【2004年】高遠のボランテリアvol21【10大ニュース】
8月18日 私にとってのファルージャ
イラク人女性ジャーナリストのハナ・イブラヒムさん、バグダッドの女医ドクターサルマさん、
そしてファルージャ出身のザッファルさんが日本から帰国した。日本でイラクの現状について
講演してきたそうだ。みんなが私に謝ってくる。そして、必ずイラクにまた来てほしいと言ってくれる。
夕食をハナさんやJVCの方たちとご一緒させていただいた。カスムももちろん、一緒に。
ドクターサルマとザッファルさんは残念ながらいらっしゃらなかったけど、ハナさんはものすごく
元気なおばちゃんだ。おばちゃんって言ったら失礼かな。でも、すごくパワフルウーマンで、
ちょっとお茶目な感じで、楽しい人だった。カスムもイラクの人に会えてうれしそうだった。
結局、ハナさんパワー炸裂で、夜中の1時までお茶をしながらおしゃべりをしていた。そして、
ハナさんからインタビューをさせてくれと言われ、私はそれを受けることにした。
今朝10時、ハナさんの滞在しているホテルに行き、カスムが通訳となってインタビューを受けた。
ハナさんは何度も「事件のことを聞いてもかまわないか?」と気遣ってくれた。私はイラクの人に
事件の詳細を語るのはカスム以外には初めてだったけれど、「質問によります(笑)」と言いつつ、
聞かれたことはすべて答えるつもりでいた。
通訳をしているカスムがとても悲しそうな顔をしていることに私は気がついていた。イラク人が
日本人の友人を拘束したという事実はイラク人にとっても大きな衝撃だったのだ。そして、私は
最初の外国人の人質で、しかも後にも先にも女性の人質は一人だけということもあって、イラク人も
外国人も同情を示す。けれど、その一方でファルージャの女性や子供を含めた多くの人が殺された。
それについて、国際社会はどれほど注目してくれるのだろう……という思いが、通訳をしている
彼の中に溢れていくのが私には手に取るようにわかった。私は「心配しないで。私は自分の経験を
通して必ずファルージャのことを伝えるから」と言った。
ハナさんに急用が入り、インタビューは途中で終わりになった。私たちはランチにイラク食堂に行った。
カスムの表情は冴えなかった。というより、かなり落ち込んでいた。カスムは私があの時の経験を話す
ことでよりファルージャのイメージが悪くなることを懸念しているのだ。わかる。けれど、事実を
事実として受け止めなければこの山を越えられない、と私は言った。決して平坦な道ではない。会う
人ごとに事件のことを話さなくてはならないのは、私にとってもものすごい重圧だ。けれど、最悪の
方法を選択してしまったという事実に目をそらしてファルージャの再建プロジェクトは進められない。
同時に、彼らがなぜそこまでの手段を取らなければならなかったのかこの1年のことを話さなくては
ならないと私は思っている。だから、イラクの状況を話すのには最低でも8時間はかかってしまうのだ。
でも、毎回8時間は私もしんどい。だから、私は活字にした。8月10日に出版された本の「戦争と平和」
というタイトルは、イラクと日本の間で悩んだ私の思いから来ている。当初、書き始めたら500ページを
越えてしまったのだけれど、最終的には380ページくらいに収まった。事件の背景、私はどうしても
それを伝えたかった。日本語は読めないカスムに、出版社が送ってくれた著書の1冊をあげた。
そこに私が伝えたいイラクが書いてあることを彼にわかっていて欲しかったからだ。
昼食を食べた後、私たちは部屋でとことん話し合った。ファルージャの再建にかける思いをお互いに、
とことん話した。カスムは自分が兵士だった頃の話を、ほとんど泣きながら語った。戦争で亡くした
友人のことを「自分の体の一部を奪われたようだった」と語り、いつまでもその友達を救えなかった
自分を責め続けたことも時折、涙声で話してくれた。この一人の元兵士のこぼれ落ちない涙を、
私は忘れることはないだろう。「泣いてしまえばいいのに…」と思っても、必死で泣くのをこらえる
彼にそんな言葉をかけることは、私にはできなかった。
彼が今、最も欲しているのは「信じてもらう」という確かな事実なのだと思う。信じるさ。信じている
から、私はここに来たんだよ。ファルージャの人たちがどんなにやさしかったかを私は知っているから、
ここに来たんだよ。ファルージャの人たちがどんなに苦しんでいたかを知っているから、こうして
ここにいるんだよ。イラクに「バイバイ」なんて言わないよ。
▲ # by nao-takato | 2004-08-19 07:47