ローマ法王崩御に対する各国、各機関のコメント
■米大統領
「法王は歴史の流れを変えた」
■仏大統領
「法王の死はフランスとフランス人の心に深い悲しみを刻んだ」
■独首相
「法王の努力が世界を変えた」
■アフガニスタン大統領 (イスラム国家)
「ソ連に占領された時代、法王がアフガン国民に送った支援の声を忘れない」
■キューバ外相 (社会主義国家)
「貧しい人たちをいたわり、平和のために戦った友人の死を深く悲しんでいる」
■アナン国連総長 (国際連合)
「宗教的な指導者としてだけではなく、平和の主導者で、宗教を超え対話を推進した真の開拓者だった」
■中国外務省
「植民地支配などキリスト教徒の過ちを中国政府に謝罪したことは中国とバチカンの関係改善に有益だった」
「新法王は中国との関係改善のため、中国に有利な条件を出しなさい(内政干渉するな/台湾と断交しろ)」
【書評】 『食人宴席 抹殺された中国現代史』
鄭義(ツェンイー)著、93.11.25発行、 光文社カツパブックス、820円
<<人肉を食へて出世>>
事件の一端が明らかになったのは、中国・広西省武宣県である。ここだけで「殺され、
迫害によって死んだ人間は524人、その内、食われた者は百数十人。武宣県の食人者
は推定1万〜2万人にのぼる」。ここでは上からの犠牲者割り当てに応じて、走資派や
実権派をデツチ上げ、「まず批判闘争宣言があり、糾弾集会を行い、その後、人間を
殺して、生きているままに人肉を削ぎ、生きている人間が絶命すると、人間の心臓、
肝臓、胆嚢、腎臓、胸肉、骨髄、太もも、足、筋、・・人間の骨肉を切り取り、削ぎ取って、
それを煮たり、揚げたり、炒めたり、そして酒にゆっくりと漬けたりして、さまざまな調理
方法で、豊かな献立にしたのである。また<人肉宴会>では酒を飲み、杯を交わし、
論功行賞をした。」、「こうして食人の嵐がうずを巻き、集会があるごとに闘争があり、
闘争があるごとに死者が出て、死者が出れば、かならず食われ、惨劇が繰り広げら
れたのだ」。
例えば、1968年7月1目、武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は同中学の教室で開かれた
批判糾弾大会に引きずり出され、棍棒で殴り殺され、生徒から教師達までが副校長の
人肉を切り取って、大々的に食べられた。頭は殴られ、真っ黒にはれ上がり、大腿骨と
すね、そして手の肉は全部、切り取られ、肝、心臓、性器もすべてとられ、胸部は空っぼ
で、はらわたも流れ出していた。そして学校の食堂や廊下、区役所の炊事場で、教員宿舎
や女子学生宿舎で人肉を煮たり、焼いたりして人肉料理の宴会が行われたのである。
女子民兵・王文留は、「人肉を食べたことによって、共産党から認められ、だんだんと
地位が上がり、最終的には武宣県革命委員会の副主任になった。彼らは人殺しから
出世しただけではなくて、人間を食って出世した」のである。
(原著は中国国内では発行禁止)
共産党という一党独裁政権のもとで、われわれは広西事件のニュールンベルク裁判
を行うことができなくても、ある日、人民はかならず、このような犯罪行為に対する
ニュールンベルク裁判で道徳的清算を行うに違いない。」
<<寛大な収拾策と居座る幹部>>
毛沢東死後、文革は収拾されていったが、このような犯罪者に対する措置は
きわめて寛大なもので、多くの食人事件は、確実な証拠を上げることが出来な
かったとしたり、これまで犯罪行為を認めていた者が次々と否認に転じたり、
逆に「毛主席もこういう話をしたのではないか。われわれが彼らを殺さなければ、
逆に、彼らはわれわれを殺す。彼らが死ぬか、私が生きるかというのが階級闘争
である」として正当化さえ行われた。また食人事件を画策した人々が現在なお、
何ら問われることなく居座っている。広西省党委員会書記であり、広西事件の
最大の元凶である韋国清は、後日、人民解放軍総政治部主任に栄転し、
彼は「なぜ、人間を食べた人間は、続けて幹部であることはできないのか」
と反論したという。
現在の中国では、毛沢東生誕百年でふたたび毛沢東ブームがあおられて
いるという。功罪あわせ持つというが、功の方はこれまで幾度も称揚されてきたが、
罪の方はいっこうに明確にされてはこなかったし、ブームがあおられるときは
きまって罪がまさっている。功とは、多様な存在を認める統一戦線、人民戦線の
思想、人民連帯、人類愛の思想であり、罪とは、個人崇拝、独裁権力、セクト
主義と内ゲバの思想であり、つまるところは抹殺と食入思想に行きつくもの
である。罪がまさることのないよう、この著者の問いかけを受け止めるべきでは
ないだろうか。