(毎日新聞) - 7月21日17時20分更新
平和祈念資料展示室:開設1年機に展示替え 血のり付いた千人針も−−船引町 /福島
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000108-mailo-l07 ◇遺族会が呼び掛け、新たに70点
戦死者の遺品などを遺族が持ち寄った田村市船引町の平和祈念資料展示室
が20日、開設1年を機に展示替えした。新たに「血のりの付いた出征千人針」
など約70点を展示。遺族会は「戦後60年の今、国が戦争を起こさないように
皆で考えよう」と呼び掛けている。
展示室は昨年8月、「田村市(旧船引町)遺族会」(佐々木勝義会長)が
「戦争で家族を失うのは、私たちが最後にしてほしい」という願いから、戦争の
悲惨さを訴えるために開設された。
それぞれの遺族が保管していた軍靴や水筒などの遺品や召集令状(赤紙)、
戦地と家族との手紙など約230点を展示。開設約1年で約2000人が訪れ、
新たに遺品の展示を申し出る遺族も目立った。1938年に兄が中国で戦死した
荒井三重さん=田村市船引町芦沢=は、今回の展示替えで兄の遺品「血のりの
付いた出征千人針」の展示を申し出た。千人針は、出征する兵士に「弾よけ」を
願って家族や知人が贈るもの。兵士が生きて戻って来るには、1000人の女性が
一針ずつ縫い1000個の玉を結ぶのが良いとされ、当時は近所を回ったり、
街頭に立ち千人針を縫ってもらう光景が見られたという。
荒井さんの兄は、腹部に千人針を巻き戦い、弾を受け千人針に血のりが付いた
とみられる。戦地から遺留品として送られてきたという。
父が中国で戦死した鈴木正一・田村市遺族会副会長(64)は「戦後60年たって
戦争が風化してきているが、国の犠牲になって家族が死んでいったという遺族の
思いを受け継いでいってほしい」と話している。
展示室は午前9時〜午後5時(月、火曜日休み)。入場無料。問い合わせは
田村市教委船引教育分室内(0247・82・1133)へ。
【福沢光一】
7月21日朝刊
(毎日新聞) - 7月21日16時16分更新
“がんばれイラク”電波に乗せ 左京の全盲男性 市民の現状紹介
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000034-kyt-l26 点字原稿を読み、イラク市民の現状を放送する河内谷さん(京都市中京区・
京都三条ラジオカフェ)
京都の全盲の男性がイラク市民の暮らしぶりや平和を求める取り組みを、
ラジオ番組「がんばれ!イラク市民ラジオ」で紹介している。イラクの市民団体を
取材して情報を集め、パーソナリティーとして点字原稿を指でなぞりながら放送。
「紛争やテロの情報ではなく、私たちと同じ市民の日常の姿を伝えたい」と意気
込んでいる。
左京区の河内谷收さん(28)。毎週月曜午後9時から3分間、京都市中京区の
コミュニティーFM局・京都三条ラジオカフェ(FM79・7MHz)で放送している。
これまでに現地で市民の手でラジオ局がつくられたことや広く市民が参加する
平和組織のできたことなどを報告。若者の娯楽や女性の人権問題も伝えていく
予定という。
自身、視覚障害者として苦労することが多かったといい「イラクでは私以上に
生きることすら困難な市民がいる。そんな現状を広く知ってもらいたい」と情報
発信を計画。視覚障害のためラジオが最も身近なメディアだったことから、
5月初めから番組を始めた。
イラク関係の講演会に足を運び、市民団体発行の新聞を知人に読んでもらって
情報収集する。先月は講演のため入洛した現地の市民組織「イラク自由会議」の
サミール・アディル議長に直接インタビューも敢行した。
自らパソコンで原稿を書き、特殊なプリンターで点字原稿にして放送で読み
上げる。聞きやすいよう、NHKの放送などを参考に、アナウンスの練習もしている。
今後も当面は放送を続けたいという河内谷さんは「平和的に国づくりを目指す
イラク市民を京都から支えたい。いずれイラクの市民ラジオ局と放送で交流したい」
と夢を語る。
(京都新聞) - 7月21日14時39分更新
戦争を知らない親子へ 市民グループが絵本展 仙台
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000010-khk-toh 戦後60年を機に親子で戦争について考えてもらおうと、「いま子どもに
手渡したい平和の本―戦争と平和を考える絵本展」が22日から仙台市
泉図書館(泉区泉中央)で開かれる。長年読み継がれている絵本に加え、
最近の絵本、写真集も紹介する。
市民団体のみやぎ親子読書をすすめる会などが主催。「かわいそうなぞう」
など読み継がれている絵本に加え、ここ10年で出版された「ピアノは知って
いる月光の夏」「地雷ではなく花をください」といった絵本、イラク戦争の写真集
など計200冊を展示する。
親子がその場で読めるような絵本が中心になる。23、24の両日は午前11時
と午後1時半の2回、絵本の読み聞かせや紙芝居なども行う。「すすめる会」
会員の盛合佐知子さん(71)と増田家次子さん(72)が、仙台空襲(1945年
7月10日)の体験談を語る。
「すすめる会」代表の酒井文子さん(66)は「親も戦争を知らない世代になり、
親が子どもに読み聞かせをして自分の子どもに戦争の悲惨さを伝えるきっかけ
になってほしい」と話している。
27日まで(25日は休館)。入場無料。連絡先は酒井さん022(228)1776。
(河北新報) - 7月21日14時46分更新
在外被爆者や遺族ら参列へ 8・6式典、8カ国大使も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000092-kyodo-soci 広島市は21日、8月6日に行われる被爆60年の平和記念式典に、
米国とブラジル、韓国の3カ国に在住する被爆者やその遺族ら計10人を
招くと発表した。
在外被爆者やその遺族らの式典参列は被爆50年の1995年以来、
10年ぶり。当時は米国や韓国など11カ国から計20人が参加した。
また同市は、オーストラリア、ニュージーランド、メキシコなど8カ国の
駐日大使が参列することも明らかにした。核保有国からは、ロシアの
駐日臨時代理大使が参列するという。
市によると、小泉純一郎首相についても、参列の方向で最終調整を
進めている。
(共同通信) - 7月21日12時22分更新
戦後60年の原点:芝居「人類の破片」 平和への思い、新たに /福島
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000107-mailo-l07 ◇模擬原爆、全国各地に50発投下
◇同級生「供養」と会場に−−−福島・瑞龍寺で上演
福島市渡利の瑞龍寺で20日に上演された芝居「人類の破片」には、
模擬原爆にかかわりのあるさまざまな人たちが訪れた。模擬原爆の実態を
明らかにした愛知県の研究者や爆弾の犠牲となった斎藤隆夫さんの遺族や
同級生らが舞台を囲み、平和への思いを新たにした。【岩佐淳士】
「模擬原爆を後世に伝える意味でも素晴らしい演劇でした」。三浦秀夫さん
(65)はこの日、愛知県春日井市から新幹線を乗り継いで会場に駆けつけた。
15年ほど前、市民グループ「春日井の戦争を記録する会」の仲間とともに
米国の資料を調べ、模擬原爆が全国各地に投下されていた事実を突き止めた。
その後も丹念に全国の投下地点を訪ね歩き、実態を本にまとめた。瑞龍寺も
二度、訪れたことがある。
亡くなった隆夫さんの父運男さんが寺に預け、今回の芝居の題材となった
模擬原爆の破片を見るためだった。「模擬爆弾は全国に50発落ちたが、
きちんと破片を保管してあるのは珍しい。犠牲者がいたからこそ、残された
のでしょう」としみじみと語った。
隆夫さんの尋常高等小学校時代の同級生、佐藤トミさん(74)は「ずっと気に
かかっていた隆夫さんの供養をしたい」と会場に足を運んだ。「戦争について
私の記憶に一番残っているのは、隆夫さんが亡くなったこと」と話し、ほかの
同級生らと一緒に真剣な面持ちで舞台を見ていた。
60年前のこの日、隆夫さんの倒れていた田んぼにいち早く駆けつけた
姉ミチさん(78)や、破片を通じて知人や親せきに戦争の悲惨さを伝えてきた
隆夫さんの弟貞雄さん(69)も観劇した。貞雄さんは芝居が終わると舞台に
上がり、「過去のことなのでその真実も薄らいできた。このような機会をいただ
いて故人も成仏していると思う」とあいさつした。
また、破片を大切に預かっていた亘理正篤住職(79)の妻宮さん(76)は
会場で、「人類の破片」のテーマソングを大正琴で披露した。
◇エピローグで形見の蓑紹介
芝居のエピローグで、隆夫さんが死亡した時に着ていた蓑(みの)が紹介された。
60年間、遺族が形見として大事に保存していた。また、亘理住職と貞雄さんが、
出演した子供たちと一緒に平和を願い、模擬原爆の破片に白い布をかぶせる
セレモニーも行われた。
7月21日朝刊
(毎日新聞) - 7月21日16時16分更新
沖縄戦のフィルム入手 上原正稔さん、23日から上映
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000005-ryu-oki 沖縄戦時、米軍が北谷町、読谷村に上陸する様子や捕虜となった住民の
姿を収めた映像を那覇市のドキュメンター作家・上原正稔さん(62)がこのほど
入手した。映像は米国国立公文書館などから取り寄せたもので、約1時間に
編集され、23日から8月にかけて那覇市内で上映される。
上映するのは上原さんが2年前から今年5月にかけて米国国立公文書館から
取り寄せたフィルムと、県平和祈念資料館が所有するものとを編集したもの。
作品としては今回が3本目となる。
チビチリガマから脱出したと思われる母子や体中包帯だらけで顔をゆがめる
少女など悲惨な沖縄戦の様子が映し出されているほか、ブランコに乗り、
カメラに向かって笑顔を見せる羽地村(現名護市)の子どもたちや、具志川
(現うるま市)の海岸とみられる場所で楽しそうに水遊びをする子どもの姿が
映っている。
本島に上陸する際、約4千人の戦死者を出すと米軍情報部が予測していた
ことも説明文で紹介。バックナー米第10軍司令官に案内され、泡瀬(シモバル)を
視察する太平洋地域総司令官のニミッツ元帥の姿もある。
上原さんは「これまであまり公開されていない読谷村の映像も手に入った。
読谷村の人にも見てほしい」と話している。
上映会「パンドラの箱を開けるとき」は23日、8月1―6日が那覇市のてんぶす
那覇で午後6時から(7月24日のみ3回上映)。問い合わせは沖縄戦フィルム
ライブラリー事務局098(852)2846。
(琉球新報) - 7月21日9時57分更新
被爆地で対話と交流 イスラエル・パレスチナ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000210-kyodo-soci 被爆60年の今夏、紛争が続くイスラエルとパレスチナの高校、大学生が、
日本の民間非営利団体(NPO)などの招きで広島、長崎両市を訪れ、日本の
高校生と交流する。プロジェクトの実行委員会が21日、長崎市で発表した。
イスラエル、パレスチナから6人ずつが来日。広島、長崎などの高校生7人
が同行する。一行は広島、長崎両市の原爆資料館を訪問、8月9日には
長崎市の平和祈念式典に参加する予定。
プロジェクトは昨年、広島を訪れたエルサレム・カトリック教会のイブラヒム・
ファルタス神父が「紛争のため出会うことすらできない聖地の若者たちに、
この地で対話をしてほしい」と発案し実現した。
(共同通信) - 7月21日20時36分更新
住民の視点で護憲論議 市民団体「平和憲法の会」飯塚市で初のシンポ開催
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050721-00000003-nnp-l40 【筑豊】 嘉飯山地区の労働組合や教育関係者でつくる市民団体「平和憲法
の会」(木原範恭世話人代表)が初めてのシンポジウムを三十日午前十時から、
飯塚市飯塚のコミュニティセンターで開く。戦後六十年の節目を迎え、改憲に
向けた動きが活発化する中で、平和憲法の持つ意味について、あらためて
一般の住民の視点で語り合うという。
同会は、護憲を主張する五十九の団体・個人で組織。一月の結成以来、
憲法や教育基本法の改正問題などをテーマに、専門家を招いた講演会を
開催してきた。
シンポのテーマは「しごと・くらし・じんけんと憲法」。これまでの講演会を
踏まえて、地元の高校教諭、戦争体験者、女性団体代表ら六人がそれぞれの
意見を交わす。当日は、同会が嘉飯山地区の有権者を対象に実施した
憲法に関するアンケート結果も報告する。
シンポは入場無料。問い合わせは同会事務局の籾井さん=090(9471)8763。
(西日本新聞) - 7月21日2時18分更新