この戦争で私たちの国、日本は「加害者」だったのです。私がイラクに行ったのは「償い」でした。 へえ
プギャーm9(^д^)
954 :
双子の西兄弟 :04/12/31 00:34 ID:41KuktFo
★不滅の愛は沈黙、時は勝者の供物なり。目覚めよ、ダビデの★。 高遠菜穂子様、フォーレバー(月刊・赤丸掲載記事より)。 高遠菜穂子様こそは正に敗戦国=日本に残された最後の良心であり、 正に暗黒面のダークフォースに捕われた世界を今再び明るい日の光 のもとに導く最初にして最後のアトム・ハート・マザーその人である。 ここまで言葉を尽くしても納得のいかない愚劣な諸兄へ。その証拠を お見せしようか。まず高遠菜穂子様のフルネームを古語に直すと、 「たかとうなほこ」つまり、高遠な御子、高遠なる天子という意味である。 同様に高遠弟様は「高遠なる思想を実現する者の助けをする者」となる。 つまり高遠な高遠御姉弟様こそ、正に遺伝子操作によって誕生した小泉 ミュータント政権の悪巧みに対抗しうる、最後の最後の防波堤そのもの なのであり、今に世界が高遠なる菜穂子様の足元に跪く日も近い。 目覚めなさい、半日分子のあなたたたち。
アンマンでもできること。 本日、細井さんが持参したイラク支援金を分けて使うことに決定しました。ヨルダンにいる スレイマンの友人が送金をやってくれることになりました。以前にも彼が細井さんの義援金を 送金してくれているので、今回もお願いすることになりました。とりあえず、今日はバクーバの 病院に薬を買うため2000$、400$ は細井さんが以前から支援しているバグダッドの小学校に ビタミン剤を400$分です。(これは2回目になるそうです)残り2000$はファルージャの再建に あてることになり、私が預かることになりました。 今朝、ピースオンのやっちと電話で話しました。スレイマンがバグダッドで薬を調達して バクーバの病院に届けてくれることになっているのですが、その際、写真を撮ってきてくれるように お願いしてあります。その写真をいち早く、バグダッドにいるピースオンのHPでUPしてもらう ことにしました。外国人は行かない方がいいので、スレイマンが代表で行くことになります。 ただ、ヨルダンは金、土の週休2日なので、銀行の送金システムを使うとなると日曜日以降に なってしまいます。あとは、運び屋さんに頼むしかないけど、ここ数日の雰囲気から、イラク人も 入国をためらっています。最初はスレイマンもアンマンまで来ると言っていましたが、29日に 帰国した時のバグダッド街道がひどかったので、彼もためらっているくらいですから、なんとも。 ラマディ&ファルージャ青年団のみんなはうまく行けば、来週にもアンマンに来ると連絡が来ました。 が、情勢が情勢なのでなんとも言えません。彼らもイラクホープネットワークのイラク人メンバーに なると思います。 アンマンAt a Glance; サッカー人気はここでも高いですが、中国で開催された日本VSヨルダンの時のこと。タクシー ドライバーに「中国人サポーターが日本のチームに対してブーイングを出していたのはなぜだ!? 中国人は日本人が嫌いなのか!?」と聞かれてしまいました(苦笑) ▲ # by nao-takato | 2004-08-06 01:07
956 :
双子の西兄弟 :04/12/31 00:40 ID:41KuktFo
★不滅の愛は沈黙、時は勝者の供物なり。目覚めよ、ダビデの★。 高遠菜穂子様、フォーレバー(月刊・赤丸掲載記事より)。 香田に関しては、何でもこうだ!と決め付ける所が真にアトム・ハート・ マザーである菜穂子様の気に染まなかっただけの事、所詮、高遠なる 菜穂子様の敵ではなかったのである。残念である。
957 :
国連な成しさん :04/12/31 00:46 ID:LiOB5MAg
思わず米軍と共にグレネードランチャーを撃ちたくなったよ。
>イラク報告8 >2003年5月11日 > > >孤 児 院 は た く さ ん あ る が、< < <
8月6日 ヒロシマ、そしてイラク ヒロシマには、先日の三次市の報告会の次の日に原爆ドームや公園を森瀧春子さんに 案内していただいた。原爆資料館は閉館していたが、森瀧さんには「また来なさいって ことね」と言われ、私も今はきっと見る時じゃないんだなと思った。精神的にも万全で なかったので、時期をずらされたのかもしれなかった。父親にも「今のお前にヒロシマが 見れるのか?」と言われていたし……。その後、ホテルのスカイラウンジからヒロシマを 見た。パレスチナホテルから眺めるバグダッドのチグリス川と重なった。私はヒロシマを 見たことがなかったイラク人と同じように、悲劇の上に作られた町並みを見て「きっと イラクにも平穏な日々が訪れる」と思っていた。私は今、前だけを見ていたいと無意識に 思っているのかもしれない。そうしていないと、ひっくり返って泡を吹いてしまうかも しれない。アンマンに来たのも、元気になったからというより、元気になるために来た。 イラクでやっと出てきた希望の芽を踏みにじられていないことを確かめたいと思って来た。 路上で暮らすイラクボーイズとの間にできたボンド(絆)を確かめたいんだ。戦車に囲まれ ながら暮らすイラク人が私にとってとっても身近な人になったから。 昨日、ちょうどアルジャジーラのHPを見ていたら、ムサーナアルダリ氏が釈放されたと いうニュースを見つけた。早速、アルジャジーラにそのままメールを打った。アルダリ氏 への謝辞と祝辞を伝えてほしいということ、それとアルジャジーラへの謝辞、とにもかく にもそれだけは早急に伝えたいと思った。 最近のイラク情勢はさらにわけがわからなくなったような気がする。ヨルダンでは、一連の 教会爆破事件はアラブ人によるものではないと言う人が多い。真相はわからないが、確か なのは、私が常宿にしていたホテル前の教会は小学校が併設されていて、そこはクリスチャン だけでなく、ムスリムの子どもたちが多かったということ。せっかく、みんな仲良く遊んで いたのに、誰がやったにしてもひどい話だ。
さっき、シーア派のイラク人とお茶を飲んでいた。彼は4年もヨルダンに住んでいる。 兄さんもここアンマンにいる。あとの家族はバグダッド。毎月仕送りしてるらしい。最近、 中古のマツダ車を購入してバグダッドの家族に送ったらしい。3000$したそうだ。彼も私が 拘束されていた時は日本のメディアの取材攻勢にあったとのこと。でも、彼はイラク人が 日本人を殺すわけないって信じていたよ、と言う。それでも、ファルージャやラマディの スンニ派の人たちはみなサダムの残党だと言っていた。私はみんながそうではないと思うと 言って、どっちにしてもサダムフセインはもうアメリカの手中にあるわけで、今のイラク 情勢を考えるとイラク人同志仲違いしない方がいいんじゃない?と聞き返した。実際、 南部のマフディ軍も「ファルージャを救え!」と叫んでいたらしいし……。彼は「そうだ よな…」とつぶやいた。こんがらがった糸はゆっくり一つずつほどいていくしかないらしい。 混沌としたイラク情勢の中で、希望を見つけるのって難しいけど、私は見つけたから、 あきらめたくない。そして、イラクのこんがらがった糸は日本につながっていると思うから、 私は私のできることをやろうと思う。だって、私は日本人。 ▲ # by nao-takato | 2004-08-06 22:09
元のHPと主張が変わってきてるのがうける、ホープダイアリー
2004 バンコクに無事着きました。 雪のアンマンから常夏の国へ移動となったわけですが、 やっぱり私は暑い方がいいなーなんて思ってます。 これからマッサージに行ってきます。 みんなご苦労様、もっと私の宣伝しといてね〜。
8月7日 偏食は不健康
今朝、シャワーを浴びて、洗濯をして、パソコンを開けてイラクの写真を見た。
そしたら、みんなに無性に会いたくなった。写真を見終わったら、臆病な自分だけがそこにいた。
イラクのみんなは恐くたって何だって、そこに住んでいるんだよな…と思った。
サドルシティも負傷者がたくさん出ているとメールが来た。サドルシティーでも米軍と
マフディ軍の衝突があって、ケガ人は米軍に捕まるから病院に行けないらしい。
ファルージャの時と同じ。もう少し状況を詳しく聞いてみようと思う。キマディア(医薬品の
配給システム)は機能してるはずだけど、物流が止まってしまうことはよくあることだった。
特にバグダッド以外ではありがち。
アルジャジーラがまた閉鎖に追い込まれた。何か嫌な予感。昨年もそんなことがあって、
そういう時は大きな掃討作戦が敷かれたから。そういえば、アルジャジーラのHPには2004年4月の
ファルージャの虐殺の記事が一つもない。最新の記事は2003年12月。
イラクの友人から教えてもらったサイトです。バスラのアルアリ先生も出てます。動画です。
http://pilger.carlton.com/iraq/film ▲ # by nao-takato | 2004-08-08 03:33
8月8日 「日本人からの贈り物」 夕べは、よく眠れなかった。実は昨日、いろんなことを見て聞いて考えてしまったら、 またジンマシンが出てしまったのだ。痒かった……。夜中に薬を飲んで、居ても立っても いられず、ロビーに降りて従業員と話したり、テレビを見たりしてた。従業員は私の ジンマシンを見て、「医者に行った方がいい」と言っていたけど、日本でかかっていた ドクターによれば、少なくとも1年くらいはこういう体調が続くかもしれないとのことだった。 だから、薬が効くのを待ってベッドに戻った。 そんなわけで、今朝もまだ体調が優れず、森元さんに心配をかけてしまったようだ。 とりあえず、午前中にスレイマンのエンジニア仲間である、ホテル経営者のバシャール氏と ともに銀行へ行った。イラクホープネットの銀行口座を作るためだ。バシャール氏が一緒 だったこともあって、すべてスムーズに完了。あとは、日本から送金してもらうのと、 ファルージャ&ラマディ青年団の到着を待つ。彼らはパスポートがやっと取れたようなので、 近いうちにアンマンに来れる予定。でも、なんてったってイラクの情勢は最悪だから、 どうなるかは全くわからない。みんなが無事でありますように。 サドルシティーに関してスレイマンから私と細井さんに数回のメールと写真が送られてきた。 彼は購入した薬の箱に「Gift from Japanese People(日本人からの贈り物)」って貼り付けて 診療所に運んでくれている。バクーバの病院にもそうしてくれているみたい。以下、彼からの メールを要約して日本語訳を載せます。写真は載せ方がいまいちわからないので、ごめんなさい。 細井さんのHPにUPすると思われますので、その時にまたお知らせします。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++ サドルシティーではケガ人があふれています。もちろん病院に行けた人は病院が面倒を見て くれています。しかし、問題は多くのけが人は米兵や警察に尋問を受けたり捕まるのを恐れて 病院に行けないでいることです。サドルシティーにはいくつかの家や建物が診療所となっていて、 そこにドクターたちが出向いている状態です。私はそのうちのわりと大きい診療所を知っているので、 そこに薬を届けました。サドルシティーの状況は最悪で、失業、電力や水も不足、そして治安悪化。 サダム政権の時も彼らの日常はひどかったけど、今もまったく同じ状況です。 私は医薬品や包帯などの消耗品を購入してサドルシティーの診療所に届けました。私に とっても危険ではありましたが、なんとか無事に戻ってこれました。サドルシティーの人々は 「日本人からの贈り物」を受け取って大変喜んでいました。このようなハードな状況にも かかわらず、もっとも必要な薬品などを届けてくれる日本人に感謝しますと言っていました。 サドルシティーでは写真を撮らない方がいいと人々に言われましたので、私が届けた医薬品などの 写真を添付します。明日には、バクーバとシャハラバンにも医薬品を届けられると思います。 そうしたら、書類や写真などをまた送ります。 スレイマンより +++++++++++++++++++++++++++++++++++
★アンマン At a Glance★ バシャールのホテルでマッサージの案内を見つけたので、予約を入れてもらって行ってみた。 足がむくんだままで、元々太いのに益々「ぞうさん」みたいになっていたので、フットマッサージを 重点的にやってもらった。担当してくれたのは、死海の五つ星ホテル「モーベンピックホテル」で マッサージ師をしていたウクライナ人の女性。彼女は指圧も心得ていたのでツボも押さえていた。 非常にすっきりした。足も心なしか細くなったような気がする。ってのは気のせいか? 興味深かったのは、マッサージのお客さんがアヤシイおじさんが数人いたこと。どうやら 「そういうこと」もやっているらしかった。帰り際に従業員とチュッとかしてる人もいて、 ギョッとした……。従業員は「日本人の常連さんで○○さんていう人がいるのよ。アラブの太った 女の子が大好きみたい」と笑っていた。 ▲ # by nao-takato | 2004-08-09 03:25
> 今朝、シャワーを浴びて、洗濯をして、パソコンを開けてイラクの写真を見た。 > そしたら、みんなに無性に会いたくなった。写真を見終わったら、臆病な自分 > だけがそこにいた。 > イラクのみんなは恐くたって何だって、そこに住んでいるんだよな…と思った。 この、ごぶっとい(ご太い)感覚に、私などは感心してしまう。 さすが、戦国大名高遠氏の血を引く剛毅な姫の血筋だけのことはあると 思ってしまう。 俺なら3年くらいはPTSD状態に甘えていたのではないかと思う。 このくらい、ごぶっとくないと、ボランティアというのはできないのかもな。
969 :
国連な成しさん :04/12/31 01:24 ID:LiOB5MAg
2Chに少年愛と自己満足派の似たスレの乱発が増殖しています。統一して下さい。
8月9日 誰が報道する? さきほど、JVCの原さんから電話があった。ラマディとファルージャが再び包囲されたらしい。 やっぱり……。嫌な予感的中。包囲される側の報道は誰がする?アルジャジーラ?いやいや、 アルジャジーラは1ヶ月間の閉鎖命令が出た。 アンマンに来る予定になっている友人たちのことも心配だ。今、ここにいては無事を祈るしかない。 写真もビデオも尋問されて拘束される可能性があるなら、何も持ってこなくてもいい。4月の ファルージャのような大規模な戦闘になるだろうという話もイラク人からは出ている。とにかく みんなが無事でいてほしい。私が今回、絶対に進展させたいのがファルージャの再建だ。虐殺の 後片付けは、虐殺された家族がする。そのお手伝いをしようという計画。そのためのイラクホープ ネットワークでもある。でも、この状況だとまだ虐殺は終わらないらしい。見えない敵と戦う 米兵も気の毒で仕方ない。青春の1ページにするには過酷すぎる現実だ。脳みそが飛び出したり、 内臓が飛び出している遺体をいくつ飛び越えて、その臭いを鼻の粘膜にこびりつけて、それでも 「見えない敵」は見えないから、誰でもいいから撃つだけだ、なんて……。 サドルシティーで、「日本人の贈り物」が歓迎されたってことは、本当にスゴイことだ。5〜7月 くらいにサドルシティーを訪れた日本人ジャーナリストはたいていが、多勢の民衆に殺されそうに なっている。友人のジャーナリストから聞いた話によると、ある日本人カメラマンが200人ほどの 民衆に袋小路に追いつめられたという。そこから助け出してくれたのが、武装した人だったという。 その人は民衆に「俺が殺る」という意志表示を手投げ弾を上にかざし、カメラマンを車に押し込んだ らしい。車のドアを閉めて、「危ないからもう来るな」と言ったという。もちろん、親日的な部分 は多いけれど、ヒートアップしているところは対日感情が良くなっている傾向とは言えない状況。 サドルシティーはそんなところだったのだ。
JVCが大分のフェアトレードのグループから託されたサッカーボール50個。結構ハイクオリティな ボールらしい。スレイマンの友人が予定どおりであれば今晩にはアンマンに着く予定。とりあえず、 ボールはその彼にバグダッドのピースオン事務所まで届けてもらおうかと思ってる。とにかく、 彼が無事にアンマンに到着することを願う。確かに地域によってはサッカーどころじゃないだろうけど、 日常生活を完全に踏み潰されないためにも子供たちに届けたいなと思う。一応、届け先はいろいろと 考えてあるけど、今晩到着するJVCの佐藤真紀さんたちと相談してから決定しようと思う。 ピースオンの相澤さんもその辺りはリサーチしてくれているみたいなので、電話とメールで相談するつもり。 「日本人からの贈り物」を心を込めて届けたい。 ▲ # by nao-takato | 2004-08-09 23:30
○ ノ|) _| ̄|○ <し ○ノ ○ ノ| _| ̄| <し Σ○ ○ ノ/ヽ _r ̄| /> ヽ○ノ ○」 レ 「/ /> />
∧∧ ( ・ω・) オマイラまだ頑張ってるんだ _| ⊃/(___ちゃんと休憩もとってな / └-(____/ オイラは先に休むよ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧∧ シュッ!! ( ・ω・)☆ Σ⊂彡_,,..i'"': |\`、: i'、 \\`_',..-i \|_,..-┘ <⌒/ヽ-、___ シュッシュッ!!. /<_/____/
8月10日 世論ってどこにある? 今朝の1面は、ナジャフでのマフディ軍と占領軍の戦闘のこと。見出しで日本の美浜原発の 事故のこともかなり大きく出ていた。それと、元イラク統治評議会メンバーのアフムド チャラビがイラク紙幣偽造の疑いと、その甥のサーレムチャラビが財務省高官のハイセム ファディル氏の殺人容疑で逮捕状が出されたというのが、写真付きで。チャラビさんが ヨルダンで銀行のお金を使い込んで指名手配だというのは聞いたことがあったけど、すごいね! これだもん、イラク人が統治評議会だって、今の暫定政府だって信用しないわけだ。この人 たちに限らず、亡命イラク人で占める政府はイラク人とはかけ離れ過ぎてるし、よく言われた のが、「一番苦しかったイラクから逃げた奴らじゃないか!」という声。そんなことを聞かされて 過ごしていたもので、一時帰国した日本の報道が統治評議会のコメントをまるでイラク人の 代表のように出ているのが奇異に感じていた。イラク暫定政府の大統領だったか首相だったかが 「自衛隊は大歓迎です」と小泉首相に言ったのも、非常に個人的意見だなと思った。宮殿の中 には一般人は入れないから仕方ないのかしら!? とは言っても、イラク人にしてみればアメリカ人に仕切られるよりはイラク暫定政府に期待 したいところ。そんな感じもかなりあるよう。戦争直後にみんなが「アメリカンドリーム」を 見ていた頃にちょっと似てるけど、モチベーションはかなり下がっている感じ。でも、 アルジャジーラの一件でだいぶ評判は落ちたみたい。ノーテンキに見えるヨルダンの人々も 「そりゃ、ないだろう!」と憤慨。パレスチナ人のある人は「アラウィ首相はシャロン首相に 似てきた」と言い出す始末。
夕べ、珍しくヨルダンの下町一帯が停電していた。そんな時、一人のイラク人ドクターが ホテルにやってきた。バグダッドからだった。正確に言うと、在イエメンイラク人ドクター。 彼はバグダッドに13日間滞在したとのことだった。停電の間、ろうそくの灯りのもとでイラクの ことを色々話した。私もついつい食いつくように質問しまくってしまった。バグダッドにいる 彼の家族は無事らしいが、イラクは本当に大変な状況だよと教えてくれた。「バグダッドは 良い方だよ」と彼は言った。そして、やっぱりアラウィ首相はとんでもない!と怒りをあらわに していた。彼は温厚そうな人に見えたけど、言うことはなかなか厳しかった。パレスチナの人と 同じ、なぜ抵抗し武器を持って戦わなければならないか、世界は知らないのだと訴えていた。 そして、イラクのあちこちで戦闘が起きているが、それは戦う権利であり、彼らの尊厳でもあると 力説するのだった。 私は、「そうは言っても、あなたはイエメンに帰ってしまうし、実際に戦う人たちは戦えば戦う ほど家族や同胞を失っていく。暴力で復讐しても解決にならないのではないか?」と聞いた。 彼は、最初のうちはものすごい勢いで武力による抵抗運動を賞賛し、それしか方法なんてある ものか!と言っていたが、私も力説を始めたら、本来の柔和な人に戻った感じで、「そこに希望が あるならば」というようなことを言った。私は「長旅で疲れているところいろいろ質問して ごめんなさい」と言うと、彼は「実に興味深い話ができたよ」と言ってくれた。しばらく アンマンに滞在するので私のイラク人の友人にも会うことになった。 今晩、スレイマンの友人のカミースさんにJVCが預かってきたサッカーボールを渡す。 カミースさんは明日の午後、バグダッドに出発の予定。彼は昨日、アンマンに到着してホテルまで 会いに来てくれたのだけど、バグダッド街道は今のところ危険ではなさそう。ただ、検問が たくさんあるらしい。明日の帰り道は大丈夫だろうか。カミースさんは韓国のワンボックス車を 購入したらしい。せっかくの車がずっとずっと無事でありますように。 ▲ # by nao-takato | 2004-08-11 00:51
彼女を愛してやまない
彼女のいない生活は考えられないのだよ。
8月11日 カスム到着! 夜8時半にラマディからカスムがなんとか無事に到着。戦闘が始まってしまったので、 迂回路を通ったり、米軍の検問があったりで、予定より遅くなってしまったのこと。 途中、デジカメで米軍の様子を撮ってみたら、検問で見つかり、削除されたらしい。 でも、デジカメが返ってきてよかったね。 その後、夜9時半からJVCの佐藤真紀さんと「ヒバクシャ」の監督、鎌仲ひとみさんと、 チェルノブイリ問題で著名な鎌田先生とお話。命についてたくさんお話した。 とりあえず、戦闘続く町からやって来たカスムにはゆっくりとしてもらいたいなと思う。 ▲ # by nao-takato | 2004-08-12 18:25
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8月12日 希望の芽に水を。 カスムは生まれて初めてパスポートを取ったわけで、当然これが初めての海外旅行になる。 このパスポートを取るのが、実に時間がかかった。アンバール州ではまだパスポートの発行を してくれないらしく、結局はバグダッドまで行って申請をした。でも、ラマディ出身という ことで、身元の証明にエライ時間がかかってしまった。つまり、不法に入ってきている外国人や 武装勢力との区別に時間がかかったということらしい。ま、なんやかや言いつつ、念願の パスポートを手にし、今「外国」にいるわけで、、おめでとう!である。 先日知り合った、在イエメンのイラク人ドクター、カスム、森元さんをイラク食堂に案内した。 アラブ銀行裏のイラク食堂は昼時はとっても混むので、大きい方のイラクレストランに行った。 全員がケバブをオーダーした。「やっぱりケバブはイラクだよな」とみんなが口を揃える。 本当にそう思う。イラクの羊肉はとてもジューシーだ。イラク人がいつも自慢していたが、今なら 私もイラク人のように言う。そして、一番おいしかったのはファルージャのケバブに間違いない。 午後、強い日差しを浴びながら、近くのローマ劇場跡まで散歩した。ずいぶんと今日は暑いなぁ、 と私が言うとカスムは「イラクから来た僕には涼しいよ」と答える。そうだろうよ。8月のイラクは とんでもないという。私は7月までなら滞在したことがあるが、8月はさらにその厳しい暑さに 拍車がかかると聞いていた。気温は常に50度オーバー。でも、私はあの灼熱の太陽が懐かしくて しかたない。
ローマ劇場の入場料はヨルダン人250フィルス(1JDの4分の1)、アラブ人500フィルス、 外国人500フィルスと書いてある。なんだかよくわからない分け方だったのだが、カスムは パスポートの提示を求められた。係員はマジマジと真新しいそれを見たが、わりとすんなり チケットをよこした。 ローマ劇場の急な客席を3人で登った。一番上まで行くと、結構見晴らしがいい。向かいの丘には アンマン城、そしてその右並びにヘラクレス神殿がよく見える。私たち3人は日陰に腰を下ろして、 おしゃべりをしていた。昨年の5月のファルージャで、私たち3人は初めて会った。あれから 1年が過ぎ、イラク情勢はめまぐるしく変わっていき、そして何より変化していたのはカスムだった。 あの頃、頭の中は戦争で失くした友だちのことでいっぱいだったと彼は言った。そして、戦争が 終わってからも続く戦闘を毎日見て、怒りと憎しみにがんじがらめになっていたと言う。バグダッド では略奪などが目立っていたころ、ラマディやファルージャは占領軍との戦闘が激化していた。 彼はバグダッドと戦闘地域の温度差に気づいていた。バグダッドの人たちはカスムの話を聞いた後、 「大げさに言ってるんだろ」と片付けた。今、私はカスムに対して本当に申し訳ないと思っている。 あの頃、もっと彼の話を受け止めることができていればと後悔するのだ。けれど、私にはあれが 限界だったとも思う。平和な国からやってきた私には戦争のリアルがつかみきれずにいたのだ。 「外国人の気分はどう?」と私は少し茶化すように聞いた。アラビア語を話す隣の国だけれど、 イラクとの違いは大きい。彼が少し戸惑っているのはわかっていた。勝手の違うことも多いし、 物価も町並みもぜんぜん違う。「実はね」と彼は切り出す。少し落ち着いた今になって、マハッタの バスセンターからダウンタウンまで5JDも取られたんだよと笑った。(マハッタからなら1.5JDが 相場)タクシードライバーは同じ場所をグルグルまわっていたんだそうだ。僕はタクシードライバーが 客をだますなんて思いつかなかったよと彼のマジメさがヨルダンで際立つ。
1時間くらいおしゃべりをしていると、目の前に息を切らして警察官が登ってきた。警察官はカスムを 呼んだ。ちょっと離れたところで、彼はまたパスポートの提示を求められ、こちらを時折見ながら 何かを説明している。なんだかあまりいい気分がしない。森元さんと2人で何でだろう?と首をかしげる。 3分くらいで話は終わり、彼は私たちのところに戻ってきた。「何しにここに来ているのか?」と 問われたらしい。友人を訪ねてきただけです、とカスムは答え、結局は「何か困ったことがあったら 言いなさい」と言って警察官は帰っていったという。私が今回のヨルダン入国で時間がかかった時の ように、「イメージ」がつきまとっているのだと思った。 イメージとは怖いなと思う。目の前のカスムの戸惑った表情が切なくなる。彼はさっきまでずっと 「世界からイラク人は野蛮で戦闘ばかりしている悪者だと思われている」と嘆いていたのだ。アメリカは テロリストと呼び、アルジャジーラも結局はスンニトライアングルという悪いイメージを拡大させて いると彼は言う。お互いの主義主張を貫くために、爆弾の映像と怒り狂ったイラク人の映像の投げ つけ合い。とても悲しい……と、彼は言った。上空を民間飛行機が飛ぶたびに彼は空を見上げる。 爆弾は落ちてこないよ、と私が言うと彼は安心したように笑ってみせた。
今、彼ら青年団は外国人武装グループに取り込まれている地元の若者たちに戦闘に参加しないように 呼びかけている。その動きと、私たちが取り組み始めたファルージャの再建プロジェクトをリンク させている。復讐で頭がいっぱいになった人たちの熱を冷ますことは容易ではないが、この地味な作業は 思いのほか功を奏している。実際に戦闘に参加するのを止めた若者たちが彼らの始めた再建工事に雇われ、 彼らの心境に変化が生じてきているのだ。カスムは言う。治安が安定してから、平和が訪れるのではなく、 今のイラクでは「再建」という前向きな気持ちが先に来なければ、治安の安定はあり得ない。そうは思って いても、どのように「再建」に着手したらいいのか、周辺諸国も手を出せないでいることも確かなのだとも 付け加える。だからこそ、僕たちはその足がかりを作りたいのだと言う。 森元さんが、最初に会った時の彼とは別人のようだと驚きを隠せない。私も同じ気持ちだ。彼とは イラクで一番長い時間会話をしているのだが、かつてこんなに彼の言葉に励まされたことがあっただろうか? いつも私は彼と話すと悲しくていやになっていた。それでも、彼は毎日のように戦闘の様子を私に伝えに 来ていた。私は愚痴を聞き、復讐の念に燃える炎を消す作業に時折、力尽きた。なぜ、神様はこの人を 私のそばに置くのだろう?と恨んだりもした。でも、今思うのだ。彼が言うように、あの頃の会話の すべてが、今から始まる私たちの「イラク再建」のイントロダクションだったのだと……。イラクホープ ネットワークは、ここから始まるのだ。 ▲ # by nao-takato | 2004-08-13 20:06
1000だったら3億円当たる。
埋め立て乙。 俺のニセモノも出ているが。w
8月16日 終戦記念日を前に「華氏9・11」 を観る。 ここ数日、体調が優れず……。すぐに頭の中がキャパシティオーバーになってしまう。 ヘナチョコでビビリになった、と自分で情けなくなる。このブログにも実は書きたいことを 全部は書いていない。自分自身がフラストレーションの材料になっている。まぁ、ゆっくり ゆっくり、アステーアステー(ヒンズー語)、シュワイエシュワイエ(アラビア語)。 そのうち、良い風が吹くでしょう。 8月14日、JVCの佐藤真紀さん、原文次郎さん、カスムがマイケル・ムーアの「華氏9・11」を 観にいった。実は、私は先週すでに見終えている。が、その晩いろいろと考え込んでしまい ジンマシンが出てヒドイ目にあったので、今回は遠慮させていただいた。映画が終わったのを 見計らって映画館に向かえに行くと、見終えたばかりの観客に「あ!あなた日本人の人質 でしょ!?」と叫ばれてしまい、固まる。美容整形を受けようかと一瞬本気で考えた。カスムは 「これがアメリカ人によるものであることに大きな意味がある。やっと公平な記録が映像となって 出てきた。だけど、アブグレイブ刑務所のことも取り上げて欲しかったな」と語った。また 「9・11は犯罪である。が、しかしその反応もすべて犯罪である」とも言っていた。 JVCから預かったサッカーボール24個(1個は国境で税金代わりに没収!?)は無事にピースオンの バグダッド事務所に到着。スレイマンと相澤さんにお願いして、4箇所に6個ずつ分けることになった。 1.アル・ナジャット孤児院(アダミヤ地区) ノーマン病院向かいの孤児院。スレイマンがここの役員でもある。 2.ユースセンター(ワジリヤ地区) ストリートボーイズの何人かがここに滞在している。 3.アル・アビル小学校 細井明美さんが健康診断や栄養補助剤などの支援を続けている小学校 4.アル・イーマン小学校(カディミヤ地区) 戦後、略奪被害に遭ったので細井さんの資金援助を受けて再建をやったところ。学校プロジェクト でも数回訪問した。
1.2.3.についてはスレイマンが、4.については相澤さんが届けてくれることになりました。 治安を考慮すると今すぐに配達は難しいと思われますが、後で写真が届くことになっています。 治安。相澤さんによると、サドルシティーは民家がマフディ軍に占拠されても、住民は拒むことが できずにいる。マフディ軍を受け入れると米軍の攻撃に遭う。以前にスレイマンが知らせてくれた通り、 ケガ人は病院に行きづらいし、マフディ軍の戦士たちも病院には行くまい。結局、民家で手当てを することになっている。毎日戦闘の音が絶えないとのことだった。 アンマンのイラク食堂でのこと。夜の8時過ぎにアラブ銀行裏のイラク食堂に行くと、イラク人の客で 混んでいた。カスムは周りがイラク人だらけなので、ここに来るとほっとするみたい。ここのシャイ (紅茶)はイラク産の茶葉を使っているので、それも彼のお気に入りになっている。 夕食時は店の前にテーブルを並べていて、いつも満席。少し待ってから、私たちも席につく。ケバブを オーダーし、ずいぶんと盛り上がっている会話に耳を澄ます。なんとなく、イラク情勢について話して いるのは私にもわかる。カスムが私の右隣で耳打ちをする。私の左隣のおじさんは「もう戦闘は やめた方がいい」と言っているらしい。うーん、なるほど、と私とカスムはうなずく。が、あとの 全員は「戦闘をやめるなんてどうかしてる!」と、猛反発。かなりエキサイトした会話が続き、 そのうちに食堂のスタッフが「戦闘反対」のおじさんに「もうその話はやめてくれ」と切り出し、 会話は途切れた。
先日の在イエメンイラク人ドクターとした会話と同じような展開。圧倒的に戦闘支持の人が、ここ アンマンでも多い。それはある意味しかたのないことだと私も思う。現地で戦闘に参加する彼らには その理由があるわけで、サドルシティーなどでは生活の向上どころか悪化という切実な問題もこの 戦闘に拍車をかけていることは間違いない。けれど、現場と離れたところで戦闘を支持することは 簡単だけど、その人は戦闘の巻き添えを食らうことはない。ファイターの背中を押しているのは、 決してファイターたちの怒りだけではないという図式が、ここでもはっきりと示されていた。 カスムは言う。「平和のために戦闘をして、その火を消すのにまた火を使っている。それは事態を 悪化させるだけだ。水を使わなければ火は消えない」 ファルージャの再建プロジェクトはより具体的になってきた。超マジメなカスムたちは、フロッピー ディスクに、提案書やすでに終わったファルージャの学校の収支報告書なども持ってきた。ほとんどの 工場などが米軍により閉鎖されているため、建築資材が輸入に頼っている。そのためコストが今まで とは比べ物にならないほどかかってしまうが、彼らはそれに関しても、より安価にもしくは無料で提供 してくれる企業と交渉を始めていた。あと数日でさらに具体的になると思うので、この続きはまた後で。 ファルージャの再建プロジェクトの最大の目的は、「心の再建」だ。ただ単に建物を再建するのでは なく、地元の若者たちが「戦闘」によって自分の町を守ろうとするのではなく、建設的な非暴力の 方法で自分たちの町を守ろうとするマインドを育てることが目的なのだ。実際に、そういった若者たちが このプロジェクトで仕事を得ることに成功し、彼らの中に本気で日常生活を取り戻そうという気持ちが 芽生えてきている。そしてその前向きなマインドを持ち始めた若者たちに「日本人からの贈り物」を 協力資金として届ける。これが私が今取り組んでいるイラク復興支援だ。 ▲ # by nao-takato | 2004-08-16 23:13
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うめ
うめっしゅ
うめ
アイドルは人気があって困る。
イラクの花ですから。
ごぶっとい女性ボランティアたちがたくさん出てきて驚いた。 まだまだ日本人も捨てたもんじゃないかもな。 ごく一部の人たちだけだが。
1000なら3億円当たる。
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